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第37話 デッドモール②

 シアター内の備品室で見つけたロープを使って通路扉のバリケードを強化した後、三人が身を寄せたのは、通路の奥にあるシアター4だった。

 このシアターは最新鋭の設備を備え、リクライニング可能なソファー席やカップルシートも揃っており、長時間の待機にも適していた。


「よし……とりあえず、今日はここに籠もりましょう。…映画館を貸切だなんて、普段だったら最高なのにね」


 梓が言った。汗を拭いながら、席に腰掛ける。


「ほんと……上映されてんのが超B級ホラーじゃなきゃね。しかも現実で」


 夏芽が軽口を叩くきながら、シネコン特有の柔らかい椅子に腰を下ろしスクリーンを見つめる。非常灯の小さな明かりが足元を照らしているだけで、スクリーンは沈黙を守っていた。


「夏芽ちゃん、美緒ちゃん、大丈夫?」


 梓が2人の様子を見渡す。


「なんとか……でも、美緒ちゃんのほうが心配。ずっとしゃべってないし」


「……ごめんなさい。私のせいで、遅くまで残っちゃって……」


「違うでしょ」


 夏芽が即座に言った。


「誰のせいとかないし。スマホがなくなったのだって、あいつの――」


 言いかけて、言葉を飲み込む。ゾンビと化した植田のポケットから美緒のスマホが落ちたあの瞬間がフラッシュバックした。


(嫌がらせするつもりだったんだ……あいつ、持ち出して……)


