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第68話 スピリテッド アウェイ⑤

 舞の凛とした詠唱が、絶望に満ちた戦場に響き渡った。


「我らが身を縛る暗き印よ、いま太陽の環にて解かれよ――陽環解印サークル・リリース!」


 その言葉に応えるように、天から一筋の光が差し込み、丈一郎の全身を温かな陽光が包み込む。それは、ただの回復魔法の光ではない。魂の奥底まで染み渡るような、慈愛に満ちた、絶対的な聖性を帯びた輝きだった。


「無駄ですヨ」


 ジンは、その光景を鼻で笑う。


「職業の理に干渉する、管理者ダンジョンマスターの権能によって、魂に直接刻んだ枷ですヨ。そう簡単に解けるものでは――」


 だが、その自信に満ちた言葉は、驚愕によって途切れた。

 丈一郎の体を縛っていた鉛のような重さが、陽光に照らされた雪のように溶けていく。全身に再び力が、魔力が漲っていくのが分かった。


「馬鹿な…!? なぜ枷が解けていくのですカ…!? いち職業のスキルではない…? まさか、神の加護を受けているとでもいうのですカ…!?」


 初めて見せるジンの焦り。彼はその矛先を、力の源である舞へと向けた。


「小賢しいですネ!」


 ジンの掌から、圧縮された魔弾が放たれる。しかし、それが舞に届くことはなかった。

 動きの枷が外れた丈一郎が、瞬時にその間に移動し、その一撃を剣で弾き飛ばしていたのだ。


「チッ…ならば、この舞台ごと――」


 ジンが地を踏み鳴らし、ダンジョンを操作しようとする。だが、それよりも早く、菅原隊の面々が動いた。


「させん!」


 菅原と和歌が投擲した護符がジンの足元で爆ぜて術の発動を阻害し、橘兄弟が隆起しかけた岩盤を寸前で砕く。


「どうやらダンジョンを操る力には起点があるようや。我々の実力ではあの男は倒せへんが、こういう小細工の相手なら慣れてるんでな。フォローは俺達に任せろ」


 菅原の頼もしい声が、丈一郎の背中に届く。

 その言葉に応えるように、丈一郎は肩を回し、首を鳴らした。完全に体の自由が戻っていた。


「助かる」


 短く返し、丈一郎は再びジンへと向き直る。その瞳には、先ほどまでの苦悶の色はなく、ただ、目の前の敵を仕留めるという、絶対的な自信の光が宿っていた。


 丈一郎は地を蹴り、一直線にジンへと肉薄する。デバフから解放されたその動きは、先ほどまでとは比較にならないほどに速く、鋭い。振りかぶった両手剣が、空気を断裂させる轟音と共にジンの頭上へと振り下ろされた。


「――素晴らしい。だからどうというのですカ?」


 ジンは、その圧倒的な一撃を前にしても、なお笑みを崩さない。彼はひらりと身をかわすと同時に、腰から一本の湾曲した片刃の剣を引き抜いた。


 キィンッ!


 返す刀で放たれた丈一郎の追撃を、ジンは最小限の動きで受け流す。そこから、常人には目で追うことすら不可能な、超高速の剣戟が始まった。

 鋼と鋼がぶつかり合う甲高い音が、洞窟内に無数に響き渡る。飛び散る火花が、二人の影を幻のように照らし出した。


 丈一郎の剣は、一撃一撃が必殺の威力を持つ破壊の嵐。対するジンの剣は、その嵐の中を舞うかのように、全ての攻撃をいなし、受け流し、時にはカウンターの如く鋭い一閃を返す。


 さらに厄介なのは、彼の戦術が剣だけに留まらないことだった。

 剣戟の合間、ほんの僅かな隙間に、彼は躊躇なく魔法を撃ち込んでくる。剣で斬りかかると見せかけて足元に結界を展開し動きを阻害し、刃を弾いた直後には無詠唱の魔弾を放つ。剣術、結界術、そして魔法。三つの異なる理を、彼は呼吸をするかのようにごく自然に織り交ぜていた。


 息をつく暇もない。まさに圧倒的な戦闘。他のメンバーでは、この攻防に割って入ることすら不可能だろう。


 だが、ジンの顔から、次第に笑みが消えていく。代わりに浮かんだのは、獲物を吟味するような、冷徹な分析の色だった。


(速く、力も強い。だが…)


 何度目かの激しい衝突。二人は一度距離を取る。

 ジンは、自らの剣の切っ先を舐めながら、まるでパズルの最後のピースがはまったかのように、確信に満ちた声で言った。


「なるほど、よく分かりました。あなたは、強い。だが、決定的に欠けているものがありまス」


「……何?」


「あなたには――人を殺す覚悟がありませんネ」


 ジンの言葉は、事実だった。

 その一言で、丈一郎の剣筋が、ほんのわずかに鈍った。それは躊躇であり、迷い。これまでモンスターや、人の形をしていても人ではない存在は殺してきた。だが、明確な意志を持った「人間」を、この手で殺した経験はなかった。


