第9話 亡国自衛隊︰特戦群、未確認地下構造物へ
東京都・立川駐屯地内。地下指令室に設けられた仮設作戦ブリーフィングルームには、防衛省、内閣情報調査室、そして選抜された5名の陸上自衛隊 特殊作戦群(特戦群)隊員が揃っていた。
前方のスクリーンには、モノクロで撮影された新宿駅地下の図面と、その先に記録されている“空白地帯”――未確認地下構造物の位置情報が表示されている。早乙女の秘書である神谷が、立ち上がって説明を始めた。
「本作戦は、特例第001号として記録されます。作戦名は名目上“新宿駅地下 構造調査任務”とします」
スライドが切り替わり、NSA発信の報告資料が表示される。
「米国より提供された情報によれば、未確認地下構造物内部では、“異常現象の発生”および、“ゾンビの発生と撃破”が確認されているようです。つまり、我々の目的は以下の通りです」
スライドが切り替わり、神谷は3本の指を立てた。
1.新宿駅地下に存在する“未確認地下構造物”の構造確認および空間安定性の記録
2.内部におけるゾンビ状対象との会敵・撃破、その挙動と反応の記録
3.撃破後に発生する“異常現象”――米国の映像で確認されたような“画面”や“職業付与”といった現象
神谷の言葉に、隊員たちはそれぞれ静かに頷いた。
「察しておられる通り、今回の作戦は、従来の交戦任務とは異なります」
早乙女は視線を隊員一人ひとりに向けながら、言葉を続けた。
「皆さんが行うことは、“未確認地下構造物”における初の戦闘行為です。その“結果”――ゾンビを倒した際に発生する可能性のある現象を、記録し、報告してほしい」
「すでにアメリカでは、“撃破後に脳内に画面が浮かび、職業やスキルが付与された”という複数の報告があるようです。だが、その発現条件は知らされていません。ヒントはくれてやったぞ、ということなんでしょうね。とにかく、ゾンビの種類、撃破手段、空間の影響――何がトリガーなのかは、誰にもわからない状態です」
スクリーンには、先日送られてきた映像が映し出されていた。
「……皆さんは、日本でその現象が起こるかどうかを、最初に確かめる人間になります」
神谷の声は静かだった。だが、言葉の一つひとつは、確かな重みを持って空気を貫いた。早乙女が続ける。
「この現象が事実であれば、我々は“敵の性質”だけでなく、人類側の能力進化をも受け入れる必要がある。それが兵士であれ、民間人であれ――“力”が現実に付与されるという事実が、戦術と国家の前提を変える」
重い沈黙のなか、リーダーの大島が静かに答えた。
「了解。目標の撃破、その後に現れる現象の記録。……任務、遂行します」
隊員たちも、短く頷きながら敬礼を揃える。その敬礼には、軍人としての矜持だけでなく、“未知に踏み込む者”としての無言の覚悟がにじんでいた。
陸上自衛隊 特殊作戦群。通称“特戦群”。選抜されたのは、斬撃・白兵・射撃・索敵――あらゆる状況に適応する、実戦経験豊富な5名の隊員だった。
装備は最低限。小銃、コンバットナイフ、バックパック。だがその背中には、国家の命運と、世界の“次”を見る役目が乗っていた。
彼らが乗り込むのは、特装車両に改造された装甲車両。中央線を辿って新宿駅の地下――“裂け目”の奥に開かれた“未確認地下構造物”、つまりダンジョンが目的地となる。
早乙女と神谷は、見送りの列から黙ってそれを見つめていた。
時刻は深夜0時前。立川駐屯地、地下指令ブロック奥。小さな防音扉の奥に設けられた、官房副長官・早乙女仁の臨時執務室。
デスクの上には整理されきらない文書ファイル、ノートPCの画面には報告進捗の一覧が並ぶ。だが、それらに視線を落としながらも、早乙女の意識はどこか“外”にあった。
突入から8時間。本来の任務内容から考えれば、帰還していてもおかしくない時間だ。
ソワソワと視線が時計へと向かう。秒針の音が、妙に耳に響いた。
そこに――
コン、コンッ。
控えめなノックの音。
「……入れ」
扉が開き、情報幕僚のひとりが小走りで姿を現す。
「早乙女副長官、報告が入りました――」
その一言で、椅子から半ば跳ねるように立ち上がっていた。
「戻ったのか!?」
「……はい。特戦群、5名とも無事帰還しました」
早乙女は一瞬言葉を失った。だがその直後、肩の力が抜けたように、静かに笑った。
「……そうか。そうか……よかった」
握っていたペンを、気づかぬうちに机に落としていた。胸の奥から、張り詰めていた何かが音を立ててほどけていく。
送り出した者の責任――その重みを、彼は知っている。たとえ職務の中の一幕だとしても、彼らを選び、命じたのは自分だ。だからこそ、全員が無事帰ってきたという事実は、単純に嬉しかった。
「すぐ報告を上げさせてくれ。……俺が直接聞く」
情報官が頷き、部屋を出ていく。早乙女は深く息を吸い、椅子に腰掛けて目を閉じた。
