第60話 ゴッドフォール①
【お詫び】
第57話 キル・ゼム:暗躍する存在②について、誤って58話の内容を掲載しておりました。
2025年6月30日、正しい内容に修正いたしました。大変失礼いたしました。
杉谷たちが援護へと向かったその頃。
二階堂の前には、新海、南雲、真壁の三人が加わり、戦況は一気に1対4へと変わった。数の上では圧倒的な有利――だが、敵である巨漢の男、ファンが纏う空気は、微塵も揺らがなかった。
あたかも、目の前に立ちはだかる三人など存在しないかのように。あるいは、道端の石ころ程度の認識すら持たれていないかのように。
ファンは無言のまま、ゆっくりと懐に手を差し入れた。その静かな仕草が、むしろ新海たちの神経を限界まで張り詰めさせる。
「……!」
やがてファンが取り出したのは、黒檀のように艶やかで漆黒の木から彫り出された、古びた三つの彫像だった。それぞれ「弓を持つ狩人」「ワニ」「鳥」を象っており、どれも異質な呪術的気配を纏っている。
彼は一言も発せず、狩人とワニの彫像を自らの足元にそっと置いた。そして目を閉じ、深く息を吸う。
静かに目を開いたファンは、短く、しかしはっきりとした声で呟いた。
「Mangangaso... Gumising.(狩人よ……目覚めよ)」
その言葉とともに、彫像から奔流のような光があふれ出し、次第に実体を形作っていく。やがてそこには、黒曜石の穂先を備えた槍を携え、弓を背負った痩身の精霊が立っていた。
ファンは間を置かず、次の彫像に向けて声を投げかける。
「Buwaya... Halika.(ワニよ……来たれ)」
ゴポリ、と彫像の周囲が泥濘のように崩れ、次の瞬間には地面を突き破るように、巨大なワニの精霊が姿を現した。
全長五メートルを超えるその身は、鋼鉄さえも噛み砕かんばかりの顎と、異様なまでの生命力を誇っていた。
最後に、ファンは手元に残る鳥の彫像を高々と掲げる。
「Manaul... Bumaba.(マナウルよ……舞い降りよ)」
彫像は光を放ちながら宙に浮き上がり、輝きの中から翼が広がる。
光が静まったとき、そこには鉤爪と鋭い嘴を持つ巨大な猛禽の精霊が、瓦礫を吹き飛ばすほどの風圧と共に舞い降りていた。
「おいおい……なんだってんだ、これは……」
南雲が、目の前に広がる超常の光景に思わず絶句する。
三体の精霊を従えたファンは、静かに天を仰ぎ、自らの胸に拳を打ちつける。
そして、これまでで最も力を込め、まるで神へと命じるように叫んだ。
「DIWATA... SA AKIN!(最高神よ……我が身に!)」
その叫びを境に、ファンの肉体が悲鳴を上げた。
ゴキッ、バキッと骨が軋み、筋肉が内部から破壊されるように異常膨張していく。
バロン・タガログは裂け、全身に刻まれたタトゥーが赤く浮かび上がる。裂けた皮膚からは血の蒸気が吹き出し、彼の巨躯を紅く染めていった。
それは強化ではなかった。神を降ろす“器”とするために、肉体が強制的に作り替えられていく――おぞましい変貌だった。
目は真っ赤に充血し、黒髪は魔力の奔流によって天を突くように逆立つ。
そして、変貌を終えたファンは、ただ無言のまま、背中に差していた長大な片刃剣、カンピランを引き抜いた。
ファンの職業は霊媒師。
だが、その能力の本質は、彼の出自に深く根ざしていた。
フィリピンの山岳部に暮らす、今なお精霊信仰を受け継ぐ少数民族の出身であるファンは、自らの血脈に伝わる神霊や祖霊を、木彫りの神具やその身そのものに降ろすことができる。
ただし、高位の存在を召喚するには常に代償が伴う。たとえ高レベルの探索者であっても、神霊の憑依状態を長く維持すれば、命に関わる。
