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第3歯 母

隙間風の吹き抜けるボロ屋で男がふたり、むさ苦しく炬燵を囲んでいる。

冷たい風が駆け抜けて、ジョニーと同時にブルブルッと身震いする。

ジョニーがこたつ布団をググッと引き寄せると、俺の手元のこたつ布団がズルズルと短くなる。

こたつ開きをようやく迎え、萬屋のオアシスとなったこの小さな箱は一瞬の幸せと、春まで続くであろう小競り合いを生み出した。

「おい、ジョニー」

ムッとしかめ面をするとジョニーは何も言わずにニッと八重歯を見せた。むしゃくしゃして布団を引っ張り返すとジョニーも負けじと引き戻す。小さな炬燵がガタガタと暴れる音を聞きつけて、維千は食事を作る手を止めた。パッと駆けつけた彼がその比類なき美しい容姿で、みっともない絵面に華を添える。

「おじさんふたりで何をしているんですか」

「ジョニーの野郎が!」

「だってメロウがあ!」

情けなく己の正当性を主張するおっさんふたりに、維千は蔑むような目をしている。否…これは彼の真顔である。

「二日酔いに響きますよ」

維千は昨夜の炬燵開きで飲みすぎた俺の肩に半纏をかけて、梅昆布茶をスッと差し出した。

維千が萬屋の居候となり、生活を共にするようになってから2日が経つ。

彼は名家の奉公人をしていただけあって、テキパキと家事をこなしてくれた。とっ散らかっていた部屋は秩序を保ち、あちこちに散乱していた書類はきれいにファイリングされ、彼の手料理は簡素だった食卓に華を添えた。

目を見張るその働きぶりに、どちらが居候かわからなくなる。

しかし、彼はまるで感情がないかのように笑いも泣きもしない。思いやりなんて微塵もないと思っていたから、梅昆布茶が出てきたのには心底驚いた。

「なにを企んでやがる」

「人聞き悪いですね。僕にだって恩義を感じる心はあります」

「そいつぁ、失礼した」

梅昆布茶をグイッと飲み干しても、維千は能面顔でこちらを見つめてくる。なんだか居心地が悪くて、俺はボリボリと頭を掻いた。

「なんだ?」

「二日酔いのおじさんは無用の長物です。早く治してください」

「維千、もう少し思いやりを持ってくれないか。頭よりも心が痛いぞ」

「ないものはないですから」

「僕のLOVEをあげようじゃないか!」

ジョニーがきらきらした歯…じゃねえ、顔を維千にずいっと寄せる。維千は「結構です」と切り捨てて、炬燵布団の上に乗った。

「入んねえのか?」

「僕には少し暑すぎます」

(おいおい、まじかよ)

電気代を節約するため、炬燵の設定温度は常に最弱にしている。俺たちには全然足りないくらいだったが、彼にとっては溶解炉に足を突っ込むようなものなのだろう。

「維千。それで…本当にいいのか?その…」

「母のことでしょうか」

維千は吉原の人喰い妖怪の話を聞くなり、それはきっと母だろうと話した。もしそれが本当なら、俺たちはこいつの母親を退治しなければならない。

「顔も名前も覚えていない相手です。何も不都合はありません」

好都合とか不都合とか、そういう話ではないだろう。顔も名前も知らなくたって母親は母親だ。

「どうして母親だと思った?」

「喰っているところを見ました」

「お前、人が喰われるところを見たのか?」

「助けるべきでしたか?」

「助けるとかじゃなくてだな…お前、まだ子供だったんだろ?」

維千は「ええ」と首を傾げて、こちらの意図をつかめずにいるようだ。

維千は北条家の奉公人だが養子でもあるらしい。養子が奉公人とは少し違和感があるが、彼はどうやら息子という漠然とした立場で北条家に世話になるのが落ち着かなかったようだ。

里子に出されるまでは、花魁をしている母親と吉原で暮らしていたらしい。わずかでもいっしょに暮らしていたのだ。そうでなくとも仮にも母である。

怒るとか、悲しいとか、苦しいとか…こいつは何も感じないのだろうか。

「当時の様子を詳しくお話ししましょうか?」

「いや、いい」

人が食われる光景なんぞ、想像するだけで胃の中身が込み上げてくる。

「北条早雲は知らねえのか?」

「旦那様がどこまでご存知かはわかりませんが、人喰い妖怪と聞いてもしやとは思っているでしょうね」

「だったらなんで態々…」

「旦那様には立場がある。本当なら関わりを持ちたくない話でしょう。僕を使いに出しただけでもありがたいと思ってください」

維千は当然のように自分にだけ茶を淹れて、何やら分厚い手帳を読み返しては書き加えている。

「僕もいっしょにティータイムしていいかい?」

「どうぞ」

差し出されたのは出涸らしの入った急須である。ジョニーは少し泣きそうになったが、維千にはその理由がわかっていない様子だ。

「それにしても花魁たあ、お目にかかるのが楽しみだぜ」

「メロウさん、魔法使いの3禁をご存知ですか?」

「酒、欲、色だろ…お前に言われたかねえよ。お前、酒飲むだろ」

「僕は魔法使いではありません。それにお酒は嗜む程度です」

「嘘つけ」

こいつはこんな(なり)をしているが、そもそも俺たちとは時の流れ方が違うらしく、酒が飲める程度には大人らしい。それも相当の酒豪で大の酒好きだ。

こたつ開きの日には3升空けても素面で、翌朝には計5升の瓶が空いていたのだが維千はケロッとした顔で朝食を用意していた。

「今夜、吉原に乗り込む。おまえも来るか?」

「酒が飲めるなら」

本当にこいつには嬉しいとか、悲しいとか、苦しいとか、ないのだろうか。

貼り付けたような能面顔に、見ているこっちのほうが虚しくなった。

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