第三話「マヨヒガ」①
これは、20年以上も昔の話だ。
登戸在住だった友人。
山久こと、山田久太郎を車で送る際に、そこを通ると何故か決まって迷子になると言う土地があった。
『美しが丘』……そんな名前の高級住宅街で、場所的には田園都市線のたまプラーザ駅のほど近く。
なんとか丘と付く地名の例にもれず、一軒家ばかりが並んだ何の変哲もない住宅街なのだけど。
何故か、ここに来ると、同じところを延々グルグル回っていたり、思いも寄らない場所に出てかえって遠回りする羽目になったりと、なんとも散々な目にあっている。
要するに行けば必ず、迷子になる。
……そんなところだった。
なお、90年代の車にカーナビなんて付いてなかったし、スマホで道案内どころか、携帯電話すら無かった時代……。
車で見知らぬ土地を移動ともなると、助手席ロードマップの定番、マップルあたりと、道路の案内標識が頼みの綱……そんな時代だった。
なお、ロードマップと言っても、細かくても1/60000スケールの大雑把な地図と言うのが割と普通で、紙の地図だから拡大縮小とか出来るようなものでもない。
地図の自動更新なんかもしないし、車内に放置しておかれるのが宿命なので、色あせたり、紙が劣化したりで数年おきに買い換えるのが普通だった……。
今の時代、スマホ一台あれば、カーナビ代わりになる事を考えると、なんで昔の人は道に迷わなかったのか、不思議になるくらいだと思うけど……。
まぁ、そんな便利なもの……無かったんだから、しょうがない。
今とは常識からして違っていたのが90年代だった。
道路の案内標識も、確かに間違ってないのだけど、地元民に言わせれば、そのルートで行くのはどうかと思うよと言うような大雑把な方向しかあってないという代物ばかりで……。
当てにして従ってると、思いっきり遠回りさせられるとか、途中で地名が違うところになったりとなかなかにいい加減だった。
ちなみに、町田から登戸へ行くとなると、大雑把に2つのルートがあって、一つは小田急に沿っていく津久井道とも芝溝街道とも呼ばれてるルート。
このルートは解りやすいし、道に迷う要素もゼロなんだが。
この道は割と狭い道で、これでもかと言うほどには信号だらけで、夜でも結構混んでて、時間が読めないと言う難点があった。
最短最速ルートとしては、夜ともなれば割とスムーズに流れてる国道246号経由で、田園都市線江田駅の近くから、日吉元石川線と言う二車線道路に入って、そのまま北上すれば、登戸や生田の辺りに出る……そんな感じではあるのだけど……。
246を出て、当時はまだ健在だった向ヶ丘遊園を目指していくと、この美しが丘と言う住宅街に入り込む……そして、毎度毎度迷走する……とまぁ、そんな調子だった。
と言うか、246を逸れて暫く行くと、決まって同じところをウロウロしてるようになって、街路の住所案内をみると「美しが丘XXX」と……同じ地名が出てくる……どちらかと言うと、そう言った方が正しい。
グーグルマップあたりで見てみれば分かる通り、この美しが丘と言う住宅街。
結構、訳の解らないヘンテコな構造をしてて、道路が幾何学模様を描いているとでも言うべきか。
入ったら最後行き止まり確定とかそんな道が至る所にあったりと、割と初見殺しの所なのである。
……まぁ、要するに、普通の住宅街の作りをしていないのだ。
何よりも、北へ抜ける道が存在しない……大きな緑地帯が蓋のようにあって、北を目指している限りは、北から出れない……そんな風になっているのだ。
今は、解りやすい道が出来てて、昔ほどじゃないのだけど、当時はまさに人を迷子にさせる為に作られたかのような住宅街だった。
細かい地図もカーナビもなしでそんな所に行けば、迷子になるのも当然……ではあったのだけど。
この美しが丘に迷い込むと、最後に決まって、高級住宅街に似つかわしくない廃墟にたどり着くという謎の法則があった……。
この美しが丘ルートチャレンジは軽く5-6回くらいはやってるのだけど。
もう連戦連敗……これまで、まっすぐ抜けれた試しは一度たりともなかった。
「……見延さん、またここですかいっ! いい加減にしてくんなさいよっ!」
そして、そろそろ定番になってきたような気がする廃墟前……。
寂れて、今にも崩れそうな年季の入ったトタン屋根の廃墟がヘッドライトの明かりに浮かび上がっていた。
