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第69話 スピリテッド アウェイ⑥

 ジン・ビナハルが拘束され、長く続いた死闘は、ようやくその幕を閉じた。

 張り詰めていた緊張の糸が切れ、洞窟には疲労と沈黙、そして血の匂いだけが残される。誰もが荒い息を整え、目の前の信じがたい結末を、ただ呆然と見つめていた。


 やがて、洞窟の各所から複数の人影が中央へと向かってくる。

 最初に現れたのは、新海に先導された大島隊と篠原隊の面々だった。誰もが満身創痍で、その表情には激戦の疲労が色濃く浮かんでいる。彼らは、拘束したイザベルを荒々しく引きずりながら、そして――白い布で覆われた、動かぬ誰かを担ぎながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。


 キメラを倒した丈一郎と舞。

 その戦いに駆けつけ、今は放心したようにうなだれるジンを拘束するKIRCS(カークス)菅原隊。

 そして、別の強敵との死闘を乗り越えてきた、杉谷、新海、大島隊、篠原隊。

 死闘を乗り越えた面々が、第五層の底で、ついに一堂に会した。


 互いに視線を交わし、言葉はなくとも、それぞれの戦いがどれほど過酷なものであったかを察する。


「……そちらも、無事だったようですね」


 沈黙を破ったのは、杉谷だった。彼は担がれていた亡骸――吉野のそれに、痛ましげな視線を落としながら、静かに口を開く。


「敵は『金色の黄昏オーリエイト・グローム』を名乗る二人組。一人は新海くんが、もう一人は我々で捕らえました。ですが……吉野さんが、殉職しました」


 その重い報告に、丈一郎と舞は息を呑む。

 やがて丈一郎は、自らの戦いを簡潔に伝えた。


「こっちのボスは、この階層のモンスターが混じったキメラだった。そいつを操っていたのが、その男……ジン・ビナハル。『金色の黄昏オーリエイト・グローム』の幹部かなんかで、東アジアの『管理者ダンジョンマスター』だと名乗ってた」


管理者ダンジョンマスター……なるほど」


 杉谷が頷きつつ、丈一郎の隣に立つKIRCS(カークス)の面々へ視線を向けた。


「では、そちらの方々は?」


「そういや、まだちゃんと挨拶してなかったな」


丈一郎が促すように言うと、副隊長の壬生が一歩前へ出て応じる。


「我々は、京都を拠点とするKIRCS(カークス)という組織の者です。簡潔に言えば、“ゲート”――ダンジョン発生による被害を防ぐための守護組織です」


 壬生は淡々と、自分たちの組織の成り立ちを簡潔に説明した。

 そして今回、菅原隊として大阪ダンジョンの調査任務に潜っていたこと、この第五層に到達した際、戦いの気配を察知して丈一郎たちへ加勢に入った経緯を続けて語る。


 互いの状況報告が終わると、ふと丈一郎が杉谷たちの様子に違和感を覚え、視線を向けた。


「……その模様は?」


 問いかけに、杉谷は自らの体に浮かぶ禍々しい紋様へそっと指を触れた。


抹殺の刻印(スレイヤーズ・マーク)……。そこの彼女との決着がついていないため、まだ解けていないようですね」


 杉谷の言葉に、大島、篠原、中谷も、自らの体に刻まれた同じ呪印へと視線を落とす。それは、イザベルという脅威がまだ完全に去ったわけではないことを、嫌でも思い出させた。


「まぁ、このまま暫定政府に引き渡せば、いずれ解除方法も判明するでしょう」


 杉谷は努めて冷静に言うが、その声にはわずかな疲労が滲んでいた。


 そのやり取りを黙って見ていた丈一郎が、ふと、何かを決意したように動き出す。彼は、篠原隊に拘束され、憎々しげにこちらを睨みつけていたイザベルへと、まっすぐに歩み寄った。


「な、何よ…」


 突然近づいてきた丈一郎に、イザベルが警戒の声を上げる。丈一郎は何も答えず、その両肩をがっしりと掴んだ。


「は? なにいきなり触ってんのよ、キモ!」


 生意気な口調で罵るが、丈一郎は意に介さない。

 そして、その顔を、イザベルの華奢な首筋へと近づけていく。


「え…?」


 その予期せぬ行動に、イザベルの強気な表情が一転、動揺に変わる。

 そして、それを見ていた恵理と舞も、信じられないものを見る目で固まっていた。


 次の瞬間、丈一郎は、ためらうことなくイザベルの首筋に、その牙を立てた。


「――ッ!?」


 イザベルの体がビクッと硬直し、目が見開かれる。

 すぐに体を離した丈一郎は、口元を拭い、まるで何でもないことのように呟いた。


「ふう。これで、大丈夫だろ」


 その言葉と同時、杉谷たちの体に刻まれていた抹殺の刻印(スレイヤーズ・マーク)が、まるで陽光に溶けるかのように、すうっと力を失い、消えていった。

 丈一郎は、イザベルの職業である暗殺者アサシンそのものを「補職」し、彼女の力を無力化したのだ。


「な……刻印が、消えた…?」


 篠原が、自らの胸元を確認して絶句する。

 しかし、丈一郎の能力を知らない大島隊や篠原隊の他の面々は、何が起きたのか理解できず、ただ「突然、捕虜の少女に噛みついたやばい男」として、驚愕とドン引きの視線を丈一郎に向けていた。


