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【1】闇の都に灯す夢の火種

■1【後世に残せるもの ~京の重鎮、懊悩おうのうの会議~】

風鈴は鳴らない。蝉も鳴かない。

明治二十五年(一八九二年)九月。晩夏の陽はやや傾き、京都商工会議所の一室には、蒸し返すような暑さと、それ以上に重たい沈黙が淀んでいた。

千年前にできた都は、百年後の未来でも記憶に残っているだろうか。

京都実業協会の会長、中村栄助は、扇子を静かに広げた。

そして、空気を裂くようにひと仰ぎした。この沈黙を、誰かが破らねばならなかった。

─この街を、百年後の未来にどのように残していくか?

問いは、すでに誰の胸にもあった。だが、その答えは誰の口からも語られなかった。

第四回内国勧業博覧会。その京都誘致を実現し、喝采と評価を一身に浴びた京都実業協会の面々。けれど今日のこの会議室に、達成感のようなものは影も形もなかった。

「……さて」

低く発せられたその声が、場の緊張をわずかにほどく。

室内には、老舗の顔ぶれが並んでいた。

茶碗を軽く回しながら湯気の具合を伺う和菓子屋の主人。

彼の指がふと止まり、呟くように言う。

「観光じゃあかん。京の誇りになるもんが要りますな」

その横では、染物問屋の主が湯呑を口に運ぶふりをしつつ、他の重鎮の顔色を静かに見渡している。

新聞社の若き社長は背筋を伸ばしたまま、一言も発せず、熱のこもった眼差しだけを灯していた。

銀行頭取は算盤の玉を指先でゆっくり弾いている――音は立てずとも、計算の音が聞こえるようだった。

皆、己の「生きた京都」を背負ってこの場にいた。

理念ではなく、日々の商いと矜持が彼らの沈黙を支えていた。

その空気は、誰かひとりが崩せば一気に傾く緊張を孕んでいる。だが、それでも中村は言葉を継いだ。京都経済界の重鎮たちが集まるこの会議。その中央に座する中村栄助は、彼らを束ねられる唯一の男であり、京都復興の“顔”でもある。

中村は言葉を継ぐ。

「皆の意見は、もう出尽くしたかもしれん。しかし──」

「百年後の京に、何を?どう遺すべきか─。

古株ばかりで固めた声とは、異なる新進気鋭からの意見も聞いておきたい」

視線の先に、部屋の隅で控える二人の職人がいた。

会議室がわずかにざわめいた。この京都において、血筋も地位も浅い彼らが、重鎮たちの前で意見を求められることなど、異例中の異例だった。それでも中村は、顔を上げてじっと見つめている。


