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肆話 べきを成せ

 族長アルフレッドは丁寧に頭を下げた後、口を開いた。

「恐縮ですが、聖賢竜(せいけんりゅう)コルトネリウス殿に謁見(えっけん)していただきますよう、お願い申し上げます。何分と傀儡(くぐつ)の彼は、自力では動けませんので――」

 無言のまま、すぐさま頷く少年。

「感謝します。それでは、どうぞ。こちらへ――」


 族長とリナに前後を挟まれた少年は、半ば連行されているような形で最上階へと続く階段を上がっていった。

 促されるまま、ちょうど半分を過ぎた瞬間、空気が変わった事を肌で感じ取る。

 ――寒い。

 凍て付くようなキリキリとした緊張感が、足を運ぶ度に分厚さを増していく。

 紫色の木材で四方を取り囲む気品ある清涼な通路の突き当たりに、小さな部屋が一つだけあった。

 青色の木々があったのだ。紫色があっても不思議ではない。

 少年が不思議に思ったのは、無風なのに旗が厳かに靡いていたことだ。見えない何かが流れているのか、妙な気配が漂い、無音の静けさの中で一際異彩を放っている。

 まるで、神聖さという圧力が、邪気を殺しているような印象を持った少年を手で静止させた族長は、音を立てずに扉のない部屋の奥に祀られた祠の前まですり足で進み、正座をして、床に額をつけた。

 深々と礼を尽くしてから、ゆっくりと滑らかに扉をコンコンとふたつ叩いた。

「聖賢竜コルトネリウス殿――異邦のご客人をお連れした巫女姫がまかりこしました。どうか我らが先行きを指し示しいただきたく、存じます」

 年季の入った古めかしい祠の扉が開かれると、壁面の図柄には正六角形の模様が刻まれていた石造りの祠の中に、仰々しく物体が置かれていた。

 石像か土蔵か、材質は分からないが、その石くれは、やけに眼光が鋭く、(くちばし)が頭より遥かに大きく、伸びている鳥の彫刻が正面を向いていた。

 どうにも、とても居心地が悪い。

 傀儡の正面に立つと、恐ろしげな静寂が押し寄せて来た。猛獣を前にしたような、成す術がない脅威を目の当たりにしている。

 少年の視界の端で、慎ましく頭を垂れる族長とリナ。

 それを見た少年も、本来ならば、同様にすべき時だという事は百も承知だった。


 なのになぜか少年は、その必要性を一切感じなかった。


「……()きを成せ――」


 先程と同じ、深く低い声が、部屋中に反響して発せられた。

 誰も反応を示せず動きを止めた。少しの沈黙が横たわり、音の反響が鳴りを潜めた。

 族長は重々しく一礼してから扉を閉めると、飄々(ひょうひょう)と立ち上がり、二人の前に戻ってきた。

「以上になります」

「へ?」

 少子抜けとはこの事だ。

 呆けている少年へ、穏やかにアルフレッドは語りかける。

「どうやら取り越し苦労でしたね。安心しました。それではリナさん、貴方が紡ぎ繋いだ(えにし)、べきをしかと果たして下さい」

 こくりとリナは頷く。

「――少年君さん。リナさんを信じてあげて下さい。もし貴方を裏切れば、この首を差し出して、お詫び申し上げます」

 珍妙な呼び方と大胆な告白の二重奏で、「えぇっ」と引きつった表情に少年はさせられた。

「あり得ないが故の例えです。どうぞお気になさらず。お疲れでしょう。今宵はどうぞお休みください。では、失礼しますね」

 族長は軽くお辞儀した後、下の階へと戻っていった。

 少年の耳に残る彼の声が、万が一にもありえれば、実行に移す覚悟を滲ませるような、並々ならぬ真実味を帯びていた。――この男も、ただ者じゃない。


 帰路につくリナの後ろで少年は、得体の知れない奴について考えていた。

「ねぇ、聞かせてくれない?聖賢竜っての、あれは、何なんだ?」

 声だけで推し量れる生きた歴史の積み重ねが、本体の底の知れなさを醸し出していた。

 知らないと理解できないは大いに異なる。知らなきゃ死ぬ、覚えていれば生きる。その理由まで理解していれば、応用が効く。つまり、知識は得れば良いが、知恵は応用が効く。少年の最善は、理解に努め見識を広げる、べきだろう。