「丈ちゃん…。いくらなんでも、いきなり説明もなしにそれはダメっすよ…」


 新海ですら、呆れたようにため息混じりに突っ込む。そんな中で、ただ一人冷静に状況を見極めていた杉谷が、静かに問いかけた。


「その能力……皆さんに見られてしまって、よかったのですか?」


「まぁ、今さら隠す意味もないだろ。こんな奴らが出てきた今、仲間内で牽制し合ってる場合でもないしな。それに、皆への説明は――杉谷さんならうまくできるでしょ」


 完全な丸投げだった。丈一郎は、悪びれる様子もなく、さらりと言い放つ。


「……しょうがないですね。戻りましたら、私の方から皆さんへお伝えしておきましょう」


 ため息をつきながらも、丈一郎の言葉にこもる信頼を感じ取った杉谷は、苦笑いを浮かべて応じる。


 そのやりとりを、拘束されたまま見ていたジンが、震える声で呟いた。


「……私の力も……そうして奪ったというのですカ……? まさか、そんなことが……」


 その声は、驚愕と、そして自らが理解を超える存在と対峙していたという、遅すぎた戦慄に満ちていた。


「そういや、ミッションのクリア報酬のアナウンス来てたっすね」


 新海がそう言いながら、かつてキメラがいた中央――六層へと続く階段のすぐ手前へと歩み寄る。

 その瞬間、突如として淡い光が放たれた。


 地面に、複雑で美しい幾何学模様が浮かび上がる。そして直後――新海の姿が、ふっと消えた。


「練!!」「おい、新海!?」「新海さん!?」


 仲間たちが心配の声を上げるが、その心配は杞憂に終わった。

 十数秒後、同じ魔法陣が再び輝き、新海が何でもない顔でひょっこりと姿を現したのだ。


「おぉ!? なるほど、コレは便利っすよ!」


 興奮気味の新海が説明を始める。

 彼によると、魔法陣に乗った瞬間、頭の中に“これまで通過した階層”と“ダンジョン入口”という選択肢が浮かび上がったらしい。そして脳内で“ダンジョン入口”を選択すると、一瞬でダンジョンの外、入口まで転移できた、とのことだった。


 それは、第五層ボス討伐のミッションクリア報酬として解放された、新たな機能――階層間転移の魔法陣だった。


「今後のダンジョン攻略が、かなり優位に進むな」


 大島が、その画期的な機能に感嘆の声を漏らす。

 こうして、一行は順番に地上へと戻ることになった。


「……ひとまず、これで地上に戻れますね」


 杉谷が、魔法陣の光に照らされながら言う。その言葉に、誰もが頷いた。

 仲間を一人失い、全員が心身ともに限界だった。今はただ、安全な場所で休息を取り、この戦いを整理する必要があった。


「よし、新宿の拠点に帰るぞ」


 篠原の言葉に、一同は撤収の準備を始める。


 まず、吉野の亡骸を運ぶ篠原隊。彼らは、捕虜としたイザベルも暫定政府のもとへ連行し、その処遇を判断することになっている。ついで大島隊、丈一郎たち。

 最後に、拘束したジンを京都の拠点へと連行するKIRCSのメンバーが、この場に残ることとなった。


 篠原隊、そして大島隊が、次々と転移の魔法陣へと足を踏み入れていく。

 光に包まれ、一人、また一人とその姿を消していく仲間たち。やがて、洞窟には丈一郎のパーティと、KIRCSのメンバーだけが残された。


 杉谷が、今後の連携について菅原と短い言葉を交わし終え、こちらへ戻ってくる。その表情には、まだ緊張の色が残っていた。


「さて、私達も戻りましょう」


 杉谷の言葉に、新海が大きく伸びをしながら応じる。


「ミッションのせいで、地上での戦いから働きっぱなしっすからねぇ。流石に少しは休みたいっす」


 その軽口に、張り詰めていた空気がわずかに和らぐ。

 舞、恵理、杉谷、新海、そして丈一郎。五人は、安堵と疲労が入り混じった複雑な表情で、転移の魔法陣へと足を踏み入れた。


(“ダンジョン入口”を選択…)


 丈一郎が脳内で転移先を思い浮かべると、足元の魔法陣が眩い光を放ち始める。

 景色が、ぐにゃりと歪む。視界が真っ白な光で満たされ、次の瞬間、体にかかる重力がふっと軽くなった。



 *  *  *



 恵理は恐る恐る魔法陣に乗ると、新海が言うように頭に浮かんだ選択肢から転移先を選ぶ。


 そして――。

 鼻孔をくすぐったのは、洞窟の湿った匂いではなく、建物の埃の匂いだった。目の前には新宿駅の構内、ダンジョンへと続く穴がある。


「すごい、ほんとに…入口まで一瞬で来ちゃった」


 恵理が、信じられないといった様子で驚きの声を上げる。


「実際に体験すると、とんでもないものですね」


 杉谷も、その画期的な機能に感嘆の息を漏らす。


「っすよねー。オレっちも最初、まじでビビったっす」


 新海が、得意げに胸を張る。

 仲間を失うという大きな犠牲はあったが、それでも、この戦いで得たものがあった。ダンジョンの外に出たという事実から、誰もが、束の間の安堵に包まれていた。


 その、穏やかな空気を切り裂いたのは、舞の、震えるようなか細い声だった。


「……丈くんが、いない」


 その一言に、三人がはっと振り返る。

 恵理も、杉谷も、新海も、舞も、そこにいる。

 だが、一緒に転移したはずの、桐畑丈一郎の姿だけが、どこにもなかった。

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