第22話 プラガ・プロトコル:早朝のブリーフィング
パンデミックから11日目の午前4時53分。
夜は、まだ明けきらない。空に滲む光は、絶望の色をしていた。
官邸は消えた。国会も、霞が関も、市ヶ谷も無残に蹂躙された。政府機能は辛うじて、立川の災害対策本部予備施設へと逃れた。
ここにいるのは、内閣官房副長官、首相補佐官、防衛省、厚生労働省、内閣情報調査室、そして数名の生き残った若手議員たち、総勢わずか47名。これが、現在の「日本政府」である。
ブリーフィング開始まで、あと数分。内閣官房副長官・早乙女仁は、執務室を出て歩みを進める。今日の議題は、地獄の整理だった。秘書官の神谷が横でタブレット端末を起動し、要点を読み上げる。
「最新更新版です。早乙女さん、対象リスト確認お願いします」
早乙女は頷き、端末を手に取る。指先で画面をスクロールし、冷たい光の中に並ぶ文言を確認していく。
【本日ブリーフィング討議項目】
全国主要都市の被害状況
・東京23区:ダンジョン発生/生存確認5000人未満
周辺地域、23区外、神奈川への被害も甚大
・札幌:ダンジョン発生/生存確認1万人未満(推定)
・仙台:ダンジョン・パンデミック報告なし/外部からの感染者水際対策中
・名古屋:ダンジョン発生/生存確認1万人未満(推定)
・大阪:ダンジョン発生/生存確認1万人未満(推定)
周辺地域、兵庫への被害も甚大
・福岡:ダンジョン発生/生存確認5千人未満(推定)
・その他地域:ダンジョン・パンデミック報告なし/外部からの感染者水際対策中
自衛隊の対応状況
・首都圏防衛中枢:立川駐屯地に特戦群、生存部隊中心に再編。
・仙台駐屯地、東北地方での水際対策へ派遣、一部部隊を札幌、立川へ再編中。
・守山駐屯地小牧基地は浜松にて再編。
・大阪では部隊機能壊滅、生存部隊中心に被害の少ない京都で再編。
・各地で探索者(職業保持者)育成試行開始。
感染対策の派遣とあわせて隊員数は不足。
・千歳、島嶼部で中露の動きあり。
防衛ミッションの発生・検証
・東京にて防衛ミッション発生確認。他地域は探索者がいないため不明。
・クリアアナウンスを確認。
・報酬:「ダンジョン拡大停止168時間」については確認不能。拡大自体も推測に留まる。
探索者制度暫定施行案
・自衛隊、警察官、民間志願者を探索者候補に認定し、訓練・管理対象とする方向。
特例対象 桐畑丈一郎
・生存者。異常な身体能力と戦闘適性。
・自衛隊特戦群ステータス保持者5名の戦力を単独で上回ると報告。
・ミッション終了後新宿上空にて行方不明。
同盟国(米国)からの連絡
・沖縄を除き、米軍撤退方針。ただし《《人道的配慮》》により、数部隊をダンジョン合同探索者として参加の意思ありと申し出あり。
早乙女は、タブレットを軽く傾けて見やった。見たくもない現実。目の前にある現実は、国家の存続どころか、文明の維持すら危うい状況だった。彼は深く息を吐き、神谷に短く告げる。
「よし……行くぞ」
施設の空気は冷えきっていた。もともと、ここは自然災害を想定した避難拠点にすぎない。
地震、津波、ミサイル――だが、ゾンビとダンジョンなどという異質な脅威には、何の備えもない。
蛍光灯が白く、かすかに瞬いている。ドアの向こうに、集まった数十名が待っている。今や、彼らこそが国家そのものだった。
(間違えれば、すべてが終わるか)
そんな思考を切り捨てるように、早乙女は無言で重いドアを押し開けた。金属の鈍い音が、静寂を裂く。そして――この国の最後の意志決定機関が、今、動き始めた。
ブリーフィングルームには、すでに全員が着席していた。壁際には、まだ血の滲んだ包帯を巻く者もいる。死にかけた直後の者、家族を失った者もいる。それでも、誰ひとり席を立たない。早乙女仁は立ち上がり、簡潔に告げた。
「……困難な状況にもかかわらず、ここに集まってくれたことに、心から感謝する。
家族を、友を、故郷を残して来た者もいるだろう。今は、ただ――この国を繋ぎ止めるために力を貸してほしい。」
誰も返事はしなかった。だが、空気が、わずかに引き締まった。
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厚生労働省代表報告
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立ち上がったのは、厚生労働省感染症対策本部部長代理。
「感染症状況について報告します。」
「全国主要都市における感染・被害状況についてご報告します。」
東京都23区
住民登録数:985万6992人
生存確認数:5000人未満(確認率0.76%)
感染推定:50%以上。
その他首都圏
横浜市、大宮市にて感染拡大。現地との連絡が取れず被害状況不明。
東京東部でも被害拡大中、基地内、昭和記念公園にて生存者の保護をしているものの数千人未満。
基地周辺で生存者の保護を続けているものの限定的。
札幌市(北海道)
住民登録数:約196万人
生存確認数:不明
感染推定:把握困難
