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『ロックミュージック研究会』  作者: たうゆの
6曲目 I'd Do Anything
55/87

5.対決

 たった数メートルの距離が、ものすごく遠く感じられた。周りの景色がゆっくりと流れていく。まるでこの世界がわたしに行くなと言っているようだった。無意識のわたしと意識を持ったわたしが戦っている。

 勝負は意識を持ったわたしの勝ちだ。わたしの足は止まらない。遠山さんに向かって一直線に駆けていく。


 今までどれだけ遠山さんに罵られても怒ることはなかった。悲しいと思うことはあっても、反撃しようとは思わなかった。

 わたしは、物心ついたときから今まで誰かに怒った記憶がほとんどない。そんなわたしが今、怒っているとはっきりと自覚している。怒りとはこういう感情なのかと思う妙に冷静なもう一人の自分の存在を感じた。ドラムを叩いているときの感覚に似ている。


 遠山さんの言葉は、当然わたしを意識したものではなかった。わたしを目の前にしていたら、遠山さんはもっと強烈で攻撃的な言い方をしただろう。悲しいけど、今までの経験で分かる。

 そして、むしろ私に向けられたものだったなら、わたしはここまで怒らなかったかもしれない。わたし自身に対してなら何を言われても結局はわたしが悪いと思って納得する。

 わたしは遠山さんを苦手に思うことはあっても、嫌ったり憎んだりはしていなかった。どちらかと言えば自分のことの方があまり好きではなかった。でもさっきの遠山さんの発言は許せなかった。


 わたしの大好きな音楽をバカにした遠山さん。わたしの大切な仲間を陥れ、嘲った遠山さん。許せなかった。ここで対決しなければ、わたしはわたし自身を一生許せなくなる。


 猛然と走りながら真っ直ぐに前を見るわたしの目は、しっかりと遠山さんをとらえて離さなかった。走っているうちに遠山さん以外のものは何も映らなくなった。

 遠山さんがわたしに気が付いてこちらを見たときには、もうわたしの手の届くところに遠山さんの顔があった。


「なんで!!」


 わたしは咄嗟にそう叫んでいた。

 叫ぶのと同時に遠山さんにつかみかかる。特にどこをどうしようと考えたわけではない。一番掴みやすいところにたまたま茶色く染められた髪の毛があったから、それを無我夢中で掴んだ。


「いったぁい……」



 遠山さんは悲鳴とも呻き声ともつかない声をあげた。

 わたしは躊躇することなく、掴んだ髪の毛を力いっぱい足元に向けて引っ張った。遠山さんは痛みから逃れようと、頭を下げる。わたしよりも背の高い遠山さんの顔が、わたしの胸のあたりにあった。

 その顔に向けて力いっぱい叫んだ。


「なんでわたしだけじゃないの!?どうしてみんなに迷惑がかかるようなことするの!?」


 遠山さんは何も答えることなく、わたしが掴んだ毛先と頭のちょうど真ん中あたりの毛を掴んでゆっくりとしゃがんだ。そして、すぐに素早く立ち上がり、わたしに突進してきた。


 こういうことに慣れていないわたしは、自分から仕掛けておいて反撃されることを想定していなかった。突然のことに驚いて掴んでいた髪の毛を離してしまう。

 遠山さんはわたしを突き飛ばすとそのまま一歩後ろに下がった。わたしはその拍子に足がもつれて、尻餅をついてしまった。遠山さんは尻餅をついたわたしを見下ろすように仁王立ちしていた。


