9.思い続けていればいつかは叶う
翌日の月曜日。午後の授業が終わると急いでロミ研の部室に向かった。同じクラスのケイガは、日直の用事があるため別々に部室に行くことになっていた。俺は昨夜の興奮が未だに醒めておらず、すぐにでも音を鳴らしたいと思っていた。
リサさん率いる『Pinky&Black』のライブは、俺たちに少なくない影響を与えていた。一番影響を受けたのは、「自信がない」「歌を歌うなんて考えられない」としきりに言っていたのに、手のひらを返したように自ら歌いたいとまで宣言したナナカだろう。だが、『Pinky&Black』のライブは俺やケイガ、エリにも小さくない変化を生んでいた。
俺の中で起きた変化は、バンドやギターを弾くことそのものへの意識の変化だった。昨日のライブを観るまでは、バンドに対して自分たちが、もっと言うと自分が楽しめればそれで良いと思っていた。ギターを弾くことに対しても「ケイガよりうまく弾きたい」とか「エリのドラムに迷惑をかけないようにしたい」とかその程度の意識しか持っていなかった。とどのつまり、とても狭い世界でしか考えていなかったのだ。それが昨日のライブを観て、音楽を通じて見える世界が広がった。
あんな風にエネルギーを持って人に感動や心の解放感、勇気を与えることができると知ってしまった。知ってしまったら自分でもそんな感動を人に与えたいと思うのは当然だ。
ロミ研の部室に入るといつもどおりユリハ会長が当たり前のように座っていた。この人は授業をちゃんと受けているんだろうか。俺の脳内が読めるのか、ユリハ会長が挨拶もなく言った。
「私のクラスはホームルームが終わるのが早い」
なんの言い訳なのか不明だが、触れないでおく。
「それより、今週が文化祭ライブ出場者募集の締め切り。忘れないうちに申し込んだほうがいい」
「そうでしたね。申込用紙みたいなのってあるんですか?」
「ここにはない。実行委員会のところに取り行かないと。みんな揃ったら行こう」
「なるほど。実行委員会ってどこなんですか?というか、ホームルーム早く終わったならユリハ会長が貰ってきてくれたら良かったのに」
「旧新校舎。みんなで行きたかったから待ってた」
ユリハ会長はそれだけ言うと黙ってしまった。
もともと無口気味のユリハ会長。先輩で女子ということもあって俺は何を話したもんかとしばらくの間思案に暮れた。無理に話す必要もないと気がついて、一晩中この部室に置きっぱなしだった、真新しいSGを手に取った。
「そういえば改めて、昨日のライブどうだった?」
ユリハ会長の方から話しかけてくるとは意外だった。後輩の俺に気を使ってくれているのかもしれない。
「すごく良かったですよ。楽器隊も半端じゃなくうまいし、リサさんの歌もカッコよくて、あれが、カリスマ性っていうんだなって」
「そう。なら良かった」
素っ気ない言葉とは裏腹に一瞬嬉しそうな表情を浮かべた。いつもの無表情とは違う表情に少しドキッとする。
「俺、リサさんのバックでギター弾いてみたいな~」
ドキッとしたことを悟られるのが嫌で、何も考えずに口を開くと思わずそう言っていた。ユリハ会長は、一瞬驚いた表情を浮かべたがすぐに無表情に戻って言った。
「思い続けていればいつかは叶う」
その言葉には妙な重みがあった。
その後またしばらく無言の時間が続く。俺は気にせず真新しいSGのチューニングを始めた。
チューニングが終わるころ、部室のドアが開いてナナカとエリが入ってきた。いつもセットの二人。
「トレウラのウェルフェスをやろうよ!!」
入ってくるなりエリが言った。
「いきなりなんだよ。ウェルフェスって、昨日リサさんが最後にやってた曲?」
ナナカとエリが揃って大きく頷く。
「うん。今日、ナナカとも話してたんだけど、トレウラのカバーやるならウェルフェスがいいんじゃないかって。そこまで難しい曲じゃないし、練習したらわたしたちでもできるよ。それに文化祭にピッタリの曲なんだよ」
やや興奮気味のエリに対してナナカはいつも通り冷静だった。
「うん。あたしもウェルフェスをやってみたい。完全に昨日のライブの影響だけどさ。でも、盛り上がるしいいと思うんだけど。どう?」
たしかにあの曲は弾むようなリズムのアップテンポな曲だ。たぶん、ギターもそこまで難しくはない。
「俺は構わないよ。あとは、ケイガがなんて言うかだけど」
ガラッと扉が開いて、ナナカとエリの後ろからケイガが顔を出した。
「ウェルフェス、俺は反対だ」
走ってきたのか、少し息を切らせながらケイガはそう言った。有無を言わさない言い方だ。
「どうして?どうしてダメなの?」
ナナカは納得いっていない。おそらくエリもだろう。
「ダメなものはダメだ。他の曲にしよう」
ケイガは譲らない。
「どうしてダメなの?理由があるならハッキリ言ってくれよ」
俺は特にウルフェスに拘ってはいないが、ケイガの言い草は気になっていた。
