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陸話 無駄な命なんて一つもない

 ――あれから数時間が経過した。


 竹林を後にした二人のうち一人は、項垂れて塞ぎ込み、それはもう見る影もないほどに意気消沈していた。

「アハハ、まさかあんなにも……下手っぴだとは……」

 飛扇の飛行練習は、少年にとって阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 縦横数メートルの巨大な扇の上に立たされた少年は、宙に浮いた瞬間に落下、僅かに重心が傾けばバランスを崩して落下、風に吹かれると転がり落ちてを繰り返していた。

 その度に竹製の縦横数キロメートルもある超巨大なトランポリンで、跳ね飛ばされ続けた。

 幾度に渡る前後不覚の不快感に襲われながらも、少年は頭の中で上達の道筋だけは浮き彫りにさせていた。

 飛扇の飛行の要領は、風を受けても常に重心を保つ事!

 全身を適切に動かす事により、重力や気流を乗りこなして、体勢を保ち、間断なく均衡を維持しなければならない。

 だが、空中では重力と全方向からの風向きによって、一秒間に何度も重心が変わる。それに伴い、慣性も考慮した繊細な微調整を幾重にも求められるという、超高等技術だった。

 綱渡りに近いが、足場の綱すら不安定で奔放に動くという難易度を、少年が突破するには到底足りなかった。

 極め付けは、練習用の扇子を持って挑んだ事であった。ライゼンも使った風を起こす魔法が込められており、ひと仰ぎで本人が消し飛んだ。

 悪戦苦闘も意味を得ず、何度繰り返しても大差なく、急降下して真っ逆さま。結局、彼は地上でしか均衡を保てず、一度飛べば墜落するまでが決まった流れだった。


 かくして、そりゃあもう見事なまでの散々たる結果だった少年は、魂が抜ける有様だった。

 更なる追い討ちとばかりに、その醜態を見守ったリナは、終始腹を抱えて爆笑して転げては、涙ぐむ始末だった。


「まぁ、初めてだしこうなるよね。にしても面白かったぁ〜!」

「ふん、目を閉じてもブレずに片足で立てる、君らの体幹と平衡感覚がおかしいんだよ」

 それはあるだろう。

 あまりにも下手で笑われた腹いせにリナにやらせた少年の無茶振りが、実力の差を見せつける結果を招いた。髪の毛先さえ揺れない圧巻の体幹に、少年は目を見開き戦慄し、ついには膝を折った。

「あ〜あ〜、君たちは魔法を使えて空も飛べてアレに襲われもしなくていいな〜!それにひきかえ……僕は飛べない子、落ちこぼれのピヨピヨ……」

 臍を曲げた子供のように、少年は気分を浮き沈みさせて落ち込んでいた。

「はいはい!もう分かりました!あと一つ用を終えたら家に帰るから、それまで頑張って!少年君!」

 卑屈になって暗い表情に沈む様子を見かねて、慰めてくれるリナの肩越しに、少年はある変化に気付いた。

「あれ?ここ、やけに広いね。もしかして、虹鳥の、縄張りだったり?」

 感情の色が失せ瞬く間に真顔に戻る少年の前に、思い思いに枝葉を伸ばして隙間を埋め尽くす鬱蒼とした原生林が広がっていた。

 それだけなら、不自然ではない。

 しかし、異様に広く大きな空間が真っ直ぐに伸びて続いていた。

 獣道と呼ぶにはあまりに綺麗すぎる謎の広がりに、左右均等の長さの枝葉と落ち葉一枚すらない地面は、剪定された庭園のような計算されて作られた、厳かな参道としか思えなかった。