それでもファンは、目の前の敵を見極めたうえで、全力を賭ける価値があると判断し、迷わず最高神をその身に降ろした。
神を宿したファンと、彼に従う三体の異形の精霊が放つ威圧感。それは、洞窟の空気すら鉛のように重たく変えていた。一体一体が相当な力を秘めていることを、肌がひりつくように感じ取る。
「冗談じゃねぇぞ…!」
南雲が、目の前の光景に思わず悪態をつく。その横で、真壁は冷静に戦況を分析していた。
「…落ち着け。敵の能力は未知数だが、やることは一つだ。各個撃破以外に道はない」
真壁の静かな声が、張り詰めた空気の中でわずかな理性を呼び戻す。その言葉を引き継ぐように、新海が叫んだ。
「瑞希。オマエは周りのフォローへまわれ。……こいつは俺がやる」
新海は魔導銃をファンに向け、負傷から回復したばかりの二階堂を庇うように前に出る。その背中に、二階堂が苦しげな声をかけた。
「……あいつは私が…!」
「バカ野郎! 回復を受けたとはいえ、さっきまで死にかけてたやつが何いってんだ」
憎まれ口を叩きながらも、新海の瞳には仲間を守るという強い決意が宿っていた。
「新海さん!」
南雲が雄叫びを上げる。
「俺と真壁さんであの人形共をやる! 二階堂さん、怪我から復帰すぐで申し訳ないんですが、1体受け持ってもらっていいですか」
彼はそう言い放つと、戦士のスキルを発動させた。
「猛進!」
全身からオーラを噴き上げ、一直線にワニの精霊へと突撃する。その猪突猛進な姿は、まさに特戦群の突撃部隊である彼にふさわしいものだった。
「…了解した」
真壁が冷静に返す。
「南雲、派手に暴れてそいつの注意を引け。鳥は俺が撃ち落とす」
彼は愛用の狙撃銃を構え、空を舞う猛禽の精霊に照準を合わせる。
一方、二階堂も折れたトンファーを捨て、拳を構えて立ち上がる。彼女の正面には、音もなく距離を詰めてくる狩人の精霊がいた。
四人の覚悟が決まる。それを合図としたかのように、ファンと三体の精霊が同時に動き出した。
新海が地を蹴り、ゆっくりとこちらに向かっていたファンへと向かう。
ワニの精霊が巨大な顎を開き、突進してくる南雲を迎え撃つ。
猛禽の精霊が空から急降下し、真壁に襲いかかる。
そして狩人の精霊が、二階堂へと無慈悲な槍を突き出した。
4つの戦場で、絶望的な死闘の火蓋が、今まさに切って落とされた。
鬼神と化したファンが迫ってくる。新海は即座に反応し、その巨躯に向けてSMG形態の魔導銃の引き金を絞る。
ダダダダダッ!
銃口から吐き出された無数の弾が、ファンへと着弾する。しかし、その身にまとう神々しいオーラと、異常膨張した筋肉によって、銃弾の威力は容易く減衰させされていた。カン、カン、と軽い音を立てて弾かれる様は、まるで分厚い鉄板に豆鉄砲を撃ち込んでいるかのようだ。
「チッ、生身に銃弾が通らないとかありかよ…!」
ファンは銃弾を意にも介さず、まるで顔の周りを飛ぶ虫を払うかのように無造作に腕を振るいながら、その巨体に似合わぬ速度で突進してくる。
距離が、一気に詰まる。
ファンは、背中に携えていた長大な片刃剣――カンピランを、無言のまま振り上げた。空気が裂けるような轟音と共に、その一撃が新海の頭上めがけて振り下ろされる。
その質量、速度、殺意――どれを取っても、並の武器では受け止めきれないと、新海は瞬時に悟った。反射的に、腰のアーミーナイフではなく、手にしていたSMGを盾のように構えた、その瞬間。
新海の魔導銃が、輝きとともに変形を始めた。銃身は流体金属のように伸び、ハンドガードが鍔の形を成し、グリップが剣の柄へと再構築されていく。
刃が届く、まさにその寸前。
キィィィンッ――!