「コルトさんは、カラフル百五十人を束ねる影の指導者で、四千年を生きている竜だよ」

 聞くや否や、少年の怪訝な反応に、すかさず補足が入る。

「そう、少年君が見たあれは、本物じゃないんだ――でもね」

 邪気のないしたり顔で、リナは語り出す。

「コルトさんはね、凄くすごいんだよ!見ただけでどんな人か、今後何を悩むのかさえ見透かす洞察力がとにかくすごくて!自分も知らない本質を暴かれちゃうの。ちょっと怖いけど。少年君も虚偽は無意味だから、素直になった方がいいよ」

 難しい顔の少年を見かねたリナは、親切に教えてくれた。

 しかし、引き()った笑みで返す少年は、話が真実なら、笑い事ではなくなった。

 彼女は、魔法と言わなかった。あれだけの万能に近い願力の持ち主でありながら、読心術を自前の眼力のみで再現する存外の化け物だと判明したからだ。

「末恐ろしいね。でも、名ばかりでなければ、本体は竜だよね?どこにいるの?」

 万が一、彼と敵対した時を鑑みて、少年は聞いてみた。

「何でも、空間の狭間にいるって話らしいけど、厳密にはよく分からないんだ~」

「……それって、怪しくない?」

「むぅ、先達に失礼だよ。少年君の対応が甘いのは、同じ立場だったコルトさんのおかげだし」

 僅かに頬を膨らませてリナは言う。

「前例があったのか。なるほど道理で」

 少年は、疑いの余地なく納得した。余所者同士だから分かる。この疑心暗鬼の状態で、絶大な信頼を勝ち得ている所からも証明された。

 ――最も警戒すべきは、現状、間違いなくコルトネリウスだ。

「とにかく!今の少年君は監視対象だから、私のそばを離れないでね」


 極彩社を出ると、人の往来はなかった。

 来た方向とは逆の壁際まで連れられていくと、壁際に何の変哲もない飛び降り台が目の前に突き出ていた。

「今度は最下層まで降りるから、この直下式で降りるよ」

「あの……すみません。帰りもあっちにしない?」

 底なしの高さから飛び降りろという無茶ぶりに、少年は心底怖気づいた。

「でも時間かかるよ。これならすぐだし。もっと高い所から落ちて来たんだから平気でしょ?怖いなら、手を繋いであげるよ。ほら!」

 優しく差し出されたリナの手を掴むのは、少年にとって、やや抵抗があった。

 羞恥と男としての矜持と目の前に迫る恐怖。しかし休みたい気持ちと、優しさを蔑ろにして、リナに嫌われるのが嫌だという思いがよぎる。

 難解な葛藤の末に、やっとの思いで少年がその手を繋ぐと、後ろから物音が聞こえた。


「また変な物を拾ってきたのか。懲りない奴だ」


 紺色の髪にすらっとした気の強そうな女性が、腰に手をやって立っていた。

 ぎゅっと、リナの少年の手を握る力が、僅かに強くなる。

「あれから、何も学べなかったのか?」

「少年君は、変なのじゃないよ」

 リナと同世代に見える女性は、口ぶりからして顔見知りのはずだが、リナを見る眼は冷淡かつ無情で、仲間に向けられるモノではなかった。

 何やら因縁深そうだと気になった少年は、上から順に情報を読み取りにかかった。

 装いはリナのような煌びやかな装飾品は皆無で、動きやすいよう薄く短い服を着用していた。

 露出した身体はどこも筋肉質で、腹筋も綺麗に割れている。肉体労働か、運動を習慣化している。

 研ぎ澄まされた眼光に剥き出しの警戒心と、敵意を覚悟した油断躊躇をしない冷静な攻めの姿勢は、治安維持を目的とする秩序よりの人に似ている。

 暴力を振るわず、鋭い口調での詰問、白黒きっぱりとした性格のようで武器となる得物のない魔法主体型。よほど鍛錬を重ねた武芸者なのだろう。いざ戦うとなれば、戦術は正々堂々の一騎打ちをする武人気質の女性。

