Prologue
『あいつはなんでいなくなったんだ?』
何度も繰り返し頭の中で問いかけてきた疑問を振り払ってステージに出るとそこに見えたのはフロアを埋め尽くす観客だった。
今、この光景を最初に見ているのは俺だ。だからなんだ?ってみんなにはバカにされそうだけど、それでもこの光景を一番最初に見ることができたのは優越感に浸るには充分すぎる。
ファンだって言ってくれる人も増えたし、MV風動画やライブ映像をSNSや動画サイトにアップすればそれなりの再生数を稼げるようにもなった。
だけど所詮、俺たちはインディーズのアマチュアバンドだ。この地域ではそれなりに名前の知られたバンドだとは思う。それでもこんなキャパの箱でワンマンライブをやれるほどではない。ワンマンじゃなくたってこんな大きな箱でやるのは初めてだ。
ましてや満員だ。
しかも今日はこの箱のこけら落とし。それでも、不思議と緊張はしていない。それはみんな同じみたいだ。
ステージに上がる少し前に俺たちは必ず円陣を組む。
どこのバンドでもやってる別に珍しくもない儀式。スポーツ選手なんかがやっているルーティーンと同じだ。そのルーティーンを俺たちはいつもみんなでやる。円陣のときに緊張してるやつがいたら分かる。根拠なんてない。なんとなくだけど分かる。
今日はそのなんとなくが無かった。
『あいつにもう一度逢いたい』
その気持ちはみんなが同じように、同じだけ持っている。だからみんな同じように緊張しなかったんだと思う。
あいつにもう一度逢いたい。今日は逢えるかもしれない。そんな期待と、もしかしたらダメかもしれないという不安が俺たちに緊張するということを忘れさせていた。
真っ暗なステージに全員が出揃うとSEが唐突に中途半端なところでやんだ。SEに合わせて鳴っていた手拍子がバラバラとやんでいき、ゆっくりと雑音を侵食していくように静寂が広がった。
客席のライトも落とされると一瞬の闇。ほんの一瞬だけ光も音もない無の瞬間が訪れる。
俺はこの瞬間が好きだ。本当に一瞬なんだけど、光も音も無くなる。もちろん、本当の闇や無というわけにはいかない。僅かにPA機材のランプは光っているし、観客の顔はうっすら見える。それにコソコソ話す声や衣ずれの音だって聞こえる。だけど、直後に訪れる轟音と閃光に比べたら闇、無と言ってもいいんじゃないかと思う。
俺の好きな瞬間はいつもスグに消える。俺の意思とは無関係だ。
SEがやんだ後、数秒でスポットライトがステージを照らす。それとほぼ同時に観客が歓声をあげる。奇声と言ってもいいかもしれない。
前の方にいる観客はよく見る顔が多い。俺たちの直接の友達だったり、友達の友達だったり。毎回ライブに来てくれる直接の知り合いではない、純粋なファンも少ないけれどいる。こいつらは俺らの音楽で暴れるつもりでいるからもう目はギラギラしていて、いつだって「早くくれよ!」って顔をしている。
それから真ん中の半分は、俺らのライブは初めてだけどライブが好きでライブ自体にはよく来るような連中だ。俺らがどういうバンドかはよく知らない。だから値踏みしてやろうというような観客が陣取っている。今日はこの箱のこけら落としだ。だから俺らを値踏みするというよりも「このライブハウスにはどんなバンドが出るんだ?」というヤツらもそれなりにいるだろう。箱のオーナーの知名度がそれを手助けしている。
残りの半分は俺らのライブにも来たことはあるけど、前の方のヤツらの熱気に気圧されたような暴れるつもりはない比較的大人しいヤツらだ。
そして後ろの方には俺の父さんがいた。
父さんも来ていたのか。母さんもどこかにいるのかな?と不意に思った。いつものライブなら母さんがどこかで聴いていてくれたら嬉しい。もう一度あいつに逢えたら嬉しいという気持ちと同じくらい。でも、今日は母さんが聴いてくれていることよりもあいつが来てくれることを期待していた。
なんて言ったって今日はそのためのライブだ。母さんにはまた別の機会に届けよう。
俺は深呼吸を一つして、ドラムに目を向けた。始めようと合図を送る。すると待ってましたとばかりにスティックがカウントを始める。
さぁ、最高のライブを。俺たちとあいつのために最高のライブを始めよう。
「一曲目……Anarchy in the U.K.」