設計士・片桐陽介。無意識のうちに、指先で空中に何かをなぞっていた。

社殿の輪郭を、心の奥からすくい取るように。気づけば立ち上がり、口を開く。

「私は…“具体的な形”を残すべきだと…思います。たとえば…人が…集えるような…」

尻すぼみの言葉が空中で揺れた。

「すみません、まだ、うまくまとまっておりません」

次に名を呼ばれたのは、庭師の野々村拓海。

彼は立ち上がらず、低くしぼるような声で答えた。

「形より、暮らしですかね…。町の匂いや、石畳の温み…そういうもの…」

言いながら、窓の外に目をやる。

そこでは一匹の蝶が、石畳の影をたどっていた。

「言葉には、まだなってへんけど…京の底にあるもんが、あると思うんです」

中村は目を細め、その“言葉にならない何か”を受け取った。

――理念ではなく、日常の層に宿る京の心。

中村の視線の先には、焼けた瓦礫の中から蘇ろうとする都の姿と─まだ誰も見たことのない、百年後の都の光景が重ねられていた。

続いて染物問屋の初老の男が頷いた。

「内国勧業博覧会の京都誘致は確かに成果でしたな。資金も動いた。京都の名も、少なからず国中に届いた。だが――」

和菓子屋の主人が、茶の湯の湯気を吹き払うように、言葉を付け加えた。

「内国勧業博覧会ともうひとつ。平安遷都千百年紀念祭には、何か目玉が必要だ」

銀行頭取が指を止め、静かに応じた。

「博物館では、帝都に勝てない。文化公園も市民の憩いとしては良いが、象徴性に欠ける」

新聞社の垣内がうなずく。

「京都の存在を、国の隅々に、いや、世界に示せる象徴が要るんです」

そして、染物問屋の初老の男がつぶやくように言った。

「博覧会だけでは通りすがりの栄華にしかならん。根を張るもんや。魂を戻すもんです」

若き新聞社長が、声をあげた。

「納得できる案がでれば、我が社も資金を出しましょう」

言葉は短く、しかし真っすぐだった。

重鎮たちは語り合い、咳払いが一つ、視線が一つ、重なってゆく。

それらは全て、京都という町の記憶になっていくのだ。

中村の視線がふと遠くを見た。


「百年後にも、――この都の象徴として語り継がれるような事業とは?」

誰も答えられなかった。

だがその問いは、静かに、会議室全体に沁みていった。

「本日は、一旦ここまでといたしましょうか」

中村が絞り出した言葉に、安堵とも諦めともつかない吐息がいくつも漏れた。

だがその沈黙の底には、確かに、何かが芽吹いていた。


■2【設計士、片桐陽介 ~師の遺志、胸に秘めて~】

午後五時を回ったばかりの四条通に、長い影が伸び始める。祇園の屋根の向こう、茜に沈む空を眺めながら、片桐陽介は静かにペンを置いた。片桐設計事務所の机の上には、破られた図面が数枚。仕上げかけては、何かが違うと破り捨てた跡が、散らばった紙の角に刻まれていた。窓をわずかに開けると、だし巻きの匂いが風にのって届いてきた。

誰かが子どもを叱る声が、路地から聞こえる。

──この町は、まだ生きている。死んでいない

心の底に渦巻く焦燥を抱えながら、片桐は椅子に深くもたれた。

(平安遷都千百年紀念祭という大きな船は手に入れた。しかし内国勧業博覧会と並ぶもうひとつの「旗印」が見つからぬままでは、新しい時代への荒波を乗り越えることはできぬ)

(その船に掲げるべき、京都の未来を照らすもうひとつの旗印。俺は、この寂れた京都のために、何を残すつもりなのか?)

形あるものは、やがて壊れる。だが形がなければ、何も伝わらない。建築とは記憶の容れ物だ。誰かの祈りや嘆きが、木組みや屋根に宿る。それが百年後に届くのか、それともただの石になるのか──。

ふと、机の端に置いた古びた手帳が目に入る。主の岩倉具視から贈られたものだった。

二十八年前の春、片桐がまだ十五歳だったときから、仕えていた岩倉具視、彼が亡くなる直線に、岩倉の邸に呼ばれた日のことを、昨日のように思い出す。

「片桐……京都文化首都構想は任せた……日本の魂を、未来へ——」

それが、片桐への師から最期の言葉だった。

西洋に憧れを抱いた青年は、二十二歳のころ、岩倉使節団の随行技師として欧米の都市計画をこの目に焼きつけた。整然とした石畳。天に伸びる尖塔。だがそこに魅了されたのは、美しさではない。都市全体に思想が流れていた。その建築は時代の意志だった。京都にも同じものができるか?いや、できなければならない。だが──彼の心を圧迫しているのは、偉業を継ぐという誇りよりも、未だ果たせぬ約束への恐れだった。岩倉の名は、すでに歴史に刻まれている。だが片桐の名は、今のままでは歴史に残ることはないだろう。

(俺は、ただの代行者ではない。俺自身の名を、この都に刻まねば──)

指先が、無意識に図面の上をなぞった。まだ誰の目にも触れていない、新たな「設計図」の始まりだった。再び手にしたペンが、白紙の端に触れる。その音が、さっきよりも確かに響いた。

「歴史の正確な再現と、明治日本の技術力の粋を示すこと……」

それが、彼が建築家として自らに課した命題であった。


■3【庭師、野々村拓海 ~京の土と、家族への想い~】

朝の土は、夜の夢をまだ抱いている。霜の気配が庭に染み渡り、石の肌がわずかに汗ばんでいた。野々村拓海は、手のひらをそっとあてる。苔の呼吸を、指先で感じ取るように、そっと目を閉じた。

