第14話 ザ・ホード -ゾンビの大群-
丈一郎はまだ――病院の中に、入れていなかった。
正面玄関に群れていたゾンビを一掃し、自動ドア向かったところ、内側から鉄パイプや棚、医療用カートが交差するように打ち付けられ、完全に塞がれていた。そのほかの非常口や、搬入口も見て回ったが、同様だ。
そうこうしているうちに、ミッションの開始時刻を過ぎてしまっていた。
「どの扉も中からガチガチだな……」
5階の窓には、簡易ベッドのシーツを使って作られた横断幕がかかっていた。そこには、赤いマジックで乱雑に書かれた文字で『HELP』と、何本も線を重ねて太く大きく書かれていた。中に、まだ生きている人がいる。
丈一郎は病院の裏へと回り込み、搬送車用のスロープを上がった先にある裏口のひとつへ近づいた。
「……ん?」
他の扉と違い、そこだけは“外側”から扉を塞ぐようにファミリーカーが止められていた。
「……これだけ、外から封じたのか?」
他とは明らかに違う封鎖。窓ガラスが割れた車の横に、引きずられ破れた白衣が落ちていた。その上には、泥と血で汚れた名札が転がっている。拾うとくせっ毛の男が笑っていた。愛嬌のある、柔らかい笑顔だった。丈一郎は、名札を見つめながら思った。
(……この人が、ひとりでここを塞いで……そのまま……)
名札の裏側には何も書かれていなかった。ただ、服に残った血の色と、傷の痕跡だけが、彼の“最期”を物語っているようだった。
「……一人で、みんなを守ったんだな」
その小さな勇気が、病院全体を守っているのかもしれない。サンバイザーを見ると、彼とその奥さんと子供たちの笑顔の写真が見えた。丈一郎は名札をそっと写真の横に差し、白衣にむかって手を合わせた。
「無理やりこじ開けたら……それこそ、台無しにしちまうよな」
無理に壊して入るのは、この人の思いを踏みにじることになる。丈一郎は病院の正面へと戻り、顔を上げた。2階。そのさらに上。いくつかの窓には鍵がかかっていなさそうだった。
「……だったら、そっから入るしかねぇな」
正面ポーチの屋根。4メートル以上の高さはあるが、今のステータスなら、足場になりそうなフェンスを踏み台にすれば――助走を取り、蹴り上がるようにジャンプ。
「……っと!」
ポーチの上に飛び乗った瞬間、ずうぅぅんと、空気が重くなるのを感じた。
(……っ!?)
気配察知がこれまでにない強い反応を示す。反射的に、周囲を見渡す。
「……うわ、マジかよ……」
その声が漏れたときには、すでに遅かった。隣の駐車場の奥。向かいのビルの植え込みの奥。あちこちの建物の隙間から。ゾンビたちが、一斉に現れ始めていた。
しかも、数が――尋常じゃない。10体、20体……100体、いや、もっと。何より恐ろしいのが………さっきまでのゾンビと全く様子が違う。
「ここにきて…ゾンビ走るのかよ!!!」
レベルFホードの意味、…《《レベルFでこの恐ろしさ》》ということに、ようやく理解が追いつく。
「……ちくしょう、マジでゲームの“群れ”じゃねぇか……」
丈一郎は、病院のガラス窓を振り返った。中に入って助けたところで、脱出できなければ意味がない。この群れを処理しなければ、誰も逃げられない。
「……やるしかねぇよな」
彼は、ゾンビの群れに向き直った。ゾンビたちは、こちらには一瞥もくれない。呻き声を漏らしながら、真っ直ぐに病院の正面玄関へと群がっていく。まるで、自動的にプログラムされたかのような動きだった。
丈一郎は、脳内でステータス画面を開き、即座に割り振りを行う。STRに50、AGIに15――合計65ポイント。体の底から力が湧いてくる。骨がきしむ音が内側から聞こえた気がした。筋肉の密度が変わる。動くための力が、今まさに湧き上がる。
「……行くぞ」
丈一郎は、ポーチの端まで駆けて、そのまま飛び降りた。4メートル以上の高さなど、もはや問題ではない。着地の瞬間、アスファルトがひび割れるほどの衝撃を片足で吸収し、すぐさま駆け出す。
目指すは、駐車場の車列。ゾンビの行進を無視するように、迷いなく駆け抜ける。
(……おまえら、俺のことは認識してねぇ……ってことは、使える)
最初に目に入ったのは、ボンネットに凹みのあるコンパクトカーだった。丈一郎はそれを片手で持ち上げ――
「……うおおおおおおッ!!」
全身の筋力を解放する。
車が宙を舞う。重力に逆らい、唸りを上げて放物線を描き、ゾンビの密集地に叩きつけられた。
「――ぐしゃっ!!」
潰れたゾンビの体液が飛び散り、骨が砕ける音が響く。たった一投で、3体が圧死。周囲のゾンビも、突然の異変に姿勢を崩す。
「……次ッ!」
丈一郎はすぐさま次の車に向かう。動きに無駄がない。俊敏な足で駐車場内を滑るように走り、ミニバンの後部を掴む。
「っらあッ!」
回転投げ。鉄とガラスの塊が空を裂き、ゾンビの背中に激突。骨が折れる音が連続で響く。玄関に殺到していたゾンビたちは、次々と潰れていく。
さらに、ワゴン車、セダン、軽トラと次々に“武器”を変えながら、丈一郎は“群れの頭数”を削っていった。そして――
「……こいつで塞ぐ!」
最後の一投は、正面玄関へデカい四駆車両を突き刺すように叩きつけた。ガラスが砕け、鉄骨が軋みながら、車がドア枠に嵌まり込む。
「よし……!」
正面玄関は、これでしばらく大丈夫だろう。だが、それだけじゃ終わらない。丈一郎は目の前を通るゾンビを蹴り倒しながら搬入口へと走る。
そこには、かつての救急搬送車が止まっていた。ハッチは開かれており、まるで中で何かが暴れたかのように内部は荒れていた。
「悪いな……ちょっと借りるぞ」
救急車の下部に両腕を差し入れ、腹筋と背筋を連動させて――
「おらァ!!」
救急車がゆっくりと浮き上がり、まるで映画のワンシーンのように重力とともに地面へ叩きつけられる。
「ぐぎゃあああ……ッ!!」
押し潰されたゾンビたちの断末魔と共に、搬入口も塞がれた。丈一郎はそのまま、他の入口――職員用通用口、病院裏の非常口へと駆け、車を次々と投げ込んですべての出入り口のバリケードを強化していく。車の下のアスファルトは、ドス黒い血の海。
潰し切れなかったゾンビは、鉄パイプで片っ端から――強化された筋力のせいで、頭を潰すどころか消し飛ばしていた。首のない死体があちこちに散らばる。おくれて、血と脳漿の飛沫が降る。もはや“戦闘”というより“制圧”だった。
「……ハァ、ハァ……」
額の汗を拭い、丈一郎は荒く息を吐く。
「こんだけやりゃ……しばらくは入ってこれねぇだろ……」
彼は、投げ捨てた最後の車の横に腰を落とした。
風が、静かだった。ようやく、病院の前に――“静寂”が戻った。
だが第二波が来ることもあり得る。ゆっくりしてる時間は無いだろう。
「よし……今度こそ、中だな」
丈一郎は立ち上がり、病院2階の窓を見上げた。