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第2話 ドロップダウン・オブ・ザ・デッド︰ダンジョンの中

 視界がじわじわと明るくなっていく。


 まず感じたのは、ひんやりとした石の冷たさだった。次に、空気の重さ。地下にいるような、湿って澱んだ匂いが鼻をくすぐる。


「……ここは……」


 ゆっくりと目を開けると、天井が見えた。不自然なほどなめらかな岩肌――しかし人工物ではなく、自然とも違う。


 意識がぼんやりとしたまま、桐畑丈一郎は上半身を起こした。背中に広がっていた痛みは、意外なほどあっさりと引いていた。


「あれ……? 落ちたよな、俺……てか……噛まれたよな?」


 思わず肩に手をやる。そこで、彼は固まった。パーカーの肩口――破れた布地の中にあったはずの“傷跡”が、ない。


「……え?」


 手のひらで何度も確かめる。間違いなく、さっき山﨑さんに噛まれたはずの場所。皮膚は裂け、血がにじんで、間違いなく深手だった。


 だが今――そこには、傷ひとつ、ない。皮膚が新しい気がしなくもないが、それすら自信が持てない程度。熱もない。それどころか、痛みもだるさも、ない。


「……ゾンビになってない……?」


 言葉に出してみて、ぞくりと背中が震えた。さっきまでの状況を思い返す。噛まれた。血が出た。ゾンビに囲まれて逃げた。そして足元の地割れに落ち――


 頭を押さえると、そこも鈍い痛みが残る程度で、致命的な外傷は感じられない。丈一郎は、ようやく辺りを見回した。


 天井は低く、壁は岩。だがただの洞窟とは違う。空気が妙に重く、重力もどこか変だ。耳が詰まるような感覚がある。わずかに光る苔のような植物が壁に張り付き、仄かな緑の光を放っていた。


 斜め上を見ると、10メートルほど先に、丈一郎が落ちた裂け目が見えた。隣には、頭が潰れたゾンビが倒れている。


「滑るように落ちて……腐ったゾンビの頭がクッションになったってことか?……そんなバカみたな理由で……よく助かったな……」


 丈一郎はふらつきながら立ち上がる。その瞬間――


《ステータスを獲得しました。確認しますか?》


 唐突に、頭の中に“文字”が浮かんだ。


 誰かの声でも、端末の通知でもない。まるで意識の中に直接表示されたような、鮮やかな問いかけ。


「……え、今……なに、これ?」


 とりあえず、心の中で「はい」と答える。直後、脳裏にスクリーンのような画面が展開された。


【ステータス】

名前:桐畑 丈一郎

職業:捕食者ゾンビ

レベル:1

経験値:3/10

HP:40/40

MP:20/20

STR:10

VIT:10

AGI:10

INT:10

LUK:15

スキル:捕食

残AP:100


「マジかよ……」


 あまりにも“RPG的”すぎる情報に、丈一郎は乾いた笑いを漏らす。


「職業:捕食者ゾンビって……なに、俺モンスターサイドなの?何も感じないけど…感染から助かってなかったってこと?」


 隣に倒れているゾンビ――たぶん落ちた拍子に頭突きを食らわせたやつ――の死体は、すぐ近くに転がっている。ぐしゃりと潰れた頭部から、腐臭が漂っていた。そして、その死体に対して、再び文字が浮かぶ。


《捕食可能死体を確認しました》

実行しますか?(Y/N)


 ほ、捕食…!? 戸惑いながらも、丈一郎は「Y」と答えた。


 死体がふわりと光に包まれ、ぼろぼろと崩れていく。まるで煙のように、何かが空気中に溶けて、やがて丈一郎の胸元に吸い込まれていった。


《スキル『噛みつき Lv1』を獲得しました》

現在の所持スキル数:1


「え、今のでスキル……覚えたの……?」


 体感は何も変わらない。だが、“自分の中に新しい何かがある”という実感だけは、はっきりとあった。


「これ……やばくね……?」


 そして、改めて自分の体に目をやる。


 肩の傷は、消えている。体に力がみなぎっている。視界も、聴覚も、妙にクリアだ。


(なんだこれ……体、めちゃくちゃ軽い)


 二日酔いが完全に抜けた日の朝のような、いや、それ以上の“動ける感覚”。身長も筋肉も変わっていないはずなのに、手足の動きにキレがある。呼吸が楽。足腰が安定している。


「……俺、ゾンビにならなかったどころか……めっちゃ元気になってない?」


 そう呟いたとき、不意に気になった表示が目に入った。


「……残AP、100……?」


 ステータス欄の下部に、さりげなく表示されている見慣れない項目。


「AP……って、なんだこれ。アクションポイント? ……いや、違うな……」


 首をひねった次の瞬間だった。ステータス画面の数値の横に、小さな矢印が浮かび上がった。


「……これ、まさか…アビリティポイント!?…ポイント振りか!?」


 試しに、STRの右矢印に意識を向ける。《STR +1》という文字がふわりと浮かび、その下のAPが「99」に減少した。


「うお、マジかよ! 振れた!」


 半信半疑で、さらにSTRに+4、AGIに+5を割り振ってみる。その結果がステータスに反映されていく。


【ステータス】

名前:桐畑 丈一郎

職業:捕食者ゾンビ

レベル:1

経験値:3/10

HP:40/40

MP:20/20

STR:15

VIT:10

AGI:15

INT:10

LUK:15

スキル:捕食、噛みつき Lv1

残AP:90


「……おおお、これマジでRPGだわ……」


 実感がじわじわとこみ上げる。手足の動きがさらに軽くなったような錯覚すらある。


「ってことは……このAPって、敵を倒すかレベル上がったりすると増えてくのか……?」


 丈一郎は、そこでようやく確信する。自分は、確かに“何か”になったのだ。そして、それは――この崩壊した世界で、生き延びるための力になるかもしれない。とりあえず今後のことを考え、APはいったん使わずに取っておく。