「……今日は、苔のほうが先に目ぇ覚ましたな」誰もいない庭に、独り言が溶けていく。

三十九歳。自身の屋号で庭を請け負って数年、ようやく寺社や京の旦那衆に名が通り始めた時期だった。だが、心の中に澱のように沈んでいる感覚がある。たまに数年前のことが頭をよぎる。ある大名屋敷の庭造りを任せてもらえたことがあった。しかし、その仕事は、己の腕だけで勝ち取ったとは言い切れない。声をかけてくれた仲介の旦那に、小さな包みを渡した夜のことを思い出す。丁重に茶を出され、座敷の障子が閉まったとき──拓海は、静かにそれを差し出した。

「……これは、お礼や。これからも、どうぞよろしゅう」

そう言った自分の声が、今も耳に残る。正しかったのか。それとも、見苦しいだけだったのか。今さら、答えは出ない。ただ、あの夜に手に残った包みの感触だけが、指先に蘇る。

名を売るには時間がかかる。だが時間をかけていたら、誰かに追い越される。植治(小川治兵衛)の名を継いだ兄弟子は、いまや全国を飛び回る名匠だ。自分の庭は、石ひとつ、苔ひとつに心を注ぐ小さな仕事ばかり。俺は……何を削ってまで、この場所に立っとるんやろな」その問いは、答えを持たないまま、胸の奥に沈んでいった。台所から味噌汁の匂いが漂ってくる。縁側の奥では、六歳の息子・匠真が草の間にしゃがみこみ、小さな花に向かって話しかけていた。

「お花さん、おはよう。今日も、がんばって咲いてね」

拓海はその姿に、思わず目を細める。この子には、草木と話せる心がある。目に見えぬ“気配”を感じ取る目を持っている。

その純粋さを、どうすれば守れるのか──自分のように、濁らせずに。

かつて岩倉具視に同行させてもらい、訪れた欧州の風景が脳裏をかすめる。イングランドの自然風景式庭園、フランスの整形式庭園。だが、自分の胸を打ったのは、石ひとつに宇宙を見る京都の凝縮された自然美だった。

その“凝縮”が、いまの自分には足りているのか。

“添え物”で手にした一件の仕事は、果たしてこの子に誇れるものだったか。

「訪れる人の心に安らぎを与える庭…か」

それは師の教えとも、そしてこの子の笑顔とも繋がっているのかもしれない。

「この手で、この都に、何を遺せるか……」

純粋に己の実力のみで、いつか息子が歩く京の道に、ほんのひとつでも景色を残せたなら─

それが、いまの自分にできる、唯一の贖いなのかもしれない。


■4【京の光と影、国家祝祭への胎動】

四条通の店先に、冷たい風が吹き抜ける。夕刻には早々に暖簾が下ろされ、提灯の灯りも揺らがない。歩く人影もまばらで、まるで町そのものが、時代の流れから取り残されたようだった。中村栄助は、その静まり返った通りを見下ろす町家の座敷で、湯呑を傾けていた。手元の新聞には、東京政界の人事異動が小さく載っている。だが京都の名はどこにも見つからなかった。

「これからも……京は一地方都市に成り下がったままなのか?」

その呟きは、誰に向けたものでもない。華やぎを知る者としての、吐息にも似た響きだった。

ふと、障子越しに耳を澄ませば、遠くからかすかに汽笛が響く。琵琶湖疏水による水力発電、それによって走る電車の音が東山の彼方から届いていた。文明開化の風は、確かにこの都にも吹いている。

「琵琶湖疏水の完成。感動した。せやけど……風が吹いただけでは、家は建たへんのや」

彼の目が、部屋の隅に置かれた木箱に向く。中には、巻紙に描かれた一枚の企画書。

『平安遷都千百年紀念祭』それを見るたび、胸の内に奇妙な焦燥が広がった。

ただの祝賀で終わらせてはならない。これは、京都が再びその名を轟かせるための賭けなのだ。京都文化首都構想――その実現が、いまや我々の原動力になっている。

さらに机上には、別の報せが載った書簡が広げられていた。そこにはすでに発表された「第四回内国勧業博覧会の京都開催」が記されていた。これが平安遷都千百年紀念祭の主要な行事の一部である。国を挙げた近代化の祭典――それが京都という“過去”の都で開かれる。この本当の意味を理解する者は、いったいどれほどいるだろうか。

(伝統と近代、両方の土台を持つ都とすること、そして未来への接ぎ木になれるはず……)

