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『ロックミュージック研究会』  作者: たうゆの
2曲目 God Save The Queen
16/87

8.あたしは自分に嘘をつかない

 

 振替休日を挟んで火曜日。


 いつもより少し早く登校すると、すぐにエリを探した。けれど、エリの姿はどこにも見当たらなかった。

 そのうち担任の先生がやって来て、出席を取り始めた。

 エリがいないことを除いてはいつもの日常。エリが欠席するという連絡を受けたと先生からクラス全員に伝えられたのは朝のホームルームの最後だった。


「えっ、なんで……?」


 思わず口から漏れていた。


「桜澤は体調が悪いそうだ。お前らも風邪には気をつけろよ」


 あたしの声が聞こえたわけではないだろうけど、先生は抑揚なくそう言った。


 特に理由もなくふと周りを見渡すとエリカたちがクスクスと笑い合っているのが見えた。先生もそれに気がついたらしく軽く注意をするとエリカたちはすぐに静かになった。


 何かが引っかかる。エリカたちの様子にいつもと違うところはないのになにか意味があることのように思えた。

 勘と言ってしまえばそれまでだ。だけど微かに感じた違和感はずっとあたしの中に残り続けた。


 悶々とした気持ちを抱えたまま一日を上の空で過ごしていると、あっという間に放課後になっていた。

 あたしはエリの家に行ってみようと思っていた。お見舞いを兼ねて今日配られたプリントを届けたいからと昼休みに先生にエリの家の場所を訊いておいた。いきなり行ったら迷惑かもしれないとは思ったが、このまま悶々としてはいられなかった。


 あたしは自分に嘘をつかない。


 帰る支度を終えて教室を出ようとしたところで、教室の外からエリカたちの声が聞こえてきた。


「あいつ、ウケるね〜。休むとかさぁ〜、絶対サボりじゃん」


 ドクンッと心臓が強く拍動するのを感じた。拍動に合わせるようにあたしの中に残った小さな違和感が大きくなり始めていた。


「ね〜。つか、別にこのままずっと来なくていいんだけど」


 エリカに同調するように何人かの声がする。


「けど、あいつが親とか先生にチクったらヤバくない?」


「大丈夫だよ。チクったらもっと追い込みかけるって言っておいたし、それにあの変な棒?あれ折った時の顔見たでしょ〜?もう、ぜつぼ〜うって感じで呆然としてんの。あの様子じゃチクるとかそんな気力もないっしょ〜」


「あれ、ウケたね〜。エリカ、いきなりボキッてやっちゃうんだもん。凄い勢いで返してぇ〜とか言ってたのに、折れたの分かったら黙っちゃってさ」


 エリカたちが、何を言っているのかすぐには理解できなかった。耳から入った音。その音が遅れて意味のある言葉として脳に届く。


 こいつらはエリのドラムのスティックを折ったのか。

 あのスティックはレイカさんに貰ったと言っていた。エリが大切にしているスティック。きっと大袈裟じゃなく命の次くらいに大切なものをこいつらは……。


 ゆっくりとだけど正確に意味を理解した瞬間、反射的に飛び出していた。


 エリカとその取り巻き二人があたしの方を一斉に見る。あたしは取り巻きには目もくれず、エリカめがけて突進した。目を丸くして驚いた様子のエリカは、それでも平静を装っているようだった。


「あ、ナナカ。急いじゃって、どうかし……」


 エリカが言い終わる前にその頬を力一杯引っ叩いた。


「お前、エリに何した!!!」


 取り巻きは突然の出来事に声を出すことも動くこともできないようだった。

 エリカだけは動じることなくまるで殴られることに慣れてるみたいに静かにあたしの方を睨んでいた。さっきまでの笑顔はそこにはない。無表情だった。


「いったぁい!何!?あんたなんなの?」


 甘ったるいけど良く通るエリカの声が響く。


「エリに何したんだって聞いてるの!」


 あたしはエリカの声に負けないように精一杯大きな声でさっきと同じことを訊く。


「別に何したって良くない?あいつのせいでうちらのクラス負けたんだよ?そのお仕置きしただけじゃん。きったねえ棒切れ折っただけだし、お仕置きにしては軽いやつじゃん。つか、ナナカもムカつかないの?体育祭負けて泣いてたじゃん。普通ムカつくでしょ?」


