エミリオ『白く可憐な花の約束』1
物心ついた頃から、母に言い聞かされた約束がある。病弱だった母は、儚い雰囲気の美しい人だった。声を荒らげて怒った姿を見た記憶がない。毎日お見舞いに行く僕をベッドの端に座らせて、銀髪を撫でてくれた。すっきりしているのに甘い香りの手は、白くてすこし冷たい。
淡いブラウンの髪色の母は、父親そっくりの僕の銀髪を撫でるのが好きだったと思う。そんな母が毎日約束させた言葉。まるで呪文のように心に染みて残った。
「お願いね。妹を守ってあげて。苦しい思いをすることになるわ。エミリオはお兄ちゃんだから、守ってくれるかしら?」
心配そうに尋ねる母に、僕はいつも大きく頷いた。そして母が望む言葉を繰り返すのだ。まるで呪いのように。
「妹は僕が守るよ、安心して、お母様」
いい子だと褒めて撫でてくれる手が温かくて、嬉しくて、僕はまだ生まれていない妹を守る約束をした。やがて母のお腹に子供が宿ったと聞いてまだお腹も大きくなっていないのに、周囲は噂し始めた。
――『竜の乙女が生まれる』と。
まだ幼かった僕はその意味を知らず、母が口にする妹が生まれるのだと無邪気に喜んだ。その妹の運命も、我がメレンデス公爵家が背負う業も知らぬまま。
妹が生まれ、元々細かった母はさらに細くなった。僕や妹のエステファニアを生んだことで、身を削るみたいに痩せて、妹が2歳の誕生日を迎える前に亡くなった。
「ティファ、気をつけて」
「はい、リオにいちゃま」
まだ幼い妹は、母親の記憶などほとんど残っていないだろう。多少覚えていても、ベッドの上の青白い顔をした女性の姿だ。可哀想だけど、僕だって大した思い出があるわけじゃない。ただ夢にまで思い出すのは、母が鈴のような高い声で繰り返した約束だ。
「ほら、掴まって」
幼い頃から、可愛げのない大人びた子供だと言われてきた僕と違い、エステファニアはどこまでも愛らしかった。大人にも笑顔を振りまき、天真爛漫で天使のようだ。この国で竜の乙女は特別な存在だが、そんな肩書がなくても十分特別な女の子だった。
失った母の代わりに、僕が守るべき存在。僕のために、守られるために生まれてきた妹なのだ。どこに行くにも後ろをついてきて「にいちゃま」と呼ぶ舌っ足らずな声がきこえる。嬉しくて、可愛くて、嫁にやりたくないとぼやくお父様の気持ちが理解できた。
いや、この頃の僕は理解した気でいただけ。可愛い妹エステファニアが背負わされた運命の過酷さや、王太子の婚約者である意味を知らなかった。
5歳から始まった家庭教師の教育により、文字を読めるようになった僕に最初に与えられた本は、古びた手書きの日記だった。
「聡明なお前なら、早すぎる時期でもあるまい。お前の先祖の記録であり、今後エステファニアが辿る運命だ」
その日から、僕は夢中になって日記を読んだ。昼間はエステファニアと過ごし、彼女が昼寝をする時間に本に目を通す。貴族としての勉強の合間、余暇と呼べる時間の大半を使って、何人もの人生を本を通して経験した。
「これが、ティファの運命? そんなの嫌だ。お父様が出来ないなら、僕の代で断ち切ってやる」
負の連鎖を断ち、母との約束を果たす――最愛の妹を守るために、僕は茨の道を自らの意思で選んだ。