「理由は……言えない。とにかくやめてくれ」
「言えない」と言う時、僅かに迷いがあるように見えた。いずれにしてもナナカとエリが納得するとは思えない。それは俺も同じだ。
「他にしてくれって言うなら何か他にやりたい曲でもあるの?」
エリが遠慮がちに言う。
「それは……ない」
ケイガは戸惑うように応えた。ケイガがこんな無責任なことを言うのは珍しい。
「内田。それは通らない。代替案がないなら議論にならない。それはただのワガママ」
ユリハ会長まで加勢する。このままでは収集がつかなくなるかもしれない。なんとかしなければと思っていた時、ユリハ会長が言った。
「多数決。ナナカとエリがウェルフェスをやりたいのは分かった。植村は?」
「俺は……」
突然、聞かれた俺はなんと答えていいのか迷った。俺だってリサさんのライブに感銘を受けていた。ウェルフェスはカッコいい曲だと思ったし、俺たちにピッタリの曲だとも思った。それを素直に伝える。
「それなら三対一。ちなみに私も賛成だから四対一。曲決めで時間を使う余裕はないはず。内田。それでも反対?ワガママを押し通す?」
「それは……」
言い淀んでしまうケイガを少し気の毒に思ったが、ユリハ会長の言い分はもっともだ。俺たちにはあまり時間がない。しばらくみんなから注目を集めるとようやくケイガは折れた。
「分かったよ。ウェルフェスでいいよ」
かなりぶっきらぼうに諦めたようにそう呟いた。
それを聞いてエリは安心したように「ホッ」と息を吐いた。ケイガは少し不貞腐れたように下を向いている。
「ウェルフェスに目をつけるのは凄くいい。あれは、トレウラが文化祭ライブで初めてやったオリジナル曲」
気まずい空気を変えるようにユリハ会長が言った。
「えっ!?そうだったんですか?結構後期に出したアルバムの曲だったはずですけど」
エリも雰囲気を変えたいのかわざとらしく大きく驚きの声を上げる。
「うん。間違いない。昨日のライブでリサ会長があの曲を選んだのは、そう言う意味もある」
「そうだったんですか。知らなかったなぁ〜」
エリは心底嬉しそうに呟いた。
俺は昨日から気になっていたことをユリハ会長に尋ねることにした。
「そういえば、昨日のリサさんのライブですけど、ウェルフェスは喫茶店でエリとユリハ会長がリクエストしたから急遽、セットリストに加わった曲なんですよね?それじゃあ、ユリハ会長は昨日の朝リサさんにエイントイットファンをライブでやってくれるようにお願いしたってことですか?」
「あ、それあたしも気になってた」
ナナカが俺に同調する。
「そう。課題曲だって知ってたから」
「いや、だからってどうして?どうしてわざわざリサさんに無理言ってまでやってもらったの?」
ケイガも気になっていたようだ。
「うん。あなたたちメンバーの中ならナナカが歌わないといけない。普段のナナカを見てて、私にはナナカが承諾するとは思えない。だけど、リサ会長のライブを見たら考えが変わるかも知れない。自分が歌わなければならない曲を歌っているリサ会長を見たならなおさら。だからお願いした」
そして、まんまとユリハ会長の考え通りになったというわけだ。
俺は、この時までユリハ会長は同じ部活、正確には同好会のただの先輩という認識だった。だけど、こうしてバンドのことを俺たちメンバーと同じ熱量で思ってくれていることを知った。ユリハ会長も演奏でこそ参加はしないがバンドのメンバーなんだ。
「そんなことはいい。文化祭ライブの申込に行く。付いてきて」
ユリハ会長は、しっかり説明したくせに照れ臭かったのかそそくさと部室を出て行ってしまった。俺たちも慌ててそれに続く。
文化祭実行委員会は旧新校舎の一階にあった。隣は生徒会室だった。
躊躇なく扉を開けるユリハ会長に続いて教室に入ると、コの字型に机が並べられていた。そこで数名の男女が生真面目に何か議論をしているところだった。
ユリハ会長が声をかけると議論を中断して、全員が一斉に俺たちの方を見た。なるほど、ユリハ会長はこの雰囲気の中一人乗り込むのが嫌だったから俺たちを待っていたのだ。
何人か見たことのある顔があった。
部活紹介の時に司会をしていた生徒会長。あとは軽音部の部長だ。それから新歓ライブでジーアールの最後の曲に飛び入りでボーカルとして参加した女子。確か俺たちと同じ一年だ。
「文化祭ライブの出演申込に来ました」
ユリハ会長が代表して用件を言った。敬語だと普通に喋れるらしい。
「あ〜、今年は君のところ部員が集まったの?」
ニヤニヤと嫌味たっぷりに言ったのは軽音部の部長だ。
「やめなさい。あなたは、ロックミュージック研究会の佐々木さんね。分かってると思うけどこの用紙に必要事項を書いて持ってきてくれる?」
コの字の上座。中央で生徒会長の隣に座る三年生女子がユリハ会長に用紙を差し出した。そこから動く気配はないので、取りに来いということだろう。
ユリハ会長は黙って受け取りに行く。
