2.君はミュージシャンになりたいの?
南中までは歩いて五分といったところだった。
それでも外に出たことを後悔させるには充分な暑さだ。
南中はごくごくありふれた、見た目の上ではこれといった特徴のない学校だった。今日はお盆の時期ということもあってか校門はガッチリと閉じられていた。
夏休み期間中でも校門は空いているのだが、お盆の期間だけは閉めることになっていた。
「ここが南中。普通の学校でしょ?あれ?そうか。お盆だから校門閉まってるね」
「関係ないっしょ。ほら行くぞ」
そう言うと不良くんは固く閉じられた校門をよじ登り始めた。
「ちょ、ちょっと待って。さすがに勝手に入るのはまずくない?」
「何言ってんだよ。このクソ暑い中わざわざ来たのに外側見るだけで帰れるわけないだろ。昨日もこうやって入ったし。いいから来いよ」
戸惑う俺をよそに不良くんはあっという間に敷地内に飛び降りてしまった。ここで自分だけ入らないのはなんだかいい子ぶっていてカッコ悪い気がしてすぐに不良くんの後に続いた。
敷地内に足を踏み入れた途端に罪悪感がこみ上げてきた。罪悪感を紛らわすために不良くんに少しばかり救いを求めた。
「なんだよ。お前ビビッてんの?バレても大したことにはなんねぇから大丈夫だよ」
俺が罪悪感を感じているのが滑稽に思えるほど不良くんは呑気だった。きっとこういうことに慣れているんだろう。
俺は自分で言うのもなんだが、まじめだ。タバコだってもちろん吸わないし、法に触れるようなことはやったことがない。
不良くんの言う通り俺はビビッていた。だけどよく考えてみると何にビビッているのか分からなくなる。不良くんの言う通りバレたとしても〝大したこと〟にはならないのだろう。俺たちは中学生だし、せいぜい先生とか親とか大人に怒られる程度で、逮捕なんてことにはならないと思う。たぶん……きっと……。
「おい、何もたもたしてんだよ。いい場所教えてやるから来いよ」
気が付くと不良くんはロータリーをはさんだ向こう側にいて、こちらに向かってヒラヒラと手招きをしていた。勝手に敷地に入っていることに配慮してか、大きな声ではないけれどよく通る声をしていた。
急いで不良くんの所に駆け寄ると不良くんはにっこりと笑った。不良全開の見た目に似合わずカワイイ笑顔だ。
「いい場所って?君はここの生徒じゃないだろ?」
「いいからいいから。黙ってついてこいよ」
そう言うと不良くんは渡り廊下を横切って、校庭の方へ歩き出した。心なしかさっきまでよりも歩調が早い。
不良くんについて来た先には、二階建の長屋があった。ここが不良くんの言ういい場所なのだろうか?各階五部屋、全部で十部屋前後の長屋。それぞれ引き戸が付いていてその上部には「サッカー部」とか「野球部」とか書かれた木製の札がぶら下がっていた。
部室だ。俺には縁のない場所だから近くに来たこともない。ここのどこが〝いい場所〟なのか分からなくて怪訝に思っているとそれが顔に出ていたのか不良くんは今度はいたずらっぽく笑った。
「よし、来いよ。……よっと」
そう言って一階の一番奥の隅っこの部屋の引き戸を開けた。その部屋には何の札もかかっていなかったからきっと空き部屋なのだろう。不良くんはまるで自分の部屋に入るかのようにその空き部屋にズカズカと入っていった。
「昨日見つけた。またここに来たかったんだよね。一人で来るのもなんだなって思ってたんだ」
「ふ〜ん。でもどうしてこんな所に?ていうか一人で来るのもなんだなって、君もビビッてたんじゃないの?」
俺はさっき不良くんに「ビビッてる」と言われたのが悔しかったから少しいじわるを言ってやった。でも、不良くんはそんな俺のいじわるを無視して言った。
「これだよ。こいつを触りに来たんだ」
不良くんは、いつの間にどこから取り出したのか、ギターを持っていた。
「こいつ……ってそのギター?」
「そう。こいつを触りにきた」
「それ君のなの?」
「まぁな。俺の命の次に大事なものだ。これのどこがって顔だな。いいから、ちょっと待ってろ」
