第49話 東京レイド⑧
ロープを伝い、突入部隊が代々木公園の大穴の底を目指したその先、眼下にはあまりにも異様な光景が広がっていた。
穴の底は、すでに数百万とも思えるゾンビの群れで完全に埋め尽くされていた。ゾンビの上にゾンビが折り重なり、どれがまだ生きているのかすら判別不能なほどだ。腐臭と呻き声、無数の腕が蠢くその光景は、まさに地獄そのものだった。
「ちっ、お出迎えが手厚いじゃねえか! 岸本!」
「任せてください! ストーンウォール!」
大島の声に合わせて岸本が詠唱すると、地下空間の壁面が大きく隆起し巨大な石壁となってゾンビの群れの真上から降り注いだ。重厚な石が次々と崩れ落ち、無数のゾンビを押し潰しながら、積み重なった死体の山の上に安定した足場を作り上げ、ゾンビたちが迫る前にと隊員たちはロープを伝って素早く降りていく。
第一陣として先陣を切った大島が、着地と同時に腰の日本刀を抜き放ち、石壁の周りから迫ってきたゾンビの首を刎ね飛ばす。隣では篠原が、元SATとしての経験を遺憾なく発揮し、冷静沈着にハンドガンでゾンビの眉間を正確に撃ち抜きながら、もう一方の手にコンバットナイフを構え、接近戦に備えていた。
「中谷! ここはお前の独壇場だ! 派手にやれ!」
大島の檄に、中谷が「――はい!」と力強く応じながら、鞘から漆黒の長剣を抜き放つ。チタン合金を鍛え上げたその剣は、鍛冶師スキルを持つ町工場出身の探索者が、命懸けの戦いに備えて用意したものの一つだった。
爆発で生まれた瓦礫の影、照明弾が落とす濃淡、そしてこの地下空間特有の薄暗がり。それらはすべて、暗黒騎士たる中谷にとって、力の源泉そのものだった。
彼が剣を構え、深く息を吸い込むと、周囲の影が呼応するように濃さを増し、蠢き始める。
「――影宴ッ!」
中谷が剣を地面に突き立てると同時、彼の足元から、そして広間に存在するありとあらゆる影から、無数の黒い腕がまるで亡者のように突き出してきた。影の腕は瞬く間に広がり、影の上に立っていたゾンビたちを捕らえ、引きずり込み、飲み込んでいく。抵抗する間もなく、ゾンビたちは影の中に沈み、断末魔の叫びすら上げることなく消滅していく。レベルアップによるステータス向上と、大穴の底という光の乏しい環境は、影の領域を際限なく広げ、その効果を増幅させていた。一撃で、文字通り数百体はあろうかというゾンビが、影の饗宴の贄となったのだ。彼の成長と、この環境下での圧倒的な殲滅力を示すには十分すぎる光景だった。
それでもまだ残るゾンビに対し、中谷は漆黒の剣を振るい、的確に急所を貫いていく。時折、影潜りで敵の背後に回り込み、一閃のもとに切り捨てる。
「第二陣、続け!」
大島の号令と共に、後続の南雲と二階堂が左右に展開。
戦士の南雲は、その巨漢に似合わぬ俊敏さでゾンビの群れに突進し、特注の大型シールドで殴りつけ、そのタフネスで多少の攻撃はものともせずにゾンビを蹂躙していく。
二階堂は、武術兵の特徴である機動戦闘スタイルを遺憾なく発揮し、両手の強化トンファーでゾンビの頭部を次々と粉砕。負けん気の強さを前面に出した猛進ぶりは、時に危険な体勢を招くものの、持ち前の反射神経と戦場勘で寸前のところを巧みに回避してみせた。
魔法使いの岸本はゾンビに効果が高い火属性の魔法を次々と放ち、その数を大きく減らしていく。
「真壁! 後方の大型を頼む!」
「――了解」
後方、岸壁を背に陣取った真壁は、スコープ越しに戦場全体を俯瞰していた。彼の役割は、特に危険度の高い大型や、死角になるような個体の優先排除だ。硝煙と蒸気で視界が遮られる中、狙撃手の彼は冷静にターゲットを絞り込み、対物ライフルの轟音と共に、ゾンビの頭部を正確に撃ち抜いていく。