当時、自分の車同様に乗り回していた店の軽ワゴンの後部座席で、山久が文句を言いだした。
「確かに「また、ここか」って感じだね。なんでいつもいつも狙ったようにここに辿り着くんだろ? すまない、山久……今日は私のナビミスだ……。だから、勘弁してあげてやってくれよ」
地図と懐中電灯を片手に助手席に座って、ナビ役を務めてくれていた灰峰姉さんが申し訳なさそうに、地図をたたむとため息を吐く。
今回については、灰峰姉さんがナビをやると言い出して、もう何も考えずに指示に従って進めというので、お言葉に甘えたのだった。
……けど、結果はいつもどおり。
俺が適当に道を選んだ時と同様、思った所に出なくって、振り出しに戻ったり、同じ場所をループしてたり、割と似たような結果に終わった。
そして、オチまでも一緒。
そこから先は森林帯とひと目で解る妙に薄暗い寂れたエリアの片隅にひっそりと佇む、トタン屋根で昭和の雰囲気を残した廃墟……。
なお、この周囲には空き地や公園がある程度で、人が住んでいそうな家も無い。
確かにとっても既視感ある光景だった。
そして、ここに出れたら、後は廃墟の前を通って道なりに行けば大通り……日吉元石川線……本当はそこを通りたかった道に出る……要は、出口へ至る目印のようなものではあるのだ。
確かに今回、迷走したのは道案内役のナビの責任とも言えるのだけど、こんな雑なスケールの地図だけで、入り組んだ住宅街で正確なナビとか……そこまで望んでないから、責めるつもりは毛頭なかった。
「確かにねぇ……結局、今回も散々迷った挙げ句、結局、この廃墟に着くとかもう訳わかんねーよ! でもここまで来れれば、尻手黒川街道に出る道はなんとなく覚えてるから、もうすぐ出れるって事だ……大丈夫! 次は絶対にストレートに脱出してみせるよ!」
なお、今回は30分でここに来れたから早かった方。
最初の時は二時間くらい延々グルグルと夜の住宅街をさまよい続けた……。
本気でここから脱出できないんじゃ……なんて思ったくらいには派手に迷った。
車でそんな迷走するなんて、はっきり言って珍しい……。
しかも、俺だって免許取って一年は経ってるから、初心者ドライバーは卒業してるし、マップル片手に見知らぬ土地だって、軽く行ける。
こう見えても方向音痴とは程遠いという自負があった。
にも関わらず、ここに来るとほぼ確実に迷う。
専任ナビ付けても、またしても迷走……ホント、なんで? って感じ。
この美しが丘と言うところは、地形や家の形が妙に均一化されてるから、とにかく自分の位置を見失いやすいってのがある上に、どうも俺は山の方や川の流れの向きとかで、方向を読むくせがあるみたいで、こんな風に山も河もない所だと、割とよく迷う……。
ちなみに、埼玉の平野部や千葉の方は真っ平らで山なんて見えないから、割と鬼門だったりもする。
ロードマップもこんな細かい住宅街の裏道まではカバーしてないから、初見で道に迷うのは当然といえば当然なのだけど。
ここでの迷走率はもはや異常とも言えた。
ましてや、助手席でナビ専任してもらっても同じ結果となると……どう言う事だ?
ちなみに、似たような感じのところとしては、多摩ニュータウンと言うもっと同じような風景が延々と続く所もあるのだけど……あっちは、やたら広い道がいくつもあるので、団地の細い道に入らなければ、まず迷わない。
そもそも、似たようなメンツで何度も同じ道を走っていれば、いい加減俺以外のヤツも道くらい覚えそうなものなのだけど。
いかんせん、どこをどう通れば正解なのか、未だに誰も解ってない。
とにかく、解っている事はこの廃墟に辿り着けば、あとはなんとかなると言う事。
見るからに荒れ果てて、心霊スポットを彷彿させる見かけではあるのだが。
……ここにたどり着くとむしろ安心する。
「しっかし、この廃墟も何度も見たけど……なんなんですかね。ここだけ他と違って、取り残されてるような……それになんで、いつもいつもここに出るんですかね? と言うか、前に来た時、いつも閉まってた玄関の扉が開いてて、中入れそうですよ……ちょっと中覗いて見るってのは?」
山久に言われて見ると、確かに廃墟の玄関扉が開いていた。
普通、廃墟でも玄関は閉まってるもんなんだが……。
フルオープンとか……経年劣化で壊れたのか、或いは悪ガキが入り込んで、無理やりこじ開けたかしたんだろうか?