名古屋市(愛知県)
住民登録数:約232万人
生存確認数:不明
感染推定:把握困難
大阪市(大阪府)+兵庫県一部(神戸市など)
総人口:約280万人以上
生存確認数:不明、絶望的
感染推定:把握困難
→ 大阪市壊滅。関西地域の報告拠点を京都市へ移設。
福岡市(福岡県)
住民登録数:約166万人
生存確認数:1.2万人未満(確認率約0.72%)
感染推定:不明
→ 福岡市北部・中心部感染拡大。南方地域への避難進行中。
その他地域にも感染拡大しているものの、通信網が途絶えているため把握困難。
班長は一度タブレットを下ろし、深く息をつく。
「以上のデータから、主要都市部における感染拡大率は推定80%以上。生存者率はおおむね0.7〜0.9%程度に留まっております。」
「また医療インフラは、首都圏を含め、事実上機能停止しております。」
副部長は、かすかに声を震わせながら結んだ。
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防衛省代表報告
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続けて防衛省の制服組が立ち上がる。中佐。顔に深い隈が刻まれている。彼はタブレットを開き、スクリーンに投影した。
【自衛隊・全国基地現状報告(第10日目時点)】
北海道
札幌でパンデミックが発生、南部へ被害拡大中。札幌部隊壊滅、千歳基地、東千歳基地にて部隊再編。
旭川、帯広では周辺地域の水際対策に部隊を派遣。警察組織と連携して対応にあたる。
ロシア側国境にて不審な動き観測。航空自衛隊中心に防空体制を強化しつつ、内閣官房副長官の事前の指示に従い現地指揮権を委譲。
東北
福島、仙台にて感染者流入により被害拡大中。周辺基地より派遣、警察組織と水際対策中。都市外でも感染者発生、以前混乱中につき部隊との連絡は断続的。
首都圏
東京中心部でパンデミック発生。神奈川、埼玉をはじめ周辺地域へ被害拡大。
市ヶ谷、練馬、朝霞、大宮基地、所属部隊は壊滅。被害の浅い立川駐屯地にて中央即応連隊中心に生存部隊再編。厚木、横須賀とは断続的のものの連絡確認あり。
東海
名古屋中心部でパンデミック発生。守山駐屯地、小牧基地被害甚大、浜松にて再編。
被害の広がる岐阜、静岡西部で水際対策失敗、部隊の8割を損耗。
静岡東部は連絡が断絶、被害状況不明。
浜松に生存部隊・臨時県庁が統合。輸送・救援機能を維持中。
関西圏
大阪中心部でパンデミック発生。兵庫へ被害拡大。周辺部隊壊滅的。
生存部隊を京都にて再編。舞鶴基地と連携、退避・拠点防衛を実施。
九州北部
福岡市の感染拡大により、防衛線縮小。南部へ移動準備中と3日前に報告。それ以降連絡が断続的。
沖縄・島嶼部
パンデミック発生なし、感染者の流入は10件未満。物流断絶のため、鹿屋中心に九州の部隊から物資の連携。那覇基地より九州へ一部部隊の派遣。
中国艦艇が無通告で領海侵入を行い那覇沖にて停泊中。艦隊を引き連れ「日本支援」名目で接触あり。
内閣官房副長官の事前指示に従い、現地指揮権を委譲。米軍と連携、現地判断にて対応予定。
中佐は、スクリーンを指さした。
「現状、各拠点には基本指揮権を委譲しています。防衛、探索、外国勢力対応、いずれも中央統制は困難な状況です。」
報告を終えると、彼は力なく腰を下ろした。
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内閣情報調査室(内調)報告
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次に立ったのは、内閣情報調査室(内調)の分析班長だった。無表情で、しかし声にかすかな疲労を滲ませながら、方々より上がってきている情報の報告を始める。
続けて、未確認地下構造物関連情報に移った。
「最初に未確認地下構造物について、本日付けて正式にダンジョンと呼称することを決定しました」
「昨日、東京都内新宿区で初めて確認された防衛ミッションについて報告します。」
ミッション内容:新宿大学病院の生存者防衛
成功結果:システム通知により《ダンジョン拡大停止168時間》と表示
「これにより、ダンジョンそのものが拡大を続けていた、あるいは拡大する性質を持つことが間接的に推測されます。」
直接観測は不可能。拡大範囲・拡大速度は未確認。現時点で、東京以外の地域ではミッション発生・探索者の存在は確認できていない。最後に、班長は冷徹な口調で締めくくった。
「以上により、全国規模でダンジョン拡大が進行している可能性を排除できず、各地域の拠点確保および探索者戦力の育成が急務と判断します。」
室内に再び、重い沈黙が落ちた。冷たい事実だけが、確かにそこにあった。
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特戦群・大島隊長報告
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早乙女が目で合図する。それを受けて、特戦群の指揮官・大島諒が立った。