 そう結論した少年は、すぐさま視線を移した。

 彼女の手元にある一冊の本。テトッ・テン・カラフルと記入された本は形状から見て手帳の様だが、不自然な点がひとつ――鍵が付いていた事だ。

 少年の視線に気づいた彼女は、手帳を背中に隠した。

 その反応を受けて、少年はその意図に着目し確信を持った。

 ただのメモなら鍵はいらない。極秘情報なら持ち歩かず厳重に管理するはず。持ち歩く手帳である事から日常的、かつ秘匿したい何らかの情報である事は確定と見るべき――と推測した。

「身勝手も大概だ。皆の迷惑も考えろ」

 振り向きざまに言い放ったテトという女性は、少年を一瞥(いちべつ)もしないまま、その場から立ち去った。


 姿が見えなくなってから「……行こ」と、萎びたように意気消沈するリナに手を引かれ、少年は足を踏み外して踏切台を降りた。

 リナの表情の変化に気を取られた少年は飛び降りる恐怖を忘れる事ができたが、全く別の問題が生じた。

 リナよりも先に落下したため、ひらひらとたなびくスカートから太ももがちらりと覗かせた。

 絶対領域の魅惑的な視線誘導に困惑を浮かべる少年は、これが魔法か!?と苦心しながら、目がいくのを必死に止めるのが精一杯だった。


 人知れず戦っていた少年とリナの二人が目的の階層についた途端、落下速度が激減した。

 ゆっくりとリナに手を引かれて、最下階に降り立った少年は、言葉を失った。

 閑散とした廃墟感。上層より暗く、建物が少ないせいか、位置的には地下に当たるこの場所は、寂しいまでに殺風景だった。

「少年君、私たちカラフルは、陽に合わせた生活を送っているから帰ったら眠るけど。朝は起きれる人かな?」

「分からない。そもそも僕は眠れるのかな?……ん?」

 澱んだ暗闇にうっすらのっそり浮かび上がる影、この階層にある唯一の建築物が現れた。

「なら、ためしてみましょう!ここが私の家!そして今から、少年君の家になりま〜す!」

 リナの家は二階建てだとか数人は住んでも狭くない広さとか屋上もある事よりも、先んじて思った――豆腐だな――と。

 大理石のような亀裂模様が入った六面体の物体が、何の飾り気もなく佇んでいた。窓ひとつない無骨な造形は、合理的だとしても、リナの性格的にありえない。もっと華やかで彩り豊かなはずだ。

 性格と事実に齟齬が生じている。その違いの原因には、きっと何かが隠されている――岩石で作られた家はこれだけだ。何か特別な意味でもあるのだろうか?いや、単に好みかも?

