第25話 ザ・クワイエット・アフター:新宿駅の静寂
立川広域防災基地。基地の一角に設けられた簡素な執務室で、早乙女仁は一人、タブレットに次々と上がってくる書類に目を通していた。窓の外では雲が重く垂れ込め、かすかにヘリの飛行音が遠ざかっていく。
「……各都市の先遣隊、帰還か」
早乙女は一枚の報告書をめくりながら、静かに呟いた。昨日までに、東京以外の主要都市――札幌、大阪、名古屋、福岡――において、それぞれ自衛官を中心にした探索者部隊がダンジョンに突入。東京を除く各都市ごとに陸自4名×8組=32名のレイド編成。合計128名。
今朝の時点で114名が帰還。うち18 名が負傷。16名死亡。そのほか、負傷状況や各ダンジョンの入り口周辺の状況、そして得られた職業、スキルを取りまとめたもので、職業に置いては職業ごとの資料も纏まっている。
中でも目を引くのが回復職の存在。人数は7名と1割にも満たないが、その価値は計り知れないものだった。
その場で負傷者の治療に当たらせたところ、切り傷や骨折をたちどころに回復(回復の効果は個人差あり)。現在は、避難所に集まった負傷者の治療に当たっている。
一方、現状では病気や感染は回復不可であることを確認。負傷者の中にいた感染者についてはゾンビ化する前に現地で処理、3名が死亡となり合計19名死亡。
(損耗率として考えればかなり優秀な結果だろう…しかし割り切れないものだな)
「鍛冶師、呪術師、テイマー……なるほど。大島の“侍”も珍しいものだったんだな」
報告には、回復職も含めていくつかの“特異職業”の存在が明記されていた。件数が1名〜2名と少ない職業を暫定的に取り扱っている。今後レベル上げに合わせてその職業の効果を測っていく予定となっている。
「ステータスを取得後、各都市でもそれぞれ“第五層ボス討伐ミッション”を確認。期日は……東京と同じ。報酬も同じくシークレット。偶然とは思えん」
これはもしかすると、国外も同じ状況なのでは?などと考えていると、ふと新しい通知に目が止まる。差出人は、京都に避難している宮内庁筋。
「……京都の民間護衛会社の社員がすでにダンジョンを探索中?」
中には、“とある高貴な方を護衛する京都の老舗SP派遣会社が、独自に探索者を持ちダンジョンに派遣している”という極秘情報。今後、東京のダンジョンを始め、各地のダンジョンにも派遣予定とのこと。
(京都ということは大阪のダンジョンに潜っていたということか?ならばミッションの存在や、なにより被害状況も見えていたはず。これまで連絡がなかった宮内庁関係者からの連絡というのも気になるが、この状況で我々にも明かせない事情があるということは、おそらく戦前、いやそれよりも《《もっと前の時代》》からの…)
「いや、現状これ以上考えても無駄だな。……事前に知らせてきたということは、トラブルを避けたいという意思表示だろう。とにかく各地の探索チームに民間の探索者がいるという通達だけはしておくべきか」
別のファイルを開く。東京ダンジョンの探索者一覧、自衛隊、警察官からの候補者と、今朝届いたばかりの志願者名簿。手元には、“桐畑丈一郎”の名を記した資料と、“舞”という名の女性の志願票。
「……同郷の友人ね」
早乙女は、ほとんど表情を変えぬまま、静かに呟いた。
手元の書類を揃えながら、会議の時間を確認する。17時45分。この後――東京ダンジョン攻略に関する本会議が始まる。
* * *
長机の上に拡げられた東京23区の地図。その上には“新宿駅”“東京駅”“霞が関”“品川駅”の4地点が赤くマークされている。
背広姿の大島が、黙ったままスライド資料をめくり、開口一番、言い放った。
「昨日18時、東京ダンジョン第5層にてミッションが発生したことを確認。内容は“5層ボス討伐”、報酬不明、期限は発生から318時間、つまり4月14日24時迄です」
防衛庁幹部が眉をひそめる。
「各都市と内容・期日が一致しているのは偶然ではないでしょう。何らかの――共通基盤を持った現象かと」
「報酬については?」
「不明です」
資料を指差す大島が説明を加える。
「ミッションクリア時点で告知、ということか」
そう言って早乙女が頷く。
真壁が、別スライドを表示する。
「現在、新宿以外に判明しているダンジョン入り口は東京駅、霞が関、品川駅の3か所」
「上空より確認できた霞ヶ関を除き、すべて構造物の地下にて開口」
「進入可能か?」
「どちらも大量のゾンビに遮られており、突入には特戦群のような専門チームの小規模投入が必要です。現在、先日他都市で行ったように、駅ビルへ上空から降下、ビルを拠点として固め、部隊を投入する、あるいは地下鉄の路線を利用し、地下から現地へ突入する形が必要かと」
