ドッペルゲンガー②
「まず、そのドッペルゲンガーが一人じゃなかったのは、話したよね?」
「確か……男と二人乗りしてたんだっけ? まさかと思うけど……」
「うん、そのスーツの色を見て、思い出したんだ。自転車を漕いでた男がまさにその色のスーツを着てたんだよ。まったく、一緒に居たヤツは誰なんだって……まさか彼氏とか? いやいや、ありえないしーって、ずっと思ってたんだけど、そう言う事なら納得だ」
「……ん? よく解んないんだけど、見延ちゃんのドッペルゲンガーを見たってこと?」
「いや、そうじゃない。要するに、あの日見た私は未来の私だったんだ。そして、私自身は未だ過去の自分とは会っていない。けどたぶん、私はこれから、過去の私と会わないといけないんだ。その為には、君の協力が必要なんだ」
「よく解んないけど、何をしろって言うんだい? まさか、タイムワープでもするってのかい? アインシュタイン博士に怒られるっしょ……さすがに」
「はははっ、確かに相対性理論では、タイムワープは否定されているね。これはあくまで仮説なんだけど、私はすでに未来の自分を見ている。この時点で、すでに未来は確定しているんだ。ただ、その確定した未来を引き寄せるには、おそらく条件が必要なんだ。つまり、私なりにアクションを起こして、あの日見た未来の私と同じ状況を意図的に作る必要があるんだ」
「解った……服装とか同じにして、見延ちゃんに自転車漕がせて、自分は後ろに乗る……そうすれば、タイムワープして、過去の自分に会える……そう言う事?」
意味がわからない。
でも、確かにタイムリープもので、そんな感じの話はあったなぁ。
「そう言うことさ……見延君、悪いけど……協力してくれないかな?」
「別にそれは構わないんだけど……。そんな無理に同じ状況を作らなくてもいいんじゃないかい? 未来ってものが決まってるなら、そう遠くない未来に同じシチェーションが自然に起きてって……その可能性もあるんじゃないかな?」
「いや、出来るだけ、早くこのイベントを起こす必要がある……そんな予感がするんだ。根拠はないんだけどさ。なにより、そのスーツ……同じものは、もう二度と手に入らないんじゃないかな?」
「そうだね……。さすがに、こんな色のスーツは特注でもしない限り、もう手に入らない。なにより、最近少し窮屈になってきててね。こんな変な色のスーツ、冠婚葬祭……フォーマルな用途には使い物にならないし、本社に行っても、あんまりいい顔もされなくてね。そろそろ、ちゃんとしたのに買い換えようかと思ってる」
「たしかにそうだろうね。でも、これまで何年も友人として付き合って来て、君のスーツ姿なんて初めて見た。その上で君と私が自転車二人乗りするとか、そんな状況がこの先、自然に起きる可能性があると思うかい?」
……無いと断言してもいい。
そもそも、すでに免許を取って随分経つし、自分の車も持ってる。
自転車とか、もう何年も乗ってない。
ちなみに、高校からずっと乗ってた俺のかつての足だったロードマンは、駅前に止めていたら、トラックかなにかに当て逃げされたらしく、見るも無残な残骸となった。
以来、新聞屋自転車やらを足代わりにしてたのだけど。
自分の車を持つようになってからは、めっきり乗らなくなった。
その上で、姉さんを乗せて、スーツ姿で自転車で……そんな機会、ありえんだろう。
「……確かに意図的にやろうと思わない限り、起きそうも無いね」
「だろう? 多分、これはフラグのようなものなんだ。私があの日見た未来の私の同行者の正体に気づいた時点で、すぐにでもやらないといけないんだ。となると……善は急げだ。一度家に寄って準備しよう。急ごう……時間帯も解ってるからね……多分10時ごろだ。あの日は小田急の事故でたまたま帰りがそんな時間になってしまったんだ……」
そう言って、あたふたと立ち上がる灰峰姉さん。
こちとら、レアチーズケーキとコーヒーもまだ食べきってないから、慌ててかき込む。
うーむ、もっとゆっくり堪能したかったんだがなぁ。
「……お、おう……私はどうしようかな? な、なにか手伝おうか?」
「そうだね。須磨さんも付き合ってよ。この世ならざる世界に行くとなると、戻ってくるには、現世とのつながりってものが重要になってくるんだ……そこら辺は、前に言ったよね? 例の誰も居ない不思議な世界の話さ」
……これもまた、奇妙な話なんだけど。
灰峰姉さんは、異世界みたいなところに迷い込んで、戻ってきた……何てことがあったらしい。
場所は秋葉原。
昼間だったのに忽然と人っ子一人居なくなった。
端的に言うと……そんな感じだったらしいのだけど。
たまたま俺が灰峰姉さんを釣りにでも誘うおうかと思って、携帯鳴らしたら、ソレがきっかけになったらしく、戻ってこれたんだとか。
第三者視点だと、なんともよく判らん話なんだけど……えらく感謝されたものだった。
「……まじか。え? 俺……もしかして、また変な事に巻き込まれてる?」
「それについてはすまないと思ってるよ。だから、ここの払いは任せてくれたまえ。何より、付き合ってくれないとなると、過去が変わってしまう。あの場所がこの世ならざる世界だったとしたら、過去の私が帰れなくなる可能性すらある。そうなったら……今の私が消えてしまう可能性すらあるんだ」
……良く解らないけど。
過去が変わると、現在が変わる……いわゆるタイムパラドックスと言うやつだ。
そうか、過去の姉さんは未来の自分と会った事でおかしな場所にいると気付いて、深入りする前に逃げ延びれた可能性が高い。
この人の危機回避は天性のもの……どんな状況でも、ヤバイと思ったら、一番ベストな逃げ道を迷わず選べる。
そう言う人なのだ。
もし、過去の姉さんが得体の知れない空間から逃げそびれてしまったら、今の姉さん自体が居なくなってしまう可能性すらある。
……それは俺も困るし、嫌だ。
そういう事なら、俺もここは一つ命くらい賭けてやろう。
その程度には、姉さんには借りがある!
