第36話 陛下のお出迎え
「……恥ずかしいわ」
揃った貴族の前で求婚されたのが昨日、あれから一夜明けただけだ。なのに都の人々がほとんど知っているのは、なぜかしら。
馬車で王宮へ向かう最中、花のシャワーが降り注ぎ、お祝いの言葉が次々と向けられた。貴族らしいポーカーフェイスが作れなくなり、私は淑女の嗜みである扇で顔を隠している。
「手を振ってやりなさい。民を慈しむのは貴族の、愛しむのは妃の役目だ」
向かいに腰掛けた父ベクトルの言葉に、ひきつりながら笑みを作って手を振る。小さな女の子が馬車に駆け寄ろうとするのが見えて叫んだ。
「危ないわっ! 停めて!!」
御者の手でゆっくり停止した馬車から、女の子に声をかける。
「動いている馬車に駆け寄ったら、あなたがケガをするわ」
ダメよと叱るより、どうしてダメなのか教える方が先だ。父や兄にその方針で教育された私は、女の子に同じように接した。途端にどっと民衆が沸き立つ。
「竜帝陛下に相応しい、最高の竜妃様だ」
「さすがは竜の乙女であられた姫だね」
褒め言葉が擽ったくて、御者に進むよう伝えるが……興奮した民に囲まれて動けなくなっていた。ある意味、停まった馬車は逃げ道のない籠だった。
「どうしましょう、お父様。私、余計なことを」
「お前の行動は妃に相応しいものだが……はて、民を傷つけるわけにもいくまい」
父も困惑した顔で唸る。停めさせたのが私なのだから、ここは何とかしなければ。解決策も思いつかないまま、とりあえず民に距離を開けてもらえるよう頼もうとしたその時。
馬が甲高い声をあげた。ガタリと馬車が揺れ、民がぶつかったのではと窓から身を乗り出すと……浮遊感に襲われた。
「え? あ、嘘……でしょう?」
馬車は空中に浮いている。現在の高さは、先程の10歳前後の女の子と同じくらいだ。それがさらに上に持ち上がった。はしたないのを承知で身をよじって上を見つめると、眩しい金色の光に目を焼かれる。光を反射する眩しい金の巨体が見えた気がした。
「眩しいっ」
「中に戻りなさい、ティファ。危ない」
目を押さえて馬車の中でゆっくり瞬きをしたら視力が戻った。何か光り輝くものを見た気がするの。
ばさっと布がはためくような音がした。繰り返される音に、外を確認した父ベクトルが苦笑する。
「これはこれは……陛下はお前が心配で迎えに来られたようだ」
「迎えですか? この揺れはテユ様のお力ですの?」
「あの赤い屋根を見てご覧」
ベクトルが指差す先を見ると、赤い屋根と白い壁にドラゴンの影がくっきりと見える。爪で器用に馬車を掴んだ竜の大きさは、馬車の数倍あった。
開いたままの窓から、涼しい風が入ってくる。と同時に、御者の悲鳴や馬の嘶きも聞こえた。
「お父様……」
「ああ、これは……。御者に飲み代をはずんでやろう」
「馬にも休暇をあげてくださいませ」
空を飛ぶ経験などないであろう馬達と、馬車という箱の外にいる御者の恐怖を思い……竜国ティタンの新宰相と竜妃となる婚約者は顔を見合わせ、苦笑いした。初めての空中散歩を満喫するより、この後のお説教を考えてしまう。
馬車は落ちることなく無事に城門前に着地したものの、腰が抜けた御者と馬は使い物にならず。別の馬車に乗り換える手間を惜しんだティファは、父ベクトルと城まで歩いた。途中で駆け寄った竜帝テュフォンに抱っこされながら、しっかり釘を刺したのは言うまでもない。
「陛下、御身が強いのも大きいのも理解しております。助けていただいたことにお礼も申し上げます。ですが城下町に予告もなしに降りるのは、どうかと思いますわ! それから……」
叱られて悄げるテュフォンの様子を見ながら、庭で日向ぼっこをするアグニが欠伸をひとつ。
「ふーん、陛下は尻に敷かれるタイプか」
竜は知っている。テュフォンが民の夢に介入し、竜の乙女への求婚を受け入れられたと自慢したことを。共有する彼らは、多少の罪悪感をもって竜の乙女を見守った。
「構って欲しかっただけでしょ、ほら」
苦言を呈するピンクの唇を、自分の唇で塞いだ竜帝テュフォンの行動を指差す黄色い竜は、子供の姿でくすくすと笑う。
「何にしろ、平和で結構なことですわね」
白青の竜の一言に、羽を伸ばして昼寝する竜達は心の中で同意した。




