ドッペルゲンガー④
「……ここ?」
……学校の前の信号付きの横断歩道。
深夜になると、黄色点滅になってほぼフリーパスになる……そんな信号だった。
「ああ、この信号だよ! そう言えば、この信号、こないだ居眠り運転の車に突っ込まれて、支柱が曲がったとかで、建て直し工事中だったんだけど……LED式になったんだっけ。普段は、信号の事なんて、全然意識してなかったから、気が付かなかったけど。これだったんだ……確かに見覚えあるよ!」
場所としては灰峰姉さんの家から、一区画ほど離れた信号のある交差点。
最近ポツポツと増えてきたLED式の妙に眩しい信号機がぽつねんと建っていた。
まぁ、何の変哲もないと言う枕詞が付く。
LED信号自体も出始めた事は珍しかったけど、最近はそこまで珍しいものでもなく、どってこない代物だった。
けど、なんだろう? 若干霧が出てきて、雰囲気が変わった気がした。
「……なんだこれ? 霧……?」
「だね……。ここらって、結構濃い霧が出るんだね……。確かに、街灯がオレンジだなとは思ってたけど。なんか薄気味悪いような……」
後部座席の須磨さんが不安そうに呟く。
確かに、街灯がオレンジのところってのは、夜霧が出るからそうしてるところが多い。
白い照明で霧なんて出ると、真っ白になって何も見えなくなるからな。
「この時期、霧なんてあんまり出ないんだけどね……。なるほど、これはそろそろみたいだね。早く戻ろう……。急がないといけないね……これは」
姉さんの家の前に戻って、車を停めるなり、姉さんはいそいそと庭の方に行って、自転車を持ってくる。
やたら年季の入った黒いママチャリ……。
主に駅と自宅の往復用に使ってるらしいのだけど……乗ってるとこなんて見たことなかった。
「んじゃ、悪いけど、須磨さんは部屋に上がって待っててよ。その上でなるべく、私らの姿を追いかけて欲しい……頼んだよ?」
「う、うん……。屋根裏部屋から見てれば良いんだよね? けど、大丈夫かな……屋根裏部屋程度の高さじゃ、死角も多いからすぐ見失っちゃうと思うんだけど」
「まぁ、なるべくでいいよ。多分、そこのバス通りを行ったり来たりするだけだろうから、見失ったらその時はその時だけど、探す努力くらいはして欲しい」
「解った……。頑張ってみるよ」
「さて、見延くん……そう言うわけだから、運転手は君だ……。女の子を後ろに乗せて、自転車二人乗りとか青春の1ページみたいだと思わないかい?」
俺も自転車とか久々なんですが……。
それも他人のママチャリで二人乗りとか……そんなんやったこと無いんですが。
とりあえず、軽く練習させてもらって、姉さんを後ろに乗せて見る。
ヨタヨタしながら、とりあえずなんとかなりそう。
ちなみに、姉さんは女子らしく横座りでもするのかと思ったら、思いっきり荷台にまたがって、後ろから抱きついてくる。
バイクなんかで二人乗りする時は、こうやってドライバーと一体化した方が安全って話だけど、確かにバランスも取りやすい。
とりあえず、近くをぐるぐる回って、勘を取り戻す。
自転車乗るのも年単位振りではあるのだけど、5分もしないで問題なく走れるようになった。
「おっけー。これなら何とかなりそうだ」
「なんか、二人……ラブラブって感じだよ?」
須磨さんが呆れたように指摘する。
「そうかな? けど、荷台とか持つと運転する側はかえって大変なんだよ。須磨さんもバイク二人乗りする機会があったら、こうした方がいいよ。……恥ずかしがって、荷台に掴まったりすると、自分だけ放り出されたり、最悪事故るからね?」
バイクでコーナーを曲がる時とかって、車体と身体目一杯傾けたりするから、後ろがこっちに合わせてくれないと、確かに困る……それくらいは解る。
もっとも、そんなべったり密着とかしないで、ベルト掴んでくれるとかそんなのでも十分なんだがね。
「……なるほど、参考にさせていただく……と言いたいところだけど。悲しいかなバイク乗りの彼氏なんて、作る予定も当てもないんだけどね! じゃあ、言われたように二人を見失わないように見張ってるからね。じゃ、いってらっしゃい!」
須磨さんがなんとなく不穏な空気を察したようで、いそいそと家に入っていく。
近所の家にも人の気配もするんだけど、車も人がやけに少ない。
すぐ近くに座間キャンプの敷地もあるんだけど、真っ暗でパトロールが通り掛かる様子もない。
それに……かすかに耳鳴りの音が聞こえる。
これ……何気に注意信号なんだ。
静かにペダルを漕ぎながら、時速10km程度でトロトロと走る。
姉さんがいい感じでバランス取ってくれるから、それなりに走りやすい。
自転車も見た目はボロだけど、ちゃんとメンテもしてるみたいで、タイヤの空気もちゃんと入ってるし、ペダルの回転も違和感ない……ブレーキの効きも悪くない。
サドルもちょっと下げてもらったから、問題なさそうだった。
けど、自転車でフラフラ走ってると、唐突に違和感を感じる。
なんだこれは? 見える景色は普通の町並みなのに……急に現実感ってものが失せたような気がした。
「おお、早速始まったようだね……。まさに、これぞ逢魔が時って奴さ……」
霧が深くなってきて、10m先も見えなくなり、思わず自転車を止める。
「……これは? 何が起きてるんだ」
一言で言えば、静か過ぎる……。
こんな住宅街でも、午後10時近くとは言え、まだまだ普通に車も走ってるはずなんだけど。
そう言った物音がしなくなってるし、虫の鳴き声も聞こえなくなっていた。
「……静かに……今は黙ってて。いいかい? これから、いいと言うまで、絶対に一言も口を聞かないでくれ。そして、何があっても前だけを見てるように……。道は……そうだね。ちょっとこのままバス通りに出てみてくれないかな……あの記憶が間違いじゃなかったら、あれはそこのバス通りだったはず」
言われたように、少し広めのバス通りに出る。
ここだけ二車線だから、解りやすい。
けど、信号があるようなそれなりに交通量のある道のはずなのに、車が一台も通らなくなってる。
辺りの町並みも、部屋の明かりとか街灯は点いてるんだけど、人の気配ってものがしなくなっていた。
薄っすらと霞んだまるで書き割りのような町並み……。
何より、恐ろしいほどの静寂が辺りを包み込んでいた。
灰峰姉さんも気付いてるようで、俺に抱きつく腕に力が籠もる。
けど、こっちはむしろ安心する……一人きりでこの異常なシチェーションなんて、あんま考えたくないな。
「そろそろ、ここらでUターンしてみてくれ……」
言われて、その場でUターンする。
車に乗ってると、左側通行ってのが習慣づいてるから、これまで逆走状態で落ち着かなかったけど。
今度は、ちゃんと左側を走るようになった。
自転車は左側通行……基本なんだけど、案外守らない命知らずは多い。
相変わらず、車は一台も通らないし、付近に誰も居ないと言うのが解る。
聞こえるのは、さっきから耳元で鳴り響いてる耳鳴りの音だけ。
風の音や虫の音すらしないってのは……いつぞやか、初冬の富士の五合目とか行った時以来かも。
やがて、さっき姉さんが言ってた新ピカのLED式信号の前を通過する。
けど、横断歩道の反対側……視界の端にブレザーを着た女子高生が立ちどまってるのが見えた。