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第一話「海の手」③


「解った……そうだね。さっきよりは、落ち着いたみたいだから、大丈夫かも。ただ念の為、釣り竿は預かるよ……多分、フリーハンドの方がいいと思う。まずは様子見で行ってみて、私が戻れって言ったら、迷わず戻る……これだけは約束してっ!」


 たかが夜の堤防を歩くだけ……さっきも堤防に立ってたんだから、そっちの方が余程危なかったと思うのだけど。


 灰峰姉さんの警告は、そう言う物理的な事を言ってるのではないのだろう。

 

 この人はいい加減なことや、無意味なことは決して言わない。

 今も真剣に、俺の身を案じている……その事はちゃんと伝わってくる。

 

 堤防に続く階段を登って、堤防の上に立つ。

 ……3mほどの幅で、両サイドは切り立ってて、いきなり海。


 手すりなんて、当然ないから、足を滑らせたりしたら、冗談抜きで命に関わる……それは確かだった。

 堤防から水面まで、軽く2m以上はあって、絶壁になっていた……万が一、海に落ちたら、多分這い上がる事も掴まることも出来ないだろう。

 

 港の方と違って、船も係留索も無いから、自力でテトラか港まで泳いで行って這い上がるか、なにか浮かぶものでも抱えて、海に浮いたまま、助けを待つしか無い。

 

 もしも、為す術なく、外洋にまで流されてしまったら、夜ともなれば、生還はかなり怪しくなる。


 防波堤ってのは、気軽に釣りが出来るように見えるのだけど、その実、安全対策なんて無きに等しいから、相応のリスクがあるのだと痛感する。

 

 明かりについては、こちとら夜釣りも何度もこなしてるから、防滴仕様のヘッドライト装備。


 釣り竿も置いていってるから、フリーハンド……用心がすぎるとも思うのだけど、実際歩くとかなり堤防の幅が狭い上に、表面が濡れてるのが解る。

 

 要するに、波がここまで届くのだ……けど、こんな状況でも先端まで行って、釣りしてるような人はいる……その点は安心要素でもある。

 

 もっとも、先客がいるからと言って、それは安全を保証された訳じゃない。

 

 実際、灰峰姉さんと水位が激減し津久井湖の水底だった所を歩いていて、先人の足跡を辿っていたのに、二人揃って、泥沼にハマったなんてコトもあった。

 

 結局、先行してた俺が全身泥まみれになりながら、かろうじて脱出に成功して、そこら辺にあった木切れやら、板切れで即席の足場を作って姉さんの救出に、成功したものの。

 姉さんは、腰まで泥に沈んでいて、もはや自力では身動きも出来ないような有様だった。

 

 そう言う事もあるから、新規開拓やら夜釣り行く時は姉さんと二人で……と言うのが暗黙の了解になっていた。

 まぁ、姉さんの場合は、俺の車と言う足目当てってのは、あったみたいなんだけどね。

 

 とにかく、足場が不安定と言う想定で、姿勢を低くして、重心を落として慎重に歩く。

 これでも、絶壁の崖みたいになってる所で、ロッククライミングみたいな事をした経験もあったし、山歩きなんかも昔はよくやってた。


 そもそも、新聞屋稼業なんてやってると、自然と体力も人並み以上になる。

 

 堤防もかなり古いみたいで、かなり滑りやすい……夏の日中なら、少しくらい波をかぶっても、すぐ乾くのだろうけど、霧が出るくらいには、湿度も高い……無造作に歩くと絶対に滑る。

 

 砂浜の方を見ても、相変わらず誰も居ない。


 外海に面してる堤防の端っこに人影が見えてた気もしたのだけど、改めてヘッドライトの明かりで照らしてみると、そこには誰も居なかった。

 

「さっきの人……消えた?」


 遠目で、夜の海……見間違いかと思ったのだけど、明らかに人の動きをしているように見えたのだけど……。


 足場と状況確認と自分に言い聞かせて、迷惑を承知で、最大照度で突端を照らしてみたら、やっぱり人っ子一人居なかった……。

 

 見間違いだったのか? 或いは、いつのまにか引き上げたのか?


 けど、この堤防は一本道……俺たちは、ずっとここにいるけど、そんな沖の堤防から、戻ってきたような人は見かけて居ない。

 

 唐突に、沖合から湿った風が吹き始めた……生臭い匂いが潮風に混ざる。


 多分、ここも昼間は釣り客などで、賑わっていたのだろう。

 オキアミがまだ残ってるようで、独特のイヤな臭気をはなっている……けど、今この堤防には、俺以外は誰ひとりとして居ない。


 ここは、すでに人外の領域と言えた……これはちょっとよろしくない。


 俺の中の何かが警報を鳴らしてる……ここは、なんかヤバイ。

 

「どう? 問題ない?」


 堤防を10mほど進んだ所で、振り返ると、灰峰姉さんが階段の所で立ち止まって、不安そうな面持ちでこっちを見ていた。

 

