第30話 セッション:四人の連携
東京ダンジョン・第四層。階層を少し進んだあたりでは、砂漠の中にひときわ大きな岩が、まるで巨人の積み木のように重なり合って転がる場所が広がっていた。
その中でも、ひっそりと佇む岩陰こそが、杉谷と新海が見つけ出した拠点だった。その隠れ家から、四人の探索者が静かに姿を現した。
先頭を行くのは、桐畑丈一郎。その隣には、彼と寸分違わぬ距離を保ち、有村恵理が静かに並び立つ。
やや遅れて、砂を蹴る音も立てずに軽やかに続くは新海練。そして、最も後方からは、周囲の気配を冷静に見つめる杉谷悟が、鋭い眼差しで警戒を怠らなかった。
パーティリーダーの役割は、昨夜の話し合いで丈一郎が担うこととなった。
丈一郎をリーダーに推薦したのは杉谷だった。レベル、つまり戦闘力の高さと危機時の判断力、それに丈一郎の《《ダンジョンに対する適性》》が、リーダーとして最適でしょう、と杉谷から伝えられた。
パーティメンバーのステータスウィンドウに表示された丈一郎たちの職業は、戦王と回復術師。
捕食や眷属といった職業・スキル・ステータス値の情報は、丈一郎の《隠蔽》スキルによって伏せられている。
──無用な疑念は、避けられるうちに避ける。ただし戦闘状況によっては隠さない。それが、昨日恵理と決めた方針だった。
岩砂と熱風が肌を焼く道を、しばらく無言で進んだあと、ぽつりと、丈一郎がつぶやいた。
「……まさか、ダンジョンの中で肉を焼く日が来るとはな」
「お? 丈ちゃん、俺っち自慢のディナーはどうでした?」
新海がニッと笑いながら口を挟む。
丈ちゃん――昨晩から突然そう呼ばれはじめた。最初は戸惑ったが、注意しても悪びれず、悪意もなさそうなので、諦めた。
「正直、三層の果物ばっかで胃が弱るかと思ってたんっすよ。四層でタウロス、牛型の魔物を討伐した後、杉谷さんに食べたいって駄々こねて食べたら…食った瞬間、涙出ました」
「ふふっ……でも、ほんとに美味しかったよね。あれ、牛肉っていうか和牛みたいじゃなかった?」
「やっぱそうっすよね!? ボーナスて食った焼肉よりうまかったっす。
ただ、あいつらデミ・タイタンの主食らしいっす。狩場になってるらしく、一回調子乗ってたらデミ・タイタンたちとかち合っちゃって」
「なるほどな、苦労がある分美味いわけだ」
苦笑いしつつ、丈一郎は昨夜の食事を思い出していた。
魔物・タウロスの肉。新海がパーティー結成祝いっす! といって持ち帰った肉を、焼いてみた結果――想像をはるかに超える味わいだった。
血の香りは強いが、脂は清らかで、舌の上でとろけるような旨味。
灼熱の第四層で味わった、奇跡のような一皿だった。思い出すだけで朝から腹が減りそうだ。
「下手すりゃ、地上の焼肉屋よりうまかった。しかもまさか岩塩まで手に入るとは」
「やっぱ肉には塩が必須っすよね! 生きる気力、出るっす!」
「だな」
焼けつく岩砂の中を歩きながら、彼らの口元には小さな笑みが浮かんでいた。
歩きながら話を聞いていた杉谷が、ふと口を開いた。
「……三層には果樹があり、水場もある。そして四層では肉や調味料まで手に入る。そしてそれらは、栄養価・味ともに地上の食料に劣らない」
「たしかに。果樹のおいしさもふくめて、地上のものと遜色なかった」
恵理が続け、振り返るように新海が言った。
「しかもパンデミックで地上じゃ流通も壊滅してるっす。こっちは果物、肉、水に加えて、リスクを負えば生き抜く力ももらえる……ぶっちゃけ地上より環境いいじゃんって思うっす」
「……たしかに」
丈一郎が眉を寄せる。
「ええ。あまりにも整いすぎている。まるで“地上がそうなることを分かった上で”、環境を整えた誰かがいるようにすら思えますね」
「……ダンジョンを呼び出しただけでなく、構造自体が人為的ってことですか」
恵理の言葉に、杉谷ははっきりとは頷かないまま、地面の割れ目に目を落とした。
「はい。偶然として片付けるには条件が整いすぎています。食料も水も揃っていて、必要なら戦って力を得るようになっている。まるで、何者かがこちら側に、適応しろと促しているように見える」
それは、鋭い観察眼と、かつて刑事であった杉谷の本能に裏打ちされた言葉だった。
