表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン&ゾンビーズ〜崩壊した世界で、職業ゾンビが世界最強〜  作者: 楽太郎
第2部/第1章 ダンジョン&キョンシーズ
82/83

第77話 師弟対決

 影がひとつ、門を飛び越えた。


 月光を背に、しなやかな弧を描いて境内に降り立つ人影。

 陳老師。だがその顔に人の温もりはなく、白く濁った瞳と蒼白な肌の殭屍キョンシーだった。


 踏み込む足は迷いなく、朱の柱と石畳を渡って本殿の中央へ進む。宇軒ユシュエンは一瞬、思考を巡らせる。


(門内には結界が張ってあるはずだ。まさか……)


 脳裏に、ひとつの答えが浮かぶ。

 ——殭屍キョンシーと化しても、老師はかつて道士としての資格を持っていた。その霊的な性質が、結界の侵入制限をすり抜けさせたのではないか。

 老師殭屍キョンシーがこちらへと向かってくる。今はそれ以上考えている場合ではなさそうだ。


 宇軒ユシュエンは一歩前に出て、月光に照らされた師の姿をまっすぐに見据える。


「今度は、間違えません。――老爷爷ラオイエヤ


 宇軒ユシュエンは即座に頭の中で戦況を描く。

 ——道士としての純粋な実力差は、歴然。正面から斬り伏せることなど到底できない。ならば勝ち筋は一つ。殭屍キョンシーである弱点を突き、額に札を貼って封じること。それしか、二人が生き残る道はない。


 宇軒ユシュエンが覚悟を決め、思考をめぐらしている間も、心玥シンユエの涙は止まらなかった。


(老師……どうして……)


 足が石畳に縫い付けられたように動かない。彼女の指先は札を握ったまま、わずかに震えていた。


 「……構えるんだ、小心シャオシン


 老師殭屍キョンシーと対峙し、背中越しに宇軒ユシュエンが短くそう告げた——その瞬間、老師の身体が音もなく弾かれた矢のように動いた。


 普通の殭屍キョンシーのようなぎこちなさは微塵もない。流れるような踏み込み、腰の捻りから繰り出される功夫の突き。それは彼らが修行時代に幾度となく目にした——人としての頂点、陳老師の技。殭屍キョンシーと化した今でも、速度も力も圧倒的だった。


殭屍キョンシーは目が見えていないというのに……さすがは老師です)


 宇軒ユシュエンは桃剣を構え、迫る一撃を受け止める。

 衝撃が腕から肩へ、そして骨の芯まで突き抜けた。


(……やはり、力も速さも別格。倒すことは叶わない——封印しかない)