 あの虹鳥イーリスフォーゲルの巨体が素早く飛ぶには、適している真っ直ぐな航路のような最高の飛行ルートだ。

 今すぐどこかからいきなりアレに襲われる可能性に、心身が震え出す少年。

「あ、ちがう違う!これは剪定師の中位魔法だよ」

 湧き上がる彼の不安を、リナはサクッと一蹴した。

「枝が伸び過ぎると通り道が塞がるから適当に広げるんだ。ほらあそこ!切った物が積まれてるでしょ?」

 リナが指す方向に目をやると、山のように積み重なった世界樹が丸太にされて転がっていた。

「あの世界樹が、バラバラにっ!?」

 真横に寸断された数百メートルもの大きさの切り株がポツポツと小高い丘を作り、あちこちに点在していた。

 伐採された場所だけ、まるで竜巻が襲いかかり嵐が過ぎ去ったような荒涼の風景で、少年には、それが人外の領域としか思えずあまりにも信じ難かった。

 しかし、人為的である証拠に、無駄なく計算されて間引きされていた。

 それは確かな知識量と技術力を示し、切り出した素材を丁寧に整理整頓している几帳面さから職人気質と気難しさを窺い知れた。

「切断された物の中に、くり抜かれた跡があるね」

 少年が慎重に観察すると、中には虹鳥が掘削したかのように、丸く大きな穴が開いていた。

螺旋波動(らせんはどう)古風切斬(こふうせつざん)っていう戦闘系の魔法だよ。私は、使えないけど」

 それを聞いた少年の口元が少し歪んだ。

 自分の知る領域に、ようやく彼らの世界が降りてきた。武力を扱う情報に、安堵した。

「確かに。リナの魔法と質が異なるね。他には?」

「魔法は大きく分けて戦闘系、支援系、幻想系の三つがあるの。戦闘系は加害が可能。支援系は手助けができて、幻想系は無から有を物体化させるのが特徴かな」

 この時、少年の魔法への知識は更新され、位が上下なら系統は方角と理解した。

「なるほど。その中でも汎用性が高い魔法は、すべての系統を網羅するんだね」

 脳裏に呼び起こされる少年の天敵である虹鳥の虹装天武は、無から虹を作り、挙動を超絶強化し、掘削などして加害も可能といった極めて便利で頼りになる魔法だった。

 すると、眼前の光景を作り出した魔法は、戦闘系のみとマシな部類と言える。

「つまりこれの使い手は、攻撃的な性格な訳だ」

 おそらく、この魔法使いは彼の勝手を決して許さないだろう。そしてこの先、間違いなく、安穏な展開にはならないだろう。



 剪定区域を通り、見慣れた針葉樹林を見送った二人は、青く着飾った宿木に戻ってくると、側面にぽっかり開けられた光の射す出入り口の大穴をくぐって、着地した飛扇から降りた。

 その足で花エスカレーターへと向かい、今度こそ安全に下層へと降りてゆく最中、リナが顔を向けた。

「次は宿木最深部にある研究所に行くよ。飛扇の布にはツムギの糸を使うから、どうしてもパルの協力が必要なんだ」

 リナは、彼が思い浮かぶだろう疑問に先んじて続ける。

「ツムギは繭を作る蝶々の名前。とても繊細な生き物で人の手が無いと死んでしまうの。パルはそこで一日中、お世話をしているんだよ」

「へえ〜、そりゃ随分とか弱い生き物だね」

「誰かさんみたいだね」

 振り向いて笑顔を見せるリナに、少年はムっとしかめっ面を向ける。

「ところで少年君、飛扇の柄はどうするの?」

「リナと同じ白の無地でいいよ。楽だし」

「それはダメ。自分の柄でないと遠目で誰だか分からないでしょ!?なんでもいいから、なにか好きな柄とかないの?」

「あぁ、個体識別模様を兼ねているのか。じゃあ、リナの似顔絵を描いてもらうか」

「却下!人物は描いてはいけません。見間違えちゃうかもしれないでしょ!?他には?」

「一面に広がる白い雲!」

「無地と変わらないじゃない!ダメ〜!」

「おいっ!?なんでも良くねぇじゃん!?」


 何やかんや瑣末な応酬を繰り返していると、話を止めた二人は、宿木の最下層の深部にまでやってきた。


「ここが宿木と世界樹の結合部分、研究所はこの奥だよ」

 そこに生き物の気配はなく、二人の物音だけが反響する静けさで、いくつもの樹木と蔓で編み込まれた洞窟が緩やかな傾斜で更に下へと伸びている。向かう先は真っ暗闇でほとんど何も見えず、まるで獲物が飲み込まれるのを待っているかのように、口を開けていた。

