第二話「ドッペルゲンガー」⑤
思わず振り返ろうとするのだけど、先程の姉さんの言葉を思い出す。
……何があっても、ただまっすぐに自転車を漕ぎ続ける。
俺はその言葉に忠実に従った。
この異常な状況に恐怖心を覚えながらも、ただひたすらに漕ぎ続ける。
「あはは……思ったとおりだ。向こうはびっくりしたような顔してたな……そりゃそうだろうな」
姉さんの言葉に我に返る。
……不意に後ろから軽自動車が追い抜いていき、原チャがその後を続いていった。
自転車を止めると、近くの家の窓から漏れるTVの音や雑多な生活音や虫の声が聞こえるようになっていた。
「……うん、無事に戻ってきたようだね。お疲れさん……。これで終わりだよ。じゃあ、帰ろうか……と言うか、汗すごいね。少し休んでいくかい?」
何事もなかったかのように、背中越しにニコリと微笑む姉さんと目があった。
秋口でむしろ涼しいくらいの気温なのに、スーツなんて着て自転車こいでたからか、顔中に大汗をかいてることに気付いた。
姉さんが、自転車を降りて、近くにあった自販機でスポーツドリンクを買うと、投げ寄越してくる。
とりあえず、受け取りながら、上着を脱いで自転車の籠に放り込むと、ハンカチで汗を拭ってと縁石に座り込む。
……なんか、どっと疲れた。
「……今のは? 普通の町並みみたいだったのに、誰も居なくなったような感じだったけど……何が起きてたんだ?」
「あれはなんて言うんだろうね。……言ってみれば、狭間ってところかな」
「狭間?」
「そう……この世のようでこの世じゃない。ある種の異世界のようなものだと思う。正直、私も良く解らない」
「この世のようでこの世じゃない? と言うか、突然生き物だけが消えた感じだったけど……」
「そうだね……。前回の秋葉原の時ほど、あからさまじゃなかったけどね。あの時と同じだった。君もチラッとくらい見たと思うけど、案の定、あれは昔の私だったよ。うん、言い付けどおりにしてくれてありがとう……あそこで、想定外のリアクションを起こされてたら、結果が変わってたかも知れない。まぁ、それでも飲めば少しは気分も落ち着くだろう?」
一瞬見えたのは、膝下スカートにブレザーを着た野暮ったい雰囲気の文学系少女。
確かに、卒業アルバムの姉さんの昔の写真……そのまんまだった。
「ありがとう。……いや、今頃になって、空恐ろしくなってきた」
「なんだ、この程度でだらしない……と言いたいところだったけど、さすがにちょっと説明不足だったね」
「いや、理屈ではなんとなく、何が起きてたのか解るんだけど……」
姉さんが自転車を押し始めるので、俺も黙ってついていく。
歩きながら、500mlのペットボトル入りのスポーツドリンクをくいっと飲む。
ゲータレードとはまたマイナーな。
まぁ、メッコールじゃないから許すか。
「もしかして、俺もその異世界に行ってたのか? けど、いつ入って出たのか……全然解らなかった」
「うん、狭間ってのはそんなもんなんだ。実際、こんな経験無いかな? 不意に見えてる風景に違和感を感じたり……。ふと夜道を歩いてて、人や車が居てもおかしくないのに、それらの気配が一切消えて、無音の静寂が訪れる瞬間とか……。さっきみたいに狭間ってのは、明確な境界なんてない……言わば、シームレスなんだ。気が付いたら入り込んでて、いつのまに出てる……そんなものなんだよ」
言われてみれば、確かにそう言う経験はある。
釣りなんかで、人気のない山奥を釣り登っていたり、夜釣で河原を歩いたり……。
不意に現実感ってものが消失する瞬間がある。
……仕事中の夜道とかでも、ものすごく静まり返ってて、無性に恐ろしくなる瞬間とか……確かにある。
「ゲートがあったり、目眩がするとか、そう言う解りやすいのがある訳じゃないんだ……」
「そうだね。経験上、自分が誰からも観測されず、自分も他者を認識しない……そう言う状況になると、迷い込みやすいんじゃないかって、気はするんだけどね。前の秋葉原の時は、雑居ビルに入って一人きりでエレベーターに入って出て来たら、外が無人だったんだ」
「確かに誰からも観測されないとなると、それは第三者にとってはいないも同然……世界との繋がりが消えた一瞬が危ない……そう言うことかな?」
「かもしれないね。実際、君の電話で繋がりが戻った瞬間に、私は戻ってきたからね。まぁ、あくまで仮説だけど、そう言うことってのはありうるんだよ」
