魔物バッタその後
会社を出る。
暖冬だと思っていたのに、二月になってから急に冷え込みが激しい。
雪になりきれてない、みぞれまじりの雨の中、傘を差して歩き出す。少々時間はかかるが、今日は久しぶりの定時退社だ。ゆっくり家路を辿るのもまた、一興。
途中スーパーに寄り、割引シールの貼られた惣菜をいくつか購入する。
できればビールも一缶くらい買いたいところだが、明日も仕事、我慢だ。
玄関に入り、電気を付け、戸締りをする。
炊飯器から保温していた白米を全部どんぶりに取り、お釜を流しで浸けておく。ふやかしておかないと、お釜を洗うとき、お釜に傷がつきやすいのだ。
コタツの上に惣菜とどんぶりを並べ、テレビの電源を入れる。
新型で感染力の強い肺炎が流行りだしたとアナウンサーが言っている。こちらは、定番の法定伝染病であるインフルエンザに、ここしばらく会社ごと振り回されていた。
なんとか収束してくれて、本当に良かった。収まってなかったら、過労死が出ていたかもしれない。課長という肩書の。先輩、管理者だから走り回ってたな。俺も手伝えることは手伝ったが、一時は焼石に水だったからなあ。
まあ、なんとか、峠を越せてよかったよかった。
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ゴッ!
「っ痛っ!!」
したたかにオデコを何か固いものにぶつけた衝撃で、俺は目を覚ました。
暑いくらいの気温に明るい陽射し、久しぶりに嗅ぐ緑と土の匂い。
ああ、カイの夢だ。
仕事に追われてたせいか、最近は夢も見なくなってたから、油断してた。
コタツに入ってテレビ見てた姿勢で居眠りしたとたんに、こっち来るとか。そんなん、地面に顔面衝突するに決まっている。
踏み固められた土道の上に、石がなかったのが幸いだ。
軽い打撲で済んだオデコをさすりながら、ゆっくりと立ち上がる。
風の香りからして、森の中だ。
久しぶりの景色を眺めながら、テューアへの道を歩く。
塀より長い、門番の槍が見えてくる。
角を曲がると、オーブンの姿があった。
今日は、変わったお客さんはいないらしい。いいことだ。
「久しぶり」
片手を上げて声をかける。俺の姿を見つけて、オーブンが軽く槍を上げて応える。
「本当に久しぶりだ! 君の戦利品のおかげで、みんなの装備がいろいろ変ったんだよ!」
見て見て、と手に持った槍を俺に突き出してくる。オイ、危ないだろ!
「ほらほら、この穂先! 魔物バッタの牙みたいなところを使ってみたんだけど、鍛冶屋が作る鉄の穂先より硬かったんだ。鍛冶屋が、もっといい炉が欲しいって、本気で悔しがってたよ。薄い方の翅でフイゴを作って鍛冶屋にあげなかったら、すっかり拗ねてたと思う。それとね、お腹の肉なんだけど、養鶏と学者が試しにってね・・・」
いつものほっそい絹糸目が、今日は三倍くらい太い木綿糸目だ。
オーブンのおしゃべりは続く。
こいつ、こんなに話好きだったのか。こっちではほとんど飲食してなかったから、オーブンのパン屋とか養鶏の唐揚げとか、テューアの食べ物はまだ食べたことがなかったりする。店に行かないわけだから、会話もあまりしてなかったんだな、と今更ながら気が付いた。
簡単にまとめると、魔物バッタはかなり良い素材だったらしい。
鎌や牙、翅、脚や皮は硬くて丈夫で、普通の火にはそこそこ強いそうだ。魔法使いが来たときに試した火魔法には弱く、すぐに燃え尽きたそうだが。魔物退治に魔法使いというのは、本当に有効らしい。「住人」が三日かけてでもテューアまで来ようと思ったのも納得だ。
また、さすがに希人でいきなり魔物バッタ肉を食べたりはしなかったが、養鶏が飼っているニワトリ(?)のうち、老いて卵が産めなくなってきた雌鶏と、絞める予定だった雄鶏のそれぞれ数羽に、魔物バッタ肉入りのエサを与えてみたらしい。魔物バッタ肉がなくなる頃、雌鶏一羽と雄鶏二羽が、若干巨大化したそうだ。
魔物になったわけではないが、この世界の生き物には、栄養豊富なエサになるらしい。巨大化したものを俺たちが食べても大丈夫なのかどうかを、今、学者が絶賛研究中だそうだ。
こりゃあ当分、学者は忙しいことだろう。嬉々として何かいろいろやってる姿が目に浮かぶ。とはいえ、学者が食用可能だと言っても、有翼族に限られるかもしれないし、それだと有翼族は学者しかいないから、他の種族連中が食べようと思うかというと、思わないだろう、たぶん。俺も、食べようとはちょっと思えない。美味いと評判のオーブンのパンさえ、まだ食べたことがないのだ。イナゴの佃煮が日本にあることは知っていても、食べたことはない。安全性に不安がある魔物バッタ肉に挑戦しようと思うほど、俺は若くない。いや、いくら若くても、食べたがるやつはあまりいないはずだ。
まあ、戦利品は二匹しかなかったから、研究結果、または途中経過が出る頃には、品切れになっているだろう。テューアにどれだけの種族がいるのかはわからないが、全く同じ世界から来てる、と断言できるのは猫獣人の双子だけだから、見た目が似てても、双子以外は全員別種族だって可能性もある。俺と忍者も、時間軸の違いだけとは思えないくらい、身体能力が違いすぎるし。
学者の好奇心が満たされることは、まずないんじゃないかな。
で、肉以外の部分はそれぞれ道具に加工され、テューアのあちこちで活躍中、と。
「町の役に立ったなら良かったよ」
俺が言えるのはこれくらいだ。荷運びなら得意だが、ここで俺はそれくらいしかできない。
魔物素材の有効活用なんて、できるわけがない。
「ほんとにありがとうね。みんな喜んでたよ」
いつもの絹糸目に戻ったオーブンに挨拶し、ようやく町に入る。
魔物バッタ肉に御執心なら、今日は学者がいるかもしれない。
あの勢いのオーブンに聞く気が起きなかったので、俺は直接、学者の家に向かった。
ドンドンドン!
木製の玄関扉をノックする。
それほど大きい家ではない。このくらいで叩けば、よほどでなければ聞こえている。
しばらく待ってみるが、応答はない。
ドンドンドン!!
ちょっと強めにもう一度。
・・・いないのかな?
出直そうかと扉から離れようとしたとき、扉の向こうから声が聞こえた。
「・・誰?」
「俺。移動倉庫だ。ちょっと教えてほしいことがあるんだが、今、大丈夫か?」
「・・・・大丈夫、やで」
ん?
返事に、いつもの気風の良さがない。
「どうした?なんか変だぞ」
扉のノブに手をかける。
「開けるぞ?」
「いや!扉越しで・・!」
焦ったような学者の声と、俺が扉を開けるのがほぼ同時で。
扉を半ば開けたところで、俺は固まった。
でかいフクロウ人間が、壁と家具に体をサンドイッチされ、方向転換もできない状態で家に詰まっていたからだ。頭が向いているのは、台所。
「おまえ、なに喰った!」
魔物バッタ肉か、その副産物だろうけど。
身動きとれないまま、学者が目だけ逸らしていた。