 姉さんは、そこに見えない境界線でもあるかのように、階段を登りきるつもりだけはない様子だった。


「さっきの釣り人が居ない……姉さん、誰か戻ってきたのを見た?」


「……見てないね。そもそも、それは人だったのかい?」


 灰峰姉さんの言葉に思わず、凍りつく。

 

 考えても見ろ……堤防の先端部なんて、思い切り波が被るようなところだったじゃないか。

 そんな所で釣りなんかしたら、あっという間に波に攫われる。


 ……あれは? なんだったんだ。


「わ、解らない……。人のように見えた……けど、あんな所で釣りなんて絶対無理だ」


 直後、大きな波が堤防の先端部を乗り越える。

 

「……私もそれは見てるんだけど、文字通り人の形をしたただの影に見えたよ。悪いことは言わない……早く戻ったほうがいい。気付いてるかもしれないけど、なんか空気が変わった……」


 姉さんが強く止めたり、我先に逃げたりしないって事は、まだ一応、安全圏だってことなんだけど。 


 実際に、我先に逃げられたこともあった。

 

 もっとも、その事については、別に恨んだり、根に持ったりもしてない。

 それは、むしろ最大限の忠告に近い。

 

 実際、逃げ足が早いやつってのは、危機感知能力が高いってことだから、そいつが逃げるなら、迷わず一緒に逃げるってのが、正解なのだ。


 まずは、自分の安全を確保する……その上で、助けられるなら、助ける。

 山や海で、遭難した時の鉄則でもある。

 

 姉さんは、ヤバイとなると迷わず、逃げる……だからこそ、本当にヤバイ目に会わずに、結局何もなくて、のんびり戻れてる……多分、そう言うことなんだよな。


 だから、まだ、大丈夫……そう自分に言い聞かせる。


「とりあえず、まだ大丈夫そうだけど。そうだね……嫌な感じがするから、一旦そっち戻るよ」


 多分、問題ない……とは思うのだけど。

 正直言うと、別の理由で落ち着かない……。

 

 こうやって、堤防の上に立って、海側を見ると、まさに漆黒の闇が広がっていた。

 

 街の明かりも船の明かりも見当たらない……果てしなく続くかのように見える水平線がうっすらと見えるだけだ。

 

 ガキの頃、日本海で始めてこの水平線を見た時、俺は泣き叫んで、そばに居た親父に必死にしがみついてたと言う話だったけど、なんと言うか……本能レベルでの忌避感を感じる。


 実際問題、町田に住んでて、海なんて、夜だったら一時間も車を走らせれば、着いてしまうのに、今までどうしても一人で来るのは気が進まなかった。


 多分、この海ってものが俺は、苦手なんだ。


 ここに長居は無用、こんな所で釣りなんて冗談じゃない……。


 灰峰姉さんがここに入らない方がいいというのも納得が出来た。


 堤防の上に居るはずなのに、まるで船にでも乗っているかのように、足元がおぼつかないような錯覚を覚える。

 この堤防、ホントは微妙に傾いてるんじゃないか? そんな気もしてくる。


 なんだろう……ここは、何かがおかしい。

 消えた釣り人もだけど、港の方はここまで足場は滑り易くなかった……。

 

 ヘッドライトで地面を照らしてみると、さっきまで雨でも降っていたかのように、黒く湿っている。

 これは……明らかに変だ。

 

 もう一度振り返りながら、砂浜側の海を見る……かぶと岩が間近に見えて、防波堤の真下で、潮が渦を巻いているのが見えたのと同時に、キーンと耳鳴りがして、不意に視界が傾いた。

 

 ぐるりと視界が周りだす……唐突なめまい。

 

 とても、立っていられずに、思わず手と膝をつくと、灰峰姉さんが俺の異変を察して、階段から堤防に足を踏み出そうとして、躊躇しているのが見えた。

 

「……マズい! 見延君、いいからすぐ戻れっ! 立てるかい? いや、無理して立たなくていい……這ってでもいいから、ここまで来るんだ! いいか、絶対に海を見るな……私の方を見て、ゆっくりと確たる意志を持って、なんとかここまで、戻って来るんだ!」


「な、何が起きた? クッソ……」


 思わず毒づく。

 今、迂闊に立ち上がると間違いなく、すっころぶ。

 

 視界がグルグルと回っていた。

 勢いよく回った直後のように、文字通り目が回っている。

 

 俺はただ、海を見ただけだったのに……なんだこれはっ!

 

 それに、何やら足や服を引っ張られるような感触もする……足が鉛になったように重い。

 今立ちあがったら、冗談抜きで海に転げ落ちる……こんな状態で海に落ちたら、間違いなく死ぬ!

 

 久しく味わってなかった現実的な死の恐怖……まさか、こんな所で!

 

 もう四つん這いのまま、ゆっくりと灰峰姉さんのところまで、這うように進むしかない……それだけを考えていると、不意に手を掴まれた。

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