 可愛げのない建物に対する価値観も、研鑽を積み重ねた建築様式なぞ知る由もない少年は、勘繰り過ぎて頭が痛くなり、こめかみを摘んだ。 

「白を基調とした無駄のない設計の機能美、実に素晴らしい……って、ヘええェッ!?」

 遅れて気が付いた。最後の一文が、途轍もない青天の霹靂で、少年は混乱状態になり感情が氾濫しかけていた。

「……嫌だったかな?」

「じゃなくて!?男女が同じ屋根の下ってのはどうなのさ!?」

「んーと、新婚夫婦以外だと普通ないかな〜。でも少年君は監視対象だし何も知らない赤子同然だしで大丈夫だよ!ただいま〜!」

 リナは人の話も聞かず、早々に帰宅してしまった。自宅なだけあって、彼女の素の部分が見れたことに、一安心した。だがそれは、縁もゆかりもない少年には通用しない。

「はぁ……」

 色々と思うところはある少年だったが、ここまで来て話をひっくり返す訳にもいかない。拒否すれば族長の首が飛んでしまう恐れもある。

「いや、その、お邪魔しま――」

「ちょっと待ったァッ!ただいまだよ!少年くん!わたし達はもう家族だからお邪魔じゃ無いの!わかった!?いい!?」

 自宅の敷居を跨いでから遠慮が行方不明と化したリナは、猛々しく立ちはだかった。


「は、はい……ただいま」

「おかえり!少年くん!」


 明るい笑顔で迎えられた家の中は、暗くて静かだった。天井に吊られた透明の植物の蕾が、家主の帰宅を感知して煌々と開花して明かりを灯すと、家の中が照らされた。

 居間や二階へ続く階段。更には、玄関から見えるはずのない内装に家具。そして外壁と同じ大理石の扉と部屋が奥に一室あるところまで確認できた。

 この家の中は壁も含めてほどんどが琥珀と樹脂でできており、寝室以外は透明で誰が何処にいるのか一目瞭然だった。

「カラフルの基本は一人暮らし。自主性や冷静な判断力を培う為の一貫なの。だから遠慮なく(くつろ)いで構わないからね〜」 

 靴を脱いですぐに通されたリナの自宅案内は、端的に終わった。

 通路には透明の観葉植物が置かれたり、リビングには木材の家具に来客用のお菓子や食器が収められていたりと、ごく普通で驚きは少なかった。

 ただ、お手洗いや風呂場に案内されなかった。というより、そもそも無かった。思えば、外でも生物の排泄物は見られず、キノコやカビといった菌類も確認できなかった。

 そしてもう一つ、リナの部屋は見せてもらえなかった事。それは当然と理解した。

 最後に、使われていない来賓部屋が少年の寝室に割り当てられて、諸々用意してくれるらしい。


 説明を聞き終えた少年は、家の中心にある居間に通されて、木製の椅子に座った。

「はぁ〜〜やっと落ち着いたぁ〜〜~~」

 背を預けて身を委ね、指一本も動かせない脱力感に襲われる少年の頭からやっと降りてきたフェルネが、椅子の下に置かれた座布団に座って丸まった。

 遅れてやってきたリナは、質素な容器を少年の前に持ってきた。

「大変だったね。はい、お水!」

 リナが湯のみを一つしかないことに疑問を抱いたが、もはやどうでも良いと思考を放棄した。

「ありがとう。ん……んっ、ぷは〜うまいっ!生きてるって気がするぜ〜!」

 一息つけた安堵の気持ちで流し込む水の美味さは格別で、全身が震える程の感動を味わった。

「けどこれ、普通の水じゃないね。どこか少し……甘いか?」

「へぇ~……少年くんは違いが分かる人だね~」

 リナは空になった湯呑みを受け取ると、水を継ぎ足してそのまま口へと運んでしまった。

 「かんせつ……――いや……」唖然として、密かに動揺する少年も、文化常識の違いだと言い聞かせて、なんとか平静を取り繕った。


 それからリナは、少年用の明日の準備をするとかで世話しなく動いていた。

 話しかけて良い隙を窺い、少年はリナに疑問を投げかけた。

「ねぇ、平面世界の果てはさ、どうなってるの?」

「何も無いよ。丸いのが普通のあなたには、不思議だと思うけど」

 しかし少年の反応は、とても普通だった。きっと宇宙の果てみたいな感覚なのだろう。確かめる手段も意味もなければ、興味関心を惹かれず、考える余地は少なかったのだ。

「近くに家が全くないのは、なぜ?相場のせい?」

