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第38話 デッドモール③

 ――LaLaモール1階、北東にあるレストラン街の厨房。


 普段であれば、この時間にはすでに仕込みを終え、明日の営業に向けて片付けを始めている頃だ。

 だが今、鉄板焼き店「千乃家」の厨房には、静かな緊張が張り詰めていた。


 先ほど、館内に不審者がいるとの無線が入り、さらに停電。

 明らかに通常の営業中断とは異なると察した石倉 正雄(いしくら まさお)は、即座に厨房の火を止め、ガスの元栓を閉じた。


 極限状態でも、石倉は手順を崩さない。

 すべての行動が、状況把握と警戒を最優先とした動きだった。


「……搬入口は2箇所あったな」


「はい。不審者の放送があったのは南側で、警備員が向かっていましたけど」


「さっきモール内を覗いたが、やつらはまともじゃない。しかも現時点でかなりの数がうろついてる。この近く、北側搬入口からも侵入されてる可能性があるな」


「電波も入らないですし、いったいなんなんですかあれ?腹破れているやつとか、腕ちぎれているやつとか、ほんとにゾンビなんじゃ」


「しらん。なんにしても、これ以上侵入させないようにしないといけない。俺たちでな」


「はぁ!? 塞ぎに行くってことですか!? って俺も!?」


 真田 陽斗(さなだ はると)は、やや強張った表情でフライパンの柄を握りしめて構えていた。いつ奴らが侵入してくるかと身構え、恐怖から口調には苛立ちと不安が交じっていた。


「行く。今のうちだ。シャッターが閉まったのは閉店から一時間半以上経っていた。おそらく店舗内に残っている人間は少ない。動ける人間が近くにいて、敵の数も多くないうちに、抑えられる侵入経路は抑える」


「でも、塞いだところで、外には逃げられないし、時間稼ぎにしかならないじゃないですか」


「それでいい。とにかく今は侵入を防ぐ。これ以上入ってこられると俺たちも厨房から出れなくなる」


「……あの、何でそんなに落ち着いてるんですか、石倉さん」


 真田の声には苛立ちの色が濃かった。


「料理長ってのは、料理や冷蔵庫の在庫管理、お客の苦情に加えて、突然やってきて無茶言うオーナーやら、そんな時に限って頻発するお前らのミスやらを一気に捌いてきた仕事なんだよ。多少の地獄じゃ、腰は抜けん」


「……たしかに、それは地獄っすね」


 ふっと真田の口元に、かすかな笑みが戻る。

 その様子を見た石倉は、無言で厨房の片隅に立てかけられていた排水溝掃除用のスコップを手に取った。


「行くぞ。搬入口はレストラン街をでてすぐ東側だ。音は立てるな。照明も最小限だ。奴らが目で見てるのかはわからんが、さっき試した限りだと音と動きには確実に反応する」


「……はい」


 厨房を出る。

 レストラン街は沈黙に包まれていた。

 残響すらなく、ただ空気が重い。


「石倉さん、あれ……」


 遠くの通路、西側の方角。うごめく影が見える。

 上半身が、地面を這っている。ソレが来ている厨房服には見覚えがある。


(…お隣さん、残っててやられちまったか)


「今は考えるな。とにかく音を立てなきゃ気づかれない、こんな感じでな」


 声を顰めながらそう言い、持ってきていた防犯用カラーボールを通路の西側へと投げる。


 ボールの弾ける音。しばらくして、いくつかの蠢く影がそちらへと這っていく。


 その様子見届けた後2人は静かに足を運ぶ。

 レストラン街を抜けて、家具店横の通路を通りバックヤードへ。

 バックヤード奥にある、北側搬入口につながる扉。幸いなことに、搬入口周囲にはゾンビがいなかった。


「棚で塞げるか?」


「あと夕方搬入されて来た家具屋の在庫があります。ロープで固定すればいけると思います」


「やろう」


 2人は手早く動く。

 棚を横倒しにし、重い家具の段ボールを棚に積み上げ、棚上部をロープで扉の取っ手にくくりつける。

 ダメ押して残りの家具の段ボールを手前に重ねておく。


 作業は5分もかからなかった。だがその間にも、音は近づいていた。


「……搬入口の外に何体か、家具店の方でも動いたな」


「聞こえてるっすね、ズルズルって。……何体くらい、いるんだろ」


「知る必要はない。鉢合わせない限り、考える意味がない」


「……言い切るとか、やっぱこえーっすよ石倉さん」



 厨房へと戻ると、一気に緊張が解ける。


「ほんと、生きた心地しなかったっすよ…」


 真田の愚痴に、石倉がふとつぶやく。


「真田」


「はい?」


「……お前がいてくれて助かった。ありがとな」


「や、そんなの……俺、ヘタレてたし……」


「それでも動いた。次も動けるってことだ」


 そう言って、石倉は歩き出す。真田はその背中を見て、小さく息を吐いた。


(…無理だよ、石倉さん。…誰もがあんたみたいに頑張れるわけじゃない)


