第31話 タイタン①
岩壁の狭間を抜けた先、赤い砂に沈む峡谷の出口。
灼熱の第四層、その終着のような場所に、四人の影が静かに佇んでいた。
風が止まり、砂嵐は収まっている。
視界の先には、昨日見た“あの光景”が変わらず存在していた。
崩れかけた石柱群とアーチ。砂に半ば埋もれた古代遺跡。
そして、その背後でぬるりと動く、黒い巨影――十メートルを超える“あれ”が、まだ彼らに気づいていない。
「……作戦の確認だ」
丈一郎が、静かに口を開く。声に緊張はない。ただ、戦士としての集中があるだけだった。
「はいっす、昨日の作戦どおりっすね!」
新海が口角を上げて応じる。その表情の奥にあるのは、闘志の光。
「俺と新海が先に出て、デミ・タイタンの群れを釣る。引きつけて、各個撃破する。数を削れるだけ削るが、可能ならデミ・タイタン全部を潰す」
「後衛の私と恵理さんは峡谷のこの位置で待機し、援護は最低限に。体力とMPを温存し、退路を確保します」
杉谷が淡々と続ける。
「ある程度数が減ったら、合流して一気に叩く。……そして、あの巨影が動いたときは、作戦《B》に移行」
「大物向けの“とっておき”、しっかり温めてるっすよ。お披露目、楽しみにしといてくださいっす!」
「おう。じゃあ行くか」
丈一郎は両手剣を背に回し、砂を一歩踏みしめる。
峡谷の空気が変わった。誰も言葉を発さずとも、四人の呼吸は一つだった。
砂煙の向こう、遺跡の手前に広がる岩地帯。その静寂を破り、二つの影が砂を蹴った。
「いくぞ、新海!」
「任せるっす、丈ちゃん!」
丈一郎と新海――ふたりが峡谷を飛び出した瞬間、百体を優に超えるデミ・タイタンたちが一斉に咆哮をあげる。荒れ地を震わせ、岩陰からぞろぞろと現れる、全身筋肉の暴力と化した怪物たち。
だが、二人は怯まない。
丈一郎が両手剣を構え、砂を巻き上げながら踏み込む。一体が棍棒を振り下ろすのを見越し、突進スキルで飛び込むと、肘で叩き込む剛打が炸裂。巨体が後方の岩に激突し、頭蓋を砕かれ沈む。
勢いのまま、左右から迫る個体を斬り伏せ、バックステップで距離を取る。
その背後、新海が軽やかに跳ね、SMGを連射。
「夜な夜な作って溜め込んだ魔弾、出し惜しみなくいくっすよ!」
咆哮とともに新海の背後に回り込もうとするデミ・タイタンがいたが――
「させるかよ」
丈一郎の背撃が、背中から一閃。
その丈一郎の左から回り込んできた敵には、新海の放つ三連射が顔面を貫通。
隣の一体に倒れ込ませ、まとめて喉元をナイフで裂く。
さらに、二時方向に現れた五体を前に丈一郎が叫ぶ。
「ちょっと前に出過ぎてる。少し下がるぞ!」
「了解っす!」
背中合わせに陣を組み直し、誘い込むように後退。
右から回り込む一体を丈一郎が斬り伏せ、左の一体は新海が膝に弾を撃ち込む。動きを止めたところで、鋭くナイフが滑り込み、首筋を裂いて沈める。
十三体、十四体、十五体……
倒すたび、周囲の血と熱気が濃くなり、緊張が研ぎ澄まされていく。
「……このまま、削りきってやる!」
「やってやるっす、丈ちゃん!」
戦場を駆けるふたりの姿は、まさに猛攻の矛と乱撃の刃。
その連携は、一騎当千にも等しかった。
丈一郎の両手剣が重く鋭い軌跡を描けば、デミ・タイタンの巨体が宙を舞う。
だが、ただの力任せではない。剣の軌道は、敵の重心、動線、攻撃の癖すらも読み切った“確信”の斬撃だった。
「後ろから来るっす!」
新海の声と同時、丈一郎はわずかに身をひねり回避。新海がすれ違いざまにSMGを連射、怯んだタイタンの腹部へナイフが滑り込み、脇腹から抜かれる。
踏み込み、滑り、撃ち、裂く――それはもはや「連携」ではなかった。
呼吸、足音、影。互いの存在を感じ取るだけで自然に動きが噛み合う。
「三十体!」
丈一郎の叫びに、新海は返事の代わりに空のマガジンを放り捨てる音で応じる。
即座に腰から新しい弾倉を取り出し、流れるような動きで装填。
銃口が次の敵へと向けられた。
地響きのような足音。砂塵の奥から、次の群れが現れる。
「三十一、三十二……四十、四十一……!」
撃破ログが怒涛のように増え続ける。