 少し踏み込んだ質問だったが、言葉の意味が伝わらないのか、首を傾げるリナはこちらを見た。

「あー、人の住みたい度合いがどれくらい違うのかってこと」

 意味を理解したようで、リナは、明るくなった。

「緊急時の避難は飛扇で飛翔する関係上、下層は良いとは言えないね。それに研究施設や燃料樹脂とか危険な資源保管庫もあるから、万が一を恐れているのかも?」

 リナは恐れていないのか?おそらく違う。彼らの危機意識は高い。先ほどの女性との会話といい、少しずつ、彼女の集落での立ち位置が掴めてきた。

「たとえば、この隣に家を建ててようと思ったら、どれくらいかかる?」

 少年は待遇が変われば家がいるかもしれないからと、事前準備の一環に聞いてみた。

「すぐに必要な物は用意してくれるよ。平気、少年くんは何も心配しなくてもすぐに慣れるよ」

 その言葉で、少年腰を抜かして椅子から滑り落ちた。

「まさか……ただで?何も払わなくていいの?」

 くすりと笑うリナは、わざわざ作業を止めて振り返った。

「不満?それじゃあ、敬意を払えばいいんじゃないかな」 

「敬意ィ!?馬鹿な……いや、なら、せめて住んだ分の家賃は払うよ。……かなり先の話だろうけど」

「ヤチン……ってなに?」

 それはリナにとって未知の単語らしく、興味を惹かれて寄って来た。

「何って、お金だよ」

 リナは子供みたいな無垢な表情で呟く。


「少年くん…………オカネって何?」


 二人の間に、一瞬の静寂が訪れる。

「……あぁッ~~!道理で噛み合わないと思ったァ!ここお金が無いのかァ!?マジかよ!どんだけ大昔のド田舎だよここはっ!」

 常識を根底から覆された少年は、床に這いつくばって陸の魚のように跳ね回った。

「ほぇ?」

「はぁ〜。いやこっちの話さ。知らないなら別にいいよ」

 溜め息混じりに言い捨てる少年。すると、オヤツを取り上げられた子犬のように残念がったのも束の間、リナは豹変した。

「あっ!それってひどくない!?わたしはいっぱい教えたんだから、言ってくれてもいいんじゃないかな〜!?オカネって何なの〜!?」

「金って何……だと!?」

 一瞬、少年は頭が真っ白になった。

「えぇっと、なんて言えばいいんだ?ん〜、ようは、物や体験を得るのに……そう、代償がいるんだよ」

 すると、リナの纏う空気が、一気に沈静化した。

「同じ物事でも人が変われば価値も変わる。けどそれじゃあ困るから、みんな共通の価値基準として代わりの価値を支払う。という感じかな?」

「代償の価値はそれぞれ違う……か……難しいね」

 その話を聞いてから、リナは沈黙した。

 理由を聞くのは躊躇われた。頑としたリナの固い無表情は、それを聞くなと雄弁に語っていた。


 それから僅かな時を経て、彼女は視線を少年に向けなくなった。

 チラッと見せる無表情にそろそろ耐え難くなってきた少年は、咳払いを一つして、再度声をかける。

「ねぇ、ところでさ。最近なにかいいことあった?僕はリナに会えたことだけどね」

 再び質疑応答を再開すると、リナは快く応じてくれた。

「それ……わたしも。少年くんはどこか不思議だよね、あなたを見ていると少し安心する。ね?もし記憶を取り戻したら――貴方の事を教えてよ!それがわたしが望むヤチンの代償。約束だよ!」

「なんだ、そんなことならお安い御用さ。じゃあさ、最近熱中している事とかはない?」

「熱中って程でも無いけど……森の調査と……人助け?」

「僕も助けてもらったしね。やっぱりリナはすごくて偉くていい子だな~」

「ちがうよ。独りよがりなただの自己満足。少年くんもそのうち分かるよ。私のしていることは、お遊びだって」

「ん〜、リナって結構否定的なんだね」

「それ、君が言える立場なのかな?いやって言うの口癖でしょ?」

 思わぬ反撃を受けた少年はたじろいだ。

「いや、だって……あっ――」

「ほ~らまた言った〜!否定的〜!」

「っ、じゃあこれが最後……リナってさ……トシいくつ?」

 反撃とばかりに、少年は答えにくい質問をぶつけてみた。

「……もしかして舐めてるの?たしかに幼く見られるけど、これでも大人な二十歳だよ。といってもまだまだ小娘だけどね。カラフルの平均寿命は千年だから。はい!今日はもうお話お終い!夜も更けたし私はそろそろ寝ます!」