「……そう考えると不気味だな」
丈一郎の呟きは、熱気に溶けて消えた。
4人は途中で見つけた岩陰で休息を取ることにした。杉谷と新海の2人が哨戒に出た後、丈一郎がちらりと恵理に目を向ける。
「……そういえば、昨晩の肉、食った後にさ……《捕食》スキルが勝手に発動したんだよ」
「えっ、あれって実際に食べても発動するの!?」
「俺もびっくりした。なんか胃の奥が軽くなって、勝手に発動ログ出てた」
「で、どうなったの?」
「“闘牛”って職業が追加された。久々の魔物系。スキルは突進Lv.1だけどな。使い所あるかは……微妙だ」
「……たしかに。あ、ハンカチ見たら興奮する?」
そういってニヤニヤしながら手をひらひらとする恵理。
「しねぇよ! したらヤベェやつだろ」
目を輝かせる恵理に、丈一郎は小さく苦笑を漏らす。
「でも、スキル隠したければ、食べるって手もあるんだな」
「試してみる? ゴブリン肉にゾンビ肉」
「試さない。手もあるって話だよ」
そんな他愛ないやりとりに笑いがこぼれたそのとき――
岩陰の向こうから足音が近づく。
「戻りました。付近に敵影なしです」
冷静な声でそう告げたのは杉谷。続けて、新海が手を振りながら顔を出す。
「丈ちゃん、恵理ちゃん、仲良く談笑もいいっすけど、そろそろ攻略再開するっすよ!」
いつの間にか、炎熱の風も少しだけ和らいでいた。
再出発からさらにしばらく、足元の岩場を踏みしめながら、新海が軽快に口を開いた。
「昨晩も話しましたけど、さっきの拠点を出てまっすぐ進んだ先が、丈ちゃんたちが三層から来たルートっす。で、拠点から裏側に進んだ方が、俺っちたちが降りてきたルートっす。左はタウロスの縄張りと水場くらいしかなかったっすね。で、拠点から出て右側、今向かっている方っすね、それが昨日あの大群と戦った場所。」
丈一郎が頷きながら足を止め、後ろを振り返る。
「じゃあ……残るのはこの奥だけってことか」
「っす。それ以外の方向を限界まで進んだら岩壁、あるいは見えない壁…俺っちのとっておきの弾丸でも破れない壁にあたりました」
杉谷が補足する。
「ええ、三層はすべて高い岩壁に覆われていましたが、仮に岩壁の上に登ったとしても、同じようなものがあるのでしょうね」
「とにかくこっち以外は行き止まりってことっす。んで、これからいくのは昨日の場所の先。俺っちたちもまだ未探索っす」
後方から歩み寄ってきた杉谷が、携帯端末を操作しながら続けた。
「我々はこれまでの探索結果から、ルートの構造、地形の変化量、魔物の濃度から見ても、おそらく次の階層へ向かう道は、この先に存在する可能性が高いと判断しています」
「つまり、今日は右側の奥を確認。
何もなければ、明日、拠点の裏側方面にまわって階段を探すって流れですね」
恵理が整理するようにまとめると、新海が珍しく真面目な声色で答えた。
「そういうことっす。でもこの先にはおそらくボス個体がいるっす。場合によっては今日は確認で折り返すのも手っす」
その声色に、誰もが無意識に気を引き締めた。丈一郎は静かに頷く。
「了解。慎重に行こう」
灼熱の荒野に、乾いた風が吹き抜ける。
足元の砂がわずかに赤みを帯び始めた頃、四人は歩みを緩めた。周囲には風化した岩々が点在し、まばらに立ち並ぶそれらが、まるで監視者のように沈黙している。
「……いるな」
丈一郎が低く呟く。
「ええ。ここからデミ・タイタンの領域です。すでに複数体の反応があります」
杉谷が静かに応じ確認する。
「視界にはいないけど、周囲の岩陰……たぶん十体以上はいる」
恵理が警戒を込めた声で言うと、新海が身を低くし、軽やかに銃を構えた。
「隠れてるっすね。……動き出す前に隊列を整えて、とっとと仕掛けた方がいいっすね」
「そうだな」
丈一郎が頷き、すでに両手剣を引き抜いていた。
丈一郎を先頭に、新海、恵理、杉谷の順と、四人は戦闘配置につく。完了と同時に杉谷から声が上がる。
「索敵反応、移動開始……三時方向、五体。九時方向に四体。正面からも二体きますよ」
「まぁ、これだけ見通しよければ、気づかれるよな」
「でもまだ先制取れます、いけるうちに!」
恵理が叫ぶと同時、丈一郎が声を上げた。