「夏芽ちゃん……」


「……なんでもない」


 椅子のひじ掛けに肘をついて、目を伏せる。


 沈黙が落ちた。この場にあるのは、非常灯の灯りと、呼吸の音と、まだ続いているかもしれない“外の何か”の気配。


「…お父さん……お母さん……竜也……大丈夫かな……」


 美緒が泣きそうな声で、ぽつりと呟く。


「…大丈夫だよ! 竜也くんもしっかりしてるし、きっとみんな無事に逃げられてるよ」


 夏芽はそう言って明るく微笑んでみせるが、その目には彼女自身の不安も滲んでいた。


 そのとき、梓が静かに口を開く。


「大丈夫。二人のことは、私が必ずご両親のもとに届ける。だから――信じて、元気に帰れるよう一緒にがんばろう」


「……梓さんはすごいですね。こんな時でも落ち着いてて……」


 美緒が小さな声で言うと、梓は微笑んだ。


「……ありがとう。でもね、落ち着いて見せるのも、店長の仕事だから。ほら、頼りなく見えたら、心配でしょ?」


 言葉は軽やかだったが、そう言って腰掛ける梓にも疲れが見える。


「……寝ましょうか。交代で。朝になれば視界も良くなるし、今は体力を温存しましょう」


 梓の言葉に、夏芽が頷く。


「じゃあ、梓さんも疲れてるだろうし、あたしが先に見張るよ」


「私が……」


「いいの。美緒は寝て。ちゃんと寝て。今はそれが一番強いってこと」


 そう言って、夏芽は立ち上がり、出入り口側のシートに腰を下ろした。



 *  *  *



「中谷、応答しろ……中谷、聞こえるか?」


 警備室内、無線機から返ってくるのは、またしてもノイズだけだった。


 木戸 雅也は、ヘッドセットを外して深く息を吐いた。

 前のめりになっていた背中を伸ばし、椅子にもたれる。


「くそ……無線が壊れているのか、あるいは電源を切ってるか……」


 隣では伊藤 涼介が紙コップのコーヒーを手にしていたが、口をつける気にはなれないらしく、そのまま手元に置いた。


「もう二時間以上連絡がつかないですね……都内の警備本部にも連絡がつかないし」


「……モール内の電源も予備電源に切り替わり、電波も死んでる。おまけに店内には訳のわからないのがうろついてて外にも出れない。こっちは孤立だな」


 木戸は淡々と告げた。


 伊藤は黙り込む。

 木戸は立ち上がって、モニターのカメラ映像を切り替える。

 だが、非常電源に切り替わった際再起動できなかったのか、3分の1以上がノイズで潰れていた。


「屋外と1階のラインが完全に死んでる。補助電源が生きてても、システムそのものがやられてるな」


「植田のやつ……」


 伊藤がつぶやいた。


「映像で見たあの姿、あれ……もう人間じゃなかったですよ。顔だって……」


 モニター内の植田の姿を思い返す。起き上がったかと思うと、ふらふらと徘徊し出し、腕が折れることもかわまず扉に体ごと叩きつけていた。


「とにかく俺たちは、ここでしかできない仕事をやらなければならない」


 木戸は録画に切り替え、巻き戻す。搬入口、何かに襲われる植田。

 中谷が救出してバックヤードに逃れるが、ゆったりと追いかけその扉を叩き始める不審者。


「動きは鈍いし理性も感じられないが、少なくとも向こうから攻撃してくるのは確実だ」


 木戸は言い切った。


「さらに“あれら”は、かなりの数がモールの中に侵入している。ほとんどはふらふらと彷徨っているだけだが、時折何かに気づいたかのように動き出す」


 伊藤は額に手をあてて目を閉じた。


「じゃあ……どうするんですか」


「まずは把握だ。防犯カメラの映像からモール内にいる人間のおおよその状況を洗い出す」


 木戸は資料棚から古いモール全体の見取り図を引き出し、テーブルに広げる。

 マジックペンでマークをつけながら、つぶやく。


「店内に残っていたスタッフは1階を中心におそらく10人以下だった。そして、搬入口から逃げて行方がわからない中谷。夜が空ければ、助けに行くチャンスはある」


「無事だといいですけどね……」


「あいつはビビリだけど頭と勘はいい。うまく身を隠しているだろう」


 そして木戸は、ペンを止めてモニターを見つめ直した。

 モール中央、3階へのエスカレーターを登ろうとする、招かざる客たち。


「問題は、俺たちに“迎えに行ける余力”があるかどうか、だな」



 *  *  *



 暗い。床が冷たい。遠くで何かを引きずる音がする。

 きっとあいつらだ。


 中谷 海翔は、南側搬入口近く、資材倉庫裏の段ボールの山に身を潜めていた。

 周囲には、無造作に積まれた日用雑貨と販促パネル。蛍光灯はすでに消え、わずかな非常灯の明かりが天井の梁を照らしている。


 喉が乾いていた。

 でも、水を探す気力もない。動けば、音が出る。

 そして、音を出せば――あいつらが来る。


「……クソ、マジで俺、なんでこんなとこに……」


 誰にも届かない声で、中谷は呟いた。

 彼の脳裏には、さっきの光景が繰り返しフラッシュバックしていた。



 ──搬入口、暗がりの中に浮かび上がる人影。