 不機嫌になりながらも、リナの表情から暗さが消えた。どうやら、表情を明るくする少年の作戦は大成功だった。

「それじゃ、少年くんの寝具を貰ってくるから、ちょこっと待っててね」

 軽く手を振ってから、リナが家から出ていった。

 自分以外から音がしなくなった部屋の中で少年は、彼女との邂逅に思いを馳せる。

「ん……分からないな。君は……何を……見て……」

「持ってきたよ〜」

 ワォ!?早すぎっ!?と、予想外の早さに、少年は奇声を上げた。

「はい!この蓑っていうものを壁に敷いて立ったまま寝るんだよ」 

「立ち寝だぁ!?んなの無理でしょ!足痛くな……魔法か……」

 自問自答する少年の反応に、リナはクスクスと楽しそうに微笑む。

「異文化って面白いね。当たり前が当たり前じゃないことの連続で……少年くんといると、ここじゃない――どこか遠い、別の世界を感じるよ」

 リナはさっと壁に敷き終わると、寝室の方へと向きを変えた。

「明日の朝も早いから休んだ方がいいよ。わたしの部屋はあっちね。何かあったら呼んで。屋上に出るのはいいけど、夜中は絶対に家から出ない事だよ!もう察しているだろうから言うけど――敵は、夜に活動するの。おやすみ!」

