フランシスカ『天使と薔薇の庭』1
前世界での記憶が蘇ったのは、婚約者と初めて顔合わせをした8歳のお茶会だった。栄誉ある竜の乙女の一族メレンデス公爵家との縁組だ。断ることは出来ないし、断られたら嫁の貰い手はなくなると父にキツく言われた。大人しく頷いて訪れた屋敷は大きく、その紋章には竜が使われている。
この国は王族であっても竜の紋章はつけることは許されない。従って、我が国唯一の紋章だった。精巧な彫りが竜の上に薔薇の冠を乗せる。その紋章ひとつでメレンデス公爵家の特殊性が浮き彫りとなった。
まだ8歳になったばかり、父の侯爵位より上の貴族に会うのも初めてだ。どきどきしながら執事の案内で敷地に踏み入れた。ふわりと風が甘い香りを運んでくる。
これは薔薇だろうか。誘われるように左手側の庭へ視線を向けた。そこに美しい薔薇の妖精を見つけて、心臓が高鳴る。銀の長い髪がさらりと背を覆う、白い肌の少女が金色の瞳を瞬く。この世にこれ以上美しい子はいないだろうと息をのんだ。
「フランシスカ、早くしなさい」
父の促す声に視線をそらし、もう一度左側を見たが妖精は消えている。一生に一度の行幸なら、もう少し長く見ていたかった。残念に思いながら婚約者が待つという庭のガゼボへ向かう。
「エミリオ様」
父が恭しく謙った相手は、僅か10歳の少年だった。目が合った瞬間、呼吸が詰まった。先ほどの妖精の少女と同じ色を持っている。いえ、僅かに瞳の色が違うかも?
妖精は金の瞳に見えたけれど、エミリオと呼ばれた少年は緑に金が混じった不思議な色の目だ。メレンデス公爵家は竜の血を繋ぐ家なので人外の瞳をしていると家庭教師が口にしていた。それがこの色なら、羨ましいくらい美しい宝石だと思う。
「足をお運びいただき、申し訳ありません。僕はエミリオ・ソラ・メレンデスです。そちらの愛らしい方がロエラ家のご令嬢?」
挨拶を忘れて呆然と立ち尽くした失礼に気づき、慌てて習った通りスカートを摘んでカーテシーを披露する。
「申し遅れました。ロエラ侯爵令嬢フランシスカと申します。メレンデス公爵家エミリオ様におかれましては、ご機嫌麗しく……」
そこで覚えたセリフが途切れてしまう。真っ白になった頭で必死に探すが、続きの言葉が見つからなかった。あんなに練習したのに。パニックになった私の前に差し出された手に顔を上げると、笑顔の天使がいた。
「リオ兄様、こちらのお美しい方がお姉さまになってくれるの?」
「いきなり話しかけるなんていけないよ、きちんとご挨拶しなさい」
無邪気に小首をかしげた天使は、銀髪に金の瞳だった。いや正確には兄のエミリオ様と同じ、緑が入っているけれど……光を反射して金色に輝く。
「メレンデス公爵家のエステファニアですわ。お兄様のお嫁さんになってくださるのでしょう? 私とも仲良くしてくださいね」
年下とは思えないしっかりした少女の挨拶に、慌てて彼女へ名乗り直した。
「エステファニア様、丁寧なご挨拶に御礼申し上げます。ロエラ侯爵家フランシスカと申します。フランカとお呼びください」
こんな可愛い子が私の妹になる。舞い上がるような気分で笑みを浮かべると、彼女も蕾が綻ぶように口元を緩めて微笑み返してくれた。差し出された彼女の手をそっと受けて、にこにこと見つめ合う。その隣で、エミリオが肩を竦めた。
「僕より妹の方が先に仲良くなったね。女同士は狡いな、伯母様もそうだけど……すぐにティファを独り占めにしたがるんだから」
怒っているのかと振り向けば、婚約者の少年はくすくすと笑っていた。彼は妹である天使を「ティファ」と呼んだ。それが羨ましいと思うけれど、出会ったその日に愛称呼びをお願いするのは気が引けた。図々しい女だと彼女に思われるのは嫌だ。
爵位が上の方を愛称で呼ぶのは、あまりない。ティファという柔らかな発音に惹かれながらも我慢した。