恵理は口元を引き結びながら、サポートのタイミングを慎重に見計らい、
杉谷は横目でそれを確認しつつ、黙々と戦況を観察し続ける。
「五十体目!」
丈一郎が怒号のように叫び、新海がそれに重ねるように最後の個体を地面へと沈める。
だが、終わりではなかった。
「五十一、五十二、五十三……」
すでに数えることが無意味なほど、敵は無尽蔵に湧いてくる。
だが、二人の動きは淀みなく、むしろ次第に洗練されていくようにさえ見えた。
一体、また一体。
前衛を抜けようとする敵は、丈一郎の《挑発》で再び引き戻され、
その隙を、新海が正確に撃ち抜き、仕留めていく。
砂と血が混じり、日が昇りきった第四層。
戦場にはただ、ふたりの咆哮と疾走だけが残っていた。
* * *
視界を覆う砂煙のなかで、丈一郎の怒号が響き、新海の銃声が絶え間なく続く。
その姿を、峡谷の入口の岩陰から、恵理はただ、じっと見つめていた。
(すごい……)
数え切れないほどのデミ・タイタンが次々と崩れていく。
丈一郎の両手剣が唸りを上げるたびに、敵の腕が飛び、足が砕ける。
新海の弾丸は、わずかな隙間を縫って急所を撃ち抜き、ナイフが喉元を断ち切る。
連携が綺麗すぎるほどに噛み合っていた。
そして気づいてしまう。
あの背中――
丈一郎は、まったく新海の動きを気にしていない。
まるで、完全に信頼して、背を預けているように。
(……そうか)
胸がぎゅっと痛んだ。
(あの人、いつも私を気にかけてくれていた。
……私は、戦えるようになったと思ってた。迷惑かけてないって……)
けれど――違ったのだ。
本気の丈一郎は、こんなにも速くて、強くて、恐ろしくて。
それを引き出していたのは、隣に立つ新海だった。
(私が隣にいたら…全力が出せないんだ……)
恵理の視線が、戦場に咲くような二人の連携へと釘づけになる。
「有村さん」
静かに呼びかけたのは、隣に立つ杉谷だった。
彼は戦場から目を離さないまま、そっと声だけで彼女を包む。
「焦らず、今は見ていてください。……必ず、なすべき時が来ます」
恵理は俯き、唇を噛み、そしてまた顔を上げた。
心のなかに冷たい水が流れるような、静かな悔しさがあった。
それからさらに一時間。
デミ・タイタンの死骸が積み上がるたびに、砂と血の匂いが濃くなっていく。
それでも、二人は止まらなかった。
刀を振るう音。弾丸が抜ける音。悲鳴。怒号。乾いた足音。
まるで、音だけで紡がれる戦闘の舞台だった。
ついに――
「はぁ、はぁ………静かになった」
砂塵の向こうで、丈一郎がそう呟いた。
残った最後の個体が崩れ落ち、響く音が完全に途絶える。
一面に転がるデミ・タイタンの死骸。
その数、ざっと見積もっても二百を超えていた。
遺跡の前は、一時的に“無人地帯”となった。
「はぁ、はぁ……どうっすか、丈ちゃん……まだ、いけるっす?」
「はぁ、はぁ……いや、正直キツい。足、感覚ない。剣も……重い」
地面に腰を落とし、肩で息をする二人に、恵理たちが駆け寄る。
「回復します!」
恵理の声が響き、光の環が二人を包む。
真っ先に血を流している新海のもとへ駆け寄り、癒しの力を流し込む。
すぐに丈一郎にも手を向ける。目立つ傷はどこにもみえないが念の為ヒールをかける。
(私は……いったい、何を)
自分の無力さを、慰めで塗り固めようとしているのではないか。
そんな自己嫌悪が、胸の奥に重く残った。
「……っ」
そのとき、遺跡の方角から――
ズンッ、と地面が揺れるような音。
「……ッ!? 来るぞ!」
砂煙の向こう。静止していた“あの巨影”が、ついに動き出した。
「……動いたか」
新海が息も整わないまま立ち上がろうとすると、杉谷が前へ出て、拳銃を構えた。
「お二人のおかげで、私たちは力を温存できました。しばらく時間を稼ぎますから、その間に息を整えてください」
そして、隣の有村を一瞥する。
表情はまだ強張っていた。
だからこそ、杉谷は言葉を選ばず、まっすぐに声をかけた。
「有村さん。……さあ、ここからが、私たちの力の見せ所ですよ」
恵理は、はっとして彼を見る。
杉谷は、優しい微笑みを浮かべて頷いていた。
その表情に、恵理はようやく自分の足で、前を向いた。