「孤独か……確かに、深夜一人で夜の街をうろついてたりすると、そんな錯覚に捕らわれるってことはあるね。誰からも観測されないとなると、本当に自分がこの世にいるかどうか……誰も保証出来ない。そう言うことか。けど、今は俺と姉さんの二人だったよな。そうなると……どうなんだ?」
「実際、今みたいに複数人数で迷い込むこともあるから、それは絶対条件ではないみたいなんだけどね。まぁ、ああ言う良く解らない異世界ってのは、割とそこらにあるもんなんだ」
「……今みたいに、訳も解らず迷い込むとか、そんなの冗談じゃないんだが……」
「今のは多分、私と君、そして過去の私の合作みたいなもんだ……言ってみれば、必然かな。複数の思念が生んだ一瞬の幻のようなものと言えるかも知れない。まぁ、なんにせよ……もう終わったことだし、結局なんだったのかとか、考えても無駄さ」
思いっきり近場だったこともあって、灰峰姉さんの家にあっさり着く。
姉さんの部屋の窓から、須磨さんが顔を出して手を振ってるので、俺も振り返す。
部屋に上がると、須磨さんがニコニコしながら出迎えてくれる。
「おかえり! いやぁ……部屋の窓から、二人の様子も見えてたけど。結局、バス通りを行ったり来たりしてただけだったみたいだったね。良く解んないけど、戻ってきたって事はもう終わり?」
「ああ、終わったよ。悪いね……かつて見た状況と合わせないといけなかったから、須磨さん除け者にしちゃったみたいになっちゃった……と言うか、ちゃんと屋根裏部屋の窓から見ててくれたんだね」
「うん、暇だったから言われたようにずっと見てた。けど、二人が家の屋根の向こうに隠れちゃったと思ったら、いつまで待っても出てこないって思ってたら、何故か逆方向から出て来てたんだけど……アレなんだったんだろ? 回り道でもしたの?」
「……なるほど、第三者からはそんな風に見えてたのか。まぁ、軽く異世界行ってたってとこかな」
「異世界っ! そりゃまた、ミラクルファンタジーな……ちょっと詳しく説明してもらうよ!」
「いいけど……。ちなみに、今日は親はどっちも帰ってこないんだ……。須磨さん、せっかくだから、朝まで付き合わない? さっきの話も含めて、お互い普段言えない話とかしてみないかい……なんなら、一緒にお風呂とかもどうだい?」
「いいねっ! 灰峰ちゃんと朝まで女子トーク! けど、洗っこはパスだよ……灰峰ちゃん、手付きがエロいんだもん」
「……それは、仕方ないよ。私は女の子を見るのも触るのも好きなんだから……。減るもんじゃないし、いいじゃん」
「あ、あんまり良くないよ? み、見延くん! もちろん、君も泊まっていくよね? 灰姉さんと二人っきりで朝までとか、私の貞操の危機かもしれないっ!」
女子二人がなんだか勝手に盛り上がってるのを見ながら、俺はスススっと部屋の隅で空気化してたんだけど。
いきなり、俺に話振られた……どうしろと?
「あー、俺は適当なとこでお暇するから、お二人で仲良くすると良いよ」
さすがに、俺も混ぜて……なんて言うほど、無神経じゃない。
お泊りモードになった須磨さんは色々ガード甘くなるから、男性としては色々大変なのだ。
「……駄目、見延くんも付き合え。これは命令だ! こうしてやるーっ!」
……須磨さんに命令されてしまった。
おまけに、ギュッと抱きつきもセット。
参った……いつもながら、これには逆らえない。
非日常から日常へ……。
日常なんてのはいつでもそこにあるから日常なのだけど。
非日常の世界、怪異も……そこらに当たり前にあるのかもしれない。
暗闇がそこらに当たり前にあるように……。
なんとなく、一年寝かせてたけど。
今回、新作アップのついでこっちもアップしてみた次第です。
この話は、灰峰姉さんのモデルの奴から聞いた話が元ネタで。
ドッペルゲンガーに二回会ったって話です。
一回目は、自転車が目の前通っていって、乗ってたのはなんと自分。
向こうも驚いてて、慌てて追いかけようとしたら消えてた。
二度目は、自転車で走ってたら、横の道から自分が出てきて、めちゃくちゃ驚いてた。
まぁ、要約するとそんな話。
過去の自分と未来の自分の邂逅って感じだったみたいなんですが。
アレンジして書きながらも、嘘くさいなぁ……と思って、公開するかどうか迷ってたら、一年経ってました。(笑)