「いくぞ、まずは俺が突っ込む!」
荒野に響く号令とともに、四人の戦闘が再び始まった。
岩陰から咆哮をあげて突進してきたのは、筋骨隆々たるデミ・タイタンたち。
「まずは三時方向、五体!」
丈一郎が即座に飛び出し、正面の1体に肘で剛打を叩き込む。
大きく体勢を崩したそのタイタンに、丈一郎の背後から現れた新海のSMGが火を噴いた。
丈一郎はそのまま、後方の1体に二連斬で切り上げ、さらに横にいた1体にそのまま切り下げる。
左右に離れた二体は、杉谷の銃撃と懐に飛び込んだ新海の刺突で倒れる。
「次、正面!九時方向はまかせる」
丈一郎が警告を叫ぶと同時に四体のデミ・タイタンが後衛の二人に投石を仕掛ける。
「聖環癒域!」
すかさず恵理が防御スキルを発動。
「足元が隙だらけですよ」
同時に杉谷が仕掛ける。投石をしようとした二体の膝を的確に打ち抜き、体制が崩れたところにとどめの銃弾が届く。
「二体、抑えてます!」
残りの二体も、恵理が浄化の茨で拘束した側から、杉谷が静かに応じ難なくとどめを指す。
スキルと鍛え上げられた射撃術で、二体の急所を冷静に撃ち抜く。
その間に、丈一郎と新海は正面の二体を撃破していた。
砂煙が立ちこめ、音が止む。
「……これで全方位、掃討完了ですね」
「全員、無傷っす! 完璧な連携っすよ!」
「あぁ、正直ハマりすぎて驚いてる」
丈一郎は、息を整えながら思う。
(……後方のことをほとんど気にせず突っ込めるのが、これほど戦いやすいとはな)
前衛で敵の注意を引きつける自分に、的確な支援と防御を重ねる恵理。
間隙を縫って自在に立ち回り、火力を叩き込む遊撃の新海。
そして全体を見渡し、冷静に指示と射撃をこなす後衛の杉谷――
一時的なパーティであれど、役割と相性の噛み合いは申し分なかった。
それからしばらく戦闘を続けた四人は小休止を挟み、岩陰に身を寄せながら水筒を回していた。
「……戦闘開始から三時間。お、レベルも2つあがってるっす。倒した数は……百体以上ってとこっすね」
新海がステータスを確認しながら、額の汗を拭う。
「そろそろ……目的の場所が見えてきました」
前方を見据え、そう言ったのは杉谷だった。
進行方向には数十メートルの高さの岩壁が続いており、その間に幅5メートルほどの割れ目が見える。
「ここから先は、私たちもまだ見ていません。ここに来るまでの魔物の密度が異常に高いのです」
「じゃあ、未知の領域ってわけね」
恵理が口を引き結び、丈一郎も頷いた。
「魔物の数が増えてるのも納得だ。……この先に何かあるな」
再び陣形を整え、警戒しつつ峡谷を進み始めた四人。
初期ボナ宣徳を繰り返しながら1時間ほどで峡谷をぬけ、その先に続く荒野の奥――砂嵐の向こうに、何かの“構造物”が見える。
「……遺跡、ですね。あれは」
杉谷の声が低くなる。前方の岩場の奥、砂漠に埋もれるようにして、崩れかけた石造りの柱群とアーチが立ち並んでいた。三層のものよりも規模が大きく、まるで古代神殿のような静けさと威圧感。
そして、その奥。
「……なんだ、あれ……」
丈一郎が思わず足を止める。
遺跡の背後、黒い巨影が静かにうごめいていた。距離があるにもかかわらず、その威圧感は圧倒的で、十メートルを優に超える。
「……あれが、“ボス”か」
「その周囲にも、見えるだけで数十体……デミ・タイタンがいるっすね」
「幸いこちらにはまだ気づいてないようですね。しかし、動きが……これまでのデミ・タイタンと異なり、より組織だって動いているようです」
周囲の風が止んだような錯覚。四人は言葉を失いながらも、しばしその光景を凝視していた。
「……どうする、丈?」
恵理が小声で問う。だが答えはすでに決まっていた。
「戻ろう。ここから先は明日、仕切り直して挑む」
「賛成っす。弾薬を作るMPも体力も、このままじゃ持たないっす」
新海も即答し、杉谷も静かに頷いた。
「見えている範囲だけでも四十体以上。仮にデミ・タイタンを退けても、あの巨影が動けば、状況は一気に崩壊します」
「よし。じゃあ、一度拠点に戻ってステータスの確認と装備の整理。明日、再戦といこう」
丈一郎の結論に皆が頷き、拠点へと踵を返した。