「……このまま、帰れるのか?」


 スキルを得た興奮が薄れてくると、ようやく我に返る。目の前には、暗くうねる石の道が続いている。

丈一郎の住んでいた町の下にあるにしては、明らかに異質な存在だった。一見、ただの洞窟のようだが、明らかに“何か”の意図を感じさせる構造だった。


「これって、たぶんダンジョンだよな?」


 丈一郎は、さっき落下してきた裂け目のあたりを見上げたが、簡単には登れそうもなかった。


「……とにかく上に行くしかない」


 根拠はない。けれど、ここが“地面の下”なんだから、帰るには上を目指すしかない。


 足音を殺しながら、慎重に歩き始める。意識を集中すればするほど、自分の体の“異変”に気づいていく。足取りが軽い。暗闇でも、妙に視界が効く。耳が周囲の音を拾っている。


「ほんとに……強くなってんのか、俺」


 だがそれは、すぐに証明された。通路の先、岩陰から、何かがぬるりと這い出してきた。


「っ……!」


 ゾンビだった。崩れかけた顔。折れた腕。ずるりと地面を引きずるような動き。あきらかに知性はない。けれど、本能だけで動いている“何か”。


「くるなよ……マジでくんなよ……」


 丈一郎は足元にあった拳大の石を拾って構えた。本能が、恐怖よりも先に“戦え”と叫んでいる。


 ゾンビが跳ねるように突っ込んできた瞬間、丈一郎の足が、自然と地面を蹴っていた。


「っらああああああああっ!!」


 乾いた音。骨の砕ける感触。ゾンビが崩れる。


「やった……倒した……っ!」


 肩で息をしながら、その死体を見つめ、捕食スキルを発動させる。その瞬間――また、頭の中に声が響く。


《スキル『腐食耐性 Lv1』を獲得しました》


「……耐性!? レベル1?つまり耐性を上げられるってことか……!」


(これ……集めまくったら……マジで最強になれんじゃ……?)


 同時に脳裏をよぎったのは――自分がもともと“ゾンビになりかけていた”という事実だ。


「……俺の職業がこうなったのって、まさか感染し切る直前にゾンビ倒したから……?」


 あのとき、“ゾンビになりかけていた自分”が、ギリギリでスキルを得た。その瞬間、ゲーム的な“ルール”に組み込まれ、ゾンビ化を免れた。そんな仮説が、自然に浮かび上がってきた。


「だとしたら……マジで運が良かったんだな……」


 そんなことを考えながら通路をさらに進む。


 どれくらい歩いただろうか。スマホを見ると、すでにけっこう時間が経っている。空腹が限界を迎えようという時。坂道が現れた。それは、明らかに“上へ”と導く構造。くすんだ石畳が続き、途中にはまた死骸が転がっている。


 ただの死体か、それとも別のゾンビか――干からびた死体には近づかず、丈一郎は足早に通り抜ける。


 やがて、風の匂いが変わった。湿った空気に、埃と排気ガスが混ざったような、どこか“地上の匂い”。


(……出口?)


 胸の鼓動が早まる。足を速めて、曲がりくねった道を抜けると――そこは、見慣れた新宿駅西口だった。


「……っ!」


 言葉を失う。


 普段人でごった返す地下改札口前を行き交うのは目に光を失った屍たち。電源が消え非常灯のみが灯る通路。あちこちに広がる肉塊と血痕。それは丈一郎の知っている新宿駅とはあまりにも違っていた。


 通路に溢れるゾンビを避け、階段から駅上の屋外通路へとでる。


「……う、そだろ……」


 眼前に広がるのは瓦礫と炎の街。道は崩れ、ビルは焼け、路上には放置された車。地面には血の跡、吹き飛ばされたような肉片、割れたガラス。我が町のようにあちこちを徘徊する、大量のゾンビ。コンビニはシャッターがめくれ、道路は信号が消えている。焼け落ちた街を包む夕陽だけが美しく、やけに現実離れしていた。


「……マジで、世界……終わってんじゃん……」


 丈一郎は、ようやく理解する。――自分が、完全に世界の終末を“寝過ごしていた”という事実を。

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― 新着の感想 ―
非常有趣的故事,讀起來非常流暢
そこは、見慣れた新宿駅西口だった。 だが、光景は、あまりにも違っていた。 「……う、そだろ……」 眼下に広がるのは、瓦礫と炎の街。 上記の部分の「新宿駅西口だった」は地上なのでしょうか? 後に続く「…
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