平安遷都千百年紀念祭の事業として開催される博覧会、そこにもうひとつ後世に残る事業が欲しい。その二つが合わされば、千年の歴史と来るべき時代が共演する、未曽有の舞台になるだろう。だが――中村は歯噛みするように、湯呑を置いた。

いくら地元の熱意を募らせようと、京都一都市の気概だけでは、政府の財布も、東京の世論も動かない。必要なのは、京都を離れてなお、この古都に心を寄せる者の支援――

そう、私と共に岩倉具視の意志を継ぐ者。中村は、ふと一人の名を思い浮かべた。

東京で博愛社を創設し、いまなお政界・財界・文化界に強い影響力を持つ、佐野常民――。

あの人物ならば、京都の真価を誰よりも深く理解しているはずだ。

「……あの方の心は、今もしっかりと京に向いておるはず」

そのつぶやきは、帳の降りかけた窓の向こうへと、静かに吸い込まれていった。

明治二十五年(一八九二年)――

この年は、古都・京都にとって、再生への胎動が始まった年として刻まれることになる。


■5【東京の熱意、佐野と近衛、協賛会への道】

―京都を、ただの地方都市で終わらせてはならぬ。佐野常民は筆を置いた。机上には書きかけの書簡が幾通も積まれている。相手はいずれも東京の政財界の要人たち。封を閉じる前に、もう一度だけ文面を読み返す。

平安遷都千百年紀念祭――これは単なる祝祭ではない。

近代化の奔流のなかで、この国が手放しかけている「根」、すなわち精神と文化の源泉に、もう一度、手を伸ばすための節目なのだ。明治という時代は、鉄道、議会、工場、議事堂――あらゆる未来の装置を東京に集めていった。

だが、京都にはこの国の中心であった記憶と、なお息づく文化の“匂い”が残っている。いや、まだ燃えている――佐野は、そう信じていた。

「……岩倉公、中村君よ。あなたたちの志を、私はまだ手放してはおりませぬ」

そのつぶやきは、静まり返った書斎の空気を震わせた。自らに誓うような声音だった。

彼が向かったのは、近衛篤麿公爵の邸である。貴族院議長にして、明治国家の精神的象徴とも言える存在。その家系は藤原氏を源とし、代々、文化と政の中枢を担ってきた。

今や国家がその「品格」を求めるとき、真っ先に名が挙がる人物でもある。

格式ある門を抜け、館に通されるまでの間、佐野の指は無意識に懐中の一枚の巻紙に触れていた。紀念祭と内国勧業博覧会の構想。それは、かつて岩倉具視と共に欧州を巡り、明治政府の骨格を築いた佐野が、今もなお温め続けている「京都文化首都構想」への想いの結晶であった。

応接の間。近衛篤麿は静かに現れた。年若いが、その立ち居振る舞いには、旧公家の血統が持つ威厳と、帝室に連なる者としての気品が滲んでいる。

政治家としてだけでなく、学習院の院長、教育者、文化人としても広く敬愛されるその姿に、佐野は静かに一礼した。巻紙を広げると、手のひらがかすかに震えた。

「東京にすべてを集めるだけでは、国家の背骨は細くなります。京には、今も揺るぎなき文化と精神の礎がございます。これを絶やしてしまえば、日本という国は魂を失いましょう」

