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第40話 デッドモール⑤

 警備室に、光が戻っていた。

 非常灯に加え、天井の薄い蛍光灯が点灯し、雑多に置かれた椅子や物資、そして8人の影を静かに照らしている。


「……無事か?」


「こっちも。階段、全部封鎖できました」


 真田が短く答え、梓がうなずく。夏芽が美緒の背中を軽く叩き、「よくがんばったね」と微笑む。

 伊藤と石倉は背負っていた袋を下ろし、机の上に広げる。


「これが今日の“戦利品”ってやつだ」


 並べられたのは、缶詰、レトルトパウチ、インスタント麺、ペットボトルの水。

 そして、スポーツ用品店で手に入れた金属バット2本と、ゴルフクラブ2本。


「火を炊くなら4階外の屋上がいいだろう。匂いで奴らが寄ってくる可能性もある」


 石倉の言葉に、木戸がうなずいた。


「飲料用と調理用、水は分けて管理しよう。医薬品も確保でき次第、分類する」


 4階、警備室の向かいにある休憩室。

 木戸の提案で、4人ずつに分かれ交代で食事を取ることになり、最初に夏芽・美緒・中谷・伊藤の4人が食事の席につくことになった。


「……じゃ、いただきます」


 夏芽が声をかけると、他の3人も静かに頷いた。

 缶詰のミートボール、レトルトの白飯。インスタント味噌汁に、冷たい麦茶。

 質素だが、1日ぶりに“何かを食べられる”という事実が、今は何よりの救いだった。


「……うまっ」


 中谷が、ぽそっと漏らす。


「……ねぇ、なんか、ちょっとだけ、学校の合宿みたいだよね」


 不意に美緒がぽつりと言った。


「なんだよ、それ」


 伊藤が笑うと、「非日常って意味じゃ、まあ似てるかもね」と中谷が続ける。

 誰も笑わなかったが、空気がすこしだけ和らいだ。


 わずかな間の、平穏な時間。4人とも噛みしめるように、静かに箸を進めていた。

 その夜、休憩室はわずかな笑い声と、慎ましい食事に包まれていた。



「……じゃあ、そろそろ交代で寝ようか」


 宮下 梓が声をかけた。


「見張りは3時間交代。2人1組。高校生二人は除外ね。異論ある人、いる?」


「ねーよ。誰かが見張らなきゃ、全滅するからな」


 伊藤が淡々と答えた。


「班の割り振りは、俺がする」


 木戸が椅子から立ち上がる。モニターを見つめる木戸の目は、やや赤く、疲れていたが――まだ、理性の光を宿していた。


「第1班:伊藤と中谷。第2班:俺と石倉。第3班:宮下と真田。残りは休息。3時間ごとに交代で行く。いいな?」


「了解っす……大丈夫か、俺……?」


 中谷が少し顔をしかめる。


「お前は昨日、一人で搬入口を塞いだ上に、今朝あの状況で迷いなく三人を助けた。自信を持っていい」


 石倉の言葉に、少しだけ中谷の肩が上がった。

 それぞれが自分の寝る場所――女性陣は宿直室の布団へ、男性陣は休憩室の壁際に持ち寄ったクッションや毛布の上に身を沈めていく。

 パンデミックが始まってから、初めての「眠る」準備だった。夏芽は隣に横たわった美緒に向き直ると声をかける。


「美緒ちゃん、おやすみ」


「うん……夏芽ちゃんも、おやすみ」


「……うん」




 *  *  *




 パンデミックから3日目。ついに非常電源も落ちた。


「……ねえ、屋上を使えないかな」


 梓の提案に、警備室の空気がわずかに動いた。


「近くに自衛隊の基地がある。今は動きがないけど、もしヘリが出るなら」


「……なるほど。外からの視認性がある」


 木戸が図面を確認しながら呟いた。


「電波は無理でも、外への“サイン”にはなる。物資で『HELP』の文字を作って、発煙筒を使えば――誰かが上空を通った時に見えるかもしれない」


