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『ロックミュージック研究会』  作者: たうゆの
7曲目 Still Waiting
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4 ナビゲーター

 俺は誰かに話したことがあっただろうか。絶対にないと断言できる。うちの家族とは長い付き合いのあっくんだって知らないことだ。どこかから聞きつけてくることなどできるはずがない。


 それではなぜ、ユリハ会長は知っているのだろう。俺がトレウラのギタリスト、カホの息子だとなぜ知っているのだろう。

 当てずっぽうで言ったのかもしれない。けれど、それにしてはユリハ会長の自信に溢れた言葉が気になる。それにユリハ会長は、無責任に人のプライバシーに踏み込んだことを言うタイプの人間ではない。元々口数が少なく、無駄なことをほとんど言わない。


 ぐるぐると疑問が巡る頭に一つ、心当たりが浮かんだ。ギターだ。ベタベタにステッカーが貼られたナビゲーター。

 俺のナビゲーターは母さんのものだ。自他共に認めるトレウラオタクであるユリハ会長なら当然、俺のナビゲーターが母さんの使っていたギターと同じものであることに気がついただろう。

 そういえば一度、直接ハッキリと訊かれたことがある。確かエリも一緒にいた。あの時は上手に誤魔化せたはずだ。しらを切る俺を疑う様子はなかったと記憶している。


 何が何でも知られたくないというのなら、他のギターを使えばいい。母さんのナビゲーターを使っていたこと自体が不用意だったと言えばそれまでだ。だけど、俺にとっては、ナビゲーターだけが母さんとの繋がりだった。ナビゲーター以外のギターを弾いていても楽しくない。ナビゲーターを弾いている時だけ、母さんを身近に感じることができた。


 母さんがトレウラで一番人気があってカリスマだったって? トレウラそのものとまで言われていたって? そんなこと今更ユリハ会長から教わらなくたって知っている。俺はそれを嫌と言うほど知っている。そのせいで俺には母さんとの思い出がほとんどない。


「内田はトレウラのカホの息子」


 ユリハ会長は、再度同じことを言った。


「どうしてそんなこと知ってるんだよ」


「……ということは認める?」


 言われてすぐにしまったと思ったが、もう遅い。


「いや、なんつーか……」


 慌てて取り繕おうにも、うまく言葉が続かなかった。


「別に隠すようなことじゃない。そうならそうと認めてくれた方が私も楽」


 やはりユリハ会長は確信をもって話している。筋金入りのトレウラファンであるユリハ会長が、そのメンバーの息子だと分かって顔色一つ変えないのはおかしい。もともと、ほぼ確実にそうだと分かっていて、その確認をしただけ……今のユリハ会長は、そんな風に見える。分かった時は顔色を変えたが、それはずっと前。そんな印象を受けた。


「うん、まぁ隠すようなことじゃないのは、その通りなんだけどよ」


「それなら、やっぱり内田はロミ研バンドでカホと同じ役割を担える。担うべき」


「いや……その役割ってのがよく分かんねーよ」


 はっきりと認めたわけではないのに、ユリハ会長は構わず俺がトレウラのカホの息子である前提で話を進める。


「簡単に言うとムードメーカー。内田にもその素質はあると思う。さすがはカホの息子」


 一瞬だけユリハ会長の目が光る。トレウラファンの目。この人は本当にトレウラが好きなんだなと改めて思う。俺の心情としては少し複雑だ。


「ムードメーカーって……。そんなもん誰でもできるじゃねーかよ」


「誰でもできるわけじゃない。私に言えたことじゃないけど、引っ込み思案で内気なエリは? 責任感があってリーダーシップはある。だけど、バカが付くほど真面目なナナカは? よく言えばマイペース、悪く言えば自己中心的な植村は?」


 そう訊かれて少し考えてみる。

 まず、エリにはどう考えても無理だろう。ユリハ会長の言う通り、引っ込み思案で内気なエリはムードメーカーって柄じゃない。

 それじゃあナナカはどうだ。ナナカは真面目だ。そしておそらくプライドが高い。俺のイメージするムードメーカーは、時には汚れ役になったり笑われる役回りを買って出なければならない。真面目でプライドの高いナナカにそれができるだろうか。

 そしてケイ。あいつは人の為に動ける奴だが、場の雰囲気には無関心だ。積極的にグループのムードを作っていくことはできない。良くも悪くも受け身で、誰かの行動や発言にリアクションをしていくことで関係を築いていく。そういう意味ではエリに近いかもしれない。おそらく他人と深い人間関係を構築してこなかったタイプなのだろう。


 こうして考えてみると、ロミ研バンドの中では俺が一番適任なように思えた。だけど、それも「四人の中では」という条件付きだ。別に俺じゃなくたって、代わりは簡単に見つかるだろう。


「確かにユリハ会長の言うとおり、あの三人と比べたら俺はいくらかムードメーカーの素質があるかもしれねぇな。けどよ、それって俺じゃなくてもいいじゃねぇか。さっきユリハ会長が言ったように、俺はバンドでの居場所が欲しいんだよ。俺じゃなきゃダメだっていう居場所がほしい」