 この空洞は、世界樹の幹の中にある道管に相当する部位だ。昔は生きていた宿木に水や養分を運んでいたが、今やすっかり形骸化して枯れ果てていた。

「この赤くてドロドロしているものはなに?」

 少年が指をさした。洞窟内部の岩肌によく似た壁面に、所々に流れ出る赤くて粘っこい液体が、まるで血液のように脈動して流れていた。マグマのようなそれは、くぼみの中で赤い湖となって溜まり、棚田のように傾斜地の階段状に分かれて貯蔵されていた。

「これは樹液。加工すれば、いろんな用途に使えて便利なんだよ」 

 説明を終えたリナは、少年の前を歩き始めた。

 表面に張り巡らされた細い管が網目状に広がり、ドクンと鼓動する様子を横目に進む。

 深く、どこまでも続く暗闇の一本道のトンネルを、リナの背を頼りに進む少年。


 すると、と、突き当たりに真昼のように白く眩しい空間が現れた。

「少年君なら大丈夫だろうけど、一応言っておくね。音と光でびっくりしちゃうツムギは神経質で臆病だから、静かにね!」 


 リナの後を追うと、そこは真っ白な球状をしている空間だった。

 周りには消火用の貯水槽が並び、物資を保管する倉庫へと続く道が通じているだけの機能的な場所。

 宿木の底の底に建てられた研究所は、今までで一番不自然な、そして近代的な建物だった。

 まず材質が合成樹脂製で、木材を使用していない唯一の建物らしい。周りには余計なものは何もなく、殺風景な印象を受けた。

 一見すると、シェルターのような、建築様式だった。丸みを帯びた形状の研究所は、衝撃を逃がすように設計され、建築材料として用いられたのはセルロース。植物を守る主成分で、最も豊富な素材の一つらしい。

 

「へぇ……これは、ちょっと想像以上だね」

 危険物を取り扱う為、万が一の事故があった時を考慮して、四方に避難口が通されて、防火扉を備えられていた研究施設に入ると、やはり今までと異なる内装だった。


 この施設の主人に会う道すがら、少年は玄関口を通って、その異様さに圧倒されていた。


 真っ白で平らな通路に、いくつものジャンル別の研究室があり、装飾の類は何もない。


 偶然、扉が開いていた部屋の中を少年が覗き込むと、様々な植物の検体を見る事ができた。だが、これまで見た植物とは全く異なる存在だと一目で分かった。

 それらはこの世界樹の森から意図的に排除された周りに危害を加える、利己的な種の数々。この空洞はいわゆる隔離施設だった。

 発火する花、爆発する種子、光毒性の樹液、痛みが止まない葉の棘、様々な毒草、環境汚染する花粉、植物を食べる植物、繁殖力がありすぎる侵略的植物。化学物質で寄生し、宿主を支配する植物など、どれもこれも極めて危険性を持つ恐ろしき特徴を誇っていた。

