第40話 土のおくすり~アルビオン連合王国~(2)
『親愛なるマリィ。
先代のイグニスから聞いた通り。私の姉弟子は、君の母、大魔法使いジャンヌだ。
今までちゃんと話していなかったことは、師匠として、大人として、手紙でも謝りたい。
もう1つ、謝らなければならない。
君の母親ジャンヌは、国際的な王族に属する女性だ。
つまり、君の叔父さんはフランシス王だし、君の叔母さんは、アルビオン女王だ。
マリィ、一度に大事なことを聞いて、すごく混乱していることだろう。
だかね、落ち着いてくれ。
母親の称号や、家族の地位は、しょせん他人のことだ。
マリィはいつもマリィだろう? 君は1人しか、この世界にいない。
過去、現在、未来。私の愛する弟子、マリィは君1人だ。
アルビオンでのマリィの成長を、師匠として期待しているよ。
クロウド』
絶句した。
口を開きすぎて、顎が外れそう。目を見開きすぎて、乾燥してきて痛い。
アルトは不思議そうに首を横に傾げた。
一番偉そうな壮年の警官が、喧嘩の事情聴取をしていた。
だが、2人の女性はどちらも退こうとしない。
あっちのせい。こっちのせいじゃない。くすぶり続ける火のように、その口喧嘩は終わる気配がなかった。
それを見て、現実へ戻された私、目を閉じてから深くため息をついた。
やるべきことは決まっている。
私は目を開くと、仲裁する警官へ説明した。
「私は魔法使い見習いのマリィです。わが師は、フランシス第一の魔法使いであるクロウド。その代理の使者として、アルビオンへ赴く途中です」
警官のお偉いさんは、2人に「そうなのか?」と疑いの目で問う。
頭が冷えて来た2人は、渋々、縦に首を振った。
無言で目を合わせる警官たち。
お偉いさんが「以後、気を付けるように」と締める。
彼らは足並みをそろえて、皆去って行った。周りの野次馬たちも、もう通行人に戻っていた。
アルビオンから迎えにきた水兵のオークさんは、イグニスさんへ勝ち誇った笑みを見せた。
「そういうことさ。わたしこそ、アルビオン女王様の命令で、マリィを迎えに来た公式な役人である。オーク族と侮るなかれ。このリーフはただのオークではない!」
「わ、悪かったな……」
この役人の彼女こと、巨人オーク族は、リーフさん。
その強い視線に、急に弱くなった狼の目。ついに、イグニスさんが負けた。
姉弟子にあたるイグニスさんを、私は悪者にしたくなかった。
だから、これまでのお礼をちゃんと述べた。
「イグニスさん。姉弟子として、未熟な私をここまで導いてくれてありがとう。このフランシス国の仕事が終わったら、隠れ家のあるノルドにいつか必ず行きます。その時は笑顔で私を迎えてください」
「……」
キュー。アルトも寂しそうな声を上げた。
イグニスさんは、白いコートを翻すと、顔を見せずに去って行った。
肩が震えていた。寂しそうな背中が徐々に小さくなって行った。あぁ、きっと泣いている。遠吠えも出来ないくらいに、イグニスさんも寂しいのだ。
すぐにノルドの海賊船は蒸気を上げて、先に港を発った。
流石に、意地悪をし過ぎたと、リーフさんが大きい頭を下げた。
喧嘩っ早い役人さんのようだが、このリーフさんも悪い人ではないようだ。
「わたしも、公私の配慮に欠けた。ちゃんとした別れをさせてあげられずに、本当に申し訳なかった」
「良いんです。きっとまた会えますから」
顔を上げたリーフさんは、苦笑いをしていた。
私と、この肩に乗るアルトは、すでにアルビオンのある方角へ期待の目を向けていた。
波も静かになってきて、陽光に輝く海が眩しい。
前向き、元気、いつも旅は前進のみ。それがマリィ流だ。
「よーし、アルビオンへ行くぞー!」
「キュッキューゥ!」
アルビオンの大型蒸気船が動く。
私たちが、海上にいたのは、わずかな時間だけだった。
数時間で、アイリス湾に接する、アルビオン連合王国のエングラ領リーヴルへ着いた。
夏の潮風は濃い匂いをしている。陽光はすでに午後の高さだ。
海の支配者であるアルビオンの港町、リーヴルはとても大きい。
珍しい木箱の荷物が次々と降りていく。大小様々、数も多い。
箱に貼られた茶色い紙の文字が読める。砂漠の国からのキレイな石、西の国からの酒樽、ノルドからの海の幸だろうか。私の想像を掻き立てる。
さらに運んできた人たちも、様々な国の商人たちだ。肌の色も体格も、話している言葉もみんな違う。
私とアルトは、船着き場に釘付けだった。見るもの全てが面白い。
リーフさんは、冗談のように、本音を言う。それがアルビオン人の気質だ。
「海はすごいんだよ。海は……ね」
私とアルトは、その重たい言葉の意味が分からなかった。
ただ首を横に傾げるのみ。
リーフさんの沈んだ目を、足下の殺風景な地面に向けていた。
住む土地、母なる大地に、全く自信がないようだった。
ノルドで、師匠クロウドがかじっていた硬い黒パンを、私は思い出しておけば良かった。
今、アルビオンの大地は、不毛な状態から中々良くなっていなかったのだ。




