第1歯 場違いな依頼人
同郷の親友とよろず屋を始めたのは、なんて事のない理由だ。コイツが浮世離れしたロマンチストで、自分が配下に下れるような性分ではなかった。ただそれだけのことである。
ただでさえ崩れそうなボロ屋だというのに、やる気のない手書きの看板にコイツが歯のイラストなんか描くものだから、世間はここを『歯を専門にした闇医者』と勘違いしている。おまけにせっかちなコイツが塗りたての看板をすぐに立ててしまったので、ペンキの垂れた文字がお化け屋敷も顔負けのおどろおどろしさを醸し、この店のありもしない闇をより強くしていた。
こんな店でも客が来ないわけではない。訳ありの装いをした輩が素人目にもわかる虫歯を抱えて駆け込んでくることがあった。
なんでも屋と言えど、さすがに医者の真似事はできない。
幸いにも自分は抱きあげるだけで壊れてしまいそうな赤子の頃から泣く子も黙る強面だったので、虫歯に泣きべそをかいている凶漢を(親友曰く)仁王のような形相で泣く泣く追い返すのだった。
「さみいなあ…」
ふたりの自宅を兼ねた店を隙間風が駆け抜ける。窓は子供が走り回っているかのようにガタガタと騒がしく音を立てていたが、残念ながら店内は閑古鳥も鳴くのを躊躇うほどに閑散としていた。
32になる歳のせいか、ろくに飯を食ってないからか、やめられない葉巻のせいか…思い当たる事は尽きないが、とにかくこの季節は毎年、寒さが身に染みて気が滅入る。その上、果てのない白が時を止めるように世界から色を奪い去るから、冬は大嫌いだった。
「ふふ。今年は特に冷えるね、メロウ」
小さな炬燵に首まで潜り込んでコイツ、ジョニーはカタカタと歯を鳴らした。
誰と我慢比べしていたわけでもないが、開けるたびに雪崩を起こす押入れからやっとのことで出した炬燵は、スイッチをまだ入れていない。小さな空間におっさんふたりがむさ苦しく寄り合って、室内であるにも関わらず上着を何枚も重ね着している。
絵面だけは見事に暑苦しかった。
「なあ、いい加減につけようぜ?炬燵」
「だめだめだめ!ぜーったいダメ」
ジョニーは炬燵のスイッチを抱え込んで、ぶんぶんと歯…じゃない…頭を横に振った。
このピンクオークル系の風船が半分覗いた白い発泡スチロールを小枝の先に引っかけたような姿をした生き物は、1度言い出したら頑として動かない。
(めんどくせー)
カレンダーについた大きな赤丸まで、あと3日はある。それは彼が制定した「こたつ開きの日」だったが、このままでは炬燵の点灯式を迎えるのは危ぶまれた。
「おいおい、雪降ってんだぞ?」
頬杖をついて窓の向こうに目をやると、白い玉雪がふわふわと風に舞っている。
「だーめ!身の程にあった生活をするのが庶民ってもんだろう?」
「おめえ、庶民を馬鹿にすんなよ」
身の程にあった生活というならば、我々は大都会ティースの中央ターミナルから徒歩5分圏内にある5つ星ホテルの最上階で優雅に暮らし、今後はお抱えシェフの作るランチを食べていなければおかしい。
しかし、ジョニーは庶民に憧れる能天気なボンボンで、彼が好奇心の赴くままに理想の庶民を追求していったところ、この極貧生活から抜け出すことができなくなってしまった。彼はこの生活をテーマパークのアトラクション感覚で楽しんでいるようだが、付き合わされる方はたまったもんじゃない。
「バカになんかしてないさ!むしろ、尊敬しているよ。僕はもうお腹と背中がくっつきそうで」
「その棒切れみたいな身体…腹と背中があったのか」
「失礼な!あるさ!ほら、ほら!」
ジョニーは激しい音楽を奏でる琴線が大きく振れるように、腰と思われる部位をビョンビョンと横に振った。ミミズがのたうち回るようなその動きは、正直なところ気持ち悪い。
「君こそバカにしないでくれ!僕はこれでも人間なんだぞ!」
「人間っていうんなら、いい加減に寒さに耐えかねて炬燵をつけようぜ」
「ダメダメダメダメ、ぜーったいダメ!」
ジョニーの動きが5倍速になって、さらに馬の体を打ちつける鞭のように腕を波打たせるものだから、彼の気持ち悪さはより一層増した。
キラキラと輝くタレ目をキッと睨みつけてもジョニーはふにゃふにゃ笑っている。そうだ、こいつは臆病なくせに変なところがやけに図太いのだ。
「暢気なことを言ってる場合か?俺はお前と抱き合って死ぬなんざ、ごめんだぜ」
「ええー!?親友じゃないか!」
「死ぬときゃ、極上の美女を抱いてって決めてんだよ。おめえ、俺の親友ってんならくだらん意地張ってないで、俺のために炬燵をつけろ」
「断ーる!」
ビュウッと風が吹き抜けて、メロウはこたつ布団に肩まで潜るとガタガタと震えた。足に何かが当たって炬燵の中を覗くと、ジョニーが頭まですっぽり潜り込み、毛糸玉のように体を丸めていた。
「僕が温めてあげる♡」
ジョニーにニコッと笑いかけられて、ゾワッと背中に寒気が走る。
「せめえだろ!出ろ!歯がでけえ!」
火炎系や雷系のなにか気温をあげるような魔法が使えればよいのだが、生憎どちらもそのような魔法は持ちあわせていなかった。
「ごめんください」
隙間風が店中をガタガタと揺らすので、ノックの音に気づかなかったようだ。その羽ぶりの良い着物を身にまとった幸薄顔の若い男は、痺れを切らしてすぐそこに上がりこんでいた。
「すまないね。聞こえていないようだったから、勝手にあがらせてもらったよ」
「いや、こちらこそ申し訳ねえ。そこに座って…おい、ジョニー!客だ」
「お客さん!ウェルカム!」
ドドーンと打ち上がる花火のように炬燵からジョニーが飛び出して、せっかく腰をおろした男は「ヒイッ!」と悲鳴をあげながら壁際まで退いた。