 それを見て目をきらめかせる少年は、興味を惹かれる情報の宝庫に、先ほどまでの鬱憤が嘘のように吹き飛んでいた。

「なにここ、すげぇ面白いじゃん!」

「シっ!ここだよ少年君――挨拶するから、ちゃんとしてね」

 指摘されて大人しくなった少年の反応を見てから、リナは挨拶をするべく部屋の扉を開けた。

 こんな危険かつ、素敵な存在の数々の扱いを任されている人物となれば、さぞかし素晴らしく有能で見事な人格者なのだろうと期待して、少年は部屋の中に入った。


「んがぁ〜〜ぐごぉ〜〜〜」


 少年を歓迎したのは、大量のゴミ屑の中でよだれを垂らして寝ている人のいびきだった。

 茶色い染みにうす汚れた白衣にくるまっていた人の見るに耐えない醜態を、少年は思わず見下した。

「何だこの汚いのは――用があるって、もしかしてコレか?」

 期待を裏切られ、冷たく辛辣に言い放つ少年だが、たとえどんな聖人でも、このゴミ部屋を好意的に捉えるには無理があるだろう。

「……あはは、また徹夜したのかも?少年君、これは忘れてあげて。パル!パルゥ!起きて!もう朝は過ぎてるよ!」

 リナはゴミ山をかき分けて、汚れとよだれまみれになった女性を起こした。

「はにゃぁっ!?ごめんなさい急患ですか!?寝てませんよ?しばしお待ちを!すぐに着替えて観ますから!」

 飛び起きたパルとか言う女は、緑色の髪を掻き上げて、いきなり着ている衣服を次々と脱ぎ出した。

「えちょまッ!?何してんだぁ!?」

「パルゥ!?服を脱がないでェ!少年君は出てってッ!」

 狼狽する二人を無視した露出狂の奇行のせいで、少年は無理やり部屋から即座に追い出されてしまった。


「……っ、少し見えたグラマラスボディ……あ、いや、リナと同じ年頃のように見えた、友達かな。うん、仕方ない。これは仕方ないから、ちょっとだけ散策しますか~。ふふふ」


 頭の煩悩を振り払い、少年は仕方なく浮足立って展示物を適当に鑑賞することにした。


 パルの部屋の目の前にある扉の先には、繊維状のものがたくさんまとめられていた。ここがツムギの糸を生産する場所なだけあって、この研究所の半分以上もの範囲をしめていた。

 たくさんの幼虫の住まいとなっているゲージと、適切な温度で保護されている繭のゲージが並んでいる光景は、まるで繊維工場のようだった。

 そして部屋の壁に貼られているのは、パルの調べた論文を発表するかのような解説が展示されていた。

 ツムギの生活環は孵って、生命草マフアという植物の葉を食べて繭を作り、這い出てはたった一個だけ産卵して死ぬ。

 繭を解いたツムギの糸は、一個につき百キロメートルにもなるという。

「生涯で、たまごが一個だけ?それ減る一方で増えねぇじゃん。繫栄する気がまるで無いな。種としてどうなんだ?」

 主題のツムギの解説が終わると、それに関連して生命草マフアの展示がされていた。


 そして、少年はここへきて初めてソレを目にした。


「土だ――初めて見た」


 花壇の土から生えていた生命草マフアは、虹色の花弁を煌めかせた可愛らしい花だった。

 生命草の名の由来は、寿命では枯れない特性があり、不死の植物とされている。

 マフアは朝になると必ず朝露を葉の上に蓄える。つまり水を得ることができる。更に日出の時間に調合をすると健康、精神安定の薬となり、日没には睡眠薬が作れる。

 そして一番の特徴たる七色の花には蜜があり糖が得られる。虹色の花弁は色素、加工して着色料として利用もできる。草体の茎からはミフィタの原料となる繊維、種を抽出すれば燃える燃料樹脂、香り付けにも適用される――などと書いてあった。 

 そして少年が、その花を見たのはこれで二度目になる。一度目は、リナがお供え物として持っていた。

「すげぇ……利便性の化け物かよ」

 しかし、この花の生育には土が必要不可欠。そして、この世界において土は超が付くほどの貴重品。決して人工的に作れない代物らしく、さらに岩石自体も貴重な素材である。

 

 ここで、展示の内容が一変した。

 研究者のパルが、独自に立てた仮設――微生物の存在について語られていた。

 なぜ土でしか生育しないのか?それは糖には無く土の中にある要素が関係している。

 では、それは何か?

 土とは、岩石が小さくなった物と生き物の変化物である。

 目には見えない微小生命体が、植物に良い影響を与えているからではないか?