 背後の心玥シンユエはまだ一歩も動けずにいた。廟の軒先に吊るされた灯籠が揺れ、彼女の影だけが震えている。


 老師殭屍キョンシーの踏み込みは、獲物を狩る虎のそれだった。

 その瞬間、空気が裂けるような音とともに、低い突きが宇軒ユシュエンの腹を狙う。

 桃剣で受け流すが、力の重さに足元の石畳が軋み、背後の柱へと押し込まれる。


「くっ……!」


 宇軒ユシュエンは即座に反撃、斜め上からの袈裟斬り。

 だが老師はほんの半歩だけ引いて刃を躱し、逆に足首へ低い回し蹴りを放つ。

 重い衝撃が脛を打ち、宇軒ユシュエンの視界が一瞬ぐらつく。


 このままではまずい——。

 宇軒ユシュエンは瞬時に判断し、背後の石灯籠を蹴って高く跳び上がった。

 月明かりを踏みしめるように廟の屋根へ着地する。

 その音に反応した老師殭屍キョンシーも、しなやかな跳躍で屋根へと躍り上がってきた。


 屋根へと上がろうと飛び上がったその頭上へ、宇軒ユシュエン合わせるように桃剣を斬り下ろす。

 だが——その動きすら老師は見切っていた。片手で宇軒ユシュエンの袖を掴み、勢いを利用して弟子の身体を軸に回転。

 空中で体勢を崩された宇軒ユシュエンの背へ、手刀を容赦なく叩き込む。


 息を詰まらせる衝撃。

 受け身を取る暇もなく、宇軒ユシュエンの身体は石畳へと叩きつけられた。

 重い音とともに近くの大香炉が倒れ、線香の灰が宙に舞い上がる。


 廟の屋根の上、月を背にした老師殭屍キョンシーは、まだまだだと言わんばかりに、苦痛に顔を歪めながら立ち上がる宇軒ユシュエンを悠然と見下ろしていた。


 宇軒ユシュエンが立ち上がるのに合わせて、老師殭屍キョンシーはその胸元へと飛び込む。


(駄目だ、札を取り出す間合いがない……!)


 宇軒ユシュエンは焦りを抑え、攻撃を受け流しながら僅かな間隙を探す。

 しかし、老師の連撃は止まらない。拳打、肘打ち、掌底、足刀——どれも弟子の頃に幾度となく叩き込まれた型だ。だが今は、その速さも重さも倍加している。宇軒ユシュエンが弟子として離れた後も老師は研鑽を積み重ね、さらに殭屍キョンシーとなった肉体が、その力を極限まで引き出しているのだろう。


 休まることのない連撃に宇軒ユシュエンは廟の塀際まで追い込まれるが、塀を蹴って宙返りし、その背後へ回り込む。

 しかし老師は振り返らず、宇軒ユシュエンの攻撃に合わせるよう肘を突き出して迎撃。その肘が宇軒ユシュエンの顎をかすめ、頬に焼けるような痛みが走る。


「ユウ兄さん!」


 心玥シンユエが叫ぶが、その足はまだ一歩も前へ出ていない。

 目の前で繰り広げられる師と兄弟子の死闘——その迫力に、恐怖と迷いが交互に胸を締めつける。


 老師は振り返ると間合いを詰め、渾身の掌打を宇軒ユシュエンの胸元に叩き込もうとする。

 宇軒ユシュエンは辛うじて両腕で受け止めたが、その衝撃に膝が沈み、足元の石畳がひび割れた。


(——くっ、押し切られる!)


 圧倒的な攻防の中で、封印を狙うどころか、一撃で沈められかねない状況。

 師の技を知っているはずの宇軒ユシュエンですら、一切の隙を作れないまま追い詰められていく——。


 宇軒ユシュエンは、背中を柱に預けたまま浅く息を吐いた。

 老師殭屍キョンシーの掌打を受けた胸が、まだ熱く焼けている。

 視界の端で、心玥シンユエは札を握ったまま立ち尽くしていた。


(動けない……どうして……)


 足先から膝までが鉛のように重い。頭では助けなければと思うのに、身体が拒む。


 ——そのとき、不意に胸の奥に声が蘇った。


 『札は紙だが、心を載せりゃ刃にも盾にもなる。紙を信じられんのなら、お前は道士じゃなく紙売りじゃ』


 かつての修行の日々。札術がうまくいかず裏庭で落ち込んでいた所へ、老師が突然現れたかと思えば、次の瞬間には線香の煙で鼻をくすぐり、『ほれ、笑ってみい。笑顔の方が札は効くもんじゃぞ』と、子どもじみた笑みを浮かべていたあの日。


 師はいつもふざけていた。

 修行中、わざと札を取り違えて爆音札を貼らせ、驚く弟子たちの顔を見て「おお、元気が出たな」と笑った。

 だが、その笑いの奥にはいつも、弟子を愛する揺るぎない温もりがあった。


(……そうだ。老師の教えは私の中で生きているんだ)