報告室には、早乙女仁と、帰還した特戦群のうちリーダーの大島諒、情報担当の岸本優が揃っていた。それぞれ制服のまま、疲労の色は見せず、姿勢を正して座っている。
部屋には、記録官と情報官が控えているが、早乙女が手を上げて口を開いた。
「録音を始める。大島隊長、まず状況を報告してくれ」
大島は静かに頷き、任務の開始から順を追って語り始めた。新宿駅地下――裂け目の内部には、確かに“異常な構造”が存在していたこと。物理的な重力の歪み、空気の密度、金属とも石材とも言えない壁の材質。
そして、通路の先で出現した複数体のゾンビとの会敵。銃撃と白兵によって頭部を破壊し、各個撃破に成功したこと。検証も兼ねているため、全員が少なくとも1体他は倒していた。
「変化が起きたのは、ゾンビを倒した、その直後です」
大島の言葉に、室内の空気が引き締まる。
「――突然、“視界の中”に何かが浮かびました。空間に投影されたのではない。頭の中に、そのまま映像が表示されたような感覚です」
「見えたのは自分だけか?」
「はい。周囲に同じものは見えておらず、他の隊員も“それぞれに”ゾンビの撃破後、別の画面が見えていたようです」
早乙女が、岸本に視線を移す。
「あなたにも?」
「はい。私の画面には、“職業:魔法使い”、“スキル:火球 Lv1”、“MP:30/30”などと表示されていました。表記は基本的に――日本語でした。“STR”、“AGI”、“INT”といったアルファベットもありましたが、同行した南雲によるとこれはMMOでみるステータスだとのことでした」
「確認したい。“火球”とは?」
岸本は少し迷ったように言葉を選びながら答えた。
「現場で試すのは控えましたが、画面上には明確に表示されていました。おそらく、米国の映像にあったものと同じものだと推察されます。実行可能かどうかの確認は、今後の検証に委ねます」
「体調、精神状態に異常は?」
「ありません。画面の内容は明確で、理解不能な単語もなし。“これはそういうものだ”と、自然に受け入れてしまう感覚がありました」
「……私の表示は、“職業:侍”、“スキル:居合斬り Lv1”でした」
大島が補足する。
「使っていたのはナイフでしたが、斬撃の瞬間、感覚が変わりました。体の動きが、まるで以前からそれが当たり前だったかのように“正確な動作を取る”。戦術教本でも再現不可能な動きが、自然と出た感覚です」
記録官のペンが走る音だけが部屋に響く。さらに大島が続ける。
「また新宿駅周辺は、かなりの数のゾンビがいました。目標地点に向かう途中、やむなく引き倒しましたが、その際変化は起きていません。ステータス発生後、つまり帰り道でも同様に、地上でのゾンビ撃破において、変化は起きませんでした」
早乙女は、ゆっくりと背もたれに体を預け、しばらく無言のまま考えていた。そして、つぶやくように言う。
「……“見えない現象”の証言だけで、国家は動けない――それが本来の常識だ」
大島も、岸本も何も言わない。だが否定の気配もなかった。
「だが今回の件は、“誰にも見えないが、全員が見た”ものだ。しかも、再現性がある。全員が撃破後に同様の画面を得ている。ならば、これは――現実と見なすしかない」
静かに立ち上がり、書類の束をまとめた早乙女は、命じるように言う。
「この5名は、正式に“職業保持者”として登録する。また、これに続く者たちが必ず現れる。制度と法の整備を急げ」
「はい!」
情報幕僚が立ち上がって応じた。国家は、この夜を境に方針をダンジョン攻略へと転換する。
その後、スキル保持者制度設計に関する初期会議が、政府中枢で密かに開始され、のちにこの日が探索者制度の幕開けとなった日として記録されることとなる。
特戦群が帰還した翌日――パンデミック8日目。彼らは再び新宿駅地下のダンジョンへと突入していた。
初任務での“職業付与”と“スキル習得”が偶然ではなく、再現可能であることを確認した政府は、即座に第2回目の実地戦闘任務を承認。5人はそのままダンジョン探索を再開することとなった。
この日、彼らはある“新たな現象”にも遭遇することになる。
「……パーティを組みますか?」
ミッション開始前、通路で隊員たちが配置確認を行っていたそのとき、視界の端に、半透明のウィンドウがひょっこりと表示された。最初に気づいたのは副隊長の真壁だった。
「なんだこれ……参加確認? 名前と顔が……選択肢になってる?」
画面には、同行中の他の4名の顔と名前が表示されており、“パーティメンバーに追加しますか?”という選択肢が並んでいた。試しに全員が同意すると、システム側から次の通知が表示された。
《パーティが結成されました》
《経験値はメンバー間で自動的に等分されます》
《パーティメンバーの現在位置・状態を感知可能(精度は距離・INT依存)》
この発見により、5人の間に驚きと疑念、そして静かな興奮が走った。
