第24話 クリーナー:一石三鳥
次の日の朝、新宿の空はどこまでも灰色だった。ゾンビのうめき声と腐臭に満ちた街の中――丈一郎と恵理は、再びダンジョンの階段を降りていた。
第一層。昨日と同じく、苔の光が柔らかく地面を照らしている。二人は、無言でゾンビを狩っていた。鉄パイプを振るう音と、時折響く足音だけが静かな空間を切り裂く。
恵理はすでに戦いに慣れてきており、その表情には迷いがなかった。
「……やっぱり、襲ってこないって、すごいね」
狙われないという絶対的な安心感が、戦闘に余裕を生み、効率を加速させていた。
「うん。しかも、お互いの位置と状態もわかるし……」
パーティ機能の利点を実感していた丈一郎は、ふと周囲を見渡す。
「――分かれて狩った方が早いな」
「了解、こっち側は任せて」
手際よく戦いをこなす恵理の背中を見送りながら、丈一郎は反対方向へと歩き出す。
しばらくして、彼はふと足を止めた。
「……狩り尽くすぞ、これ」
丈一郎はゾンビの死骸が消えていく通路を見渡しながら、鉄パイプを肩に担いで小さく息をついた。
(……地上には、まだ腐るほどいるってのに)
そう、地上にはゾンビが無数にいた。新宿の街路、ビルの谷間、路上駐車された車の中――どこも彼らで埋め尽くされていた。だが、いくら倒しても経験値は得られない。
「ん?こっちに引きずり込めれば、あるいは……」
ふと、そんな考えが浮かぶ。
(ダンジョン内で倒せば、“ダンジョン内での討伐”として処理されるかもしれない)
もしそれが正しいなら、地上にいるゾンビも“資源”として使える。
(……試してみる価値はある)
丈一郎は、通路を引き返し、地上への階段を登っていった。
新宿駅の構内。まだゾンビはそこかしこにいたが、彼らはこちらに気づく様子もなく、ただ無意味に彷徨っていた。
丈一郎は一体にゆっくりと近づき、背後から肩を押す。
「……っと」
ゾンビの身体はふらりと前のめりに傾き、そのまま地下へと続く階段へ落ちていった。
――ゴチンッ!
乾いた音と、濡れたものが潰れる音が続いた。その瞬間、丈一郎の視界の隅に、情報が表示される。
《経験値+2》
(……マジか)
確信に変わる。
「やれる……!」
ゾンビが地上にいようが元人間であろうが、“ダンジョン内で倒せば”経験値として処理される。――それはつまり、地上のゾンビすべてが“狩り対象”になるということだ。
「……恵理!」
丈一郎は階段の上から手を振り、パーティ通信で彼女の位置を確認する。
「ちょっと、考えがある。来てくれ」
まっすぐにその目で、我が物顔で駅を闊歩するゾンビたちを見ながら、丈一郎の脳裏には、はっきりとひとつの作戦が浮かび上がっていた。
恵理が階段を上ってくるまでの間、丈一郎はゾンビたちの動線を確認していた。通行可能なルート。段差の高さ。遮蔽物の有無。ゾンビの動きは単調だが、落とすにはある程度の工夫が必要だった。
「どうしたの、丈。……考えって?」
恵理が軽く息を整えながら隣に並ぶ。
「見ての通り――」丈一郎は階段の下を指さした。
「ダンジョン内で倒せば、地上のゾンビも経験値になる。さっき落としたやつで確認した」
「……ほんとに?」
「表示された。間違いない。つまり、これ全部――」
そう言って駅構内に漂うゾンビの群れをぐるりと指す。
「経験値に変えられる」
恵理は、周りを見渡し、しばらくその意味を考えていた。ダンジョンで見るゾンビは肌の色がどす黒く変色し、服装も布をかぶっているような粗末なものだ。
しかし、街で見るゾンビのほとんどは、まだ肌の色は人に近く、服装はスーツだったり、ワンピースだったり、制服だったり……つまり――
「……元は人間だったんだよね」
「そうだね。俺も考えたよ」
丈一郎は正直に言う。
「でも、今の彼らは、もう戻れない。襲ってくるし、街を占拠してるし、何より――これは俺達にしかできないと思う」
そう。これは“取り戻すための戦い”。敵がゾンビでも、元が人間でも、今の彼らは“敵”として存在している。
「本当は、ちゃんと弔うべきなのかもしれない。だけど今生きている人たちを守るためにも、難しい判断をしていく必要がある。これからもな」
丈一郎は周りにいるゾンビたちをぐるりと見渡して恵理に向き直る。
「今は、俺たちにしかできないことがある。俺たちなら誰も襲ってこないし、正面から押し込める。ダンジョンで処理すれば経験値も得られる。街も綺麗になる。一石三鳥だ」