「去年は残念だったわね。今年は頑張ってね」
そう言われてユリハ会長は小さく頷いて用紙を受け取った。
「ここで書いていきます。机借りてもいいですか?それと何かペンも」
ユリハ会長の申し出に生徒会長が笑顔で頷き、ボールペンを渡した。ユリハ会長はそれを受け取ると俺たちのところへ戻ってきた。
「メンバーの名前とクラス。あとは自由曲のタイトルを書く。自分のことは自分で書いて。自由曲はトレウラのウェルフェスで問題ない?」
ユリハ会長は小さな声で俺たちに確認する。
「トレウラ……?」
誰かがそう言うのが聞こえた。
「あ〜、古臭いオールディーズだよ。それのカバーってことだろ」
軽音部の部長が声に答える。
ユリハ会長がピクリと反応したのが分かった。だが、何事もなかったように自由曲の欄に『Welcome to our festival』と書くとケイガに用紙を渡した。ケイガ、俺、ナナカ、エリの順で名前とクラスを書いて最後に用紙はユリハ会長の手に戻った。
ユリハ会長は軽く一瞥して内容を確認すると一度だけ頷いて、生徒会長の隣の三年生に用紙を渡した。三年生は渡された用紙をしばらく眺めてから机の上に置いた。
「うん、不備はなさそうですね。受理します。それでは文化祭の一週間前までに課題曲と自由曲が録音された音源を実行委員会に提出してください」
事務的に言うと俺たちにはもう興味がないとばかりに別の書類に目を落としてしまった。それでもユリハ会長は律儀に一礼をして教室を後にしようとした。俺たちもそれに倣い教室から出ようとした時、声をかけられた。
「あんたら文化祭ライブに出られると思ってるのぉ?そこの根性なしのチビと木偶の坊がメンバーじゃあね〜。断言するけど、あんたら応募するだけ無駄だよ」
ジーアールのライブで歌ったあの子だった。
目線から俺とケイガに向けて言っているのが分かったから何か言い返してやろうと足に力を入れた。だけど俺よりも、そしてケイガよりも早く反応したのはエリだった。
「そんなのやってみないと分からないよ。わたしはともかくこのメンバーは最高で最強だよ。無駄かは音源聴いてみてから判断したらいいよ。誰にも負けない音源作るから!」
初めて聞くエリの強い言葉に度肝を抜かれた。ケイガもナナカもユリハ会長も同じく驚いていた。言われた相手も驚いたようで目を見開いて口を開けたまま何も言えないでいた。
「みんな、行こう」
そのままエリは教室を出て行ってしまった。俺たちは慌ててエリの後を追った。
ロミ研の部室まで俺たちは終始無言だった。
部室に着くとエリが「ふぅーーっ」と大きな溜息をついて床にへたり込んだ。
「言っちゃった〜。ハードル上げるようなこと言っちゃったかな〜。でも、今までみたいに遠山さんに言われるままじゃいけないって思って」
あの生意気な女子がミズキやエリが言っていた遠山だったのか。ということは、エリはあの子にいじめられていたということになる。そして、いじめがやんだわけではないのもわかった。あんな啖呵をきるなんてエリらしくないといえばらしくない。
「そんなことないよ。エリ、よく言ったよ。あたしびっくりしちゃった」
ナナカがへたり込むエリに優しく寄り添う。
「ホントだよな。お前意外と根性あんじゃねぇか。お前が言ってなかったら俺が言ってやってるとこだったから気にするな。お前はよくやった」
ケイガは機嫌を直したのか、腕を組んで満足そうに頷いていた。ケイガは元々サバサバしているからもう気持ちの切り替えができたのかもしれない。
ユリハ会長は無言で優しくエリの頭を撫でていた。
「俺も驚いた」
俺が言うとエリはニコリと笑った。
「うん。今までだったら遠山さんにあんな風に言うなんて絶対できなかったと思う。でも、みんなとバンド組むことになって、昨日リサさんのライブを観て、自分でも分からないけど自信が湧いてきたんだ。というより自信を持たなきゃって思ったっていう方が正しいのかな?それに何よりみんなのこと馬鹿にされるのは許せない。わたしこのバンドが好きだもん」
リサさんのライブは間違いなくエリにも変化を生んでいたということだ。
「おいおい、まだ俺たちバンドとして何もしてねぇじゃん。まぁいいんだけどよ」
ケイガはそう言って茶化していたが、満更でもないのが表情から伝わってくる。
「そうなんだけど、わたし初めてみんなでグリーンデイやった時に思ったんだ。このメンバーなら絶対いい音楽作れるって。内田くんのギター。普段のキャラクターと違ってすごく優しい丁寧な音色だよね?みんなのこと気にかけて弾いてるの、後ろから見てて分かるよ」
ケイガは急に褒められたからか、手のひらをヒラヒラとして黙って横を向いていた。その横顔は心なしか赤い。
「このメンバーで絶対、文化祭ライブ出ようね!」
エリの言葉に全員が一度大きく頷く。
「よし、それなら練習しよっか」
ナナカの声を合図にみんなそれぞれ楽器の準備を始めた。