不良くんは一息に言っておもむろにギターをいじりだした。心なしかさっきまでよりも高揚しているように見えた。
俺はギターのことなんかまるで分からないから、不良くんが何をしているのか初めは分からなかった。チューニングをしているのだと分かった時にはもうその作業は終わっていた。
「よし。アンプがねぇからしょっぼい音だけど、ちょっと聞いとけよ」
言い終わらないうちにギターを鳴らし始めた。
さっきまでの単調な音と違って和音が鳴ったり、単音でフレーズが鳴ったり、ギターのことが何も分からない俺にも何か曲を弾いているんだと分かった。
音色はすごくきれいな音とは言えなかったけれど、それはきっと不良くんの言うようにアンプにつないでいないからなのだろう。
俺にだって今不良くんが弾いてるギターがエレキギターで、エレキギターはアンプにつないで音を出す楽器だってことぐらいは分かる。
不良くんはきっとギターがうまい。
弾いてる曲は知らない曲だったけど、メロディはなめらかでそしてダイナミックだった。素直にいい曲だな、と思った。
「いい曲だ」
思うのとほぼ同時に呟くように言っていた。不良くんに聞こえたのかどうかは分からなかった。
しばらくして不意に曲は終わった。
「だれの曲?聞いたことない曲だけど」
「あぁ。聞いたことなくて当たり前だ。俺が作った。まだ途中だけど誰かに聞かせたのは初めてだな」
不良くんは当たり前のことを言うようにサラッと言った。
「え?今の曲君が作ったの?すごい」
「これぐらい大したことじゃない。一流のミュージシャンの中には俺らの年にはもう大ヒットするような曲を作ってて、実際に売れてるやつもいるんだぜ」
「君はミュージシャンになりたいの?」
「いや、別に売れたいとか音楽で飯を食っていきたいとかそういうのはないな。売れちまったら失うものもたくさんあるし。俺はただ楽しく音楽をやれればそれでいい。あ〜、でもバンドはやりてぇな。一人で弾いててもつまんなくてよ。それに俺、歌下手なんだよ」
「そうなんだ。バンドなんてなんかすごいね」
俺がそう言うと不良くんは軽く頷いてまたギターを弾き始めた。息継ぎをするように俺と会話しては、また弾き出す。
ひとしきり弾き終えると不良くんは言った。
「そろそろ行くか。ここあちぃしな」
確かに部屋の中は蒸し風呂みたいに暑くて俺も不良くんも着ている服が汗でびしょびしょになっていた。
「そうだね。行こうか」
「あ、そうだ。わりぃんだけどさ……こいつ、お前んちに置かせてくんないかな?」
「えっ?どうして?そういえばなんでここに置いてあったの?」
「まぁ、いいじゃねぇかよ。な?頼むよ。ここ、あちぃし湿気もやべぇだろ?ネック曲がったりしても嫌だからよ」
「う~ん……まぁ別にいいけど」
「マジ?!サンキュ。じゃあこれ持ってお前んち戻るか」
そう言って不良くんはギターを黒い大きなケースにしまい始めた。俺はなんだか流されるままに不良くんのペースにはまっているような気がしていた。
いそいそと部屋を出ていく不良くんの後について部屋を出ると真夏の太陽が地肌を焼くように激しく容赦なく照り付けてきた。薄暗い部屋から急に明るい屋外に出たから眩しくて視界が狭くなった。
俺は眩しさを嫌って顔を地面に向けた。狭くなった視界は一瞬で元に戻る。戻った視界に一瞬人影が映った。人数は二人。誰かいた?と思う間もなく不良くんの声がした。
「おい、ぼさっとしてないで早く来いよ。誰かに見られたら面倒だろ」
声に反応して不良くんの方を見ると不良くんはプラプラとだるそうに手招きをしていた。言葉ほど急いでいるようには見えないのが滑稽だ。
「もしかしたら誰かに見られたかもしれない」
そう言ってもう一度さっき人影が見えた方を見てみるとそこにはもう誰もいなかった。不良くんは人影に気がつかなかったようだ。
「おい、マジかよ。とにかく急げ」
自分から忍び込むように誘っておいて随分勝手なことを言うもんだと思った。すでに走り出しているギターを持った背中を追いかけると、さっきまで以上に体中から汗が噴き出してきた。