第2話 人生最大の汚点ですわね
「クラウディオ殿下、隣の女を下がらせてくれ。皆が目のやり場に困っている」
兄エミリオが呆れ顔で口をはさむ。私は口出しを禁じられたので、扇の陰で溜め息をついた。一度は我慢したけれど、さすがに呆れを通り越して失望が胸をしめる。
「皆が彼女の美しさに見惚れるからか?」
自慢げに尖った顎を持ち上げて鼻を鳴らすバカの口を、大きなパンで塞いでしまいたい。婚約者であった事実ごと葬りさって、二度と目が触れない場所に埋めたかった。恥ずかしすぎるわ。この人が私の婚約者だった過去は、今夜、私の人生最大の汚点になった。
両手で顔を覆いたくなったが、化粧が崩れるのでやめておく。侍女が朝から必死で整えてくれた髪や化粧を台無しにするのは、申し訳なかった。そもそも、何でこんなことになったのかしら?
数十分前に広間へ入った頃を回想する。
――豪華なシャンデリアと輝くグラス、高額な調度品や絨毯が彩る会場は着飾った人々で溢れていた。丁寧に設えられたテーブルに様々な酒で作られたカクテルが並び、まるで宝石箱のようだ。美しく華やかな会場で、ひときわ艶やかな花が笑みを浮かべる。誘われるようにグラスへ手を伸ばした。
淑女のたしなみとして、指先はレースの手袋で隠す。素肌を見せられるのは顔とデコルテ、手首から肩までが未婚の貴族令嬢のルールだった。明文化されていないものの、暗黙のルールとして幼い頃より礼儀作法の中に混ぜて教えられる。そのため、どちらのご令嬢もショールを羽織るなどして、肌見えを減らしていた。
「ご機嫌よう、ティファ」
エステファニアの愛称を「ティファ」と縮めて呼ぶのは、家族とあと一人。親しい友人に声を掛けられ、赤いグラスに伸ばしかけた手を止めた。
優雅に近づくのは、ロエラ侯爵令嬢フランシスカだ。見事な黒い巻髪に、透き通った青灰の瞳が特徴的な美女である。外見の美しさに似合う気高さと、少しの我が侭が魅力的な方だった。
黒髪を引き立てるラベンダー系の淡い水色のドレスは、柔らかそうなラインを描く。極限まで絞った細い腰から開いた花のように広がるスカートは薄布を何枚も重ねたデザインだった。華やかな彼女によく似合っている。
幼い頃からのお友達であり、大切な兄の婚約者だ。何事にも好奇心旺盛で積極的な彼女といると、私まで楽しくなるので自然と口元が緩んだ。
「ご機嫌よう、フランカ」
互いに愛称呼びなのは親しいから、敬称なしなのは家族になるためだ。物心つく前から一緒に過ごすことが多かった彼女は、私にとって姉妹のような女性だった。
「リオお兄様はどうなさったの?」
「先ほど、あなたのエスコート役をしなかった王太子殿下を探しに行ったわよ」
きっちり説明した彼女に、くすっと笑みが漏れた。パーティーや夜会でのエスコートは、婚約者の義務であり権利でもある。兄エミリオはしっかりとフランシスカを伴って入場したが、私が1人だったため慌てて2度目の入場も付き合ってくれた。淑女が紳士のエスコートなしに入場するなどあり得ない。