 スーツ姿の中年男性。白シャツは血にまみれ、裂けた布の隙間からは内臓が覗いていた。その顔に、生きた人間の気配は微塵もない。

 人の形をしているが、すでに人ではなかった。


「……っ!」


 あまりの恐怖に、思わずその場に固まる。


「なんだよ、これ……」


 背後にいた植田も、呆然とした声で呟いた。

 その“異形”が、低く濁ったうめき声を発しながら、ふらふらとこちらへ歩み寄ってくる。


「俺は嫌だぞ! 中谷!! 何とかしろ!!」


 そう叫ぶなり、植田は一人で逃げ出した。だがその直後、バックヤードに抜ける扉の前で何かに躓いて倒れ込む。


 見ると食料品店のスタッフが仰向けに倒れていた。制服のエプロンがめくれたその腹部は、何者かに裂かれたように血まみれで、明らかに事切れている……はずだった。


 その“死体”が、ピクリと動く。


 仰向けのまま、腕を使わず、胸からゆっくりと起き上がる。

 その不自然すぎる動きは、明らかに人間のものではなかった。


 焦点の合わない虚ろな瞳が、まっすぐに植田を捉える。


「う、うわぁぁぁぁ!! なんで……!? やだ! やめろ!! 来るなぁぁぁぁ!! 中谷ぁ!! 何とかしろぉおお!!」


 植田は腰が抜けて立ち上がれない。

 その絶叫に反応するかのように、スーツの男も植田の方へと向きを変える。


 そしてさらに、搬入口の外から――

 ズルッ……ズルッ……と、何かを引きずるような音が、複数、近づいてくる。


「あぁあぁあああぁ!! 痛いっ……痛い痛い痛い痛いっ!!!! 痛え、痛えよぉ……!!」


 植田の悲鳴が、倉庫中に響く。


 その叫びでようやく恐怖から我に返った中谷は、すぐ近くの段ボールを漁り、ペットボトルや洗剤のボトルを手当たり次第に掴んで投げつけた。


「ち…くしょう…! 植田さんから離れろ…!」


 ガンッ、ガンッ!!


 命中した異形の動きが一瞬止まり、虚ろな目が今度は中谷に向く。

 四肢を引きずり、鈍い動きでこちらに向かって来ようとする。


 その隙をついて、植田に駆け寄る。


「……う、植田さん!! 今のうちに!! 早く!!」


 咄嗟に植田の肩に腕を回し、すぐそばにあるバックヤードにつながるドアへと引きずるように駆け込む。


 中へ滑り込み、鍵をかけた瞬間――


 ドン!! ガリガリガリガリ……!!


 扉の外で、何かが蠢いている。


 肩で息をしながら植田の顔を見ると、そこには血が滴り、左腕は不自然に折れ曲がり、腹部は真っ赤に染まっていた。


 そして何より――その瞳から、生気が失われていた。


「……植田さん!? そんな……嘘だろ……」


 ドン!!! ドン!!!


 扉を叩く音が強まる。


 その音に背を向けるように――中谷は、植田をその場に残して走り出した。


 そして今、彼は近くの倉庫にひとり、身を潜めている。


 恐怖と怒り、そして何より――

 “自分だけが逃げた”という罪悪感が、喉元を強く締めつけていた。


「あの時……ビビらずにすぐに動けていれば……」


 唇を噛んだ。

 これまでの20年間、いろんなことから逃げ続けてきた。

 東京の大学に来たのも、親元から逃げたかったからだった。

 立ち向かう勇気がない自分がどうしようもなく情けなくて、惨めだった。


(怖い……けど……でも、このままじゃ……)


 不意に――外の通路から、かすかな足音が聞こえた。


 ズ……ズ……ズ……


(来た――!?)


 息を止める。

 目の前のダンボールの隙間から、廊下の一部が見える。


 最低限の照明だけがついた暗がりの中、“何か”が這うように通っていく。

 人のようなシルエット。だが、その歩き方はおかしい。腕がぶら下がり、足を引きずっている。


(こっち来るな……お願い、来るな……)


 心臓の音がうるさすぎて、相手に聞こえてしまうのではと思うほどだった。


 数十秒――否、数分かもしれない。


 影は通り過ぎた。

 足音が遠ざかる。

 静寂が、再び戻ってきた。


 中谷はようやく、肩を落とした。

 大きく、息を吐く。


 そして――そのまま、頭を抱えた。


「……このまま、何もしないで、どうすんだよ」


 小さく呟き、静かに立ち上がる。廊下や店内からする気配が増えてきている。

 バックヤードの扉が破られているかもしれない。もしくは、搬入口にあるもう一つの扉、食料品店につながる扉から侵入されている可能性もある。


 手には、販促用の旗のポールを握っていた。

 たいした武器にはならない。でも、“何か”を持ってないと怖くて立っていられない。


 助けを呼びたい。震える手で、無線機に手を伸ばす。

 でも、スイッチは入れられなかった。


(……助けを呼ぶ、前に…。誰かがこれ以上侵入されないようにしないと)


 中谷は、再度搬入口に足を向けた。

 手は震えている。呼吸も浅い。


 でも――足は、止めなかった。


 搬入口から店内につながる扉をすべて塞ぐ。

 それが、なけなしの“勇気”を振り絞った上での決断だった。

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