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第39話 デッドモール④

 朝日が差し込むと、モールの闇に隠れていたものが露わになった。

 中谷 海翔は資材倉庫からでると、バックヤードの通路から店舗内を覗く。店舗内には数体のゾンビが徘徊している。


(店舗内はダメだ…。東側のバックヤードに逃げてそこから階段で上がろう)


 震える足を、一歩前に出す。西側のバックヤードから飛び出し、そのまま東側のバックヤードに移る。


「……誰か、いますか……!」


 かすれた声が、静かな通路に吸い込まれていく。そのとき、背後の扉が音もなくわずかに開き、スコップを持った影が現れた。


「きみは…警備員の……!」


 鋭い声とともに現れたのは石倉だった。その隣に、フライパンを両手で握る真田の姿。


「よかった……生きてたか」


「えっと、厨房の方ですよね、よかったぁ」


 声が震える。だが、それでも心が跳ね上がる。


「……とにかく、一階にいるのは状況が悪い。警備室に合流するぞ」


「はいっ!」


 そうして、バックヤードの非常階段を駆け上がる途中、2階から3階に上がる階段手前から、何かが揺れながら姿を現した。服が裂け、口元に血の塊をこびりつかせたそれは、焦点の合わない目でこちらを見つめる。


「ゾンビ…!」


 その姿に、思わず後ずさる。顔は血と爪痕でぐしゃぐしゃに崩れ、片目は潰れ、左頬には噛まれた跡のような深い裂傷が残る。


 ズル……ズル……


 引きずるような足取りで、ゾンビがこちらへ向かってくる。


「下がれ!」


 石倉がすぐに中谷を庇い、一歩前へ出る。真田も、フライパンを胸の前に構える。


「この距離……やるしかねぇな」


「くるぞ……!」


 ゾンビが距離を詰めてくる。恐怖に震え、真田が一歩遅れる。ゾンビが真田の体を掴もうと手を伸ばす――だが、次の瞬間。


「うぉおおおッ!!」


 伊藤が階段上から飛び出し、警備用の刺股でゾンビを壁に押さえつける。


「……そこの人!! 今ッ!!」


「任せろ!!」


 石倉が声を上げながら、スコップを振り上げる。


 ゴンッ!!!!


 スコップの側面が、ゾンビの頭を直撃した。骨が砕けるような鈍い音。瞬間、ゾンビの動きが止まった。


 もう一度、ゴン!!


 頭蓋が潰れ、崩れた体が力を失い、ぐしゃりと床に倒れ込む。一瞬、誰もが声を出せなかった。

 鼻を突く血と腐臭。死が、そこにあった。


「……終わったか?」


 伊藤が息をつきながら刺股を下ろす。その手は、うっすらと震えていた。


「……ありがとう……伊藤さん」


 中谷の震える声に、伊藤は短く頷くだけだった。



 *  *  *



 映画館を出た3人は、慎重に足音を抑えて通路を進んでいた。梓が先頭、夏芽と美緒がその後ろに続く。


「警備室は4階。昨日通った非常階段を使いましょう」


 梓は消火栓を両手で構え、目線を鋭く先に送った。店内にはまだ緊張が張り詰めている。時折、どこか遠くから呻き声が響くが、この階層にはまだゾンビの姿は見えない。


 ――しかし、吹き抜けの手すり越しに、夏芽は1階を見下ろして、思わず足を止めた。


 数え切れない数のゾンビが、ふらふらと通路を歩き回っている。唸り声、擦れる足音、血の臭い。


(……こんなに!? ……いや……まだこれだけ、で済んでるのか……)


 そのときだった。


「……あれ……!」


 目指していたスタッフ用通用口の前に、“それ”はいた。

 傾いた姿勢、前に垂れた腕、頭をわずかに傾けたまま、通路に立っている。制服は血に汚れ、胸元のネームプレートだけが、誰だったのかを物語っていた。


 植田 尚也。


「……まだ、いる……!」


 夏芽が思わず声を漏らした。次の瞬間、植田ゾンビがゆっくりと、しかし確実にこちらへと向きを変えた。

 足を引きずりながら、手を前に伸ばしてくる。生きていた頃と同じ警備員の姿だが、その顔には生気も理性もなかった。


「逃げて!!」


 梓が叫び、夏芽と美緒を背後にかばうように立ちふさがる。消火栓を構えながら、後ずさるようにゾンビとの距離を調整する。


 その時だった。背後の通路から、ズルッ……ズルッ……という複数の足音。


「後ろにも……!?」


 振り返ると、2体のゾンビが今きた通路を塞ぐように現れていた。

 前に植田ゾンビ。後ろに2体。袋小路に追い詰められた形。


「まずい……!」


 梓が息を飲んだその瞬間――


 バン!!