ゾンビを何体か倒して気づいたこともある。どうやら経験値は等分されたうえで、小数点以下は繰り上げられるらしい。ゾンビ1体と戦った場合は経験値3のため、5人だと1人あたり0.6相当。しかし、パーティ後、得られた経験値は全員1だった。
「……なるほど、パーティ組むとメリットがありそうだな。特に経験値が低い敵に対しては経験値メリットが大きい」
大島が苦笑しながら呟いた。さらに隊員たちは連携の強化や互いの位置感知といった恩恵に魅力を感じていた。この日の戦闘を通じ、隊長の大島はレベル5に、他の4名もレベル4に到達する。
さらに翌日。この日はあえて戦闘を行わず、基地内での能力検証とステータス配分に集中する日とされた。APという存在が確認されたのは、8日目の夜。ステータス画面に残っていた数字が、“能力値”に振れるということが明らかになったのだ。
この日の指導役となったのは、特戦群の一員・南雲と、そして早乙女副長官の秘書の一人であり、かつて学生時代にMMOのランキングを総ナメにした“元廃プレイヤー”であるという男性、神谷だった。
「侍タイプなら、まずSTRとAGI。INTは捨てていい。MPも多分関係ない」
「魔法使い系はMPとINTを中心に。VITも多少あった方がいいかも」
「弓系はAGIとDEX系……って、DEXないのか!? てことはLUKに振るか」
「このINTの倍率、明らかにMMO仕様っすね……これ、魔職強くなるやつじゃね?」
神谷と南雲による職業別テンプレ振り分け指南により、隊員たちは自分のクラスと役割に応じてステータスを配分し、身体能力の変化を記録する。
すると――わずか数ポイントを振っただけで、反射神経・跳躍力・握力・視力すべてに劇的な変化が起きた。
特戦群の体力測定場に立ち会っていた早乙女は、人の身長を優に超える跳び、太い丸太を豆腐のように切る斬撃、世界記録を秒単位で上回る速さで走る隊員の姿を目の当たりにして、思わず息を呑んだ。
「……これは、米国の言う通り、現実が書き変わるな……」
崩壊寸前の国。その暗闇の中で、ようやく見つけた一筋の光に、彼は手を伸ばした気がした。
さらに翌日、パンデミック発生から10日目――。
この日、特戦群の5人には“完全な自由時間”が与えられていた。連日続いた戦闘と訓練の疲労を考慮し、立川駐屯地内での非戦闘行動が許可されたのだ。
岸本は、通信棟の一室でひとりノートPCと向き合っていた。米国の一件以降、各国から届いた“スキル保持者に関する育成・制度構築のレポート”を翻訳・整理している最中だった。
南雲と坂口は、基地中庭のベンチに座り、タブレット端末で“ダンジョンマップ”と“職業ごとの能力上昇傾向”を照らし合わせながら会話を続けていた。
真壁は、訓練棟で、スキル《精密射撃》が弓以外、銃火器でも効果があるのかを試していた。
そして、大島諒は自室の簡易訓練スペースで独り木刀を振っていた。剣の軌道は正確無比。STRにポイントを振ったことで、体の反応とスキルの動作が“融合”し始めていた。
――そのときだった。
午後4時32分。説明も前触れもなく、全員の“脳内”に、異様な黄色のウィンドウが出現した。画面は透明なレイヤーのように視界の中に重なり、点滅しながら次の文言を表示した。
《エリアTOKYO:防衛ミッション発生》
《対象:新宿大学病院の生存者》
《レベルFホード接近中。1時間後に構内に到達。直ちに防衛してください》
《参加資格:エリア内、職業保持者》
《クリア報酬:10名以上生存でダンジョン拡大を168時間停止》
「……なに、これ……」
岸本がぽつりとつぶやいた。南雲はすぐに坂口と見えたものを共有する。タブレットを落としかけた坂口が頷く。
「つまり、これは……緊急ミッション……?」
「……いったい誰が仕掛けてるのか…マジで……ふざけてるな」
南雲が呟いたその頃には、すでに全員がそれぞれの場所から基地内指令ブースへ向かっていた。
「早乙女副長官、特戦群5名、全員が同じウィンドウを視認しています! 内容は共通! 新宿大学病院にて一般人がゾンビに狙われているとのこと!」
報告を受けた早乙女は、即座に執務室から仮設指令ブースへ向かった。ミッション表示から5分。立川から新宿までの時間を考えると、このままでは、間に合わない可能性すらある。
「生存者がいるとしたら……答えは一つだ」
誰かが躊躇する前に、早乙女は決断していた。
「……行かせよう。特戦群を、新宿に向かわせる」
「せっかく得られた力だからこそ――国民を守ることに使うべきだ。それが、我々の責任だ」
沈黙の中、情報幕僚がすぐに指示を復唱した。
「立川基地より航空路を確保します! 発進まで10分以内!」
あわただしく動き始めた組織を眺めながら、早乙女は言いようのない不安を感じていた。
力を把握しないままに、次の“現象”が始まっている。しかも、“ダンジョン拡大”という、あきらかにろくでもない単語を含みながら――。