まぁ……報酬が現物支給で、レアチーズケーキセットとはまたリーズナブルに済まされたものなんだかね。
「……それより、リスクとかはあるのかい? 例えば、その謎空間に行ったきりになって、戻れないとか……」
「正直、なんとも言えない。あの二人があの後、どこへ行ったのかは、まるで解らないんだ。二人を見送って流石に驚いて固まってて、トロトロと追いかけはしたんだがね。こっちは歩きだったから、あっさり見失ってしまったんだけど。それが功を制したのか、気付いたら近所に戻ってきてたんだ……」
「うーん、タイムワープとか……まるっきりSFだけど、むしろ過去でも未来でもない空間……そんな所に迷い込んだって考えた方が現実的なんじゃないかな?」
「なるほど、そう言う見方もあるのか。確かに、見知った道なのに、見慣れない信号とかあって、なんだこれ? とか思った覚えがある……。あれって、今にして思えばLED式の信号だったような気がするんだよな……。むしろ、あの日の私は、未来の世界へ迷い込んだ? ……けど、どうなんだろ。その二人以外に車も人も居なかったし……」
「……ややこしく考えると、ますます訳解かんなくなるよ? けど、もうちょっと何か手がかりとかってないの? そんなそこらで自転車二人乗りして走り回ってても、都合よくワープとかしなさそうだよ」
「うん、だからこそ……まずは、車でうちの近くを走り回ってみたいんだ。その未来の世界に迷い込んでたって仮説を立てるとすると、案外、近所にあの日見たものがあるかもしれない。だとすれば、場所の絞り込みは出来る」
「なるほどね。姉さんが高校の頃にLED式の信号なんてなかったはずだからね……。となると、やっぱりそこは過去の世界じゃなくて、未来の世界……。つまり、ドッペルゲンガーの話は、過去形ではなく、現在進行系の可能性が高い……そう言うことか」
ちなみに、LED式の信号は90年代の半ばくらいに登場した。
大きめの交差点や西日で見えにくいという評判の所から順々に変わっていって、割と短期間にあちこちに普及した。
少なくとも昭和の時代には存在すらしてなかったはずだった。
「ふふん、さすが作家志望……頭が柔らかいね。どのみち、見延君の協力が不可欠なんだ……すまない、この埋め合わせは必ずするから、協力して欲しい」
「まぁ、いいよ。良く解らんけど、俺は灰峰姉さんの言うことには、無条件で従うことにしてるんだ。少しくらい危なっかしくても、手伝わせてもらうよ。姉さんには、色々と借りもあるしね」
「ありがとう。まったく、君が女子だったなら、とっくに惚れ込んでる所なんだがなぁ……。実に惜しいよ」
……言ってることの意味がわからない。
なんだけど、要するにこの人はそう言う人……恋愛感情ってもんが主に女子に向くと言う。
当然ながら、まっとうな女子からは、百合女子なんてのは、気持ち悪がられるので、心にそっと秘めるに留めてるんだとか。
須磨さんとかもその事はよくご存知なんだけど。
須磨さんはちょっとタイプじゃないし、いいお友達だから……なんて事を言ってた。
俺ら野郎からすると、百合女子とかは、全然アリだなとか思うのだけど。
女子視点だと、普通に拒絶反応起こすんだとか……。
まぁ、そこら辺の感覚は、ノンケがホモに対して抱く感情と似たようなもんらしい。
なお、女子視点だと、いわゆるBLは全く問題なし……なんだとか。
なんにせよ……今の一言は地味に効いた。
思わず、ため息も出る。
「まぁ、いいさ……んじゃ、一度車取りに行くよ。服装はこのままがいいんだよね?」
「うん、そうしてくれ。こっちも須磨さんと一緒に一度、私の家に戻るから、家まで来てくれると助かる」
「いや、そう言う事なら、ここで待っててよ。家まで送っていくよ」
「そうかい? まぁ、その方が助かるし、早そうだね……。じゃあ、そう言うことでよろしく」
「あいよ。んじゃ、のちほど!」
二人と別れて、神奈中バスに乗って、店の最寄りのバス停で降りる。
データ自体は、向こうでコピーしたので、マスターディスクは持ち帰ってる。
ガッチョンガッチョンと騒々しいくせに、ディスク一枚丸ごとコピーに軽く一時間くらいかかる……。
当時のフロッピー、それも最古の部類に属するような代物だから、今どきのSSDなんかと比較するもんじゃない。
無事に届けたとの報告はしてるのだけど、こいつをきっちり店に返して、ミッションコンプリートとなる。