 胸の奥で、迷いを焼き尽くすような熱が広がる。


 「ユウ兄さん!」


 心玥シンユエが声とともに、宇軒ユシュエンの横へと並び立つ。その瞳にはもう怯えはなかった。


「すみません……私も戦います!」


 宇軒ユシュエンは構えたまま短く頷く。


「……私の方で隙を作ります。天元仙桃剣——秘技を使う」


 その一言で、妹弟子は自分の役割を悟る。

 秘技——霊力を一気に解放し、攻め込む宇軒の奥の手。

 老師相手では、せいぜい一瞬の隙を作るのが限界だろう。しかも再び放つには時間がかかる、一度きりの勝負。


「……わかりました。その隙をついて——封印の札を、老師の額に貼ります」


 心玥シンユエは札を構え、深く息を吸い込む。胸の奥に残る老師の笑顔と教えが、押し寄せる恐怖を静かに押し流していった。


 廟の空気が張り詰めた。


 宇軒ユシュエンは桃剣を肩口に構え、心玥シンユエは札を握りしめて低く腰を落とす。

 中庭の石畳を、老師殭屍キョンシーが無言で踏みしめ、一歩ずつ間合いを詰めてくる。


 まず、宇軒ユシュエンが正面から踏み込む。

 桃剣の斜め斬りを、老師は片腕で受け流し、即座に肘打ちで反撃。

 その瞬間、宇軒と同時に動いた心玥シンユエが、背後の壁面を蹴って一気に老師の背後へ回り込む。

 挟み込むように放った蹴り——だが、老師殭屍キョンシーは宇軒に向けていた腕を微動だにさせぬまま、逆の手を振り返るように伸ばし、その蹴りを鮮やかに受け止めた。


「はっ!」


 宇軒ユシュエンが低く跳び込み、足元を狙って横薙ぎに振るう。

 老師は最小限の動きでそれをかわし、回し蹴りで二人まとめて反撃した。

 受け流しながらも衝撃に押され、二人は庭の端まで後退する。


 その勢いの中で、宇軒は足元の石畳の瓦礫を拾い、手にした瓦礫を老師と左手側の塀へ同時に投げ放った。

 老師は自らに向かう瓦礫を即座に弾き飛ばす——だが、塀に叩きつけられた瓦礫の音が、視覚を持たぬ老師殭屍キョンシーの感覚を鋭く引き寄せる。


 ——その一瞬を狙い、銭剣を構えた心玥シンユエ老師殭屍キョンシーへと迫る。

 足音を殺し、低く滑り込むように背後へ回り込む——しかし、老師はその気配を嗅ぎ取り、後ろ回し蹴りで迎え撃った。

 心玥は即座に地を蹴って跳び上がり、庭の端の石灯籠を足場に回転。着地と同時に距離を取り直す。


 「くっ……さすが老師……!」


 宇軒ユシュエンは剣を構え直し、息を合わせるように合図を送る。


 二人は同時に動き出した。

 宇軒ユシュエンは正面から突きを連打し、心玥シンユエは梁を伝って上方へ回り込み、足刀で頭部を狙って急降下する。

 老師は右腕で突きをさばきつつ、頭上からの蹴りを左手で受け止めた——だが、その瞬間、わずかに重心が後ろへ傾く。


「今!」


 宇軒ユシュエンが渾身の踏み込みとともに桃剣を振り下ろす。

 刃が老師の袖を裂き、梁を踏み砕くほどの衝撃が走った。

 その一瞬の揺らぎを逃さず、心玥シンユエは交戦の最中に密かに仕掛けていた護札を起動させる。


 ——パアンッ。


 破裂音とともに護札が光を放ち、老師の足元から淡い金色の陣が広がった。

 陣の縁を走る文様が空気を震わせ、老師殭屍キョンシーの動きが一瞬だけ鈍る。

 踏み込んでいた足が半歩だけ止まり、腕の振りも僅かに遅れる。


 その刹那、宇軒ユシュエンは低く息を吐き、足元から霊力を引き上げる。


「——天元仙桃剣・霊破ッ!」


 振りかぶった桃剣の光が刃全体を駆け抜け、空気が唸りを上げる。

 踏み込みと同時に、地を割るほどの衝撃を伴って斬撃が放たれた。

 老師は真剣白刃取りのようにその刃を受け止める——だが、霊力の奔流が全身を包み込み、動きを封じる。

 それは、弟子として何百回も見てきた構えの中には決して存在しなかった“空白”だった。


 宇軒ユシュエンが剣を振り下ろす瞬間、老師の足元へと体を沈めていた心玥シンユエ