【本人申告による情報】
氏名:桐畑丈一郎
年齢:27歳
ダンジョンにてステータスを取得済
職業:戦士(自己申告)
ダンジョン侵入の経緯:ゾンビから逃げている途中、地割れに巻き込まれて落ちた先がダンジョンであったと本人より説明。
高い戦闘力については、ダンジョン内で迷って生き延び、自然とレベル上げしたためと本人より説明。
【行動経緯】
新宿大学病院での防衛ミッション発生中、病院内部から桐畑丈一郎が現着。
特戦群5名が歯が立たなかった大型ゾンビに対し、桐畑は数分でこれを撃破。
その後、特戦群が立川基地への移送を提案。
桐畑はこれを快諾。敵意なし、協力的な姿勢を確認。
病院生存者と共にヘリコプターによる移送開始。
新宿、中野坂上上空を飛行中、救助対象者の1名が感染を自己申告。
直後、自ら機外に転落。
桐畑丈一郎は、即座に救助行動に移り、自らもヘリから飛び降りた。
その後、現在まで消息不明。
大島は、言葉を選びながら続けた。
「現時点では、生存確認はできておりません。
しかし、対象の身体能力、適応力を考慮すれば――」
僅かに言葉を切り、大島は静かに締めくくった。
「私は、彼が生き延びていると信じています。」
【特戦群による戦力分析】
特戦群内における同じ戦士職の比較対象として、南雲 陽太(二等陸尉・探索者職“戦士”、レベル4)が存在する。南雲陽太は、特戦群の中でも白兵戦技術に優れ、未確認地下構造物にて対象と同じく戦士職のステータスを得た探索者である。
しかし、桐畑丈一郎の戦闘力は、南雲を「圧倒的に上回る」と評価される。具体的には、南雲陽太+職業保持者4名によるチーム総合戦闘力と比較しても、桐畑単独の方が勝率が高いと推定される。
このため、桐畑の自己申告通りの「戦士職」であった場合でも、その成長速度、能力スペックは我々の把握している範疇を超えていると結論付けた。
「レベルの公式開示がないため、推測に留まりますが――通常の“戦士”枠で収まる存在ではないと、我々では評価しています。」
「特例対象――桐畑丈一郎の現状について、続報を申し上げます。」
【現時点での政府中枢への提言】
桐畑丈一郎の現状は「不明」扱い。発見・再接触を前提に即時に対応方針(保護・協力要請、または監視下確保)を決定する必要がある。
報告を終えた大島が席に戻ると、室内には、誰も言葉を発しない、深い沈黙だけが満ちていた。
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外務省報告:米国からの連絡
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会議室に再び静寂が戻る。早乙女が、次の報告者へ目線を向けた。立ち上がったのは、外務省・防衛協力班長代理。彼は、端末を操作しながら、淡々と読み上げた。
「在日米軍について、本国・米国防総省から正式通達が届きました。」
【通達内容】
在日米軍は、沖縄を除き原則撤収を開始。ただし、家族の事情により、帰国困難な兵士を中心に部隊再編。同盟国の困難への人道的配慮により日本政府の指揮下でダンジョン探索協力を希望。
指揮系統は日本政府優先とするが、行動範囲・作戦計画については事前協議を要請。人数規模は、現時点で各拠点ごとに最大30名以内の小隊単位。
班長は顔を上げ、補足する。
「要するに――米国も国内混乱で手一杯ながら、日米同盟維持のアピールと、日本のダンジョンへの情報アクセス、双方を狙っていると考えられます。」
室内に、ざわつきが広がった。
【日本政府内での基本方針】
戦力としては貴重であり、受け入れを基本とする。
ただし、必ず以下の項目を条件とする。
① ダンジョン内では日本政府指揮権下で行動させる。
② ダンジョン成果物(情報・資源)の国外持ち出し禁止。
③ 作戦区域、移動経路、戦闘記録を日本側に全報告義務付け。
仮に逸脱行動があった場合、探索者資格剥奪および強制帰還措置を即時発動する。
班長が、固い声で締めた。
「現場運用には多大な困難が予想されますが――現状、日本政府単独でこの事態に立ち向かうのは困難と判断されます。」
早乙女は椅子に深くもたれた。わかっている。アメリカが求めているのは、名目上の協力ではない。
"日本の未来"と"ダンジョンの資源"に対するアクセス権――それが本音だ。
例えば、日本のダンジョンをすべて制圧できた場合。パンデミック被害により人口が数万人になり、島国である日本は避難先として魅力的だろう。周辺国家もそれが分かっているからこそ、行動を起こしていると言える。
だが、それでも、この壊滅しかけた国家に残されたカードは、もう多くない。早乙女は、沈痛な面持ちで口を開いた。
「――受け入れよう。」
「条件は全て明文化し、破れば即時排除する。それだけだ。」
誰も、反論しなかった。国家を繋ぎ止めるためには、時に毒をも飲まねばならない。そんな空気だけが、会議室を満たしていた。