 スタッフ通用口が突然開いた。次の瞬間、通路の中心で植田ゾンビの頭にバールが突き刺さる。


「み、み、み、皆さんっ、は、早くっ!!」


 震える声が飛び込んできた。扉から姿を現したのは――中谷だった。

 植田ゾンビが崩れ落ちるより早く、伊藤と石倉が扉から飛び出す。夏芽、美緒の後方へ庇うように立ち塞がる。


「下がれ!!」


 伊藤の刺股がゾンビの胸を押し返し、石倉はスコップでゾンビを殴り倒す。


「いまだ、行けっ! 走れ!!」


 叫ぶ伊藤。夏芽は美緒の手を掴み、梓とともに扉へ向かう。


 背後で、ゾンビが伊藤にしがみつこうとする。寸前で石倉が蹴り飛ばし、間一髪でそれを阻止。刺股で、ゾンビをエスカレータに追いやり、下の階へと落とす。


「これで全員だ、深追いはしない!! 撤退!!」


 2人は夏芽たちを追うように後退し、通用口のドアを内側から閉めた。


 ガチャ――ッ


 再び安全が確保された空間に、全員が荒い息を吐いた。


「みんな……無事で、よかった……」


 中谷がへたり込むように座り込む。伊藤は膝に手をつき、肩で息をしながら夏芽たちに言った。


「……間に合って、良かった」



 *  *  *



 薄明るい通路を抜け、重いドアを開けると、警備室の蛍光灯が静かに揺れていた。


「……これで、全員か」


 最奥にいた木戸 雅也が、モニターから顔を上げて言った。


 伊藤、中谷、石倉、真田。

 梓、夏芽、美緒、そして木戸。

 8人の顔が、狭い室内に揃う。


 安堵、緊張、疲労、不安、恐怖――それぞれがそれぞれの色を張りつけたまま、無言で顔を見合わせた。


「とりあえず、合流できた全員が無事でよかったっす……」


 中谷がほっとしたように座り込み、バールを床に下ろした。


「お互い、よく頑張った」


 石倉がそう言いながら椅子に腰を下ろすと、真田は黙って壁にもたれたまま目を閉じた。


 誰もが言葉を選びかねていた。だからこそ、最初に口を開いたのは夏芽だった。


「……もう、外に出るのは無理ですよね」


 伊藤が頷く。


「正面、搬入口、地下出入口――どこもゾンビの群れに囲まれてる。出口は実質“封鎖状態”だ」


「通信は?」


「電波も都内の警備本部も機能してない。テレビはどの局も映らない。ネット回線も壊滅。今のところ連絡手段はない」


 梓が小さく息を吐いた。


「じゃあ……助けが来るまで、ここで生き残るしかないってことね」


 静かに広がるその言葉が、全員の脳に沈んでいく。


「……休憩室や宿直室もある。なによりこの階の半分以上は屋上で、空からの助けがあればすぐに出られる。ひとまず4階を拠点にしよう」


 木戸が立ち上がり、モールのフロアマップを机に広げた。


「食品、医薬品、水、避難ルート。今ある物資と構造をもとに、数日間の生存プランを立てる。まず最初にやるべきは“階層封鎖”だ」


「封鎖って……?」


 夏芽が尋ねると、伊藤が答えた。


「ゾンビが階を移動できないようにする。そのために、俺たちが使う移動用の1箇所以外、すべての階段とエスカレーターを遮断する。

 まずは2階と3階を繋ぐ導線を切るんだ。3階の安全を確保できれば、この4階もより安心できる。

 そうして、生存可能な範囲を固めていき、徐々に広げていくつもりだ」


「加えて、食料と水の確保。中谷たちが少しは持ってきてくれているが1日も持たないだろう。まず3階のカフェで調達、余裕があれば1階の食品売り場も頼む」