 その指に挟んだ『勅命陏身保命』の札が、月明かりを受けて金色の光を帯びる。


 ——タンッ。


 額に貼り付けた瞬間、札が乾いた音を立てて輝き、廟全体に低く重い振動が広がった。

 老師の身体が、まるで刃を深々と受けたかのように硬直する。


 もし、老師が師のままであったなら——この勝負に勝つことは叶わなかっただろう。だが、殭屍キョンシーと化したことで生じたわずかな弱点を突き、封じることができた。

 それは、老師が弟子たちに教え続けてきた「敵を知り、勝ち筋を見出せ」という教えの具現でもあった。

 ゆえにこの勝利は、宇軒と心玥の二人だけのものではない。

 師と弟子、三人で掴んだ——師弟最後の勝利だった。


 封印された老師は、本殿手前の通路中央で、両手を前に突き出したまま静止していた。その額の札が淡く金色に光り、静まり返った廟内に線香の香りだけが漂っている。


 桃剣を構えたまま、宇軒ユシュエンは真っ直ぐに師を見据える。


 「……陳老師、今まで——ありがとうございました」


 心玥シンユエも震える声で続ける。


 「老師……教えてくれたこと、忘れません」


 返事はない。

 ただ、封印された老師は表情を変えず、静かにそこに立ち尽くすだけだった。


 廟の中に、張り詰めていた霊気がふっと解けた。

 線香の香りと、夜の風だけが残る。


 宇軒ユシュエンは剣を下ろし、深く一礼した。

 心玥シンユエも隣に並び、同じように頭を垂れる。

 長年受けた教えと、弟子として過ごした日々——その重みが胸に溢れ、言葉にはならなかった。


 やがて宇軒ユシュエンは、本殿脇に置かれていた古びた棺へと目を向けた。

 漆は剥げ、装飾もところどころ欠けている。葬儀用に作られたものだが、何年も使われずに埃をかぶっていた。

 ありあわせではあるが、今はこれしかない。


 札のコントロール下にあるとはいえ、殭屍キョンシーと化した老師をこのまま放置するわけにはいかない。

 正しく埋葬の段取りを整えるまで安置するため——二人は本殿脇に置かれていた古びた棺を中央へと引きずり出した。


 宇軒ユシュエンが妹弟子に短く告げる。


「……心玥シンユエ、頼む」


 心玥シンユエは頷き、印を組む。

 指先が結ぶ印の形に呼応するように、老師殭屍キョンシーの額の札が淡く輝いた。


 札が貼られた老師殭屍キョンシーは、操り人形のように跳ねながら棺の方へ進む。

 ぎこちないながらも、まっすぐに近づき——ゆっくりと棺の中へ身体を収めた。

 静かに横たわった老師の顔は覆わず、その額の札が誰の目にも見えるようにしておく。


 宇軒ユシュエン心玥シンユエは視線を交わし、同時に棺の蓋へ手をかけた。


 「老師、安らかにお眠りください」


 重い蓋が閉じられる音が本殿に響き、再び静寂が訪れる。

 ——そのとき、廟の隅に集まっていた市民たちが、恐る恐る顔を覗かせた。激しい戦いの音に耐えきれず、何人かが本殿の前まで来てしまったのだ。


 「……あれ、お前たちの師匠じゃないのか」

 「あの姿……やられちまったのか……?」

 「おい、化け物をそのままにしておいて大丈夫なのかよ」


 ざわめきが、湿った空気のように本殿全体に広がっていく。

 結界の内側——しかも市民の避難所である本殿に、殭屍キョンシーが棺に収められているという事実は、彼らの胸に冷たい棘のような不安を植えつけた。


 宇軒ユシュエン心玥シンユエは、封印してあることや、これは正しい埋葬のための一時的な安置であると説明する。

 だが、市民たちの表情から不安が消えることはない。むしろその目には、じわじわと疑念と苛立ちが混じり始めていた。


 ——香港の夜明けは、まだ遠い。

第2部第1章はこれにて完結です。

ここから香港ではいくつかの展開がありますが、第2章は時間を第1部最終章まで進めて執筆する予定です。

引き続き、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