 視線を横へずらすと、つらつらと微生物の存在を示唆している根拠や可能性を述べられていた。

 他の研究室にも足を運ぶと多種多様の樹脂の用途、そして宿木に纏わりつく青い琥珀などの研究もしているらしい。

 パルが個人的に研究中の途中経過も展示されており、平面世界が本当なのか?月食の影から球状ではないか?生物がどうやって作られているのか?

 たったこれだけでも、パルという女性の頭脳はリナを大きくしのいでいることが判明した。

「パル、あの子、リナより確実に頭がいいな。絶対に敵対してはならない女だ。確実に協力関係を結ばねば……褒めるか」

 行ける展示はすべて見終えた少年が気になる所が一つあった。

 それは、研究所の奥の方にある場所――黄色い板と赤い文字で、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉があった。

「う~む……どうにかして見れないものかなぁ〜」

 などと興味津々で隙間を覗き込む少年。


「お待たせしてしまいましたね」


 少年の背後から、小鳥の囀りのような声が聞こえた。

 振り返ってみると、リナにも負けない美しい女性が立っていた。さらっとした長髪の緑髪で、眼鏡をかけた礼儀正しいお姉さんだった。白衣を着こなして、とても知的でお淑やか、とてもさっき見た人とは違う、まるで別人だ。

「しょ、しゃうぞねんぐん!ど、もうど、パルウルムーカカカル、ええっと!?」

 いや、やっぱり同一人物のようだ――。

「パル・ム・カラフル。特別な事以外は何でもできる、何でも屋さんだよ」

 後ろに控えていたリナが嘆息しながら付け加えた。

「どうも。さきの記憶も失くした少年君です。よろしく」

「は、はいぃぃ。大変見苦しい物を見せてしまい、すしゅませんでしたぁ~」

 ぺこぺこと頭を上げ下げさせるパルの様子は、温厚で大人しい性格と少年に思わせた。

「いえ、こちらこそ――ありがとうございました」

 なんでそこでお礼?などと横で言うリナのツッコミを、少年は華麗にスルーした。

「で、は、施設をアナイしましゅので、どぞう」

 辿々しい口ぶりで、おぼつかい足取りのパルは展示案内をしようとする。

「あ、ごめんなさい。こっちの方はもう見ちゃいました」

 横を通り過ぎる直前で、少年はパルを呼び止める。

「あー……、でしたら〜この奥へどぞ~。ちょうどツムギの産卵の時間だから~。見学していってください〜」

 少し間をおいて、所長のパルは、立ち入り禁止だった扉を、何の躊躇もなく開け放った。

「ほんと!?やった!早くしないと見逃しちゃうよ少年君!」

 呆気にとられた少年の背を無理やり押してくるリナによって、部外者も中へ通された。


 関係者以外立ち入り禁止の、禁忌とされている区域に足を踏み入れた瞬間、少年は、しまった!?と、やられた気持ちにされた。

 経緯はどうあれ、この事実を突きつけられれば、反論は難しい。言い争いになった時、これは明確な弱点になるだろう。

 しかし、過去は変えられない。ならば、最大限、情報を得るまで――。 


「どうぞ~こちらです~」

 鋭い目つきになった少年は、隅々までくまなく視線を巡らせた。

 先ほどと違う点は、展示が無いことと二重三重の扉を開けないと入れない厳重さ以外にはなかった。

 しかし、ラベルが張られていない様々な薬品が並び、室内の物が片付けられておらず、乱雑で散らかっている様子から忙しさがうかがい知れた。

 

 そして、リナが明るい声を出して、目的の部屋が少年たちの前に見えた時――明らかに空気が変わった。


 思わず目をやると、隠し扉になっている地下室の奥が目に映った。リナの家と同じく、透過してどこに何があるのか一目瞭然だった。

 少年が目にした室内の黒い板に赤い文字が書かれていた。


 最初に目に入ったのは『瘴気』――黒くネバネバしたもの。気体か霧に類似するが状態は不明、触れると徐々に蝕まれて消滅、または即死する。周囲を汚染する危険性有り。対抗策は不明――現在研究停止中。