 掴まれ、引っ張られたことで乱れた髪の毛の隙間から見えた遠山さんの顔は恐ろしいほどに無表情だった。無表情のまま何も言わずにわたしを睨みつけていた。

 文句があるなら何か言ってみろと言われているような気がした。


「どうして……。どうして、そんなことしたの……?バンドの……みんなは遠山さんには関係ないでしょ……?」


 わたしはさっきの一撃で完全に息が上がってしまっていた。


「はぁ?なにが?言ってる意味が分かんないんだけど」


 わたしとは対照的に遠山さんは全く息が乱れていない。ダメージは遠山さんの方が受けているはずなのに。


「さっき、投票に細工したって……言ってた。どうして……?わたしが嫌いなら、わたしにだけ……わたしにだけ色々したらいいじゃん……」


「あ~、文化祭の?あんたあんなのにマジになってたの~?バンドなんか今どき流行んないって。それにあんたのバンドがウチのバンドに投票で負けたのは事実でしょ?あんただけじゃなくて他のやつらも大したことなかったってことじゃん」


 反撃を受けて一度、沈静化しかけた怒りに再び火が灯る。

 この人はどうしてここまで底意地が悪いのだろう。初めて完全に非があるのは遠山さんなのだと思えた。わたしはともかく、音楽やみんなには非がない。

 わざとわたしの怒りを煽るように言っていることは分かっていた。分かってはいたが、頭で考えるより先に身体が動く。


 さっきとは逆に今度はわたしがしゃがんだ体制から遠山さんに向かって突進しようと地面を蹴ったそのとき、大きな声がわたしの動きを制した。


「エリっ!!やめとけ!!」


 顔を上げると向かいの校舎の入り口に植村くんと内田くん、それに見たことがないくらい心配そうな顔をしたユリハ会長が立っていた。


「お前が誰かとケンカなんて、らしくねぇな。何があった?」


 内田くんの声はいつもより優しかった。わたしが何も答えることができないでいると遠山さんが呟くように言った。


「バッカみたい。青春ごっこしてんじゃねぇよ」


 わたしはそれを聞き逃さなかった。聞き捨てならなかった。


「バカはそっちじゃん!!もう高校生なんだよ?変な小細工なんかして、いじめみたいなことして!!わたしだけがいじめられるなら構わないけど、みんなを巻き込まないでよ!!」


 不思議とさっきまで上がっていた息は、もう通常通りに戻っていた。アドレナリンが出ているのかもしれない。


「はぁ?被害妄想もたいがいにしてよ。そりゃ中学のときは色々あったけど、今はあんたなんかに興味ねぇよ」


「じゃあなんで投票に細工したの?」


「ウチ、そんなことしてねぇよ」


 遠山さんはサラッと嘘をつく。あんなに衝撃を受けたのだ。わたしが聞き間違ったわけがない


「言ってたよ!!投票にちょっと細工をしたって!!ねぇ?」


 わたしは最初から今までずっとあっけに取られて、微動だにしなかった甲高い声の子に向かって言った。突然、よくわからない騒動に巻き込まれたその子は、心底驚いた様子で目をまるくしていた。とんだとばっちりだと思っているに違いない。


「よくわかんなぁい。ロミ研に票入れたらエリカがいい気しないって話?」


 遠山さんが一瞬甲高い声の子を睨む。


「そうだよ!わざわざそんなこと言いふらして、遠山さんが理事長の娘だからって、みんながわたしたちに投票するのを躊躇させたって」


「だったら、なんだっての!?」


 さっきまでよりも大きな声で遠山さんが言った。明らかに興奮していた。叫んだといってもいいかもしれない。


「だいたいさ、ウチがいい気しないからってなんなの?仮にみんながあんたのバンドに投票したとして、ウチの気分が悪くなったからって何だっていうの?」


 今度はついさっきの興奮がウソのように落ち着いた声で言った。一瞬で平静を取り戻したようだ。


「君は、理事長の娘かなんかなんでしょ?君の気分が悪くなると巡り巡って、不利益を被るかもしれないって考える人がいてもおかしくはないと思うけど?そのことを君が意識してないわけないよね?」


