3.鼻歌
目的地に近づくにつれて、懐かしい景色が増えていく。
学校の最寄り駅。車窓からは、みんなで歩いた通学路が見える。みんなで行ったライブハウスのある駅。リサさんのライブを初めて観たライブハウス。駅前にその姿がちらりと見えた。
だんだんとノスタルジックな感情がこみあげてくる。
離れる前は四年なんてあっという間だと高を括っていた。それがいざ離れてみると、四年は途方もなく長い。
永遠に感じられた——というのは大げさかもしれないけど、本当に四年後がくるのかと不安になるほどだった。四年という年月は、俺の人生の五分の一に当たる。長く感じるのも当然だったのかもしれない。
それが今、いざ戻ってみると、あの頃のことを昨日のことのように思い出せるのだから不思議だ。やっぱり四年はあっという間だった、という記憶の改変が起こる。時間の流れは相対的だと誰かが言っていた。どうやらそれは本当のことらしい。
ノスタルジックな感情と反比例するように俺の口数は次第に減っていく。俺のことは放っておいて、アヤさんとマリちゃんが会話をする、ということもない。ただ三人、黙ってじっと座っている。
お昼過ぎの電車内はかなり空いていた。同じ車両の乗客は俺たちを除いて、両手で数えられるほど。
向かいの窓に目をやると、差し込む西日が眩しい。思わず目を細める。もうすぐ、日が暮れる。
ライブの開演時間にはギリギリ間に合うはずだ。実は、あえてそう言う時間に帰国した。ライブ直前に合流して、みんなを驚かしてやろうという気持ちがあった。そのほうがドラマチックだ。
飛行機が何かしらのトラブルで少しでも遅れていたら、間に合っていなかったかもしれない。本当はそういうことまで計算に入れて、早めに到着する便を選ぶのだろうが、俺はそうしなかった。ギリギリの中なんとか間に合って、仲間と合流する。再会の喜びを分かち合う間も無くステージに上がる。なんか映画みたいでカッコいい。勝手な偏見だけど、その方がロックだと思う。多少の遅刻は、感動の再会のアクセントだ。
「ライブ、間に合いそうで良かったね」
アヤさんが、独り言のように言った。
「はい。特に遅延とかもなく順調でしたね」
「ギリギリの便だったからハラハラしたけど、この調子なら大丈夫そうね。緊張してる?」
「どうでしょう。今は、緊張よりも懐かしさが勝ってる感じですね」
「懐かしい……か。四年ぶりだもんね」
アヤさんは急に神妙な顔になる。
「サオリは元気? それに植村君も。サオリの病気は良くなってきてるって聞いてるけど」
「植村君」というのは俺の親父のことだ。
「はい。快方に向かってます。親父は、まぁ相変わらず母さんに付きっきりですけど、何とかやってますよ」
「そう。なら良かった。早くみんなで日本に帰ってこれるといいね」
アヤさんはそう言ったきり、また黙ってしまった。その表情からは、アヤさんが何を考えているのかまでは分からない。アヤさんにとって、母さんや親父はとても大切な友人だ。じゃなきゃ、わざわざ理由をつけてアナーキーを買い取ったりしない。
再び静かになった電車内。俺たち以外の乗客はスマホを見たり、本を読んだり、誰も声を発することなく思い思いに乗車時間をつぶしている。
不意に、消え入りそうな小さな声で歌うマリちゃんの歌声が聞こえてきた。その歌は『Four Years Later』だった。全英語詞の俺が作ったその歌は、小学校低学年の子が歌詞のとおりに歌うには難しいのか、メロディをなぞるだけの鼻歌だった。それでも『Four Years Later』だと分かる。
「マリちゃん。その曲……」
マリちゃんの歌が、俺の言葉に反応して止まる。もっと聞いていたかったから、声をかけたことを少し後悔した。
「ケイくんの曲でしょ?」
「どうして知ってるの?」
「だって、みんないつもお店で練習してるもん」
マリちゃんの言う「お店」とはアナーキーのことだろう。そして、「みんな」とはロミ研メンバーだろう。そうか。みんなこの曲もちゃんとやってくれてるんだ。マリちゃんが覚えて、口ずさめるようになるほど何度も。そう思うと自然と笑顔がこぼれる。
「怒ってないんだな……」
誰にともない言葉が漏れる。それは、今まで直視しないようにしてきた自分の弱い気持ちを表す言葉だった。
どこかでみんな俺に愛想をつかしてるんじゃないかと不安に思っていた。今の今まで、この四年間、その不安に蓋をして見ないふりをしてきた。「俺はみんなを信じる。だからみんなも俺を信じてくれている」そう自分に言い聞かせてきた。そんな不安が、マリちゃんの鼻歌を聞くことで表出して、一瞬で解消されていく。
「怒るってだれが~?」
相変わらずのほんわかした声。俺の心の声が漏れた独り言は、マリちゃんにしっかり届いてしまっていたようだ。
「聴こえちゃった? みんな。俺の友達が怒ってないって、分かって安心したよ。マリちゃんの鼻歌が教えてくれたんだよ」
「みんながなんで怒るの? マリの鼻歌で、なんで怒ってないって分かるの?」
マリちゃんは、きょとんとした顔をしている。そりゃそうだ。マリちゃんからしたらなんのことやらさっぱり分からないだろう。
それでも俺はマリちゃんにお礼を言わずにはいられなかった。
「ありがとうね。マリちゃん」
マリちゃんの疑問を無視して、一方的に感謝の言葉を伝えると、マリちゃんはいよいよ意味が分からないらしく、目に見えて困惑していた。
「マリにはまだ難しいかもしれないけど、そのうち分かるときがくるよ。マリにもそういうお友達ができたら、お母さんは嬉しい」
アヤさんがマリちゃんをさらに困惑させるようなことを言う。そんなアヤさんと目が合って、二人して笑った。マリちゃんは、やっぱり何が起きているのかさっぱり分からないようで、少しむくれてしまう。むくれた顔もかわいらしい。
電車が目的の駅に着くと、それまでほとんど感じていなかった緊張ってやつが急にやってきた。懐かしさにも慣れてしまったのだろう。久しぶりのみんなとの再会に緊張しているのか、久しぶりのライブに緊張しているのか分からない。きっと、そのどっちもだろうと自分で勝手に納得する。
改札に切符を入れる手が震えて、なかなか切符が入らなかった。自分でもおかしくなるくらい緊張している。ここまでの緊張は記憶にない。不安が消えた代わりに緊張がやってきたと思うと俺の不安って思ってたより大きかったんだなと気づく。
緊張を紛らわそうと、久しぶりの地元の景色を見渡すと、見たことのある姿が目に映った。
あれは、確か……。トレウラのポスターで見たことがある。ポスターのその姿よりはだいぶ年を取ったようだが、根本的な見た目の特徴に変化はない。
あれは、トレウラのギタリスト。カホだ。
トレウラのギタリストという肩書と、ケイガのお母さんという肩書。その二つが頭の中でイコールで結ばれたとき、俺は迷わず駆け出していた。