 次は『汚染』――瘴気が伝播していく現象。原因、症状、全て不明。

 そして『怨素』――魔素と同類の物質と思われるが不明。魔法の対となる『呪法』の誘因。怨嗟が願いと異なる()()を発動させる負の希み。

 その隣に、同じ様式で書かれていた項目は、『浄化』――唯一の対策。方法は未確立、可能性大の方法は、理論上――続きは一度書いて上から消したように塗り潰されていた。


 その時、少年はこれ以上、見たくないと思った。言葉を尽くしたくない、拒絶反応とも呼べる印象を与えられた。


 ――呪法……?魔法の対となる存在……僕が接触した……謎の黒い物体、あれと関係があるのか?彼らが隠している秘密に間違いなく関連している……なんだか……きな臭くなってきたなぁ。


「コ、この部屋は綺麗なので~ご安心ください~」

 ツムギの産卵部屋の扉を開けて迎え入れるパルに従って入る直前、部屋の手前の棚の上に一葉の画が横切った。光が強く当たって、白く輝いて眩しすぎて、少年にはよく見えなかった。だが確かに一瞬、複数人が写っていたような……気がした。


「あ〜ん。いつ見てもかわいい〜!」

 机の上に置かれた繭から既に羽化しているらしい。リナの視線の先をたどると、一匹の虫が細い手で必死に這い出してきている様子だった。

「こ、ココこれが、ツムギの成体だす」

 パルが少年に見せたのは、まるで妖精と間違えるほど、ふわふわして、もふもふして可愛い蝶々だった。体色が白やピンク色の個体がいて、手足が短く、ミャーと鳴いて懐くという、人に可愛いと思わせる特徴を揃えた生き物だった。

 羽が生えているくせに飛ぶことができず、風が吹くと吹き飛んでしまうか弱さには、今の少年には親近感が湧いてきた。

「はぁ……なるほど。完全に家畜化された生物。自身のか弱さを世話してもらうメリットで補い、生存率を高める。なかなか(したた)か戦略だな」

 思わず関心してしまうほど、このツムギという初めて見る虫に対して、少年は高く評価した。

「この繭の糸を加工して〜飛扇にも利用しているんです〜。この建物を結ぶ素材も糸でできているんですよ〜。他にも〜……」

 研究の事なら流暢に話すパルの解説を聞く少年の腕を強引に引っ張り、リナはツムギの成虫を見せてきた。

「見てみて少年くん!こうやって指を出すとね!登ってくるんだよ!ほら~!」

 ツムギと呼ばれた蝶は、リナの指先を触覚で探ると、小さな手でテチテチと歩いてきて、両手をちょんとつかんできた。

「あ……可愛い。へぇ、これが本物の天使か〜。偽者は蹴り入れてくるからな」

 へ?と、疑問符を浮かべるリナに少年は全く反応を示さなかった。


 思う存分たっぷりとツムギと触れ合ったリナは、少年用の飛扇の制作準備に取り掛かると言ってその場を離れた。


 パルと二人きりになった少年は、先ほどのリナに倣って指に乗せると、ツムギは重たい体でよじ登り、直後、物がくっついたような変な感触がした。

「ん……あれ?なんだろ……指に黄色いのがついてる」

「触らないでェ!」

 直後、パルが少年の耳元で急に大きな声を出して、頭の中がキーンとした。

「そ、それがツムギの卵で!すので!カラフルの貴重な未来なんで!……すぅ……」

 謝りながらも大切に卵を取り外すパルの真剣な対応を眺めながら、少年は口を開いた。

「ねぇ、パルさん。本当にこんなんで、ツムギは種を保てるの?」

 少年は素朴な疑問を打ち明けた。その下に本命の疑いを隠しながら――。

 監視役のリナがいなくなった少年は、遠回しに聞いてみた。

「昔はもっと産んでたんですよ〜。でも、アレを堺に……あ、いえ、きっと育て方が悪いからですね~」

 急に表情に影を落としたパルは、その後、慈しむように産卵を終えたツムギを両手で掬い取った。白くてかわいいツムギは、もう既に歩くことすらできなくなっていた。

「なぜ羽化と産卵は立ち入り禁止にして見守るの?……向こうじゃ、幼虫と繭だけで成虫を見なかったけど?」

 ここ、カラフル族の男女比は明らかにおかしい。ツムギの様にそういう種なのか、男性が一斉に死んだかの二択しかない。少年はカラフルの過去を探るヒントを手に入れようとした。