その声は、訴えであり、そして――誓いの継承でもあった。

近衛は巻紙の筆致をしばし黙読し、目を閉じるように静かに息を吐いた。

一拍、ゆるやかに視線を遠くに向けたあとで、口を開いた。

「岩倉公が晩年、私にこうおっしゃった」

言葉が喉に触れるたび、何かを確かめるようだった。

「『政治の場を東京に譲ってもよい。だが、京都は日本の精神を育てる器たれ』と――」

佐野は小さくうなずいた。

その言葉が、長い年月の果てに自らの手に届いたような気がした。

「であれば、平安遷都千百年紀念祭を控えた今こそ、その時です。この節目を、国家として受け止めねばなりません。紀念祭協賛会の設立――その先頭に、どうか近衛公を」

言葉の重みに静寂が落ちた。だが、それは迷いではなかった。

近衛の目が、再び佐野の顔にまっすぐ向けられた。

「……よろしい。佐野君」その一言に、佐野の背筋が静かに伸びた。

「君の情熱、確かに受け取った。この平安遷都千百年紀念祭は、京都だけの行事ではない。

日本の文化と誇りを、世界に示す国家の舞台とせねばならない」

わずかに唇の端が動く。「紀念祭協賛会――その旗は、私が掲げよう」

佐野は、深く頭を垂れた。静かな邸に、冬の光が斜めに差し込む。

こうして、国家の要に立つ二人の男が、再び京都のために動き出した。

かつて岩倉具視が見た夢が、彼らの間で静かに蘇り、

平安遷都千百年紀念祭協賛会という次なる行動の胎動となっていくのだった。


■6【平安遷都千百年紀念祭協賛会発足、京の夢に国家の支援】

明治二十五年(一八九二年)も押し詰まった十二月のある朝。

冷たい北風が、麹町の石畳を叩いていた。中村栄助は、重ね着の裾を押さえながら、華族会館の玄関を見上げる。数日前、近衛篤麿と佐野常民が交わした言葉は、すでに東京の政財界に熱を帯びて伝播していた。「平安遷都千百年紀念祭協賛会」の設立発起人会合。

この扉の向こうで、それが現実の形を取ろうとしている。

(やっとここまで来たか……)

畳敷きの広間には、重たい空気と異様な熱気が同居していた。

旧公家、華族、政府高官、帝国大学の学者たち。三井、三菱の財閥筋。東京帝室博物館、美術団体の理事ら文化界の重鎮。西洋化の奔流の中、日本文化の根幹を問い直す意思が、ここに一堂に会していた。その最前列。壇上に上がった近衛篤麿公爵が、静かに一礼する。

「本日ここに、旧き都の魂を未来へ繋ぐべく、皆々様にお集まりいただきましたこと、心より御礼申し上げます。我々は今、『平安遷都千百年紀念祭協賛会』の発足を宣言いたします。

この協賛会は、千年の歴史を刻んだ京都の節目を、ただの祝典に終わらせるものではありません。我が国の文化的矜持を示すとともに、その精神を、次代に手渡すための礎といたします。」

柔らかくも、芯に熱を宿した声に、中村栄助は息を呑んだ。“京都”という名が、国の言葉として語られる。その響きに、忘れられた都が揺り起こされるようだった。続いて佐野常民が立ち、会場を見渡す。

「この紀念祭は、京都一都市の祝賀にとどまりません。

日本が千年以上にわたり育んできた文化と精神を、国内外へ発信する国家的祭典です」

言葉は簡潔だが、その視線には確信と責任が宿っていた。

「協賛会は三つの中枢的な役割を担います。

第一に、全国からの寄附金の受け皿として、透明性と公平性をもって財源を管理すること。

第二に、政府各省との連携窓口として、行政支援を効率的に取り込むこと。

そして第三に、日本文化の精華を世界へ発信する、広報と思想的拠点となることです」

静かなどよめきと共に、会場の空気が引き締まる。

「この事業に賭ける覚悟を、私は、岩倉公と共に京都文化首都構想の実現に奔走した者として、持っております。日本が何を守り、何を伝えるのか。協賛会こそがその矢面に立つべきなのです」

場内から、自然と拍手が湧いた。満場一致で、近衛篤麿が会長、佐野常民が副会長に推戴される。最後に、近衛が再び壇上に立つと、場内は一瞬、緊張した静けさに包まれた。

その視線はまっすぐに前を見据え、声には揺るぎない覚悟が宿っていた。

「ここに宣言いたします。千百年を迎える古都・京都の叡智と誇りを、日本の未来へと橋渡しするため、―『平安遷都千百年紀念祭協賛会』、いまこの場をもって正式に発足いたします」

凛と響いたその言葉に、ざわめきがどよめきに変わり、やがて大きな拍手が広がっていく。一人、また一人と立ち上がる重鎮たちの姿に、会場の空気は明らかに変わった。その瞬間、東京の静かな石畳の一角で、国家が京都に向き直った。中村栄助は拳を握った。かつて、あの寒々しい京都商工会議所で「何を後世に残せるか」と問われた日が、遠くに霞む。だが、まだ答えは出ていない。今、ようやくその問いに応えるための道が、ようやく開かれたのだ。

(片桐君、野々村君……君たちの中に、この都を映す新しい景色はあるか?)

祈るような想いで、彼は京都の空を思い描いていた。


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