第8話 デイ・ザ・ネイション・ストゥード・スティル︰動くアメリカと日本政府
空が焼けるような灰色だった。
都心が沈黙してから、もう四日以上が経つ。無数の黒煙が立ちのぼっていた東京湾岸も、今ではただ、陰鬱な雲の下に沈んでいる。
場所は、立川市にある“災害対策本部予備施設”。
首都機能喪失時に備えてつくられた第四の緊急災害対策本部の設置場所で、地下の執務区画はまるで病院のように無機質で、埃っぽい空気がまだ残っていた。
その一角――簡易会議室の長机には、折りたたみ椅子がいびつな間隔で並べられ、そのうちの半数に、背広姿の男女が座っていた。
内閣官房副長官、首相補佐官、防衛省、厚労省、内閣情報調査室、そして生き残った若手議員数名。合わせて47名。これが今、首都政府を名乗れる唯一の中枢だった。
「……本日までに確認されている都民の安否ですが」
内閣府危機管理監の女性官僚が、乾いた声で報告を始めた。
「東京都23区の住民登録数は985万6992人。現在までに連絡が取れた人数、約5千人。
現場からの推定では、半数以上がすでに“感染・転化”していると考えられます」
その場の空気がわずかに揺れる。誰も叫ばなかったが、誰も正面を見てはいなかった。
「……つまり、450万人近いゾンビが都内にいるという推定でよろしいか?」
防衛省の佐々木事務次官が声を震わせながら問う。
「はい。加えて、通信インフラの喪失、鉄道網の停止により、区内に取り残された生存者の正確な数は……」
報告は途中で言葉を濁した。
「把握不能、ということですね」
官房副長官――早乙女仁が言葉を継いだ。その日の朝、各省庁の緊急ヒアリングはすでに4時間を越えていた。
兵器庫の弾薬数。緊急配備の自衛隊数。支援に出せる医療班の限界。そして最も根深い問題――ゾンビへの有効な対処法。
「小銃や拳銃では止まらない。頭を潰すしかないと現場は言っています」
「じゃあショットガンで全員武装させろと? 都市でだぞ? 生存者がいる可能性があるんだ」
「仮に倒せても、数が違いすぎるんです。首都圏には450万体以上のゾンビがいる可能性があると想定して――1体あたり1発の榴弾で処理しても、450万発の弾薬が必要です。あり得ません」
厚労省の疫学官が机に額を落とした。
「我々には……現状維持すらできない可能性がある」
「他都市は?」
早乙女の問いに、外務省の危機管理官が答えた。
「名古屋、大阪、福岡、札幌。いずれも回線が断続的。
インターネットが使えない今、民間SNSもほぼ沈黙。防災アプリもアクセス不能。状況不明です」
「つまり、今この瞬間――この47人が“日本の国家意思”を代表していると?」
誰も答えなかった。そのときだった。部屋の一角、壁面に並んだ旧型端末のひとつが、ピピッ――ピピピッと不規則なアラートを発した。
「……副長官。NSA(米国家安全保障局)からの接続要求です。……衛星経由。暗号キー一致。正規ルートです。これは……本物です」
室内が一気に緊張に包まれる。
「アメリカ……!?」
「ええ。本国・国防総省経由、特別暗号レイヤー通過済み。日本側の防衛相コードとも一致しています。
接続許可、どうしますか?」
早乙女は、一拍だけ黙ってから言った。
「――繋げてくれ」
早乙女の指示で、NSAのデータベースから転送されたファイルが次々と展開される。最初に表示されたのは、米軍準機密報告書の形式でまとめられた情報だった。
【CONFIDENTIAL / US-JPN CHANNEL】
SUBJECT: REALITY SHIFT CONFIRMED
CONFIRMED: CLASS ACQUISITION SYSTEM
CONFIRMED: SKILL-BASED COMBAT PERFORMANCE
ENCLOSED: VIDEO FILES (2) / FIELD OPS REPORT (PDF)
PRIORITY: NATIONAL-LEVEL REVIEW REQUESTED
「……SUBJECT:リアリティ・シフト、コンファームド……」
読み上げた内調の分析官が絶句する。
「“現実の変化、確認済み”ってことだ。……皮肉なタイトルだな」
早乙女が短くうなずいた。
「映像、再生」
▶ FILE-01:SOLDIER
地下鉄のような構造の崩落空間。映像はヘルメットカメラの視点。隊員1名が、剣を携え前進していく。
ゾンビが現れる――4体、5体。密集し、唸り声を上げて突っ込んでくる。
兵士は無言で駆ける。片手で抜き放たれた大剣が、まるで空気を切るように軽やかに振り抜かれる。
スパァン!!