「それって……今から、動くってことですよね?」


 美緒の不安げな声に、石倉が頷いた。


「夜が明けて視界が確保できる今が好機だ。動けるうちに動く」


「班を組もう」


 木戸が言う。


「食料調達班、階段封鎖班(北回り・南回り)、そしてここでの監視役。振り分けは……俺がする。異論は?」


 誰も返事をしなかった。


 その沈黙は、きっと全員が“もう異論を言える状況ではない”と理解していた証だった。


「……よし。行動は30分後。各自準備してくれ」


 木戸の声が切り取ったその空気の中でただ一人、真田だけが、口を開かなかった。

 彼の視線は、遠くモニターのノイズの向こうの何かを見ているようで、何も見ていないようだった。

 その目の奥に浮かぶ、絶望の色に、まだ誰も気づいていなかった。



 *  *  *



「……ここで、南側のフロアは遮断完了ね」


「まだだ。西と中央のエスカレーターが残ってる……早く終わったほうがさっさと潰しにいかきゃ意味がない」


 真田が無感情な声で返した。2人がいるのは、モール南西側の2階通路――3階へと続く非常階段の入り口付近。

 施設の端にあるその階段は、上下階をつなぐ数少ない垂直動線のひとつであり、ゾンビが上がってくる危険性が高い場所だった。


「真田さん。……さっきから、口数少ないですね」


 梓が遠慮がちに言ったが、返事はなかった。


「……警備室でも、ずっと黙ってた。何か、気になることでも……」


「……何もない」


 短く切るような返答。だが、その目は鋭く、何かを押し殺していた。


「だったら、協力しましょう。ここと残るエスカレーターを封鎖できれば、みんな少しは落ち着ける。

 特に美緒ちゃんや夏芽ちゃんみたいな子たちにとって……」


「大丈夫ですよ、わかってますよ」


 ピタリと足を止め、真田が言った。


「最初からわかってた。外には出られない。助けも来ない。だったら、中で生き残るしかない」


「その通りのようね」


「……いつ助けが来るかわからない、食料には限りがある。…この意味わかってますか?」


 梓は言葉を失った。


 真田の言葉は、感情のない独白のようだった。

 怒っているわけではない。ただ、絶望に踏み込んだ者だけが持つ“静けさ”があった。


「……とりあえず、金属製のパーテーションで抑えるわ。ロックかけて、さらに什器やソファで抑えればしばらく保つ」


「俺は周囲を見張ってる」


 真田は背中を向けたまま、フライパンを持ち直した。


 カン……ガシャン……


 どこかで金属が落ちるような音。足音ではない。人為的な物音でもない。


「……まさか」


 梓が緊張をにじませて立ち上がる。


「動くな。音の方向……下からだ」


 非常階段の下段、2階から1階へと続く踊り場の影。そこから、濡れたような呼吸音が聞こえてきた。


「来るなよ……来るな……」


 真田が呟いた瞬間、影の中からゾンビがゆっくりと姿を現した。顔の皮膚が剥け、片腕を失っていた。その眼だけが、天井を見上げている。


「……っくそ」


 梓が身構える。


「いける?」


「殺す、殺してやる」


 言うが早いか、真田が階段を駆け下りた。静かな中に、鉄の音が響く。


 ゴンッ――ッ!!


 ゾンビの頭部にフライパンが直撃し、脳漿が飛び散る。一撃では止まらず、ゾンビが呻きながら倒れこむ。


「もう一回!」


 ガッ――ッ!