「つまり、救助信号ですね」


 中谷が確認すると、梓は頷いた。


「発煙筒はここに数本はある。しかし1日だけやっても意味ない。ある程度の数を確保する必要がある。確か一階の倉庫にあったはずだ」


 木戸がモニターで状況を警戒しながら補足する。


「中谷、準備を整えて、倉庫に――」


「そういうの、なんで“俺たち”がやらなきゃいけないんですかね」


 遮るように、真田が言った。誰もが視線を向けた。真田の声は冷たく、鋭かった。


「……木戸さん。あんた、ずっとここにいるよな」


 木戸はモニターを見たまま、答えなかった。


「昨日もそうだった。指示だけ出して、自分は安全圏にいて。じゃあ俺たちはなんなんだ?あんたの駒か?」


「真田さん、それは……!」


 梓が言いかけるが、言葉を失う。しばらくの静寂のあと、立ち上がったのは伊藤だった。


「俺が行く」


 その言葉に、全員の視線が集中する。


「HELPって文字を作るのはそこの事務所の机でいいだろう。皆でやっといてくれるか?俺は倉庫まで行って、赤いビニールテープと発煙筒の予備を取ってくる」


「……でも、伊藤さん――」


「いつもの見回りの際、倉庫の点検もしているから物の場所も把握してる。何より、こういうのは“やる気のある奴”がやった方がマシだ」


 少し笑ってみせる。刺股を手に、伊藤は警備室を出ていった。

 こうしてこの日から、1日2回、発煙筒を焚いていくことになった。




 *  *  *




 5日目、午前。


「……水しか、残ってないね」


 夏芽が空になった袋を見下ろして言った。警備室にあるのは、飲料水が2本と、湿気たビスケットが半端に数枚。


「昨晩、残りを全部分けて食べたから……」


 美緒が静かに呟く。空腹のためか、誰も喋らない。だが、黙っていても状況は変わらない。


「……誰かが、もう一度、行くしかないわね」


 梓の一言に、全員が視線を伏せたままだった。沈黙を切り裂いたのは、真田だった。


「今度は、木戸さんが行くべきでしょ」


 その声は、淡々としていたが、棘があった。


「……何?」


「もう5日目ですよ。いくら食料を確保しても、ここに籠もったままじゃ、何れ死んでいくだけだって誰だってわかる。でも、だからこそ言わせてもらいます。ずっと安全な部屋にいる木戸さんが行くべきだ」


「俺は、警備室で全体の状況を――」


「知ってますよ。管理してるんですよね? でも、電気もなければ通信もできない今、必要なのは“管理”じゃなくて、“行動”です。誰が危険を負ってるか、わかってますよね?」


 室内が静まり返る。誰もが、言葉を挟めずにいた。やがて、木戸が静かに立ち上がる。


「……わかった。俺が行く」


 全員が息を飲んだ。


「1人じゃ厳しい。2人1組。……石倉さん、付き合ってくれますか」


 石倉は短く「おう」とだけ言って、立ち上がった。金属バットを手に、表情は変えない。


「行き先は前回と同じ。1階食品売り場。中谷、非常階段で安全確保を頼めるか。伊藤、館内放送は使えないから、3階の吹き抜けから物を落として奴らを引きつけてくれ」


「はい、頑張ります」

「わかりました」


 木戸も刺股を手にする。2人は無言で階段を降りていった。



 *  *  *



 非常電源が落ち監視カメラも使えない今、階下の様子はまったく見えなくなっていた。時間だけが静かに過ぎていく中、警備室には重い不安の空気が漂いはじめていた。

 そんなときだった。扉が開き、木戸と中谷に肩を支えられた石倉が戻ってきた。出発した時に背負っていたリュックは手元にない。なにより、石倉の肩口からは、じわじわと血が滲み出していた。

