第35話 マン・イン・ザ・ワイア:人かゾンビか②
夜の静けさがダンジョンの奥深くまで染み込む頃、四人は無事に第三層にある杉谷たちの拠点へ戻っていた。
新海の「拠点、今は広々してるっすよ。前は8人いたんで」という一言もあり、丈一郎達はその晩、彼らの拠点に泊まることにした。
その拠点は、第三層の岩壁の一部をくり抜いた横穴構造で、大小複数の穴がくり抜かれている。内部には簡素ながら寝具や荷物が整頓され、生活感と緊張感が同居していた。聞けば、ここはもともと新海の《魔導銃》スキルの鍛錬場所で、あらゆる火器の形態を試し撃ちした結果、誕生した“副産物”らしい。
丈一郎は、周囲が就寝の支度を始めたタイミングで、そっと外へ出た。
岩の裂け目を抜けた先に広がる空――
そこには、まるで地上と見まがうような、満天の星が広がっていた。
天井とは思えぬその広がりには微細な星々が輝き、不自然なほど静かで、神秘的な景色を形づくっている。
「……何度見ても、不思議ですよね」
背後から、声がかかった。
振り返れば、穏やかな表情の杉谷が、静かに立っていた。
「あぁ」
丈一郎は頷くだけで返すと、再び空を見上げた。
少し間を置いて杉谷に向き直ると、今度は彼の方から口を開いた。
「――ありがとうございました」
杉谷は首をかしげるように微笑む。
「……ん? なんのことでしょうか」
「昼間のことです。ちゃんと、伝えてなかったなと思って」
丈一郎は言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「“人として”認めてくれたこと……すごく、救われました」
杉谷はしばらく黙ってから、再び空を見上げた。
「……そうですか。それは、よかった」
杉谷は、しばらく黙ったまま星空を見上げていたが、やがて静かに問いかけた。
「桐畑さん。このパンデミック……ゾンビになる感染の原因は、なんだと思いますか?」
丈一郎は、一瞬言葉に詰まり、それから肩をすくめるように答える。
「……感染だし、ウイルスじゃないのか? 俺も、実際に噛まれたし」
その言葉に、杉谷は首を横に振った。
「私も最初はそう考えました。でも、今は違うと思っています」
彼の横顔には、ベテラン刑事の冷静さと確信が宿っていた。
「仮にウイルスだとして――代謝が止まり、脳も筋肉も腐った“死体”が動くなんて、物理的に説明できません。ウイルスの範疇を超えているんです」
「……まあ、確かに」
丈一郎は唸る。映画やゲームで刷り込まれたイメージから、ゾンビといえば“ウイルス感染”だと、無意識のうちに決めつけていた。
杉谷はさらに続けた。
「では、何が自然か。……そのヒントは、ゾンビが現れたこの場所にあると私は思っています」
丈一郎は無言で杉谷に視線を向ける。
「ダンジョンの発生。こちらも明らかにおかしいんです。かつて東京駅の地下コンコースだった空間が、一瞬にして別の構造に切り替わった」
まるでテレビのチャンネルを変えるように、と杉谷は手をかざしてみせた。
「つまりこの世界では今、二つの不思議が同時に起きているんです。ひとつは“死者が動く”という不思議。もうひとつは、“ダンジョンが突然出現した”という不思議。どちらも現代の常識では説明できない」
彼は丈一郎に向き直り、はっきりと言葉を重ねた。
「ならば私は、こう考えるようにしました――二つの不思議が同時にあるなら、やはりそれは同じ原理から来ているのではないか、と」
丈一郎は、ゆっくりと息を吐いた。
「……つまり、ステータスとかダンジョンのシステムを動かしてる“何か”が、ゾンビ……死者を動かしてるのも、同じってことか」
「はい。私たちは職業を得て、ステータスを強化され、スキルという“力”を与えられました。それは、ある種の“祝福”です」
杉谷は、その言葉に少しだけ間を置いて、重く言い添えた。
「ならば――逆に考えてみてください。人間を死から引き戻すわけでなく、死してなお動かす力……それは“祝福”と逆のベクトルの力、例えば…“呪い”、と考えられませんか?」
丈一郎の背筋に、ひやりとした感覚が走る。
感染しゾンビ化する力が、ベクトルが違うだけで同じ力だったとしたら――
しばらく、二人の間に沈黙が流れる。
丈一郎は、ふと口を開いた。
「そういえば、ダンジョンは“誰かが発生させた”って話、俺……ひとつ、ずっと気になってることがある」
「……聞きましょう」
杉谷が、わずかに身を乗り出す。
「……地上でゾンビ化した人間を倒しても、経験値にならないのは知ってるだろ?」
「ええ。桜田門――警視庁の本部に戻った際、地上でも何度か戦いましたが、経験値の獲得は一切ありませんでした」
「だろ? でもな、五日前のことだ――新宿駅でレベリングしてた時、ふと思ったんだ。地上のゾンビって“ダンジョン外”だから経験値が入らないんじゃないかって」
「……なるほど」
「だから、試した。ゾンビを駅構内から地下に蹴り落としてみた。……そしたら、その瞬間、経験値が入った。ダンジョンから湧いたゾンビも、元人間のゾンビもな」
「っ……!」
杉谷の目が静かに見開かれる。
「つまり、ダンジョンで生まれたゾンビかどうかではなく、“どこで倒すか”で結果が変わる、ということですね」