 リナが視界からいなくなると、部屋はとたんに静かになった。

 ごく普通の茶色の椅子と机と簡単な棚だけの味気ない空間内で、少年は自嘲気味に笑った。

「やれやれ……とんでもない一日だった。まさか、あの状況から生き延びるとはね。だがこれで終わりじゃない――むしろ、ここからが勝負だ」

 少年は羽毛布団に似た感触の蓑の中に入り込んだ。

 すぐさま重力軽減の魔法によって、全身の負担が和らいだ。浮遊感も不快ではなく、横になっているのと変わらなかった。

 少年は目を閉じると、瞼の裏側に映る残像が波紋のように移り変わる様子を無心で観察しながら、じっと動きと思考を停止させた。


 あれから数時間が過ぎ、我慢の限界に達して少年は目を開けた。

「うん――全く寝れん。立った姿勢が駄目なのか、元より寝る機能がないのか……」

 不安がじゅくじゅくと募り焦り始めた。机に置かれた鳥時計は、まだ丑三つ時の午前二時頃を指している。

「こりゃダメだ。こういう時は、気分転換に限る」

 部屋から出た少年は、椅子の下で寝息を立てるフェルネを起こさないよう慎重に扉を閉める。そしてリナが自室で休んでいる事を確認した後、階段を上って屋上にやってきた。


 ここからは、最下層の夜の宿木を見る事ができた。

 暗闇で何も見えず、天井に入れられたほんの小さな切り込みに群生する苔が黄色い光を僅かに放つだけ。


 静寂――。


 時が止まったかのような、まるで宇宙か深海の底に置き去りにされたような空間が、じっと息をひそめて夜明けを待っていた。

 少年は黄色い琥珀のベンチに我が物顔で座り、大きく伸びをして目を閉じると――。


 上よ――


 聞き覚えのある声がして大きく目を見開いた。


「この……声!?」


 少年の頭上に謎の白い光球が降りてきた。

 大きさは三十センチ程度と判別できたが、目が眩む明るさでよく見えなかった。

 太陽にも似る強烈な光は最下層を昼にした。だが輝きは徐々に弱くなり、小さな粒子となって四方へ飛散した。


「……き、君……」


 後に残るは、神聖を感じさせる高貴で純白の翼をはためかせて、美しく麗しき天使が、舞い降りてきた。

 身長は十数センチと小人サイズだが、薄い桃色の長髪に純白のドレスが似合う見目麗しい顔立ちが印象的だった。


 少年は大切な第一声を、可憐な天使に失礼のないよう大真面目に、深夜テンションで言い放つ――


「パンツまる見え!」

「落とし蹴りィッ〜!!」

「ファアアアッ〜!?」

 視界が陽炎のようにぼやけた少年は、顔面に猛烈な飛び蹴りを食らって数度回転した後、壁にへばりつく羽目になった。

「ひ、酷い!?何すんのさッ!?」

 ピクピクしながら、何とか少年は腫れ上がった頬を撫でながら顔を見上げた。

「それはこちらの台詞なのだけれど。初対面の開口一番をどうしたらそんな下らない下卑た戯言が吐けるの?愚か極まりない下衆下郎ね。反吐が出る」

 蹴り上げた足を伸ばした天使は、荒々しく髪をかけ上げてながら気怠く言った。

「いや出たのは足……だって、何事も第一印象が大事って言うじゃないか。名前も経歴も分かりませんじゃあ落ち着かないから、せめてオチは付けようと――」

 天使は優雅な動きで口元に人差し指を立てた。所作が意味するものは、黙れである。

「傾聴――そう、お利口さんの推察通り、空の声はこの私よ」

「やっぱり!ありがとう!君は命の恩人だよ〜!」

 手を伸ばして握手しようとしたら、天使は握るように見せかけて、寸前で回避、羽毛みたいに軽くて細い腰を下ろした。

「気にしないで。早々に終わったら、どんなゲームも退屈じゃない?」

 

 ハッと――心が燃え立つように冴えわたる。


 この態度と口ぶりから、少年はこの天使がこの世界の住人では無いと確信した。

「君は誰?僕の事を知ってるの?この世界はどこで何なんだ?」

 天使は、再び口元に指を立てた。

 咄嗟に黙る少年は心の内で自笑した。この僅かな間に躾けられてしまったと。

「まず先に、言わなきゃいけない義務があるから、済ますわね」

 天使はコホンと喉を鳴らして、誰にでも分かる満面の営業スマイルを作った。

「ようこそ!不死身最強大繁栄、何でもありのワンダーワールド!思惑煮詰めた貴方のフェチズム御覧じろ!」

 天使の後ろに、映し出される未知の光学的なモニターが展開され、美男美女が群雄割拠しながら、無双する映像が流される。完全に宣伝映像である。

「これでどんな愚人もチートで無敵なワールドメイカー!貴方好みの唯一がお出迎え!今度こそ……生前の望みを個の世界で叶えましょう!……お分かり頂けたかしら?」

「いや、全く――美味過ぎる話は、疑うべきだしね」

 少年の抱いた疑いの理由は、他にもある。

 映像にあったような素敵なものは、何一つ自分に再現されていないからだ。

 モニター画面を消した天使は、生意気な男を流し目で見やり、吐き捨てるように言う。

「造り手がいれば当然、壊す側もいる。既に始まりは告げられたわ。今の貴方がやるべきは私への熱烈インタビューかしら?それより、今後の事を考えれば?」

「あの〜、それを教えていただきたいんですけど〜。あと頬の痛みの消し方」

「眠る努力はしなくていいわ無駄だから。えぇ……お察しの通り、ここは神によって作られた世界よ。私は迷える残念な子羊の行き先案内を押し付けられた不幸な天使――不憫だわ」

 天使は、少年の言葉には無反応を示して勝手に語り続けた。

「初日はなんとか堪えたようね。茶番が如き余興でも、幾許かの退屈凌ぎにはなりそう」

 天使は翼を広げて軽い腰を上げた。少年の前から早々に立ち去るつもりのようだ。

「でも本番はこれから。貴方に与えられた役割が、どんな端役であれ結果で是非は問われる。それじゃあ――さようなら」

「あっ――待って!名前!?」

「天使よ、貴方とはそれ以外、何の関係もな――」

「じゃ、行き先案内のユキちゃんに決定!ね!」

 少年は、どうだと言わんばかりに天使に有無を言わさせなかった。

「……勝手になさい。あとこれは水着よ。パンツじゃないわ」

 性悪な天使は名残惜しさの欠片もなく飛んでいくと、灯された輝きが失われて、スーっと溶けるように消えてしまった。


「露出度は同じなのに……何が違うんだ?」

 そんな素朴な疑問を霧散させた少年は、楽しげに笑った。

「……もう少し、続けてやるのも悪くないな……」

 草木も眠る丑三つ時、眠らない彼の胸に沸く仄かな愉快さは、夜の闇の中に溶けていった。

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