 あたしはもう一度エリカを引っ叩いて今度は力いっぱい押し倒した。そして何度も何度も頬を叩き続けた。


「ムカつかない!!全然!!エリは一所懸命やってた!!あたしは知ってる!!あたしだけはちゃんと知ってる!!それにあれは棒切れなんかじゃない!!あれは、ドラムのスティックだ!!エリはドラムがうまいんだ!!ドラムを叩いてる時のエリはめちゃくちゃカッコいいんだ!!そんなことも知らないくせに!!お前は!!お前はっ!!!!」


 ひとしきり叩き続けるとエリカの反応が全くないことに気がついた。ゾッとしてあたしはエリカから静かに離れた。

 怒りは全く冷めていなかったが、もしかしたら殺してしまったかもなんて馬鹿なことを考えた。だけど、当たり前だけどエリカは死んでなんかなかった。

 エリカは真っ赤になった頬ををさすり、埃で汚れた制服を払いながらゆっくりと立ち上がった。


「いってぇな。はぁ?つか、なに?あんた、あんなのと仲良くしてんの?ドラム?なにそれ。ドラムやってるからってなんなの?カッコつけんじゃねぇよ。あいつが何やったってカスはカスじゃん。とりあえずもういいやぁ。あんた、絶交だから」


 エリカはそう言うとずっと黙ってその場で固まっていた取り巻きを引き連れてその場を後にしようとした。


「待って!!スティックは……折ったスティックはどうしたの!?」


 あたしはエリカの背中に向かって叫んだ。


「あのゴミみたいな棒切れのことぉ?ゴミだからゴミ収集所に捨てたぁ〜。もう燃やされてんじゃね?」


 エリカたちはそう言うと笑いながら離れていった。エリカたちの笑い声はしばらく響いていた。


 ゴミ収集所は確か、部室棟の奥にあったはずだ。まだそこにあるかもしれない。あたしはエリカたちとは反対の方へ駆け出した。

 エリカが嘘をついているかもしれないけど、そんなこと考えている余裕はなかった。


 ゴミ収集所には、山のようにゴミが積み上げられていた。いつもはこんな量にならないから、きっと体育祭で出たゴミもまだ残っているんだと思った。ということは、エリのスティックもまだこのゴミ山のどこかにあるはずだ。

 折られてしまったのなら使い物にならないのは分かっていたけど、絶対に見つけなければならない気がして、あたしは必死に探した。


 時々通りがかる人があたしを見て何やらヒソヒソ話していた。事情を知らない人が見たらきっとあたしは異常者だろう。ゴミ山を漁る異常者。


 だけど、そんなことは少しも気にならなかった。あたしはエリのスティックを必ず見つけなければならない。強くそう思った。

 エリの大切なもの。あたしにはなくてエリにはある大切なもの。だけど、ここ最近そんな大切なものが自分にもできつつあるのを感じていた。具体的にそれがなんなのかまでは分からなかったけど、たしかに感じる手応えに似た感覚。


 もし、エリのスティックを見つけられなかったらあたしはその大切なものを永遠に手にできない気がした。そしてエリとの関係も終わってしまう気がした。ようやくエリのことが分かってきたところなのに。