恵理は、少しの間、駅の天井を見上げてから。
「……わかった。うん、やろう」
そして、小さく、でもしっかりと頷いた。
「いつか、新宿を取り戻すためにも。私も……やる」
その言葉に、丈一郎は微笑んだ。
「よし、始めよう」
こうして二人は、駅に溢れるゾンビたちの“掃除”を始めた。
そこからは、作業だった。もはや“戦闘”とは呼べない。丈一郎と恵理――二人の存在をゾンビたちは一切認識しない。驚くほどに無反応で、ただの“物”のようにフラフラと徘徊しているだけ。それを、手分けして駅構内へと追い込む。
改札、ホーム、階段、出入口……構造はすでに頭に入っていた。
恵理は《STR》にもポイントを振っており、成人男性だったゾンビを軽々と持ち上げ、迷いなく投げ入れる。ダンジョン2日目とは思えない手際の良さで、黙々と作業をこなしていく。
(……昨日は考えすぎてたのか、テンションがおかしかったけど、もう大丈夫なんだな)
丈一郎はそんな恵理の背中を見て、ふと肩の力を抜く。あらためて、周りを見渡す。
(新宿駅は世界一利用者数の多い駅だと聞いたことがあったな。たしか300万くらいだったか、実際終電で揺られて帰る時もすごい人だった)
パンデミックのあの日、遅い時間だったとしても相当な人がここにいたのだろう。やがて日が傾き、駅構内のゾンビはほとんど消えていた。
「追ってこないのは安全だけど……ダンジョン離れると誘導効率ガタ落ちだ」
そうぼやきながら、ふとスキル欄を思い出す。
(そういえば、大型ゾンビから取ったスキルの中に……)
「――挑発」
瞬間、駅前の道路にいたゾンビたちが、ぞろぞろと一斉にこちらへと振り返った。
「……あ」
駅の反対側でゾンビを抱えていた恵理が、異変に気づいて顔を上げる。見ると反対方面から、激しい足音が。通路を埋め尽くすゾンビを引き連れながら、丈一郎がやってくる。
「えっ!ちょっと、何してるの!?」
「ごめん、ちょっと試したら思った以上に釣れちゃって……でもまあ、せっかく来たしこのまま突っ込むわ」
「待って、私のゾンビも全部そっち行った!?」
そう言うなり、丈一郎はゾンビの群れを引き連れながら、まるで波に乗るような気軽さで、ダンジョンの穴へと飛び込んでいった。
静寂と、薄明かり。先ほどまで上から落としたゾンビたちは、衝突とともに地面で崩れ、肉片になり――やがて、痕跡を残さず消えていた。
(……やっぱり)
丈一郎はしゃがみ込んで、地面に残った血痕に触れる。
(地上にいたゾンビも、ここでは“モンスター”扱いなんだな)
つまり、“システム”に従って経験値の対象になる。 生前がどうあれ、もはや人間ではない――その現実を突きつけられたような気がした。
(だったら……)
丈一郎は立ち上がり、残っていた数十体の死体に向かって手をかざす。
《捕食》
吸い込まれるように、ゾンビの残骸が光となって胸元に収束していく。光が完全に吸い込まれた瞬間、頭の中にいくつもの通知が浮かんだ。
《スキル:噛みつき Lv.MAX に到達しました》
《スキル:腐食耐性 Lv.MAX に到達しました》
《スキル:麻痺耐性 Lv.MAX に到達しました》
《スキル:毒耐性 Lv.MAX に到達しました》
(おお……ついに、全部マックスか)
捕食スキルで得られるゾンビ由来のスキル。すべて最大強化に達した。
一通りゾンビを捕食したあと、ダンジョンの階段から丈一郎が顔をだす。
「あ、帰ってきた。ねぇ、ステータスがすごいことになってるんだけど」
ステータスを意識するとウィンドウが表示される。大量のレベルアップのログが流れており、ステータスを確認するとレベルが41に到達していた。
さらに、レベルアップの恩恵で盗賊のスキルとして、罠感知、背撃、盗技、戦士のスキルである、鉄壁、剛打も覚えているようだ。
「おお!めっちゃいい感じじゃん。帰ってからのステータス振りが楽しみだ」
そして、パーティ画面に映る恵理のステータスも更新されていた。
《有村 恵理》
レベル:39
スキル:
癒光を習得
聖環癒域を習得
浄化の茨を習得
状態異常を回復するスキルに、範囲回復+バリア展開、拘束スキル。着実に強くなっている。
「……よし、今日はこれくらいにして、帰るか」
丈一郎はひとつ深呼吸して、階段を上がっていった。地上では、赤い夕陽が新宿のビル群を照らしていた。
新宿駅周辺にゾンビはほとんどいない。ほんの数時間前まで地獄だった場所に、今は――静寂が広がっていた。
* * *