 それまで何も言葉を発さずに静観していた植村くんが口を開いた。


「あの投票、無記名式じゃないよね?それに君は文化祭実行委員とも親密みたいだったし。それはみんな知ってることなんじゃない?ってことはだよ。君の意に沿わない投票をしたのが誰かっていうことが、君には筒抜けなわけだ。そう考える人は沢山いると思うよ。君はそれを分かったうえでわざと俺たちロミ研バンドに投票したらいい気がしないって言ってまわったんじゃないの?」


 植村くんは威圧するでもなく怒るでもなく淡々と歌でも歌うような口調で遠山さんを責めた。


「は?ウチの気分が悪くなったからって別に誰にも何の実害もないじゃん。ウチがこの学校の理事長の娘だからってなんなの?娘が「気に入らない」って言ってるからって理由で理事長がなにかするわけないじゃん。それにあの人はそんなことするタイプの人じゃねぇよ」


 後半に差し掛かるにつれて遠山さんの声に力がなくなっていく。


「別にあんたらが票を獲得したってウチには関係ないし。もう終わったことなんだし、いい加減うざい。もういいでしょ?」


「待って!確認だけど、じゃあ仮に君が俺たちに票が集まるのをよく思わなくて、気に入らなかったとして、それでも俺たちに投票した人にはなんの害もないんだね?断言できる?」


「チッ……」と小さく舌打ちをしてから遠山さんは大きな声で叫んだ。


「なんの影響もねぇよ!!みんな勝手にビビって勝手に投票先変えたんだろ?あんたらのバンドなんかその程度なんだよ。いちいち絡んでくんなよ、ムカつくな~。別にウチの機嫌なんか気にしたって何の意味もねぇんだよ!!」


 遠山さんは言い終わる前にわたしが入ってきた扉に向かって歩き出してしまった。その後を甲高い声の子が慌てて追いかける。訳が分からないといった様子で、遠山さんを追いかけながらわたし、植村くん、そして遠山さんの背中を順番に見比べていた。


 わたしは校舎に消えていく遠山さんの背中をただ見ていることしかできなかった。

 言ってやりたいことはまだまだたくさんあった。だけど上手に言葉にすることができなかった。さっきまであんなにすらすら出てきた言葉が出てこない。

 なぜだか無性にドラムを叩きたいと思った。音楽が恋しい。

 遠山さんたちがいなくなると急に力が抜けてその場にへたり込んでしまった。ユリハ会長が慌てて駆け寄ってくる。


「大丈夫?」


 言葉は短いけれど、言葉とは裏腹にその表情で心配してくれているのがちゃんと分かる。


「大丈夫です。でも、ちょっと慣れないことしちゃいました」


 余計な心配をかけまいと過剰におどけて見せた。


「その調子なら大丈夫そうだな。ユリハ会長にエリがヤバいことになってるって聞いて、来てみたら殴り合いの喧嘩してるからビビったぜ。確かにらしくねぇわ」


 内田くんは肩を竦めながらそう言った。


「殴り合いまではしてなかっただろ」


 吹き出しながら植村くんが言った。


「あははは。もう頭に血が上っちゃって、何が何だか分からなかったよ。でも、ありがとう。みんなが来てくれて少し冷静になれた。それに、植村くんが遠山さんと話してくれたおかげで、一線を超えるようなことにならなかった。あのままだったらわたし何してたか分からない」


 自分で言ってゾクッとした。わたしはあのままだったらどうなっていたんだろう。一瞬ではあるが遠山さんを殺したいほど憎いと思っていた。


「気持ち一つで見える世界ってガラリと変わるんだね。こんなの初めてだよ」


 植村くんも内田くんも何も言わずにポカンとしている

 言ってから随分恥ずかしいことを言っていると気が付く。


「ていうか、植村くん。遠山さんになんだか回りくどい訊き方してたよね?」


 気を取り直そうと話題を変える。落ち着いていく感情の中で浮かんでいた疑問だった。


「あ~、あれはさ。……ほら、これ」


 そういって植村くんはズボンのポケットから長方形の箱のようなものを取り出した。

 それは、ボイスレコーダーだった。

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