坂口が腕を組み、呟く。
「これが全部つながってたら、洒落になんねえ規模だな」
岸本が操作するタブレットに、かつての警視庁本部庁舎のスライドが映る。
「警察関係者から本日通告のあった“探索者”……すでにダンジョンでの戦闘を経験し、ステータスを持つ警察官について報告です」
「何人だ?」
「警邏中にダンジョンに巻き込まれ生還した6名。鑑識官、機動隊員、SAT経験者もいるようです。昨日まで本部庁舎を拠点とし、東京駅のダンジョンに潜っていたとのことです」
おぉ、と大島が唸る。
「現在、彼らは立川に移動を計画中。本人たちの希望もあり、後日面談予定」
早乙女がタブレットを確認しながら続ける。
「続けて、東京ダンジョンへの探索者部隊についてです」
「明日、陸上自衛隊を中心に自衛官、警察官で構成した第2次探索隊を4人編成×10部隊投入。第1次探索メンバーである特戦群5名より、治療中の南雲を除いた4名も同行」
「ついで明後日、第3次探索隊は避難所より志願者を募って派遣。選抜は志願ベースですが、自衛官経験者・元警官も多く、最低限の面談と適正試験は実施済」
「現場の初期対応と反応次第では、それ以降も増員予定」
神谷、早乙女の秘書が小声で言う。
「で……あの民間の俺最強くんは、どう扱います?」
早乙女は視線を落とし、一枚の報告書を指で叩く。大島が報告を行う。
「桐畑丈一郎。27歳、会社員。職業は《戦士》と自己申告。初回の接触時、敵性ゾンビを単独で複数体制圧した上、特戦群を追い詰めた大型ゾンビをほぼ無傷で討伐」
大島が続ける。
「彼がいなければ、新宿大学病院の防衛ミッションは成立しなかった。それはまぎれもない事実です」
「現時点では、協力的な一般人。だが――」
真壁が口を挟む。
「……現在、行方不明。病院からヘリで移送中に自ら落下、それ以降の動向は不明」
坂口が苦笑する。
「何者だよ、マジで。いまだに信じられねえ」
砕けた口調に岸本が睨む。坂口はきにもとめず、自衛官の立つ瀬がないよな〜と神谷と軽口を叩いている。早乙女は静かに続ける。
「現段階では“非公開協力者”。発見次第協力を要請、非公開の探索モデルとしての打診をする。下手に注目を集めるよりは、影で扱った方が本人にとっても良いだろう」
神谷が小さく頷く。
「……じゃあ、例の“同郷の女の子”は?」
「七瀬 舞。看護師、26歳。志願者リストにも名前がある。今後、彼と接触できる可能性のある数少ない人物だ」
早乙女は視線を会議卓に戻し、淡々と結ぶ。
「今できることは彼女と良好な関係を結んでおくことだ。彼と接触したら協力してもらえるよう打診もしておきたい」
会議室に緊張が張りつめたまま、議題の最後に差しかかろうとしたその時。
――コン、コン。
扉を叩く音とともに、通信担当の若い隊員が小走りで駆け込んできた。
「失礼します! 監視班より、緊急報告!」
早乙女が即座に顔を上げる。
「報告を」
「はい。本日14時頃から新宿駅周辺にいたゾンビが大きく減少したことを衛星で確認。本日17時、新宿駅を中心に500メートルの範囲で消失を確認。
現在、現地へドローンを派遣。確認可能な範囲では動体反応なし、ほぼ完全な沈静化状態です!」
室内が一斉にざわめいた。
「……消失?」
「駅構内だけでも数万単位のゾンビがいたんだぞ……?一体、どうやって?」
早乙女はすぐさま指示を飛ばす。
「映像、回せるか」
「はい!」
通信士が操作端末を起動し、プロジェクターが作動する。壁面スクリーンに、ドローン映像が映し出される。
静まり返る新宿駅前。無人の構内、閑散とした駅ビル周辺。破壊された車両や放置された物品の数々が残っているが、“ゾンビ”の姿だけが、まるで取り除かれたようにほとんど見当たらない。
報告が続く。
「監視班が確認した限り、昨夜から本日昼過ぎまでにゾンビの姿が徐々に減少。
現在、駅構内と周辺ビル内を含め、動態センサー反応ゼロです」
「ダンジョンに戻って行ったとか、行動パターンが変わって移動した可能性も考えられますね」
岸本が可能性を推測する。
「あるいは現地にいる何者かがやったとかな…」
坂口がぽつりと呟く。その言葉に、一瞬、室内の空気が重く沈む。真壁が目を細めた。
「……桐畑か」
早乙女が答えず、スクリーンをじっと見つめる。画面の中、新宿駅西口ロータリーを照らすように、雲間から夕陽が差し込み始めていた。
まるで嵐が過ぎ去ったあとのように、静かな、異様な風景。誰も、すぐには言葉を発せなかった。