甲高い金属音と共に、変形を終えた一振りの剣が、ファンの剛剣を真正面から受け止めていた。銃口を備えた異形の剣――剣銃が、火花を散らしながらカンピランの切っ先を押しとどめる。
剣銃――英国海軍のネルソン提督が愛用したとされる、銃付きの剣。銃剣のように銃の先端に刃が付くのではなく、剣の柄に銃が内蔵された、逆転の発想ともいえる構造を持つ。
魔導銃は、銃身を持つものであれば、あらゆる形態への変形が可能な武器だ。
その特性を活かして生み出された剣銃は、新海が強敵との近接戦闘を想定して編み出した、魔導銃の新たな形態だった。
もともと新海は、警察官として――いや、自身が憧れる杉谷の隣に立つために、可能性を一つひとつ潰していくように、あらゆる格闘術や剣術を学んできた。
だからこそ、ただの射撃武器では足りなかった。近接と遠距離を自在に切り替えられる、“対応力”こそが必要だったのだ。
もっとも、一般的に剣銃は実用性に乏しいとされている。剣として振るえば銃身に歪みが生じ、射撃精度が著しく低下するという致命的な欠点がある。さらに、剣を振りながら弾を装填することは不可能で、実用上は弾数に大きな制限があった。
しかし、新海の魔導銃は“自在変形”の特性を備えている。たとえ銃身に歪みが生じても、瞬時に再調整・再構築が可能であり、弾丸も魔力から即座に弾倉内へと生成できるため、本来の問題をすべて克服していた。
さらに、東京レイドでの大幅なレベルアップは、単なるステータスの向上にとどまらず、魔導銃の変形速度を飛躍的に高めていた。そして今、この土壇場において、その進化が“実戦でも隙が生まれない速度まで高まった”ことを見事に証明してみせた。
「ふぅ。なんとか形になったっす。……って、なめてる余裕はなさそうだな」
新海はファンの膂力に押し込まれながらも、不敵な笑みを浮かべた。そして、剣銃を構え直し、鬼神の如き敵と再び対峙する。
* * *
新海が鬼神と化したファンと対峙しているのを横目に、二階堂、南雲、真壁の三人は、ファンが召喚した三体の精霊と死闘を繰り広げていた。
「くそっ、こいつら、まるでダメージが通らねぇ!」
ワニの精霊と数合打ち合った南雲が、苛立ち混じりにぼやく。戦士のスキルを乗せた渾身の一撃を叩き込んでも、分厚い鱗に阻まれるだけでなく、そもそも攻撃が効いているという手応えそのものが皆無だった。
「いくらなんでも、ダメージは入っていると思うけど……なんの手応えも感じませんね」
拳を構え、狩人の精霊が放つ槍を紙一重でかわしながら二階堂が答える。人型の姿をしているため、急所である顎やボディにカウンターで何度も拳を叩き込んではいた。しかし、相手は表情一つ変えず、動きが鈍る気配もない。まるで、中身のない砂袋を殴り続けているような虚しさが募る。
「腱や関節といったポイントを複数回撃ち抜いたが、相変わらず飛んでいるな。……やはり肉体はダミーか」
上空の鳥の精霊に狙撃銃を向けていた真壁も、冷静な分析を口にする。生物ならば致命傷、あるいは飛行不能になるはずの部位を正確に撃ち抜いても、何ら影響が出ていなかった。
その言葉に、南雲がはっとしたように声を上げる。
「そういや、あいつが最初に出してたのは、木の人形みてえなやつだったぜ!」
「つまり、核となっている人形を見つけて潰すのが最適解ということですね」
二階堂が、真壁の分析と南雲の気づきを繋ぎ合わせ、結論を導き出す。その言葉に、三人は無言で頷き合った。
攻略の糸口が見えた今、彼らの瞳には再び闘志の光が宿っていた。