 もう一発。頭を砕く音が鈍く響き、ゾンビの体がようやく沈黙した。真田はしばらく黙ってその場に立ち尽くし、やがてゆっくりと、梓のもとへ戻ってきた。


「……終わった」


「真田さん……」


「封鎖、続けよう。まだ時間はある」


 その背中には誰にも触れさせない何かが、確実に宿り始めていた。



 *  *  *



 3階北側の非常階段。


「……今のところ、気配はなし」


 夏芽がそっと顔を上げ、周囲を確認した。

 3階まで上がってきているゾンビは少ないようで、ほとんど遭遇することなく作業できている。


「よし……今のうちに、手分けして動こう」


 そう言ったのは中谷だった。昨日までの“震えて逃げるだけ”だった彼の面影は、そこにはなかった。


 美緒が小さく頷き、工具セットとロープの入ったバッグを開ける。それは石倉から渡された「使えるものがあれば何でも使え」という頼みの綱だった。


「パーテーション、脚立、掃除用具……こっちに運べそうなものは……」


「向こうのストックヤードに什器があった。私、取ってくる」


「夏芽ちゃん、1人で行くの危なくない?」


「大丈夫。通路は見えた。誰かが動かなきゃ始まらないし」


 夏芽はモップ柄を手にして、走り出す。中谷と美緒は2人でパーテーションを運び、階段手前に立てかける。ただ置くだけでなく、構造を工夫し、隙間を潰すように重ねる。


「……美緒ちゃん、よく頑張ってるね」


「え?」


「怖かったと思う。僕も…その気持ちがわかるから。でも、今こうして一緒に動けてる。すごいことだよ」


「……夏芽ちゃんが一緒だったから。私、1人だったら……きっと無理だった」


 美緒の言葉に、中谷がそっと笑う。

 夏芽がカートを押して戻ってくる。パイプ棚、折り畳み机、壊れたスピーカー。何でも使える物は載せてあった。


「これで隙間埋めるよ。重さもあるし、揺らしても崩れないはず」


「完璧……!」


 美緒が微笑む。中谷が手早くロープで棚とパーテーションを連結し、固定を始める。

 3人は通路が完全に塞がれたのを確認し、息をそろえて頷く。


「……よし、北階段、封鎖完了」


 夏芽の声に、3人の肩から一気に力が抜けた。その瞬間、緊張の糸が切れたかのように、誰かの胃が鳴った。


「……ごめんなさい、お腹すいちゃった」


 美緒が小さく笑い、夏芽と中谷も、同じように微笑んだ。



 *  *  *



 伊藤と石倉はバックヤードの階段から1階までおり、そのままスタッフ通用口を西へと移動していた。


「この先、楽器店の横から店舗側に出てそのまま向かいの食料品店に入ります。店舗内は奴らと遭遇する可能性が高い。木戸さんの合図を持って動きます」


「わかった。行こう」


 伊藤と石倉が短く言葉を交わし、一階店舗側に出る扉から様子を伺う。


「……幸い近くにはいなさそうだが、向こうに複数の影が見えるな」


 その時だった。モール中央付近から、ピン、ポン、パン、ポーンと、館内館内のアラームが流れる。ゾンビたちが一斉にそちらに向かって歩き出す。


「木戸さんの合図がきましたね、今のうちにいきましょう」


「あぁ」


 石倉が手にしたのは、厨房から持ち出したスコップ。伊藤は警備装備の刺股を肩に担ぎ、フロアの角を曲がる。

 食品売場のシャッターは半開きだった。緊急時用の手動操作レバーが途中で引かれたのだろう。


「潜れるな。行くぞ」


 身をかがめて入ると、店内は薄暗く、棚は乱れていたが、放置された商品はまだ多く残っていた。


「レトルト、缶詰、水……最優先だ」


「こっちはカップ麺に乾麺とペットボトル。調理は無理でも、お湯で戻せばなんとかなりますね」


 背中合わせに店内を移動し、2人は素早くリュックやポリ袋に詰めていく。

 その手際に迷いはなかった。もはや“選ぶ”ではなく“生き残るために持てるだけ”という行動だった。


「一旦戻りましょう」


 食品を詰め終え、2人はバックヤードの階段までもどると荷物を一旦置き、東側のスポーツ用品店『モリナガスポーツ』へ向かう。


 エントランスは開放されたままだったが、売り場の奥は暗く、何が潜んでいるかはわからない。


「伊藤、正面で周囲の警戒を頼む。俺は右から回る」


「了解です」


 伊藤が刺股を構えながら待機し、石倉は棚と棚の間をすり抜けて中へと進んでいく。


 スポーツ売場には、テニスラケット、サッカーボール、そして奥には野球コーナー。


「あった……バット」


 石倉が金属バットを2本まとめて掴み、足早に来た道を引き返す。

 店舗の入口では、伊藤が備え付けのゴルフクラブを肩に担いで待っていた。


「終わったな。戻るぞ」


 二人はそのまま階段まで戻り、置いてあったリュックとポリ袋を回収すると、静かにモールの上階へと歩を進めていった。

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