 その甘さが、この土壇場で決定打を欠く要因となっている。


(どうする…このままじゃ、ジリ貧だ)


 頭に浮かぶのは、自らの職業とスキル。

 捕食者から補職者へと進化して以来、モンスターの死体を前にしても、以前のように「捕食しますか?」のアナウンスは浮かんでこなかった。東京レイドから続く怒涛の戦いの中で、その変化を意識して使う余裕もなかったし、ましてや検証する時間なんてなかった。


 だが、ふと思い出す。

 渋谷での、あの雷神を宿した鬼との戦い。

 あの時、自分は無意識に、鬼に宿る雷神のエネルギーを捕食し――いや、補いつかさどった。その結果、雷神のスキルを自らのものにした。


 もし、あの時と同じことが、この男にもできるのなら――。


(――やるしかない)


 一瞬の迷いを、覚悟で断ち切る。

 丈一郎はジンの猛攻を紙一重でかわしながら、反撃の機会ではなく、ただ一点、その懐に飛び込むための隙だけを狙い続けた。


 そして、その瞬間は訪れた。

 ジンの剣をいなし、体勢を崩したその背後へと回り込む。


背撃バックスタブ!」


「かかりましたね!」


 しかし――それはジンが張った罠だった。

 丈一郎が背後へ回り込む動きを完全に読んでいたジンは、そこにすでに結界と魔法を複合させた、高密度の魔力球を仕込んでいた。回避不能、触れた瞬間に即死級のダメージを与える必殺の間合い。


 だが――丈一郎は、それを理解した上で、迷わずその魔力球へと身を投じた。


「ぐっ……あ、ああああッ!」


 触れた瞬間、肉が焼け、骨が砕けるような激痛が全身を貫く。

 それでも――丈一郎は止まらなかった。


聖光治癒セイクリッド・ヒール!」


 舞が必ず癒してくれると、信じていたからだ。癒しの光が裂けた肉を繋ぎ、焼け焦げた皮膚を再生させる。

 丈一郎は息を吐く間もなく、勢いを殺さず、そのままジンの懐へと踏み込んだ。


 そして、無防備に晒されたジンの喉元へ――丈一郎は、剣ではなくその牙を突き立てた。


「がぁあああああああああっ!」


 これまでどんな攻撃にも余裕を崩さなかったジンが、獣のような絶叫を上げる。洞窟に響き渡るその悲鳴は、ただの物理的な痛みではなかった。


 丈一郎は肉を喰らうのでも、血を啜るのでもない。

 ――魂の根源、力の源流へと直接喰らいつき、それを自らのものとしていく。


 ジンの権能、その源流。

 ダンジョンマスターとしての力、複数の職業を操る異能、その根本に噛みつき、“補職”する。


 丈一郎はすぐにジンから離れ即座にステータスを確認すると、叫んだ。


「舞! あいつの治療を頼む。あのままだと死ぬかもしれない」


「えっ…!?」


「いいから早く!」


 戸惑いながらも、舞は丈一郎の言葉を信じ、ジンに回復魔法をかける。地が溢れ出すジンの首筋の傷が、みるみるうちに塞がっていく。


 丈一郎はその様子を確認すると、完全にジンに背を向けた。


「なにを……甘い、甘すぎるッ!! それがあなたの命取りになるというのですよ!」


 激昂したジンが、最大級の魔法を丈一郎の無防備な背中に叩き込もうとする。しかし――何も起きない。


「は?」


 ジンの手から、魔力を生み出す光が消えていた。何度試しても、スキルが発動する気配すらない。


 次の瞬間、丈一郎が軽く指を鳴らす。

 すると、菅原隊に襲いかかっていた数百のモンスターたちが、一斉にピタリと動きを止め、まるで潮が引くかのように、姿を消していく。


「ばかな……モンスターが、私の制御を離れて…そんなことが…」


 驚愕に目を見開くジンを横目で見やると、丈一郎は後方の菅原隊へと声をかけた。


「おっさんたち、あいつに因縁あるんだろ? 捕まえて、色々聞き出したほうがいんじゃないか?」


 そのあまりに規格外な決着に、菅原隊の面々も戸惑いながら、すぐさま行動に移る。壬生と橘兄弟が特殊な呪符を投げつけ、菅原の式神がジンの全身を戒めるように拘束した。


 こうして、金色の黄昏オーリエイト・グローム、九座がひとり、ジン・ビナハルとの長きに渡る死闘は、誰もが予想しえなかった形で、その幕を閉じた。

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