 この日、誰にも知られぬままに、モールの“北の入口”は封じられた。



 *  *  *



 中谷は倉庫を抜け、薄暗いバックヤードの通路を南搬入口へ向かっていた。

 足音を極力抑えながら、壁際に身を寄せる。


 搬入口に抜けるスタッフ通用口の手前に差し掛かったとき――ふと、違和感に気づく。


「……植田さんの死体が、ない」


 あのとき、ゾンビに襲われて絶命したはずの彼の姿が、そこにはなかった。

 誰かに運ばれたのか。それとも……自分で、動いたのか。


 ゾクリと背中を冷たい汗が伝う。


(いや、今は考えてる場合じゃない)


 とにかく、扉の前にバリケードを築く。それが先だ。周囲にゾンビの気配がないことを何度も確認し、通路の奥――搬入口の扉へと身を低くして駆け寄る。


 扉はすでに、歪んで半開きになっていた。このままではまずい。


「……何か、閉じられるもの……」


 焦る視線が倉庫内を泳ぐ。

 目に留まったのは、飲料ケースや米袋を積んだ運搬用の台車だった。


(これだ!)


 ロックを外し、台車を押して扉の前へ。

 通路を塞ぐように押し込み、再びロック。

 だが――


(1台じゃ全然足りない)


 中谷は何度も倉庫と扉のあいだを往復した。

 8回、いやそれ以上。

 通路を隙間なく塞ぐように台車を運び、隙間が空いている部分には米袋などを滑り込ませていく。


(今できるのは、ここまでだ)


 ようやく一息ついたとき、搬入口からつながるもう1箇所のルート、食料品店側の扉へと向かう。


 同じように周囲を確認しながら、静かに台車を押す。

 臆病な中谷は、常に耳を澄まし、少しでも物音がすれば即座に動くのをやめて息をひそめたため、かなり時間がかかってしまった。


(……次で最後にしよう)


 そう決めて最後の1台に手をかけ、台車を引き出した――その瞬間。


 ヌッ……


「……っ!」


 台車の裏から、ぬらりと現れた影。


 血に濡れた口。濁った眼。ゆっくりと、だが確実にこちらへと向かってきている。


「……ぅぎ……っ!」


 叫びそうになる喉を必死に押し殺し、中谷は後退した。


(なんでこんなところにいるんだよ…っ!)


 心臓がバクバクと音を立てる中、中谷は必死に自分を押し殺した。

 騒げば終わる。ただでさえ搬入口の近くだ。大きな音を立てたら、別の奴らが来てしまう。


 逃げるか――あるいは、倒すか。


 だが、持っていたはずの旗のポールは、さっきの通路に置いてきてしまっていた。


(何か……何か武器になるもの……)


 右手を近くの棚に伸ばす。手探りで触れた“硬い感触”に反射的に指がかかる。

 冷たい金属――その正体を確かめる余裕はなかった。


 ゾンビが、ゆっくりだが確実に距離を詰めてくる。


 一歩、また一歩と後退する中谷。

 喉の奥が焼けつくように熱い。


(……逃げないって、決めただろ!)


 覚悟を決めたその瞬間。

 中谷は、手にした“バールのようなもの”を思い切り振りかぶった。


 これまで出したことのない勇気が、恐怖を上回った。


 しかし――


「うわっ!」


 足元が滑る。勢いそのままに体勢を崩し転倒。


 ガンッ!!

 ドサッ。


 一瞬、視界がぐらつく。


 慌てて目を開けると――目の前にはゾンビが倒れていた。

 その頭には、中谷が掴んでいたバールが深々と突き刺さっており、動く様子はない。


「……っ、は……はぁっ……」


(……よ、よかった……い、一生分の運、使い果たしたかも……)


 手の震えを抑えながら、急いで最後の台車を搬入口前に運ぶ。

 近くにあったロープで複数の台車を結びつけ、即席のバリケードを強化する。


「……これで、なんとか持ってくれよ……」


 呟きながら、ゾンビの頭に刺さったバールを抜き取る。

 生々しい感触が手に残ったが、気にしている余裕はなかった。


 中谷は、急いでその場を離れる。

 震える足を必死に動かしながら――生き延びるために。

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