表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン&ゾンビーズ〜崩壊した世界で、職業ゾンビが世界最強〜  作者: 楽太郎
第2部/第1章 ダンジョン&キョンシーズ
81/83

第76話 老爷爷

 目の前に立つ、魂を失った師の姿――その絶望的な光景を前に、宇軒ユシュエンの思考は、遠い過去の記憶へと引き戻されていた。


 宇軒ユシュエンは、湖南省西部の貧しい農家に生まれた。祖父母と母との四人暮らしは決して豊かではなかったが、集落の人々の温かな支えの中で、穏やかな日々を過ごしていた。


 その日常が崩れたのは、祖父が亡くなった日だった。


 貧しいながらも、祖母と母はなんとか埋葬の形を整えた。だが、祖父の死を受け入れられなかった幼い宇軒ユシュエンは、寂しさに耐えきれなかった。夜更けに皆が眠った後、もう一度だけ会いたい一心で、そっと棺に近づき――その蓋に、小さな手をかけてしまったのだ。


 ――それが、取り返しのつかない過ちだった。


 埋葬の手順を乱し、死者の安息を妨げたことで、祖父の亡骸は「ことわり」の外へと堕ちてしまった。


 明け方、祖母と母の悲鳴が響き渡り、宇軒ユシュエンは目を覚ました。家を襲ったのは、硬直した身体で跳ねる、殭屍キョンシーと化した祖父だった。視界の端では、血まみれで動かぬ祖母と母の姿。迫り来る祖父に、幼い宇軒ユシュエンは恐怖で足がすくみ、動けなかった。


 祖父だったものが、生気のない瞳で彼を捉え、鉤爪のような指をゆっくりと伸ばしてくる。


 ――もう駄目だ、と死を覚悟したその瞬間。


 家の戸が蹴破られ、一人の老人が風のように飛び込んできた。その手にした拂塵はたきが一閃すると、殭屍キョンシーは見えない壁に弾かれたように吹き飛ばされる。老人は宇軒ユシュエンを背にかばうと、懐から取り出した護符を寸分違わず殭屍キョンシーの額へと叩きつけた。


 それから、祖父だけでなく、祖母と母までもを失い、天涯孤独となった宇軒ユシュエンを、陳老師は弟子として引き取った。


「すまない。殭屍キョンシーが生み出されてしまったのは、ワシら道士の力が足りなかったからじゃ。お前の愛が、お前の家族を奪ったのではない」


 そう言って頭を撫でてくれた師の温もりを、宇軒ユシュエンは今もはっきりと覚えている。


 その日から彼は、誰にも自分と同じ悲しみを味わわせないため、そして二度と過ちを繰り返さないために、修行に明け暮れた。


 力をつけるたびに、宇軒ユシュエンは、師の偉大さをより深く理解していった。


 普段の飄々とした姿からは想像もできないが、老師はかつて武芸において無類の強さを誇り、若き日には各地の道場に試合を挑む、相当な荒くれ者だったという。数多の死線を超え、やがて敵対する道士一派「金闕派きんけつは」との千年にわたる因縁に、ただ一人で終止符を打った。


 その過酷な戦いの日々の中で、老師は三十代にして「到達者」――いわゆる《《レベル上限》》に達した。道士の歴史を遡っても、到達者は指で数えるほどしかおらず、しかもその速さにおいては類を見ない。


 それでも、老師は鍛錬を止めなかった。


 老齢を迎え、宇軒ユシュエンを弟子に取った後も、それは変わらず続けられていた。


 ある朝、いつもの鍛錬を終えた後、宇軒ユシュエンはふと、陳老師に尋ねたことがある。


「老師。なぜ、到達者となられてもなお、厳しい鍛錬を続けられるのですか」


 老師は孔子の言葉を引用して、静かに答えた。


「『学は及ばざるが如くせよ。なお之を失わんことを恐れよ』。……道とは、そういうものじゃよ、宇軒ユシュエン


 ――常に道の先を歩き、その背中で道を切り開いてくれた師。


 宇軒ユシュエンにとって、陳老師は第二の祖父であり、人生そのものだった。


 その、絶対的な存在が、今、目の前に敵として立ちはだかっている。


 現実に引き戻された宇軒ユシュエンは、血が滲むほどに己の拳を握りしめた。


 師を失った。いや、目の前にいるというのに、その魂はすでに失われている。かつて祖父をキョンシーにしてしまった時と同じ、無力な自分を、再び目の当たりにしただけだ。何が変わったというのか――怒りが、腹の底からこみ上げてくる。


 ふと、隣に立つ妹弟子の姿が目に入った。心玥シンユエは青ざめた顔で体を震わせ、静かに涙を流していた。


 その姿を見て、宇軒ユシュエンは自らを叱咤する。


(違う。私はもう、無力な子供ではない。――私は道士だ。目の前にいるのは、もはや師ではない。陳老師の亡骸を弄ぶ、一体の殭屍キョンシー。これを祓うことこそが、弟子である私に残された、最後の務めだ)


 悲しみも、迷いも、全てを振り切るように。


 宇軒ユシュエンは桃剣を構え直し、その思いを声にした。


 かつて祖父にしてやれなかった後悔と、師への限りない敬意を込めて――


「今度は、間違えません。――老爷爷ラオイエヤ


 それは、彼が師を「第二の祖父」として慕っていた証であり、訣別の言葉だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