第73話 道士
道士。その名を口にする時、人々は深い敬意と、底知れぬ畏れをその響きに込める。
彼らは生と死の狭間に立ち、陽の当たる理の世界と、陰に蠢く理の外の世界、その両方に通ずる者たちだ。街の喧騒から離れた場所にひっそりと佇む『義荘』。そこが彼らの住まいであり、仕事場でもある。線香の香りが絶えず、故郷へ帰る日を待つ棺が静かに並ぶその場所で、彼らは死者の魂を慰め、安らかなる眠りへと導く。風水に基づき吉地を選んで埋葬し、時には過去の過ちを正すため、凶地に眠る墓を掘り起こし改葬することさえ厭わない。
普段は風水を読み、天の理を説き、人の行く末を占う町の相談屋でもある。しかし、彼らの真価が問われるのは、夜の帳が下りた時。誤った埋葬、満たされぬ怨念が、硬直した屍を蘇らせ、人の生気を求めて彷徨わせる——すなわち『殭屍』が現れた時である。
彼らの手は、朱と墨で描かれし霊符一枚で、跳ねる屍の動きを封じ、清められし銭を束ねた剣は、あらゆる邪を断ち切る。桃の木を削り出した剣は闇を払い、磨き上げられた八卦鏡は妖光を跳ね返す。それは、気の流れを読み、宇宙の法則を体現するための、永い修行の果てに得た力。精神を研ぎ澄ます道教の教えと、骨を砕くほどのカンフーの鍛錬。その両輪なくして、道士を名乗ることは許されない。
人々が平穏な日常を謳歌できるのは、夜の闇の中で、人知れず繰り広げられる彼らの戦いがあるからに他ならない。道士とは、すなわち、この世の秩序を守る、最後の砦なのである。
その役割は、都市がきらびやかに発展し、夜の闇が遠のいた現代においても変わることはない。陰陽は表裏一体。人が生きる所に人の死がある限り、理の外より来る脅威もまた、決して滅びはしないのだ。
辟邪派——まさにその伝統を現代に受け継ぐ、由緒正しき道士一派である。そして、その頂点に立つのが、陳 清和その人であった。
*
闇に沈んだ香港の街路で、三人の道士は背中合わせに陣を組む。その周囲を、無数のキョンシーが硬直した足取りで、じりじりと取り囲んでいた。
静寂を破ったのは、陳老師の気合一閃だった。
「喝ッ!」
言霊が宿ったかのような鋭い声とともに陳老師の姿が消える。常人離れした踏み込みでキョンシーの群れに肉薄すると、まるで柳のようにしなやかでありながら、芯には鋼を宿した動きで、一体の腹部へと掌打を叩き込んだ。
鈍い破裂音と共に、キョンシーは背後の数体を巻き込みながら吹き飛ばされる。さらに左右から迫るキョンシーの鉤爪を、老師は手にした拂塵で軽々と受け流し、淀みない蹴りで次々と蹴り飛ばしていく。
「ワシに抱きついてよいのはお嬢ちゃんのみよ」
最初に吹き飛ばされたキョンシーが、起き上がろうと身じろぎする。だが、その動きはすぐに止まった。掌打を受けた腹部には、いつの間にか黄色い呪符が貼り付けられており、そこを起点に青白い浄化の炎が燃え上がったのだ。蹴りを受けた他のキョンシーも同様だった。老師の一挙手一投足は、ただの体術ではない。触れると同時に呪符を貼り付け、霊力を込めて遠隔で発火させる、まさに神業。呪符を貼られたキョンシーたちは、周囲の仲間を巻き込みながら、なすすべなく焼き払われていった。
その神業に、宇軒も負けてはいない。彼は師とは対照的に、舞うようにキョンシーの群れへと飛び込むと、手にした桃剣を次々と打ち付けていく。その剣は、悪鬼を祓う力を持つとされる桃の木の中でも、仙桃と呼ばれる伝説の木から削り出された至宝「天元仙桃剣」。
剣先が硬直した屍の額に触れる、ただそれだけで、キョンシーは聖なる光に包まれ、塵となって崩れ落ちていく。一切の無駄がなく、流麗でありながら、その一撃一撃は必殺の理を宿している。道士になってたった五年で次代を担う天才と言わしめた所以が、その剣さばきにはあった。歴史上、彼以上の桃剣の使い手はいないのではないか。そう思わせるほどの、完璧な剣技だった。
(すごい……)
心玥は、師と兄弟子が作る嵐の合間から漏れてくる数体のキョンシーと対峙しながら、二人の圧倒的な実力に驚愕していた。一体を銭剣でいなし、護符で滅する。今の自分でもできるようになった動き。だが、彼らのそれは次元が違う。
道士としての力を得て、気の流れを肌で感じられるようになった今だからこそ、二人の戦いがどれほど規格外のものであるかを、彼女は痛いほど理解できた。
絶え間なく湧き出るキョンシーを、三人の道士は的確に、そして冷静に討ち祓っていく。だが、その数は減る気配を見せない。終わりなき戦いの最中、陳老師が背後の二人に檄を飛ばした。
「宇軒! 小心と共に侯王古廟へと向かえ! あそこには龍脈とつながる結界があるはずじゃが、この状況となった今、機能していない可能性が高い。状況を確認し、場合によっては再起動するのじゃ」
その声に応じ、宇軒は迫りくるキョンシーの額を桃剣で軽やかに打ち据える。聖なる一撃で塵と化す様を見届け、汗一つ浮かべぬ涼やかな顔で師に問うた。
「わかりました! 老師は?」
「ワシは文武廟、黄大仙祠へと市民を避難させつつ、この騒動を起こした根を断つために動く。そなたらは侯王古廟で結界の確認の後、一人でも多くの民を救え。ワシも、夜が明ける頃には一度そちらへ戻ろう」
その言葉に、宇軒と心玥は力強く頷いた。師の圧倒的な実力を誰よりも知る二人に、心配という感情はない。ただ、己のなすべきことを成すのみ。二人は視線を交わすと、すぐさま新たな行動へと移っていった。