「そう。地下の“ダンジョン空間内”で倒せば、経験値になる。逆に、同じ存在でも地上で倒せば、“無”扱いだ」
「……確かに。我々も第一層に取り込まれた直後、大量のゾンビと遭遇しました。今になって思い返せば、経験値を得ていたのはダンジョン内のゾンビだけでなく、ゾンビ化した方々の分も含まれていたのでしょう。あの時――逃げ惑う人々、次々に感染が広がる混乱の最中で…盲点でしたね」
丈一郎は、眉間に皺を寄せながら、口を引き結ぶ。
「つまり、“ダンジョンは誰かが発生させた”って話を前提に考えれば――不自然なゾンビの存在は、目的の一部なんじゃないかって」
「……二層のスライムよりも強いゾンビが一層に、しかも地上に溢れるほど発生していて、結果パンデミックが起きたという点ですね」
「そう。あれって、ただのバランス調整のミスや不具合じゃない。最初から“そうなるように設計されてた”んじゃないかって」
その言葉に、杉谷は深く頷き、静かに言葉を継ぐ。
「つまり、桐畑さん。あなたの考えでは、ダンジョンを作った存在がいると仮定したとき……ゾンビがあふれ、感染拡大による混乱が起きたのは偶然ではなく、その先――“ゾンビを大量に生み出すことで得られる何か”を狙っている、ということですね」
「……あぁ」
丈一郎の声は低く、しかし確信を伴っていた。
「たとえば、“経験値”とか、な」
その一言に、杉谷の瞳が微かに揺れる。
丈一郎と恵理のレベルは、おそらくこの国のどの探索者よりも高い。すべては、数千以上の地上のゾンビを大量にダンジョンに落とした結果だ。しかもたった1日で。やろうと思えば、数万単位のゾンビをダンジョンに落とすこともできる。
もしそれが、“探索者”を強化するために用意された狩場だったとしたら――?
「…レベルの上昇、スキル取得による恩恵。すべては“力をつけるため”の装置だとすれば、合理的ですね」
杉谷は、小さく息を吐いた。
「それも、善意からの準備ではなく……たとえばその仕組みに誰かが気づく前に、自分たち自身が圧倒的なレベルを得るため、準備したのだとしたら」
丈一郎がその仕組みに気がついたのは、ゾンビに襲われないという余裕があったからゆえだ。パンデミック中心部で、わざわざゾンビをダンジョンに落とすなど簡単なことではないだろう。
「東京23区内だけでも1000万人弱。首都圏まで含めばその倍。上海をはじめとした中国の都市やデリー、ジャカルタも数千万人規模です。ニューヨーク、ロンドンも800万人以上の住民がいます。通勤者や観光客も入れればさらに多くなるでしょう。仮に国外でも同様のことが起きているとすれば…」
「もう動いている可能性もある。現状東京で動きがないということは、少なくともここは最初の目的地ではないということだと思う」
丈一郎の拳が、無意識のうちにゆっくりと握られる。
「……世界が、ゲームにされてるみたいで……ムカつくな」
その独白に、杉谷は苦く笑った。
「ええ。ですが、そのゲームのルールが分かってきた今――私たちは、少なくとも“駒”で終わらずに済むかもしれません」
丈一郎は、小さく頷いた。
杉谷は再度、丈一郎に向き直る。
「……桐畑さんの話に戻しましょう。私はこう考えているのです。あなたの力が呪いであれ、祝福であれ――どちらも“同じ仕組み”で動いているのだとすれば、その本質に、優劣も区別もありません」
「つまり、桐畑さん。あなたはやはり“人”です。呪いの力を受けようと、異質なスキルを宿そうと……あなたが選び、思い、誰かを守ろうとする限り、その本質は“人間”のままです」
杉谷はさらに続けた。
「そして……モンスター由来の職業やスキルを“得てしまった”あなたの存在は、ダンジョンを作った“何者か”にとっても――おそらく、想定外の事態ではないでしょうか」
「……!」
丈一郎の意識が、鋭く覚醒する。
「今まで何の介入もないということは……気づかれてもいない?」
「その可能性があります。そして、気づかれる前に……やれることをやっておくべきです」
「つまり、今のうちに……力をつけておく必要がある、ってことか」
問いかけに対して、杉谷は言葉を返さなかった。ただ穏やかに笑い、その笑みがすべてを肯定していた。
「ミッションの期日まで、あと六日。準備を整え、五層へ潜るための猶予を考えると、三日は自由に動けます」
杉谷は振り返り、真っ直ぐに丈一郎を見つめた。
「桐畑さん。今のままではあなただけに多くの負担を負わせてしまう。
……その三日で、我々全員の“レベル100以上”を目指しましょう」
夜風が、静かに吹き抜ける。
無茶だ――とは笑わない。……やり方はわかっている。
口元を引き締め、まっすぐに頷く。
「――やってやるよ」
その声は静かだったが、確かな“決意”が込められていた。
二人は再び、天井の星空を仰ぎ見る。
仮初めの空の下にあっても、今この瞬間だけは真実に近い思考が交わされたような気がした。
この夜の対話が、後に訪れる“運命の分岐”を支える礎となることを――まだ誰も知らなかった。
次章から登場人物が増え、スケールが大きくなっていきます。出来る限り毎日更新を目指していきますので、評価、ブックマーク頂けると活力になります。
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