フランシスカ『天使と薔薇の庭』3
数時間後――私の前世界の記憶はすべて戻っていた。大量の情報処理が追い付かずオーバーヒートした私は、異世界転生をしたらしい。フランシスカとして生まれ育った記憶の前に、追加で別の人間として生活した記憶が増えた形だ。普通に会社で事務職をする一般人で、週末に遊ぶゲームが好きだった。
メレンデス公爵家、竜の乙女エステファニア、攻略対象エミリオ、王太子クラウディオ……知っている単語が頭の中を駆け巡り、絶叫したい気分になる。ここって『竜舞う空の下で』じゃない? 普段購入する恋愛ゲームの棚に混じっていた18禁ゲームだった。
購入してパッケージを破いてから気づいたので返品できず、もったいないから遊んだ記憶が蘇る。以前の自分がどうやって死んだのか、いまひとつ曖昧だけど問題はない。問題は私が攻略対象エミリオの婚約者で、悪役令嬢の役回りとなるフランシスカだという現実だけ。
どのゲームでも同じだけれど、悪役令嬢はスペックが高い。容姿端麗で勉強や礼儀作法マナーも完璧は当たり前だった。どこにこれほど完璧な女性がいるの? と首をかしげるくらい兼ね備えたご令嬢を振って、異世界から来たヒロインに傾倒する攻略対象に「男って馬鹿よね~」と呟きながらゲームを楽しんだ私にとって、悪役令嬢ポジションはご褒美だった。
高位貴族や王族は常に美しい妻を娶るから、子供が容姿端麗は遺伝上確約されている。幼い頃からマナーを叩き込まれ、専門の家庭教師を何人も付けているから、ダンスから勉強まで出来ないほうがおかしかった。悪役令嬢ポジションは、最高の淑女の証なのだ。
断罪とやらが起きないように、婚約者をしっかり繋ぎとめる必要があるわ。じゃないと、数年後にヒロインに目移りされてポイ捨てされるだけじゃなく、下手すれば断罪騒動でお家取り潰しや凌辱バッドエンドもあったけど、冗談じゃない! 気合を入れて目を開いた。
目覚めた私は豪華な天蓋付きベッドに横たわり、腹のあたりに重さを感じる。頭痛に眉をひそめながら身じろぐと、ばっと腹の重さが消えた。
「目が覚めた?! どこか痛いところはある?」
「頭痛がすこし」
でも大丈夫ですわと続ける前に、エミリオが青ざめて医者を呼ぶ。彼が両手で優しく私の右手を掴む。見ると包帯が巻かれ、手当ては終わっていた。
「あの……エステファニア様のおケガは?」
手当てを終えただろうけれど、傷が残ったりしたら可哀想だわ。そう思って尋ねると、エミリオは握った手に優しく唇を押し当てた。手袋がないことに今更ながら気づいて、頭の中が真っ白になる。そんなはしたない、やだ……どうしましょう。
「妹の心配をしてくれてありがとう。君のおかげで、傷は残らないそうだよ。けれど、この手の手当てが遅れてしまって……細い傷痕が残ってしまう」
「構いませんわ、普段は手袋で見えませんもの」
平然と返した私の真意を確認するように覗き込んだ緑と金の混じった瞳が大きく見開かれた。