 どれくらいの時間探していたのだろう。

 ゴミ山は半分くらい掻き分けられていた。夢中で掻き分けていたから気がつかなかった。


 ズキンと走った痛みに手を見ると少しだけ血が流れていた。爪が割れたのかもしれない。痛みのために手を止める。

 もしかしたら見つからないかもしれない。そんな不安が頭を擡げる。一度感じた不安は痛みと共にあたしの中に徐々にだけど確実に広がり始めていた。


 爪の割れた手でベースは弾けるだろうか。今の状況とは関係ない不安まで膨らむ。

 もうダメかもしれないと本格的に思い始めたとき背後から声が聞こえた。


「君、何をしているんだい?」


 すこし呆れたような声。大人の男の人の声だった。最初はあたしにかけられた声だとは思わなかった。特に気にしないでいると再度同じ声がかかる。

 振り返るとおじさんが立っていた。


「最近の中学生の間ではゴミ漁りが流行っているのかい?」


 話したことはないが登下校の時に挨拶をしたことはあった。優しそうな見た目の初老の男性。

 言っている意味がわからずに何も答えずに突っ立ているとおじさんは構わず話し続けた。


「いやね、体育祭の日にもこのくらいの時間にここでゴミを漁ってた生徒がいたからね」


 エリだ。エリに違いない。声が出ない。もしかしたら餌を欲しがる金魚のように口をパクパクしていたかもしれない。


「もしかして、君はこれを探しているのかな?」


 おじさんの手には折れて四本になったスティックが握られていた。見覚えのある黒字にピンクの文字のステッカーが遠目にも見える。レイカさんのアンプに貼ってあったものと同じデザイン。レイカさんのものより二回りほど小さなステッカーが四本のうちの二本に貼られていた。


「それっ……!!」


 自分でも驚くほど大きな声と共にゴミの山から駆け出していた。

 近くで見るとやっぱり間違いない。エリのドラムスティックだ。


「その様子だとやっぱりこれを探していたようだね」


 おじさんは取り乱したあたしの声には全く動じず、ニコニコと笑っていた。あたしが落ち着くのを待ってくれているようだった。


「それ、どうしたんですか?」


 ようやく少し落ち着いてきたところで尋ねるとおじさんは言った。


「うん。ちょうど体育祭があった日にも君と同じようにゴミ山を漁っている女生徒がいてね。その女生徒に訳を尋ねたんだ。そうしたら彼女は探し物をしていると言っていてね。下校時間はとっくに過ぎていたし、そうじゃなくてもそれなりに遅い時間だったから諦めて帰るように言ったんだ」


 おじさんはそこで一度言葉を切った。その目はあたしの方をじっと見つめていた。


「だけど、彼女は頑として譲らない。つまり、見つかるまで帰らないと言うんだ。あまりに必死なもんだから、気の毒になってね。私が代わりに探してあげるからと言って強引に帰らせたんだ。てっきり次の日も探しにくるのかと思っていたんだが、彼女は来なかった。諦めたのか、もしかしたら私に叱られたと思って来にくくなったのかもしれないね。ともかく私は彼女との約束を守ろうと思って、君たち生徒が休日を謳歌してる間も彼女の探し物を探し続けたんだよ。そして、昨日これを見つけたと言うわけだ」


 体育祭の日、エリカに大切なスティックを折られ、捨てられてしまったエリはそれでも諦めきれずにこのゴミ収集所に来ていた。きっと今のあたしと同じように真っ黒になって探したんだろう。あたしよりもずっと必死だったはずだ。エリを思うと自然と涙が溢れた。


 そんなあたしをおじさんは黙って見ていた。


 あたしは沈黙に促されるようにしておじさんが持つスティックを手に取った。二本のスティックがちょうど真ん中のあたりで真っ二つに折れている。

 エリの心もこのスティックのようにポッキリと折れてしまったのかもしれない。レイカさんに貰った大切な宝物だと嬉しそうに話したエリ。あの笑顔を思うと心が折れてしまっても不思議ではない。


「君は彼女のお友達かな?もしそうなら彼女に渡してもらえるかな」


「はい、もちろんです。その……。見つけてくれてありがとうございました」


 あたしは腰をくの字に曲げて精一杯感謝の気持ちが伝わるように頭を下げた。


「そんな大げさな。とにかくもう遅い。早く帰らないと家の人が心配するよ。ふふふ、一昨日と同じことを言うことになるとは思わなかったよ」


 おじさんはそう言って笑った。あたしは「はい」と返事をしてもう一度今度はさっきよりも浅く頭を下げた。そして走って校門に向かった。


 まだ家に帰るわけにはいかない。あたしには行かなければならない場所がある。


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