第28話 呪い祟るのが竜
「一番活きが良いのは、これか」
竜にとって罪人がどんな存在か、よくわかる表現だった。人ではなく、物なのだ。牢番が鍵を差し出す前に、右手の指先で錠を捻って落とした。がらんと重い音を立てて転がる錠に、目を見開いて暴れる手足を止めた王太子が息をのむ。
ひゅっと響いた呼吸音のあと、ゆっくり上がる顔を覗き込んだ赤毛の竜が手を伸ばした。
「あっ」
「どうかしたか?」
まさか我らの動きを止める気か? 怪訝そうな顔をした竜へ、エミリオがポケットから取り出したのは清潔なハンカチだった。
「手が汚れますよ」
だからハンカチを使って掴めばいい。ある意味予想を裏切らない残酷さを秘めたエミリオに、竜の青年は好感度を高めた。この性格ならば、他の竜も文句は言うまい。
「構わぬ、終わった後に洗えばよい」
「でしたら、洗った後でお渡しします」
日常会話を平然と行う彼らの非常識さに、牢番もクラウディオも目を見開いた。彼らの間で会話が噛み合っているのに、状況を考えると異常そのものだ。縦に裂けた獣の目を向けられたクラウディオが、我に返って逃げようと身をくねらせた。
汚れ切った地下牢の床は、過去の罪人の血や汚物が染みついている。多少の掃除はされるが、綺麗に磨かれた王宮の廊下とは雲泥の差があった。その汚れを纏うクラウディオを、竜は冷たい眼差しで観察する。
「殺さずに仕置きか……ふむ。それもよい」
誰かと会話する竜の不思議を、エミリオは黙って見守った。メレンデス公爵家の当主となる男児は、竜の乙女や竜帝に関する書物の閲覧許可がある。大量に所蔵された書庫のほとんどは、代々の竜の乙女がつづった手記だった。エミリオは直接読んでいないが、妹であるティファは日記をつけているはずだ。
メレンデス公爵令嬢は竜の乙女として手記を残し、竜を目覚めさせる血脈を繋げる。本来は相応しい王を選び国を平和に保つ役目もあるが、権利をはく奪された乙女達は望まぬ形で血を残し続けた。
メレンデス公爵となる者は血を濁らせぬため、外から妻を得て家を維持する。いつからか竜の乙女の不遇を嘆き、なんとか王家を倒すべく力を蓄えてきた。国王派から有力貴族を引き抜き、セブリオン家の勢力を削いでいく。
先祖に竜の血を持つメレンデス家であっても、その身は人に過ぎない。特別な能力も魔力も持たぬ人が取れる手段は少なく、実際に行使できる手段は限られた。それでも家族を守るために尽くした当主の苦労が、ようやく実ろうとしている。
「この者らに相応しい罰を用意しよう。我ら竜は……愚者に祝福を与える種族ではない」
「呪い祟る――神より人に近い、けれど人より優れた種族でしたね」
初代竜の乙女の手記に残された一文だ。己の子孫が竜の恩恵に溺れぬよう、警告として記された文面だった。読んだとき、心の中で「呪い祟るなら、妹と伯母を苦しめる王家を滅ぼせばいいのに」と感じたことを思い出す。
「伝わっていたか。我ら竜はすべての血族と意識を共有しておる」
それ以上彼は語らない。当然理解しただろう? そんな顔で笑う赤毛の青年に、エミリオは一瞬目を瞠ったものの静かに頷いた。
足元に転がる芋虫状態のクラウディオに手を翳す。地下牢の闇を払拭するような激しい光はなかった。ぼんやりと手のひらが光る程度だ。濃い紫色の光をクラウディオの額に押し付けるが、暴れて外れてしまった。舌打ちした竜だが、無傷で彼に術を施す必要がある。
「僕が押さえましょう」
公爵子息であるエミリオは夜会用の衣装で汚れた床に膝をつき、異臭のするクラウディオの身を押さえつけた。魔術の行使に長い時間は必要ない。紫の光はクラウディオの額に吸い込まれた。




