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第2歯 維千

男の依頼はまるで時代錯誤したものだった。

「吉原に巣食う人喰いの妖怪を退治してほしいたあ…やっぱり断ろうぜ、ジョニー。あいつぁ、なんか臭うぜ」

「何を言っているんだい、メロウ。困っている人がいるんだ、放っておけないよ」

「しかしよ…妖怪が人を食うなんてのは何百年も昔の話だぜ?人喰い妖怪は今もいるって眉唾もんの噂は聞くが…差別、偏見だって問題視されてんだろ。妖怪に勘付かれるのが怖いだなんだって…あの男、身元も明かしゃあしねえ。妖怪差別団体とかじゃねえだろうな」

「だけどもし本当に、人を食う妖怪がいたら?」

ジョニーが顔に影を落とし真剣な顔をするので、俺は両手のひらを仰向けにしてやれやれと首を横に振り、見せつけるようにして呆れ果ててやった。

「前金も受け取ったんだから、できるだけのことはしようよ。見つからなかったら、それはそれでいいことじゃないか」

「前金…」

空腹に耐えかねてユニコーンを3頭は買えるであろうほどの前金に目が眩んでしまった手前、何も言えない。

(気は進まねえが…背に腹はかえられねえか)

痒くもないのにガシガシと頭を掻いていると、ジョニーがカタカタと歯を鳴らして愉快に笑いだしたので、逃げるように逸らした目をそのまま大きな武家屋敷に向けた。

「北条家…国内外にその名を轟かせる剣術の名家、か」

「ここの当主がたいそうな女好きで、頻繁に吉原通いをしているそうだよ。なにか知っているかもしれない」

「どうだか」


名家の当主と顔を合わせるには見窄らしい身なりをした強面が得体の知れない生き物を連れているもんだから、使用人はこちらの事情を右から左に聞き流して「旦那様はお忙しいから」とさっさと門前払いにしようとした。

ジョニーがカカカカカッと歯を高速で打ち鳴らしすがりついて泣きだしたので、このままでは呪われると思ったのか、使用人は「確認してまいります」と逃げるように屋敷の奥に消えた。

しばらくすると使用人は青ざめた顔で戻ってきた。「信じられない。旦那様は何を考えていらっしゃるのか」とぶつくさ不満を垂れながら案内されたのは、萬屋の1DKを8部屋並べても足りないくらいに広い座敷だった。

季節感のある色鮮やかな茶菓子を出されたが、ひと口でも食べれば堰を切ったようにがっついて醜態を晒すことになりそうで、ごくりと唾を飲み込んで堪える。しかし、金持ちぼんぼんであるはずのジョニーは、野良犬もどん引くような勢いで何十回目のおかわりをしていた。

「いやあ!空腹は最高の調味料だね!」

「お前なあ」

「すまない。待たせたね」

襖がサッと開いて、背の高い優男が部屋に入ってきた。

崩していた足を正そうとすると、彼は手のひらを突き出して「そのままでいい。気を遣わないでくれ」とヘラヘラ笑った。

北条家の当主、北条早雲といえば刀を握らせれば右に出るものはいないと聞いていたのだが…この男は想像とかけ離れて、はんぺんのように緊張感がなかった。

「そうかい、そうかい。妖怪退治とはご苦労なこった。しかし、吉原に人喰いの妖怪ねえ」

早雲は羽織を脱いで座布団に腰を落ちつけると、緩慢な動作でズズッと茶をすすった。

「私はもう女遊びに懲りてね。今となっては時折、顔馴染みの遊女に差し入れを持っていくくらいだ。吉原には久しく足を運んでいない。力になれるかわからないよ」

早雲は穏やかな口調で言い終えると、菓子切りで小さくした練り切りをパクッと口に頬張った。

藁にもすがる思いでやってきたのに、どうやらここも空振りに終わりそうだ。ジョニーはふやけた素麺のようになって絶望に打ちひしがれている。

「ときに君たち」

菓子切りの先をビシッとこちらに向けて、早雲は目を鋭くした。その迫力にゾゾッと悪寒が背中を駆け抜ける。

「…どんな女が好みかね」

「ああ?」

思いがけない質問に思わず礼儀を忘れた声が出た。(いかめ)しい顔をした自分はこれがケンカをふっかけていると勘違いされて、トラブルになることが多い。

パッと口を手で覆い、にんまりと笑顔を作ってみせたが、早雲に気にする様子は全くなく、むしろジョニーが幽霊でも見たかのような顔で気味悪がっていた。

「ぼ、僕は…清楚で謙虚でカワイイ子が…スキ♡」

「もじもじすんな、気持ち悪りぃ」

くねくねと身を捩るジョニーに冷ややかな目を向けてやったが、彼は妄想の中で存在しない彼女とデートを始めてしまい、それどころではないようだった。

ジョニーがこうなると人々はサッと青ざめた顔で絹を裂くような悲鳴をあげ、逃げ惑うのが常であったが、早雲はあっはっはと突き抜ける声で平然と笑っている。この男、只者ではない。