最前列のゾンビの首が宙を舞う。回転しながら壁にぶつかり、脳漿を撒き散らして落ちる。
さらに――切断された首が、軌道の先で別のゾンビの顔面を打ち抜いた。隊員はそのまま3歩踏み込み、2撃、3撃――合計5体を10秒以内で全滅させた。
画面が切り替わる。
CLASS:Soldier
LEVEL:3
SKILL:Enhanced Slash Lv1
「……おいおいおい……」
「化け物じゃねぇか……」
「それを“職業”で説明してるのか……」
ざわつく室内を制し、早乙女が短く指示する。
「次、再生しろ」
▶ FILE-02:MAGICIAN
構造物内の広いホール。破損した天井。床に大量の血痕。兵士らしき人物が、腕を構えて詠唱のような動作を取る。
その右手に、炎が生まれた。掌から湧き上がるように集束したそれは、一瞬で野球ボールほどの火球となり、まるで空気を裂くような音を立てて前方の通路に放たれた。
ボゥッ!!
着弾点で爆ぜた火球が、ゾンビ数体を包み込む。咆哮とともにゾンビが燃え上がる。皮膚が焦げ、肉が裂ける。そしてもうひとつ――背後のコンクリ壁が焼け焦げ、爆裂していた。
画面が切り替わる。
CLASS:Magician
LEVEL:2
SKILL:Fireball Lv1
「……これは」
厚労省の疫学官が、ぽつりと呟いた。
「火器じゃない……“魔法”だ」
「信じられん。いや、信じるしかないのか。壁が、物理的に焦げてる……」
「映像の改ざんも……?」
「無理だ。NSA直通の回線、メタデータにも偽装の痕跡はない」
会議室には、再び沈黙が落ちた。しかし今度のそれは、単なる驚愕ではなかった。混乱と――困惑。厚労省の疫学官が椅子に沈み込み、目を押さえた。
「魔法って……なにを言ってるんだ、俺は……」
防衛省の佐々木次官が低く呻いた。
「職業だの、スキルだの、RPGの世界の話か……。いや、いや、これは……あってはならん……」
「フェイクだ。映像が作られている可能性も……!」
外務省の若い官僚が声を上げる。
「こんなの、アメリカが意図的に流した情報操作じゃないんですか? 現実的に考えて、我々を試してるか、誘導してるか、作戦の一環では――」
「陰謀論かよ!」
「違うとは言い切れんだろ! そもそも衛星の制御権も、米軍の“あれ”の中にあるんだぞ!」
「ここで信じて乗せられたら、国ごと転がされる!」
誰かが笑い出した。
「はは……はははっ、いやいや、マジかよ。こんな映像ひとつで、“現実が変わった”なんて……冗談、冗談だろ……?」
一人、また一人と議論はヒートアップしていく。部屋にはもはや、国家の中心にあるべき冷静さはなかった。だが。
「――時間がない」
静かに響いた声が、全てを断ち切った。官房副長官・早乙女仁は、ゆっくりと立ち上がった。
「言い合っている暇があるなら、動くべきだ。映像が偽物かどうかわからないのであれば、検証すれば良い。映像が事実なら、この状況を打破する大きな一歩だ。ここで国が動かなければそのチャンスも失う」
静かに手を掲げ、通信班の官僚を指す。
「今この場で正式に指示を出す。劇症型感染症対策本部の内部に――」
周囲が固唾を呑む。
「――“未確認地下構造物調査室”を設置する。権限は官房副長官預かり、運用資材は防衛省・内閣情報調査室から転用。目的はただ一つ。ダンジョン、そして“職業”と“スキル”に関する現実の調査だ。神谷、主軸はお前に任せるぞ」
室内に再び静寂が訪れる。今度の沈黙は――“従うしかない”という確かな合意だった。早乙女はモニターの一角に映し出された都心マップを指差す。
「明日、東京駅地下に形成されている“裂け目”に向けて、第一調査隊を派遣する」
「派遣要員は?」
「陸上自衛隊 特殊作戦群――特戦群から、立川基地駐在の5名を選抜済みだ」
「たった5人で?」
「職業を得られるかどうかが不明な時点で、多人数はリスクだ。そもそも“得られる”のか、“得てしまう”のかもわからない。まずは少人数で、確かめるしかない」
誰も反論できなかった。それはまさに、前例なき“未知との接触”。国家としての意志を示す、最初の一手となる。
その夜、「未確認地下構造物調査室」の設置は速やかに内部通達され、翌7日目の朝には、選抜された5名の特戦群隊員が東京駅地下へと向かう準備に入っていた。
新たな現実の扉が、静かに開かれようとしていた――。