ホテルの一室。非常灯の明かりだけが、薄暗い部屋を照らしていた。
恵理はベッドに腰かけて缶入りスープを啜っていた。丈一郎は床に座り、壁にもたれながら静かに呟く。
「……今日は、よく稼いだな」
「ですね。ちょっと、信じられないくらいに……」
恵理は笑みを浮かべながら、缶を置いて手を拭うと、目を閉じて意識を集中させた。
「……えっと、ステータス、開きますね」
「俺も」
パーティウィンドウが同時に開く。淡い光が部屋の中を照らした。
【ステータス:桐畑 丈一郎】
名前:桐畑 丈一郎
職業:捕食者/掃除人/盗賊/戦士
レベル:41
経験値:1/1619
HP:530/530
MP:220/220
STR:110
VIT:40
AGI:55
INT:10
LUK:30
スキル:捕食、打撃耐性、噛みつき LvMAX、腐食耐性 LvMAX、麻痺耐性 LvMAX、毒耐性 LvMAX、暗視、溶解液 Lv5、収納 Lv3、気配察知 Lv5、棍棒術 Lv7、弓術 Lv4、眷属転化、隠蔽、自己治癒 Lv1、斧術Lv1、格闘術Lv4、勇猛果敢Lv1、挑発、鉄壁、剛打、罠感知、背撃、盗技
残AP:283
「お?捕食以外でも、結構スキルのレベル上がってるな。やっぱ使ってくのが大事か。格闘術がやたらと上がってるのって、ゾンビを蹴落としてたのが格闘判定されたってことかよ」
「えぇ…気にするのそこ…? 素人の私が見てもおかしいステータスしてるんだけど。まだ人間やめてないよね?」
恵理が苦笑しながら、丈一郎のステータスを眺める。
「俺自身もよくわかんねえけど。一応」
「“一応”って……」
【パーティメンバー:有村 恵理】
名前:有村 恵理
職業:眷属/治癒術師
レベル:39
経験値:2/1397
HP:414/414
MP:240/240
STR:10
VIT:8
AGI:9
INT:30
LUK:12
スキル:ヒール Lv2、癒光、聖環癒域、浄化の茨、暗視、隠蔽、収納 Lv1、気配察知 Lv1、自己治癒 Lv1、棍棒術 Lv1、格闘術Lv2
残AP:210
「……私も、ちゃんと強くなれてるかな?」
「当たり前だろ。2日でここまでレベル上がったやつ多分他にいないぞ」
「うん、そっか。でもこれは丈のおかげだね。…ありがとう」
丈一郎は、少しだけ照れたように頭をかいた。
「……よし、溜まったAP、どう使うか考えようぜ」
「うん、私もそろそろちゃんと割り振らないと。どこを上げるか、迷うなぁ」
「俺はしばらく職業の戦士を軸にして立ち回るつもりだから、STRとAGI中心に振ってくつもり。火力と機動力重視で」
「私は……やっぱり回復役だよね。INTを上げるとして、あとは?」
「INTを優先して、低いとこは補って、残りはHPとMPかな」
「なるほど……バランス型ヒーラーって感じ?」
「そんなとこ。まぁ実際問題これはゲームじゃないし、死んだら元も子もない。ある程度の体力と立ち回れる力があった方が安全だし、前衛の俺も動きやすい」
「了解、じゃあその方針でいきます」
「……即決だな」
(立川に送り返す方が安全で、きっと正しいだろう。でも今はこうして隣で一緒に強くなってくれる存在がいるのは…正直、いいもんだな)
丈一郎は苦笑しながらも、どこか嬉しそうに頷いた。
【ステータス:桐畑 丈一郎】
名前:桐畑 丈一郎
職業:捕食者/掃除人/盗賊/戦士
レベル:41
経験値:21/1619
レベル:41
経験値:1/1619
HP:710/710
MP:220/220
STR:200
VIT:100
AGI:100
INT:10
LUK:30
スキル:捕食、打撃耐性、噛みつき LvMAX、腐食耐性 LvMAX、麻痺耐性 LvMAX、毒耐性 LvMAX、暗視、溶解液 Lv5、収納 Lv3、気配察知 Lv5、棍棒術 Lv7、弓術 Lv4、眷属転化、隠蔽、自己治癒 Lv1、斧術Lv1、格闘術Lv4、勇猛果敢Lv1、挑発、鉄壁、剛打、罠感知、背撃、盗技
残AP:88
【パーティメンバー:有村 恵理】
名前:有村 恵理
職業:眷属/治癒術師
レベル:39
経験値:2/1397
HP:540/540
MP:390/390
STR:10
VIT:50
AGI:50
INT:130
LUK:30
スキル:治癒 Lv2、癒光、聖環癒域、浄化の茨、暗視、隠蔽、収納 Lv1、気配察知 Lv1、自己治癒 Lv1、棍棒術 Lv1、格闘術Lv2
残AP:9