「吉野、平野、今泉! サポート頼むぞ!」
篠原が後方の支援組に声をかける。
「うん、みんなは攻撃に集中して! 支援組は僕が守る!」
吉野は巨大なタワーシールドを構え、盾となる。ゾンビの強力な打撃や、時折起こる小規模な崩落から仲間たちを完璧に守り抜き、その巨体とガーディアンスキルは、この乱戦におけるまさに生命線となっていた。
平野は後方から、彼が調合した特殊な薬品を詰めた擲弾をゾンビの密集地帯へと正確に投擲する。強烈な閃光と共に炸裂する閃光弾、ゾンビの動きを一時的に麻痺させる神経ガス、あるいは同士討ちを誘発させる特殊なフェロモン剤など、トリッキーな戦術で敵を撹乱し、味方の戦闘を有利に進めた。
そして今泉は、この視界の悪い混沌とした戦場でこそ、その真価を発揮していた。
「篠原さん、右前方、瓦礫の影から三体来ます! 南雲さん、左後方から高速接近する個体あり、おそらく大型です!」
索敵と気配察知スキルを最大限に活用し、伏兵や危険な敵の位置をリアルタイムで仲間に警告。彼女の的確な情報は、何度も奇襲を防ぎ、味方の危機を救った。
各々が己の役割を全うし、極限状況下でも仲間を信じ、背中を預け合う。時折、ゾンビの思わぬ反撃や、大型ゾンビの突進によって危機的な状況に陥ることもあったが、その度に誰かが誰かを庇い、助け、連携によって困難を切り開いていく。硝煙と腐臭が入り混じる奈落の底で、彼らの死闘は続いていた。
日はすでに傾き始めている。この戦いが夜まで続くことを予感させながら――。
* * *
ダンジョンの通路の奥、桐畑丈一郎の視界は、なおも蠢くゾンビたちで埋め尽くされていた。右も左も、上も下も、肉と牙の濁流。その勢いは一向に衰えないが、丈一郎は的確に捌いていく。
すでに丈一郎が大穴に落ちてから1時間が過ぎようとしていた。ゾンビ撃破のログも、レベルアップの通知も、戦闘の邪魔になるためとっくにカットしている。かなり上がっているであろうレベルを確認する余裕などあるはずもなく、仮に見たとしてもこの状況でステータスを振るなど不可能だった。
(そろそろ巨神鉄槌のクールタイムが終わるな)
そんな事を考えていた時だった。耳ではなく、“脳”に直接届くような、女の声が響いた。
《……った……我……属……みつけたぞ……》
「は?」
反射的に口をついて出た声。その瞬間、丈一郎はゾンビの頭を踏みつけて跳躍し、後方へと下がる。
《ふふ……妾の因子に耐えうるものが出るのは想定していたが……まさか、こんなにも早く進化条件へと辿り着くとはのう》
声は艶やかで、どこか甘い響きだった。それでいて、異質な力を孕んでいることが直感でわかった。初めて聞く“音声”。今までは脳内に表示されるウィンドウだけだったのに――。
《お主には、強くなってもらわねば困る。ふむ、面白い状況じゃな。どれ、妨害が入る前に少し手を貸してやろう》
次の瞬間、丈一郎の周囲にいたゾンビたちが、全て動きを止めた。
まるで時間が凍ったような静寂。そして、刹那。
――ゾンビたちが、爆ぜた。
無音のまま、爆発音すらなく、その肉体は光の粒となって四散する。数十体――否、数万を超えるゾンビの粒子が、煙のように昇り、ひとつの方向へと吸い寄せられていく。
《……困難を超えてこそ、魂は磨かれる。試練を…えて……者の力を………トを…め……じゃ》
ノイズ混じりに消えていく声と共に、光の奔流は地下通路の奥へと消えていった。
「……なんか、面倒なことが起きてるってことだけは、わかるぞ」
丈一郎はため息混じりにそうぼやくと、光が消えた先を目指して、再び地を蹴った。