「ツムギの成虫の寿命がおよそ十分だからです。直ぐに卵を産んで死ぬから、ツムギの名の由来は、命を紡ぐ者なんです」

 パルの手のひらの上で、あっけなく事切れた成虫の死骸を、彼女は優しく専用の箱に納棺した。それを生命草マフアの花壇の土に優しく埋めた。

「それ……土に還るから?それとも……遺伝子を未来へ届けるから?」

 生物に使命があるなら、それは生存と繁殖である。その使用を決める設計図は、遺伝子だ。ツムギの繁殖は雄雌を必要とせずに自分を生み出す様式をとっている。そう研究内容をまとめて展示しているパルは、リナと違って遅れはとらない。

「……そうです。両方です。ツムギのクローン繁殖も含め、様々な突然変異は、環境適応をするための変化の試行錯誤なんです。だから、自然淘汰の生き死にに――無駄なんてない!」

 それは気弱な彼女に似合わぬ力強い語調だった。

「ふーん。もし……パルが遺伝子だったら、何をする?それはなぜ?その後どうなる?」

 少年は、そのパルの熱意に合わせた返答をした。

「物の人格化ですか……面白い発想ですね。きっと迷走するでしょうか~、情けないですが今と変わりません。移ろう環境に適するかどうかは運次第ですので~」

 物事に心を込めてみる発想法、思考実験の一つとして小難しい話を提示して探りを入れた少年の問いに、パルは、その余裕を崩さずに雄弁と語ってみせた。

「ぜひ聞いてみたいな。……なぜ遺伝子は心を獲得したと思う?」

「より生存率の高い方を判断するため――というのが論理的ですが、個人的には少しちがいます」

 今のままで俯き気味だったパルは、少年の顔を真正面から見た。

「心は合理的じゃありませんから」

 そう言うと、パルは出来上がった土を生命草マフアの花壇へと移し、また新しい土を作る砂利や木片を生成槽へ入れ替えた。

「遺伝子に乗らない心の継承――思いを残したい」

 そして、部屋の隅に散乱していた木材の一つを手に取って、少年の前に戻ってきた。

「幸福は生存の機会、不幸は死亡の機会。ひとそれぞれの世界観は、遺伝子には受け継がれません。何を貴いと思うのか、美しいと感じるのか。そういった芸術や歴史、文化や風習を、感情的に大事にしたいんです」

「ええっと、つまり……心地よさこそが、土壌だと?」

 パル・ム・カラフルは、≪折紙付(おりがみつき)≫と言って、木材をまるで紙粘土のように変形させて、また新しい棺を瞬きする間に作り出した。

「今を生きている人の数より、お亡くなりになった人の方がずっと多いです。もう語り合うこともできませんが、思いや記憶だけは、ずっと……保存できます」

 少年の目の前で行われた変化は、支援系に属するパルの魔法だった。

「幸せは、その人が生きる心の本質の一端を担うと思うから。そういうものを大事にしたい……私たちの気持ちのカタチを欠片でも……遠い未来に遺したい――そんな望みを懐いて……」

 折紙付は、木材を自由自在に変えられるものだった。それはパルという人となりを雄弁に語っていた。

「だからこのツムギたちも私たちも同じ、生き物の命はすべからく繋がっている。この世に無駄な命なんて一つもないんです」

「……」


 その言葉に、少年は本心から理解を示せなかった。


 それは、人によるだろう……と――。

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