「君はどうだい?」

「…芯のある奴は…守ってやりたくなる」

「メロウ、くっさ!」

「っるせえ!」

顔がカアッと熱くなる。早雲のヘラヘラした顔に文句のひとつでも言ってやりたかったが、彼が鷹のような目でじっとこちらを見つめて、うんうんと何度も頷くものだから余計に恥ずかしくなった。

「維千、お入りなさい」

「失礼します」

スッと襖が静かに開いて、ジョニーとメロウはその少年の異様な雰囲気に目を奪われた。

粉雪のように白い肌に冬の海のような紺碧の髪が映える。美しく表情のない能面顔に形のよい天色の双眼が並んでいる。

「美しい…フンガッ!」

ジョニーがカカカカカッと歯を打ち鳴らすと、維千は目にも止まらぬ早業でジョニーをバンッ!と床に叩きつけた。プピッと間抜けな音がして、ジョニーはそのままパタリと動かなくなってしまった。

「旦那様。すぐに駆除しますので下がってください」

「これこれ、維千。私の客だ。離しなさい」

「客?これがですか?」

「失礼だよ。口を慎みなさい」

「申し訳ありません」

維千はゴミを投げるかのようにジョニーをパッと手放すと、着物の襟を正して早雲の隣に座り直した。

「失礼した。彼は奉公人の維千だ。口は悪いが、彼なら役に立てるだろう。連れて行くといい」

維千が洗練された所作で礼をするので、こちらも吊られて礼をしてしまった。

「早雲さん、いいんですか?ツマミの味が落ちますよ?」

「かわいい子には旅をさせろと言うじゃないか。これを機に私も酒を断つかな」

「できないことを言わないでください。戻りはいつ頃にいたしましょう?」

「好きにしたらいい。すべておまえに任せるよ。しっかり学んできなさい。彼はきっと、おまえに強さを教えてくれる」

役に立つ?この背丈が140㎝ほどしかないチビが?こちらを伺い見る顔つきだってまだあどけない。

「吉原だぞ?こんなガキ、連れても行けねえ」

室内の気温が急激に下がって、熱いくらいだったお茶が冷茶同然になる。ジョニーが狂ったように歯を鳴らして、膜のように薄い唇を青紫にした。

「ああ、そうだ。ひとつだけ…彼は雪女の血を引いている。氷漬けにされたくなければ、ひどく怒らせないことだ」

「雪…女?そいつ、人間じゃねえのか」

「半人半妖ですが、それがなにか?」

維千の冷ややかな目を見て、ジョニーがブルブルと震えあがる。

「メロウ!君は知らないのかい?氷妖…雪女は遥か昔、人間を誘惑して喰らっていたんだよ」

「遥か昔の話さ。そう怖がることはない。維千は人を食ったりしないよ」

早雲は穏やかに笑って、維千の頭をガシガシ撫で回した。

人間離れした美しさ、獲物を誘うような甘い声…そういうことか。

維千は嬉しい顔もしかめ面もせず、ただただ能面顔で早雲のなすがままになっている。怒らせるなと言われても読めるほどの表情が顔にないのだから、それは難しい話である。

「維千は感情が希薄だからね、怒ることは滅多にない。思い込みで決めつけないこと、それだけ気をつけていればよい」

「よろしくお願いいたします」

爆弾を押しつけられた気がして、生きた心地がしない。

すぐさま断って屋敷を出たかったが、人喰いの歴史を持つ妖怪とあらば何かしらの情報には繋がりそうだ。

これを逃したら次はないかもしれない。

「お、おう。よろしく頼む」

差し出した手を死人のように冷たい手で握り返して、維千はこちらをじっと見つめている。

「なんだ?」

「手汗が気持ち悪いです」

「てめえ…」

やっぱり断ればよかった。こいつはどうも好きになれそうにない。

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