第16話 お断りしますわ
驚きすぎて固まったのは私だけでなく、向かいのソファに崩れ落ちたフランシスカも同様だった。慌てて駆け寄ったリオ兄様が彼女を支える。
「私ったら、ワインにでも酔ったのかしら」
飲んだ覚えはないけれど、ぎこちなくそう呟いて現実逃避を始める。歩み寄った父に、着座の許可を出したテュフォンが私の銀の髪を撫でた。父や兄以外の男性に髪を触れられるのは、初めてかも知れない。婚約者だったクラウディオも触れなかった。
「酒を飲んだのか?」
「……いいえ」
優しく現実へ引き戻され、私は嘘がつけずに首を横に振った。いっそ酒を口にしていればよかった。そうしたら酔ったことにして眠り、朝になれば婚約破棄されて自由になった私がいると思うわ。
「本当の、婚約者って、どういう意味ですの?」
後ろで髪にキスをしたり、髪飾りを解こうとするテュフォンに呆れながら尋ねる。何でしょう、この方。広間では紳士的だったのに、人目が減ると恥ずかしい行為ばかりなさるわ。
出来るだけ身を離そうとするが、少し距離が出来ると引き寄せられてしまう。結局彼の膝の上で背中に彼の体温を感じながら、肩に顎を乗せられる姿勢に落ち着いた。心臓が飛び出そうなほど大きな音を立てて、真っ赤になった首筋や頬が熱い。
「伝承の通りだ。ステファニーは婚約者のいない竜の乙女であろう? ならば、我の婚約者であり花嫁となる」
「……お断りしますわ」
「なぜだ?」
即答で断ったことに、テュフォンが不思議そうな顔をする。振り返って文句を言ってやろうとして、好みの顔を間近で見た私は言葉を失った。どうしましょう、声も出せません。
「竜帝陛下。お言葉をもう少し選んでいただきたい」
父の溜め息混じりの忠告に、テュフォンは兄エミリオへ視線を向けた。
「言葉が悪いか?」
「僭越ながら、先ほどの言い方では『竜の乙女』だから選んだように聞こえます」
そうですわ。そんな失礼なことはありません。婚約破棄されて嫁入り先が無くなったとしても、リオ兄様と親友と暮らすので困りません。竜の乙女という肩書だけで結婚など、御免ですわ。
大きく頷いた私に、テュフォンは整った眉尻を少し下げて困ったような顔をした。選んだ言葉が失敗だったと気づいたのだろう。ここで反省する仕草は元王太子殿下と違い、好感が持てます。
「悪かった。そなたが我を呼び起こしたゆえ、嬉しさの余り失礼な物言いをした。別の者が竜の乙女であったとしても、我はステファニーが欲しい」
直球の告白に、全身の血が噴き出したかと思うほど熱くなった。かっと一瞬で血が昇り、くらりと目眩がする。そのまま音が遠のき、呼びかける兄やフランシスカの声が聞こえなくなって……意識は闇に飲まれた。