 破れたシャツの隙間から覗く皮膚には、誰の目にもわかるほどの――噛み跡。誰が見ても食料調達に失敗していた。


「……嘘、でしょ……」


 梓が、凍りついたような声でつぶやいた。


「どうなってるの、その傷……?」


「噛まれた。たぶん浅い。でも……確信はない」


 石倉はそう言って、淡々と座り込んだ。全員の視線が、一斉に木戸に向けられる。


「感染の可能性があるのか?」


「……わからない」


 木戸は低く答えた。


「ゾンビに噛まれて感染するかどうか、確かな情報はここにない。ただ、症状が出た者は…植田も含めて、ほとんど例外なく噛まれていただろうな」


「……じゃあ、殺すの?」


 静かに、だが明確に、そう言ったのは真田だった。その声音には、あからさまな感情の揺らぎがあった。


「ちょっと、真田さん!」


 梓が声を上げるが、真田は視線を逸らさない。


「“もし”感染してたら、どうする? 今ここで何もせず、夜中に化けたら全員終わりだ。石倉さんもあんな化け物になるのは嫌でしょ」


「まだ何も起きてないのに、殺せるの? そんなの――!」


 夏芽の叫びにも、真田は応じなかった。


「本音を言えば、みんな、殺すべきだって思ってるんでしょ? でも言えないだけだ。優しい顔して、心の中ではビビってるだけだ」


 その言葉に、場の空気が一瞬で変わる。


「違う! 誰もそんなこと――」


 梓が言いかけたその時だった。

 真田は静かに、立ち上がる。そして、背中から――隠し持っていた包丁を取り出した。


「だったら俺がやる」


 刃の光が、非常灯に反射して鈍く光った。


「誰かがやらなきゃならないんだろ? だったら、俺がやる。俺だけは、“きれいな人間”じゃなくてもいい」


「真田!! 落ち着け!!!」


 木戸が立ち上がるが、間に合わない。真田はゆっくりと、石倉へと歩みを進めた。


「やめて……やめて!! 真田さん!!」


 美緒の叫びも、夏芽の声も、届かない。その眼には、もう“仲間”の色はなかった。


「やめろ、真田!!」


 木戸が叫んで飛びかかる、その刹那。


 ズブリ。


 鈍く、湿った音が、警備室に響いた。


「……ぐぅ……ッ!」


 悲鳴をあげて倒れたのは木戸だった。

 真田の包丁は、石倉を狙った瞬間、飛び込んできた木戸の脇腹に深々と突き刺さった。


「木戸さんッ!!」


 中谷が悲鳴を上げ、夏芽が息を呑む。


「そんな…」


 美緒が言葉を失う。


 真田は一瞬、何が起きたのか分からなかったように目を見開いたが、すぐに顔を歪めた。


「よけいな邪魔、すんなよ……」


 血の滴る刃を握りしめたまま、真田は今度こそ石倉へと歩み寄る。


 石倉は座ったまま、その姿を見つめていた。


「……来い。どうせ俺は詰んでんだ。やるなら、やれ」


「やめて!! やめてよ!!」


 夏芽が叫ぶ。中谷が止めようと立ちふさがろうとしたその瞬間――


 ガンッ!!


 金属音。

 3階から戻ってきた伊藤の刺股が、真田の腕を横から弾き飛ばした。


「遅れて悪かったな。状況は不味そうだ」


 真田がよろけ、包丁を取り落とす。だが、転がった刃に目をやった彼の表情は、まるで壊れたように笑っていた。


「……いいんだよ。俺が悪者になれば、みんな楽になる。違うか? なぁ石倉さん……!」


 その言葉には、正気と狂気が入り混じっていた。


「こいつはもう、“人間”じゃねえんだぞ……!」


 石倉は答えなかった。代わりに、肩を押さえながら、静かに口を開く。


「お前……もう、料理はできねぇなぁ。よく…がんばってたのにな、残念だ」


 真田の笑いが止まった。その一言は、かつての関係を知る者にだけ刺さる、痛みのない刃だった。

 緊張が崩れた瞬間、伊藤と中谷が一斉に駆け寄り、包丁を蹴り飛ばす。


「……真田くん、お願いだから……」


 梓の声に、真田はもう、何も言わなかった。その目は、虚空を見つめていた。

 その時、警備室の扉が、乱暴に開かれた。


「伊藤、刺股を貸せ! 中谷! みんなを連れて逃げろ! ここは俺が見ておく」


 木戸が脇腹を押さえながら叫ぶ。伊藤はその鬼気迫る表情から、すべて察してバットを握り、扉の横で構える。

 中谷は涙を浮かべながらもまだ衝撃の抜けない美緒の肩を抱き、部屋の外へと駆け出した。その後を夏芽と梓も振り返らず、最低限の荷物を抱えて後を追う。


 その様子を見ながら、石倉は「…生きろよ、若者」とだけ呟いた。


「真田は……!?」


「今はとにかくここを離れたほうがいい」


 伊藤の声が、背後から響く怒声と重なる。


「ちくしょぉぉおおおお!!!!!」


 真田の叫びだ。

 理性を失い、武器も持たず、それでも追いかけてくる足音が廊下に響く。

 夏芽たちは階段を降り、映画館へと再び逃げ込む。


「映画館の通路に入ったら、即座に扉を封鎖する」


「了解!!」


 梓が走りながら叫び、扉に手をかけた。


 バタン!!


 映画館の通路の扉が閉じる。前回同様ロープで扉を縛り、内側から通路を遮断する。


「……は、はぁっ……」


 全員がようやく息を吐いた。


 照明の落ちたシアター内。

 シートがまだ倒れたままで、足元には以前の逃走時に撒き散らした荷物が散乱していた。


「……ここに戻ってくることになるなんて……」


 夏芽が、額にかいた汗を拭いながら言った。


「また……同じ場所」


 美緒が小さく呟く。


 誰も言葉を返せなかった。

 ただ、封鎖された扉の外から――遠く、低く、呻くような声が響いていた。


「……最低限の水と食料は俺と中谷のリュックにある。ここでしばらく籠もるぞ」


 伊藤がそう言いながら、荷物を確認しはじめる。


 だがその声は、どこか焦燥に満ちていた。


 梓はその隣に腰を下ろし、小さく呟いた。


「戻れない、ね。もう……警備室には」


 パンデミック発生から、5日目。

 崩れたのは、拠点だけではなかった。

 支え合ってきたはずの絆もまた、音もなく崩れ落ちていた。

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