第37話 そんな意味があったのか
竜国ティタンに宗教の概念はない。そのため教会のような建物は存在せず、結婚式と言えばお披露目のパーティーが一般的だった。
セブリオ国の王宮を一夜にして踏み潰した竜が瓦礫を片付けた跡地は、今や花が咲き乱れる美しい屋敷が建っていた。テュフォンの方針で、塔のある城は却下される。その理由に貴族達は驚いた。曰く『民を上から見下ろす権力者は堕落する』から不要だと。
にっこり笑って賛成した私は、今、平屋の屋敷にいる。階段ばかりの王宮はドレスの裾を踏まないよう、常に摘まんで歩かねば危険だった。それが解消されたことに、貴族女性の評価は高い。男性もエスコートの際にパートナーの裾を踏まないように歩くのは難しく、階段がない利便性に気づいた一部の貴族は、屋敷の改装に取り掛かる程だった。
滅多に使わない客間を上階に変更し、お金をかけずに生活空間を1階に集中させる貴族や商人も現れる。こうした改革が半年の間にいくつも行われた。税が軽減され、街の公共事業が促進されたことで、竜の治世への期待は高まっている。
そんな中で行われる竜帝と竜の乙女の結婚式は注目の的だった。誰もが着飾って屋敷を訪ねて、一言お祝いを申し上げたい。仲睦まじい2人の姿を一目見たい。そんな期待を受けて、準備に飛び回る貴族達も忙しかった。ある辺境伯は自慢の自家製ワインを山ほど用意し、ロエラ侯爵家は領地から大量の食肉を取り寄せる。
庭の花が必要だろうとメレンデス公爵家も領地から薔薇を運ばせ、大量の真珠を使ったティアラを作らせた。ヴェールやドレスの生地を作ったのは絹の生産で有名なパラダ伯爵、その絹を使ったドレスの縫製はセラーノ子爵が経営するドレス専門店だ。
街の人々も食材を寄付し、子供達が作ってくれた紙飾りが大量に屋敷へ取り付けられた。
「私は恵まれているわ」
「それはティファが人々に与えた物が返ってきたんだね」
兄エミリオが親族の特権で控室に入り込む。花嫁はぎりぎりまで花婿や異性に姿を見せないとされているけれど、兄や父は当然のように控室で目を潤ませた。
「綺麗だ。妻にも見せたかった」
母の形見であり、嫁いだ母が結婚式で付けた首飾りを父が掛けてくれた。黄金の花模様の中心に大きな白真珠が光る。金剛石や緑柱石が散りばめられた豪華な首飾りを鏡越しに見つめ、頬を緩めて指先で触れた。
「失礼します。うわぁ……すごく綺麗よ! 結婚おめでとう、ティファ」
親友のフランシスカの言葉に、結婚するという実感がわいた。そう、今日から私はメレンデス公爵令嬢ではなく、竜帝テュフォン陛下の妃となる。
「ありがとう。次はあなたね、フランカ」
次の結婚式は2ヶ月後で、兄エミリオとフランシスカだ。すでに公示された日程に合わせ、彼女もドレスや装飾品を準備しているだろう。すでに顔を隠す形で下げられたヴェールの中、結い上げられた銀髪にそっと触れる。公的な場で初めて髪をすべてアップにした。
これから既婚者になるのだと自覚して、擽ったい感じがする。水色のドレスを纏った白青の竜が近づき、淡いピンクの花束を差し出した。
「これをお持ちくださいな。アグニが言うには、花嫁はこれが必要なんですって」
くすくす笑う竜から受け取った花束は、レースやリボンで飾られた華やかだが小ぶりなものだ。受け取った持ち手部分もぴったりな大きさだった。
「ありがとうございます」
頬を緩めた私に、横からフランシスカが声をかけた。
「あら、ブーケね? 未婚女性へ投げるのよ。受け取った女性は、次に結婚できるの。私に投げてね」
「え?」
驚いたのは竜の女性だけ。私は「わかったわ」と素直に了承し、兄や父は不思議そうに「そんな意味があったのか」と呟いた。