 ユリハ会長に話を聞いてもらうと決めたときから、ちっぽけなプライドは捨てようと決めていた。だから普段なら恥ずかしくて言えないようなことも平気で言える。


「内田は自分が思うほど、凡人ではない。なにせ、あのカホの息子。カホはトレウラのカリスマにとどまらず、ガールズバンド界のカリスマ。フォロワーをたくさん生んでる。リサ会長だってその一人」


「そんなこと言われても知らねぇよ。母さん……トレウラのカホのことはほとんど覚えてねぇんだから」


 母さんは俺が物心つくころにはすでにトレウラのカホとして、大成功を収めていた。家にいる姿はほとんど記憶にない。全国で各地でライブをやるからだろう。トレウラはライブバンドだったらしい。テレビなどのメディア露出は少なかったが、色々なところで頻繁にライブを行っていた。

 だから母さんがどんな人だったのか、よく分からない。もしかしたら、ユリハ会長のほうが母さんのことをよく知っているのかもしれない。


 母さんは本当にたまに、突然家に帰ってくる。そんな時は決まって歌を聞かせてくれた。いつも同じ歌。

 ナビゲーターをアンプにつながず生音で弾き語る姿が、俺が覚えている唯一の家での母さんの姿だ。その歌は母さんが初めて作った歌でトレウラの歌ではないと言っていた。俺はその歌が大好きだった。だけど、小学校五年生の時を最後にその歌を聞いていない。

 母さんはナビゲーターを家に置いたままどこかに行ったきり、姿を消してしまった。父さんにも居場所が分からないようだった。父さんと母さんは今も離婚していない。数年の間、俺と父さんは母さんと一緒に暮らしていた家で、母さんの帰りを待っていた。だけど、母さんは戻らなかった。


「内田。カホ……お母さんとの間に何か問題を抱えてる?」


 ユリハ会長は俺の心をトレースするように言った。ユリハ会長は時々、人の心が読めるんじゃないかと疑いたくなるような言動をする。それだけ人をよく観察しているのだろう。だからこそユリハ会長の前ではしょうもない嘘はつけない。


「カホでいいよ。ユリハ会長にとっては俺の母さんってより、トレウラのカホなんだろ? 問題なんて言うほど大げさなもんじゃねぇよ。だけど、母さんに対しては色々と複雑な気持ちがあるな」


「具体的には? もちろん話したくないなら無理に話さなくていい。分かっているから」


「さっきも言ったけど、俺は母さんのことをあんまり知らねぇんだよ。知ってのとおり、母さんは売れっ子バンドのメンバーだったからな。家にもほとんどいなかった。なんなら、俺よりもユリハ会長の方が母さんのこと詳しく知ってるんじゃねぇか?」


 ユリハ会長は表情を変えることなく、黙って聞いていた。


「だから、普段は俺の母さんっていうよりもトレウラのカホっていうイメージの方が強かった。ユリハ会長と大して変わんねぇと思う。たまにしか帰ってこなかったけど、母さんはうちに帰ってくると必ず同じ歌を聞かせてくれた。その歌が俺は大好きだった。ナビゲーターを弾きながら歌う姿が俺にとって、唯一思い出せる家での母親の姿だ」


 目を瞑ると母さんの姿が鮮明に蘇る。記憶の中の母さんは笑っていた。誰かに母さんのことを話すのは初めてだった。誰かに話すことで記憶がより鮮明になっていく。瞼の裏に映る母さんは何かを言っていた。その先には幼い頃の俺がいる。


「内田。どうした?」


 ユリハ会長の声で我に返る。


「わりぃ。母さんのことを思い出してた。話してるうちに記憶が蘇ってきてよ」


 少し動揺した。だが、その動揺もすぐに治まる。それと同時に記憶の中の母さんも薄くもやがかかったように輪郭が曖昧になっていく。


「俺は母さんの歌が大好きだった。俺にだけ歌ってくれる母さんの歌。だけど、その母さんはある日突然、ギターだけ残していなくなっちまった。それ以来、一度も帰ってこなかったし連絡もよこさねぇ」


 そこまで言うと大きくため息をついた。今まで誰にも話したことのない秘密を打ち明けた解放感と、ほんちょっとの後悔がため息と一緒に俺の外にあふれ出す。さっきまでの動揺はすっかり消え、いつもの自分を取り戻していた。


「カホの歌。内田だけに聴かせたカホの歌を内田は完成させるべき。そうやってカホの歌を完成させることで、カホの気持ちに近づくことができる。内田はそうやってカホのことを知ることができる。カホのことを知ったらロミ研バンドでの居場所も見つかる。もしかしたらカホにつながる手がかりになるかもしれない」


 珍しくユリハ会長が饒舌にしゃべりだす。それはいつの頃からか、頭のどこかで俺もそうするべきなんじゃないかと思っていたことだった。

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