過去編『繋がる呪いの果て』3
それはブローチだった。恋人であるトリスタンへ贈った、ルイシーナのプレゼントだ。形が歪み、赤黒く汚れていても見間違えるはずがなかった。ずっと左胸に着けてくれていたはず……。ならば指先に触れるブラウンの髪は、あの人の? 愛しい人の……。
「いやぁあああああ!」
考えることが出来ず、涙と一緒に溢れた声を迸らせた。喉が傷つき声が出なくなるまで悲鳴を上げたあと、ルイシーナは壊れてしまう。何も考えられない、ただの人形としてなった。
父や兄を守りたい思い、恋人トリスタンを殺された悲しみと口惜しさ、こんな卑怯な男に身を任せなければならない不幸、味方である幼馴染の侍女アイダも失い――当代の竜の乙女は自我を放棄したのだ。竜の乙女の舞を昨年済ませていたため、彼女は形ばかりの婚姻を行ったあと後宮へ押し込まれた。
メレディアス公爵家は取り潰しとなるが、その後、竜の乙女の伝承が途絶えるという理由で「メレンデス公爵家」として復興した。狂ってしまったルイシーナは仇であるビクトリノの子を3人産み落として死んだ。これが新たな呪いの始まりである。
メレンデス公爵家当主となったルイシーナの弟ロレンシオは、妻との間に男女の双子を設けた。しかし生まれてすぐに娘を、ルイシーナの子である王子の婚約者に奪われる。手元で育てることが出来なかった娘に会えるのは、月に1回程度だった。
物はふんだんに与えられるが、愛情が足りないのだろう。笑みもなく無表情で俯く娘との面会に、ロレンシオは必ず妻を伴った。時間の許す限り、ただ抱きしめて「愛している」と娘の心を優しく解そうと試みる。それこそが、当事者の娘アナスタシアを苦しめると知らずに。
「愛情なんて、知らない方がいいの」
アナスタシアはそう考えている。この城で自分はいつも1人、勉学やマナーを教える講師は義務的に接するし、侍女は冷たい。物は与えられるけれど、誰かの温もりなんて知らなかった。それでよかったのだ。知らなければ欲しいと思わない。
婚約者である王太子は10歳も年上で、顔を合わせるたびに身体に触れてきた。生まれた時からお前は俺の玩具だと繰り返し、呪文のように囁かれる。逆らう術もなく、一度マナーの講師に尋ねたことがあった。婚約者とはいえ王太子の行為はマナー違反ではないか、と。
服を脱がされ、幼くふくらみのない胸を舐め回され、人に言えない場所を指で暴かれる。表情を変えず横たわる彼女に体液をかけて満足気に帰っていく姿は、獣の振る舞いに近かった。勝手に人の顔を舐め回す犬と同じだ。知識は与えられているアナスタシアの指摘に、講師は顔色を変えると王に進言したらしい。
未婚女性に対する行為として許されない。そう告げた翌日、彼の首は切り落とされた。涙ながらに許しを請う講師の正面に座らされ「お前のせいだ」と王太子の声で呪いをかけられる。落ちた首は目を見開き、恨みを叫ぼうとしたのか口は大きく開いていた。
もう何も言わない。求めない。そう覚悟を決めて凍り付いた彼女に、父と母を名乗る2人が面会に訪れるようになった。抱きしめて愛していると囁く。その温もりを抱き返したいし、私も愛してると言いたかった。
けれど、思い出すのはマナー講師の落ちた首。私が心を動かせば、父と母の首も落とされるかもしれない。その恐怖に何も言えなかった。やがて双子の兄も顔を見せるようになるが、何も言えず俯いて過ごす。私が王太子に何をされているか、知られたらこの優しい人たちが殺される。
王太子の言霊の呪いは、彼女の魂を縛り付けた。悲鳴を上げて血を流す魂は、次の世代へと呪いを繋ぐ。竜の乙女の手記は彼女の代で始まった習慣だった。こっそり吐き出された内心を綴った本は、王妃となった彼女が亡くなった後に遺品の中から双子の兄が発見する。
それをメレンデス公爵家は守り続けた。代々、竜の乙女が生まれるたびに手記を残し、傷つけられた家族の痛みを引き継ぎながら――竜が目覚める日まで。