廃墟だからって、中のものに手を出すとか、普通にありえんと思うんだが……。
世の中には、心霊スポットの廃病院の備品ですら盗んでいくような輩はいる。
廃墟探検とか聞こえはいいが、あんなのただの不法侵入以外、何ものでもないからな……。
それに事情があって、その家に帰ってないだけで、一年に一度くらい戻ってくるとかそんなのだってある。
実際、岡山の実家がそんな感じだったからなぁ。
それを廃墟扱いされて、勝手に入って、中、荒らされたり……何てやられたら、ちょっと殺意くらい湧くな。
「ああ? そんな時間ないから……そもそも、人んちに勝手に入るとか、その時点で犯罪だぜ……。俺、そう言うのは好かないんだわ」
「あ、そ、そうっすね……。見延さんって、そう言うの好きだと思ったんすけど……」
鼻白んだ様子で山久が目をそらしながら、返事をする。
「俺、廃墟探索とか、好みじゃないからねぇ……。特にこう言う個人宅とかは手出ししちゃ駄目だろ。と言うか、扉閉めてくるわ……あのままにしとくのって、気分が悪い」
そう言って、一度車を降りて開いたままの玄関扉を閉めて、近くにあったコンクリブロックをドアの前に置いて、風で開かないようにしておく。
まぁ、大したことはしてないけど、雨の日も風の日も開きっぱなしだと、中も一気に風化していくだろうからな……。
「……なんと言うか、偽善って気もするんすけどね。どうせ、廃墟なんだから、持ち主も寄り付かない……ゴミみたいなもんじゃないんですかね」
山久の言葉に微妙にイラッとする。
こいつのこう言う思考がたまに気に食わないと思うのだけど。
まぁ、文句言うほどでもないので、抑えとく。
「まぁ、そう言わない。見延くんの言ってることは間違ってないよ。偽善かもしれないけど、出来る事をやっていくとか、そんな悪いことじゃない。偽善も善行も受ける側からするとそう変わりないだろ」
俺自身はここは流すつもりだったのだけど。
灰峰姉さんも山久の言葉が気に障ったのか、少しきつめの口調でお説教を始める。
「あ、そ、そうっすね……ははは」
まぁ、言葉は選んでほしいもんだよ。
こんな廃墟のドアを閉めて、石で塞いだ程度。
確かに、その気になれば、不法侵入し放題って状況には変わりない。
でも、こんなので、偽善とか言われるのは心外だった。
「まぁ、シニカル気取りは嫌われるぜ……。とにかく、ここからなら、すんなり出れるからな。さっさと行こうか」
「確かに……こんな所に長居は無用だと思うよ。いつも、ここからはすんなり出れてるんだけど……どうやって、ここに着いたのかってのがどうも、良く解らないな……さっきここに来る直前通ってた道って、もっと南だったはずなんだけど」
灰峰姉さんは、どうもここにたどり着くまでの道順が納得行ってないようだった。
実際、俺も脳内マッピングしつつ進んでるんだが。
ここの地図って、未だに良く解らない。
「すまん、今回は姉さんのナビ頼みだったから、俺はどこをどう通ったかさっぱり解ってない」
「ああ、それはいいんだけど……。他にも、割とどの家も綺麗で真新しいのに……なんで、この家だけ、昭和の廃墟って感じなんだろ? それに、何ていうんだろ……この廃墟、普通じゃないよ……外にある子どもの玩具とか自転車、確か昭和4-50年代くらいのだよね?」
灰峰姉さんがそう呟く。
確かに、家の外に置かれたままになってる子供用自転車。
子供の頃、家で見た覚えのある子鹿のアニメの子鹿が描かれた自転車だった。
軽く10年は昔……自転車も当然ながら、朽ち果ててるんだけど、10年以上このまま放置されてたってことになる。
その割には、中の様子は結構、綺麗に見えたんだが……。
「あ、うん……このキャラクター知ってる。けど、流行ったのは、随分昔だったなぁ……」
と言うか家にあったヤツっぽくね? これ。
補助輪付きのこの自転車、子供の頃、乗ってた覚えあるし……。
なんで、そっくりそのままのがこんなところにあるんだ?
……自転車をじっと見つめていると、姉さんがパンと手を叩く。
「すまないけど、何となく事情は知れた……早く、ここから離れよう。山久も余計なことはしない。もう、行くよ!」
姉さんがそう言うと、山久も俺も車に戻る。
なお、姉さんは基本的に暇な予備校生なので、今夜は暇だから付き合おうとか言って、同行してくれていた。
ついでに、彼女もこの美しが丘チャレンジには何度か同行してて、ナビ役まで買って出てくれたのだけど。
この何度と無く繰り返された、最終的に廃墟にたどり着くといういつもの結果になった事に、イマイチ納得できないと言った様子だったのだけど。
良くわからないけど、何か悟ったらしかった。
……ちなみに、この廃墟はどうも住宅街の外れの方に位置しているらしい。
造成工事を一休みにでもしてるのか、周りに空き地がゴロゴロとあって、ブロック分けだけはしておいて、そのうち新築の家でも建てる予定……そんな感じの所だった。
もっとも、そのおかげで、綺麗な高級住宅街のど真ん中なのに、この近辺だけある種の別世界のような雰囲気を醸し出していた。
なんにせよ、別にこんな廃墟を探検しに来たわけじゃないし、この軽ワゴンを自由に使える時間にもタイムリミットがある。
具体的には、午前2時、遅くとも3時には店に戻しておかないと、店の仕事に支障が出る。
そうなると、こっぴどく怒られるし、最悪、使用禁止例が出かねない。
現在時刻は午前1時を過ぎたところ。
美しが丘ルートを使うとなると、すんなり抜けれないとは思っていたので、少し早めに出発したんだが。
これから、山久を送って、そっこーで町田に戻ったとしても、もはや2時過ぎくらいになるのはもう避けられそうもなかった。
宣言通り、廃墟を後にして、しばし走ると広い二車線道路に出て、やがて尻手黒川道路の道路標識を目にするようになった。
ここまで来れば、あとは北上しつつ向ヶ丘遊園の裏を通って、津久井道に出れる。
そこから山久の自宅まではすぐだった。




